105話 成り上がり者
今回もお読み頂きありがとうございます。今日は休日のため、思ったより筆が進みましたので2話投稿します!
アルベールの出世は、その後も続いた。
北部へ続く道が完成すると、冬の間に命を落とす者は大きく減った。
吹雪で孤立していた集落にも、食料や薬が届くようになった。
アルベールは次に、重い税に苦しむ小さな村を救うための制度を提案した。
貴族が領民から不当に多くの税を取り立てていないかを調べる仕組みも作った。
身分に関係なく、力のある者が王宮で働けるように人材の選び方にも手を加えた。
新しい制度が始まるたび、暮らしを救われる者が増えていった。
「グラシエ様のおかげで、今年の冬を越せました」
「息子に薬を届けてくださり、本当にありがとうございます」
「あなたのような方が王宮にいてくださってよかった」
街を歩けば多くの者がアルベールに頭を下げた。
だが、アルベールは自分への感謝を聞くだけでは終わらなかった。
「ほかに困っていることはありませんか?」
必ず足を止め、人々の声に耳を傾けた。
そんな父の姿を、幼いノエルは誇らしく思っていた。
「父さんはこの国で一番すごい人なんだ」
誰かに父のことを聞かれるたび、ノエルは嬉しそうにそう答えた。
セラフィーヌも、父を心から尊敬していた。
だが彼女はアルベールの立場が高くなるにつれて、周囲の目が変わっていくことにも気づいていた。
それまでグラシエ家を相手にもしていなかった貴族たちが、急に笑顔で屋敷を訪れるようになった。
「アルベール殿。以前からあなたの才能には注目しておりました」
「グラシエ家と我が家は、これから良い関係を築けるでしょう」
「ぜひ近いうちに、我が屋敷へもお越しください」
口ではアルベールを褒めている。
だが、その目は笑っていなかった。
父の立場を利用しようとしている。
まだ幼いセラフィーヌにも、それくらいは分かった。
ある日の夕方。
屋敷を訪れていた貴族たちが帰ったあと、セラフィーヌは閉じられた玄関の扉を睨んでいた。
「私、あの人たち嫌いだわ」
アルベールが苦笑する。
「どうしてだ?」
「父さんのことを褒めていたけど、本心じゃないもの」
「そう見えたのか?」
「ええ。父さんが部屋を出たあと、廊下で笑ってたわ」
アルベールの表情がわずかに曇った。
「成り上がり者のくせに、って」
セラフィーヌは悔しそうに続けた。
「父さんの前では笑ってたのに。卑怯よ」
アルベールはすぐには答えなかった。
やがて、セラフィーヌの前に膝をつき、その頭に手を置く。
「教えてくれてありがとう」
「怒らないの?」
「良い気分はしないよ」
「だったら、もう屋敷に入れなければいいわ」
「そう簡単にはいかないんだ」
「どうして?」
「私一人では、国を変えることはできないからだ」
アルベールは穏やかに答えた。
「考え方が違う者とも話し合わなければならない。嫌われているからといって、全員を遠ざけてしまえば必要なことまで進められなくなる」
セラフィーヌは納得できない様子で眉を寄せた。
「でも、あの人たちは父さんを嫌ってる」
「ああ」
「怖くないの?」
その問いにアルベールは一瞬だけ黙った。
「少しは怖いさ」
セラフィーヌが目を見開く。
父なら何も恐れていないと思っていた。
「でも、怖いからといって何もしなければ、困っている者を助けられない」
「正しいことをしていれば、誰も父さんを傷つけないの?」
アルベールは、すぐには答えられなかった。
「……そうであってほしいと思っている」
曖昧な答えだった。
セラフィーヌの胸に生まれた不安は、消えなかった。
それから間もなく、グラシエ家の屋敷で小さな祝宴が開かれた。
アルベールが王国政務官の長へ任命されたのだ。
ほとんど力を持たなかった下級貴族が、王国でも指折りの権限を持つ役職まで上り詰めた。
食卓には普段よりも少し豪華な料理が並んでいた。
「父さん、本当におめでとう!」
ノエルが満面の笑みで言った。
「ありがとう」
「これで父さんが、貴族の中で一番偉くなったの?」
「一番ではないよ」
「でも、すごく偉くなったんでしょ?」
「任される仕事は増えるな」
「じゃあ、もっとたくさんの人を助けられるね!」
ノエルの言葉に、アルベールは嬉しそうに笑った。
「ああ。そのためにこの役目を引き受けたんだ」
マリアが温かな料理を取り分けながら尋ねる。
「今までよりも更にお忙しくなるのですか?」
「そうなると思う」
「また帰ってこなくなるの?」
セラフィーヌが不満そうに言った。
「できるだけ、そうならないようにするよ」
「できるだけじゃ嫌よ」
「努力する」
「絶対に帰ってきて」
アルベールは少し驚いたあと、優しくうなずいた。
「ああ。約束する」
セラフィーヌは、そこでようやく表情を緩めた。
「それならいいわ」
ノエルは豪華な料理を口いっぱいに頬張りながら、嬉しそうに言う。
「父さんが偉くなったら、みんな父さんの言うことを聞くんでしょ?」
「そうとは限らないよ」
「どうして?」
「人には、それぞれ考えがあるからだ」
「でも父さんは正しいことをしてるよ」
アルベールは、少し困ったように笑った。
「そう思ってくれるのは嬉しい」
「違うの?」
「私も自分では正しいと思って仕事をしている」
アルベールはそこで言葉を切った。
「でも、自分が正しいと思っていることと、本当に正しいことが同じとは限らないんだ」
ノエルは首を傾げた。
難しすぎて、よく分からない。
隣に座っていたセラフィーヌが尋ねる。
「父さんは、間違ったことをしてるの?」
「今は、していないつもりだ」
「だったら大丈夫じゃない」
「そう思い込むのが怖いんだよ」
アルベールは子供たちを見た。
「立場が高くなれば、周りの者は反対しにくくなる。だからこそ、自分の考えが間違っていないか、前よりも気をつけなければならない」
セラフィーヌは少し考えたあと、胸を張った。
「じゃあ、父さんが間違ってたら私が言ってあげる」
「頼もしいな」
「私は遠慮しないわよ」
「それは知っているよ」
マリアが口元を押さえて笑う。
「セラフィーヌは、あなたに似て頑固ですから」
「母さんまで」
セラフィーヌは不満そうに頬を膨らませた。
再び、家族の笑い声が食堂に広がる。
その夜は誰もがアルベールの出世を喜んでいた。
ただ一人。
アルベールだけは笑顔の奥で小さな不安を感じていた。
自分が高い地位へ上るほど、不利益を受ける者も増える。
反発が起きることは分かっていた。
それでも国を良くするためには進むしかない。
アルベールはそう信じていた。
同じ頃。
王都の中心に建つ大貴族の古い屋敷。
窓のない薄暗い部屋に、何人もの男たちが集まっていた。
長い机の上には、アルベールが進めてきた政策の書類が並べられている。
税の見直し。
領地の調査。
身分にとらわれない王宮人事。
どれも国民にとっては良い制度だった。
だが、そこに集まった貴族たちにとっては違った。
「グラシエのせいで、我が領地の収入が三割も減った」
一人の男が吐き捨てるように言った。
「少し税を増やしただけだ。それを不正だと騒ぎ立ておって」
「我が家も同じだ。代々守ってきた王宮の役職へ、平民を入れようとしている」
「身分の秩序を壊すつもりなのか」
「陛下も、なぜあのような男を重用なさるのだ」
机の最奥に座る老人だけが、黙って書類を眺めていた。
白く長い髭。
痩せた頬。
指にはいくつもの宝石がはめられている。
「アルベール・グラシエ」
老人がその名をゆっくりと口にした。
「少しばかり陛下に気に入られたからと、随分と調子に乗っているようだ」
「元は我々に頭を下げるしかなかった下級貴族です」
「それが今では、我々の領地にまで口を出している」
「民からも随分と人気があるようです」
老人は書類を机へ置いた。
「そこが厄介なのだ」
男たちが黙り込む。
「陛下から信頼され、民からも慕われている。正面から追い落とせば、我々が疑われる」
「では、どうなさるおつもりで?」
老人の口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「高く上った者ほど、落ちた時の傷は深い」
部屋の空気が静まり返る。
「奴を殺す必要はない」
老人は冷たく言った。
「名誉も、地位も、財産も、家族からの信頼も。すべてを奪えばよい」
一人の貴族が、不安そうに尋ねた。
「しかし、陛下が簡単に信じるでしょうか」
「信じさせるのだ」
老人は、机の上へ一枚の紙を滑らせた。
そこには、アルベールの署名を真似た文字が書かれていた。
「証拠がなければ、作ればいい」
貴族たちが紙を覗き込む。
「国庫からの金の横領」
「敵国への情報漏洩」
「王位を奪おうとした証拠も加えましょう」
「奴に協力した者がいるように見せかければ、逃げ道はなくなる」
男たちの顔に、醜い笑みが広がっていく。
老人は静かに立ち上がった。
「グラシエ家には、自分たちがどの程度の家柄だったのか、思い出してもらおう」
暖炉の炎が大きく揺れた。
その赤い光が、貴族たちの顔を不気味に照らしていた。
その夜。
グラシエ家では、誰も陰謀が動き始めたことを知らなかった。
ノエルは自分の部屋で眠っていた。
隣の寝台では、セラフィーヌが小さな魔法灯の明かりを頼りに本を読んでいる。
「姉さん」
「何?」
「まだ寝ないの?」
「もう少しだけ」
「明日も魔法の練習してくれる?」
「ええ」
「絶対だよ」
「分かってるわ」
ノエルは安心したように目を閉じた。
しばらくすると、小さな寝息が聞こえ始める。
セラフィーヌは本を閉じ、眠っている弟を見つめた。
布団から出ていたノエルの手を中へ戻し、額にかかった髪をそっと払う。
「おやすみ、ノエル」
セラフィーヌは魔法灯を消した。
窓の外では、静かに雪が降っている。
白い雪は、王都の屋根も、道も、すべてを覆い隠していった。
その下で、グラシエ家を壊すための陰謀が動き始めているとも知らずに。
家族の幸せは、まだそこにあった。
けれど、その時間はもう長くは残されていなかった。
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