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魔王殺しノクト  作者: 藤原 光希
雪精王国セレナリア編

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104/139

104話 雪の中の約束

いつもお読み頂きありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。

 ノエルは震える手を強く握り締めた。


 そして、ゆっくりと目を閉じる。


 王座の間から音が消えた。


 忘れようとしても、決して消えてくれなかった記憶。


 雪の匂い。


 家族の笑い声。


 姉の温かな手。


 すべてが壊れてしまう前の景色が、鮮明に蘇っていく。


 七年前。


 雪精王国セレナリアの王都には、朝から柔らかな雪が降っていた。


 大通りには白い屋根の露店が並び、焼きたてのパンや温かなスープの香りが漂っている。


 道の端では子どもたちが雪玉を投げ合い、大人たちは肩に積もった雪を払いながら笑っていた。


 その王都の外れに、一軒の屋敷があった。


 グラシエ家。


 代々続く貴族ではあったが、その地位は決して高くなかった。


 広い領地を持っているわけでもなければ、王宮で大きな権力を握っているわけでもない。


 王都に暮らす貴族たちの中には、グラシエ家の名すら知らない者もいた。


 屋敷も上級貴族たちが暮らす豪邸と比べれば質素だった。


 それでも庭は丁寧に手入れされ、窓辺には母が育てた白い花が並んでいる。


 家族四人が暮らすには、十分に温かな家だった。


「待ってよ、姉さん!」


 庭に幼いノエルの声が響いた。


 積もった雪を蹴りながら、小さな体で必死に走っている。


 その少し先を、銀色の髪を揺らした少女が駆けていた。


 セラフィーヌ・グラシエ。


 長くまっすぐな銀髪と、雪空のように澄んだ水色の瞳を持つ少女だった。


 セラフィーヌは振り返る。


「遅いわよ、ノエル」


「姉さんが速すぎるんだよ!」


「それじゃ、いつまで経っても私には追いつけないわね」


「今日こそ絶対に追いつくから!」


 ノエルは力いっぱい雪を蹴った。


 だが足が深く沈み、そのまま前へ倒れそうになる。


「あっ」


 顔を雪にぶつける寸前、冷たい風がノエルの体を包んだ。


 足元の雪がふわりと持ち上がり、転びかけた体をそっと支える。


 セラフィーヌが、指先をこちらへ向けていた。


 その周囲には、淡い氷の粒が浮かんでいる。


「危ないでしょ」


 セラフィーヌは呆れたように言った。


 ノエルは体勢を立て直し、目を輝かせる。


「すごい!今のも姉さんの魔法?」


「少し風と雪を動かしただけよ」


「僕にもできるかな?」


「練習すればできるんじゃない?」


 セラフィーヌはそう言って、ノエルの額についた雪を払った。


「でも無理はしないこと。あなたは昔から転びやすいんだから」


「姉さんが走らせるからでしょ」


「だったら、もっと上手に走りなさい」


 言葉は少し厳しい。


 だがノエルを見るセラフィーヌの目は優しかった。


 ノエルは姉の手を掴んだ。


「姉さん、僕にも魔法を教えてよ」


「仕方ないわね」


 セラフィーヌは笑った。


「私が一番強い魔法使いになって、ノエルのことも守ってあげる」


「本当?」


「本当よ」


「約束だよ!」


「ええ。約束」


 二人は小指を絡めた。


 その様子を屋敷の窓から一人の女性が見つめていた。


 ノエルとセラフィーヌの母、マリア・グラシエ。


 淡い銀色の髪を肩まで伸ばした、穏やかな女性だった。


「二人とも、そろそろ中へ入りなさい。朝食が冷めてしまいますよ」


「はーい!」


 ノエルが元気よく答える。


 セラフィーヌは弟の手を引き、屋敷へ戻った。


 食堂には温かな湯気が満ちていた。


 野菜の入ったスープ。


 焼きたてのパン。


 薄く切った肉と、雪国で採れる香草。


 豪華ではない。


 けれど、母が家族のために作った温かな朝食だった。


「父さんは?」


 ノエルは椅子に座りながら尋ねた。


「もうすぐ戻ってきますよ」


 マリアが答える。


「今日も朝早くから王宮へ?」


「ええ。最近は、とても忙しいみたいです」


 セラフィーヌが不満そうに頬を膨らませた。


「昨日も帰ってきたの、私たちが寝たあとだったわ」


「お父さんには大切なお仕事があるのです」


「分かってるけど……」


「寂しいの?」


 ノエルが尋ねると、セラフィーヌはすぐに顔を背けた。


「別に」


「姉さん、寂しいんだ」


「違うわよ」


「顔がそう言ってるよ」


「ノエル」


 セラフィーヌが冷たい目を向ける。


 その直後、玄関の扉が開く音がした。


「ただいま」


「父さん!」


 ノエルは椅子から飛び降り、食堂を飛び出した。


 玄関には一人の男が立っていた。


 ノエルたちの父、アルベール・グラシエ。


 整えられた黒髪に落ち着いた灰色の瞳。


 体つきは細いが背筋はまっすぐ伸びている。


 派手さはない。


 それでも誠実さと強い意志が伝わってくる男だった。


 アルベールは、駆け寄ってきたノエルを抱き上げる。


「今日も元気だな」


「父さん、遅いよ!」


「すまない。仕事が長引いてしまった」


 セラフィーヌも食堂から顔を出す。


「少しじゃないわ。昨日からずっと王宮にいたんでしょ」


「ああ」


「ちゃんと寝たの?」


「少しだけな」


「少しじゃ駄目よ。父さんが倒れたら、仕事どころじゃないじゃない」


 アルベールは一瞬だけ驚き、穏やかに笑った。


「心配してくれているのか?」


「当たり前でしょ」


「ありがとう、セラフィーヌ」


「今日はちゃんと一緒に朝ご飯を食べて」


「ああ。そのつもりで戻ってきた」


 四人は食卓を囲んだ。


 マリアが、アルベールの前に温かなスープを置く。


「お仕事は順調なのですか?」


 アルベールは少しだけ迷い、それから頷いた。


「陛下が私の提出した政策案を認めてくださった」


「本当ですか?」


「ああ。北部の集落に食料と薬を届けるための道を作ることになった」


 ノエルには難しい話だった。


 それでも、父が認められたことだけは分かった。


「父さん、すごい!」


「まだ始まったばかりだよ」


「でも、陛下に認めてもらったんでしょ?」


「ああ」


 アルベールは嬉しそうに笑った。


「道が整えば吹雪で村が孤立することも減る。食料や薬が届かず、命を落とす者も少なくなるはずだ」


「父さんが、みんなを助けるの?」


「私は道を作る提案をしただけだ。実際に作るのは、多くの者たちだよ」


「それでも、最初に考えたのは父さんでしょ?」


「そうね」


 セラフィーヌも誇らしそうに言った。


「父さんは他の貴族とは違うわ」


 アルベールはパンを置き、少し困ったように笑った。


「どうして、そう思うんだ?」


「だって、ほかの貴族は自分の屋敷を大きくすることばかり考えてるもの」


「誰かがそう言っていたのか?」


「この前、王宮に行った時に聞いたの。北部の村にお金を使うなんて無駄だって」


 セラフィーヌの声には、はっきりと怒りが混じっていた。


「同じ国に住んでる人たちなのに、助けるのが無駄なんておかしいわ」


 アルベールは、娘の顔を静かに見つめた。


「そうだな。困っている者を見捨てていい理由にはならない」


「でしょ?」


「だが、一つだけ覚えておいてほしい」


 アルベールは穏やかな口調で続けた。


「その言葉を口にした者が間違っていたとしても、それだけで貴族全員を同じだと思ってはいけない」


 セラフィーヌは納得できない様子で眉を寄せる。


「でも、ひどい人が多いのは本当でしょ」


「そうかもしれない」


 アルベールは否定しなかった。


「だが、人を家柄や立場だけで決めつければ、その者たちと同じになってしまう」


「同じ……?」


「人を見る時に大切なのは、その者がどこに生まれたかではない。何を考え、何をしたかだ」


 セラフィーヌは黙って父の言葉を聞いていた。


 アルベールは、娘の指先に浮かぶ小さな雪の結晶へ目を向ける。


「セラフィーヌは、強い魔法を使えるようになりたいんだったな」


「うん。誰よりも強くなりたい」


「どうしてだ?」


「ノエルを守るためよ」


 セラフィーヌは迷わず答えた。


「母さんも、父さんも守る。私が一番強くなれば、誰にも家族を傷つけさせないわ」


 ノエルは嬉しそうに姉を見た。


 アルベールも目を細める。


「それなら、きっと良い魔法使いになれる」


「どうして?」


「力を持つ理由を、もう知っているからだよ」


 アルベールは子供たちを交互に見た。


「力は自分を偉く見せるために使うものではない。大切な者や、助けを求める者を守るために使うものだ」


「魔法も?」


 ノエルが尋ねた。


「ああ。魔法も同じだ」


 アルベールは頷いた。


「どれだけ強い魔法でも、誰かを傷つけることにしか使えなければ、その力は人を幸せにはできない」


 セラフィーヌは、自分の指先に浮かぶ雪の結晶を見つめた。


 そして、それをゆっくりと消す。


「私は、この力でノエルを守るわ」


「僕も強くなったら、姉さんを守るよ!」


「ノエルが私を?」


「僕だって、いつまでも守られてばかりじゃないからね」


 セラフィーヌは少し驚いたあと、優しく笑った。


「じゃあ、期待してるわ」


「父さんのことも守ってあげる!」


「それは頼もしいな」


「私も守るわよ」


「二人に守ってもらえるなら、父さんは安心だ」


 家族の笑い声が、食堂に広がった。


 ノエルは、この時間がいつまでも続くと信じていた。


 父がいて。


 母がいて。


 姉がいる。


 家に帰れば、温かな食事と笑顔が待っている。


 それだけで世界は優しい場所なのだと思っていた。

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