103話 雪の王宮
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橇車の中は静かだった。
外ではスノウルークが雪を踏み締める音だけが、一定の間隔で響いている。
誰も口を開かなかった。
兵士たちから浴びせられた罵声が、まだノエルの胸に残っている。
ノエルはフードを深く被り、膝の上で両手を握り締めていた。
しばらく沈黙が続いたあと、ノエルが小さく口を開く。
「……みんな、ごめん」
三人の視線が、ノエルへ向いた。
「姉さんのこと、ずっと黙ってた。本当は、もっと早く話さないといけなかったのに……怖くて言えなかった」
ノエルは顔を上げられなかった。
「僕がセラフィーヌ・グラシエの弟だって知ったら、みんなも僕を見る目が変わるかもしれないって思ってた」
ノクトは首を横に振った。
「変わるわけないだろ」
ノエルがゆっくりと顔を上げる。
「お前がどこの誰でも関係ない。俺たちはグラシエ家の人間を仲間にしたわけじゃないんだ」
ノクトはまっすぐノエルを見た。
「ノエルを仲間にしたんだ」
「ノクト……」
「お前の姉が何をしたとしても、それでお前まで悪人になるわけじゃない。ノエルはノエルだ」
エリシアも静かにうなずいた。
「私も同じよ。過去や血筋だけで、その人の全部が決まるわけじゃないわ」
そう言うと、エリシアは隣に座るノクトを見た。
「現に、魔王の息子がここにいるもの」
「なんで俺を見るんだよ」
「分かりやすい例でしょ」
エリシアは薄く笑った。
ライナもノエルの肩を軽く叩く。
「だから、もう一人で抱え込まないでね!ノエルが言いにくいことでも、アタシたちはちゃんと聞くから!」
ノエルは三人の顔を順番に見つめた。
やがて、強張っていた表情が少しだけ緩む。
「……ありがとう」
その声は小さかった。
けれど、先ほどまでよりも少しだけ温かかった。
橇車は雪原を越え、白銀の森を抜け、いくつもの山道を進み続けた。
窓の外を、雪に覆われた景色が流れていく。
長い移動の末、激しかった吹雪が少しずつ弱まっていった。
やがて、白い景色の向こうに巨大な城壁が姿を現す。
「見えてきた」
ノエルが窓の外を見ながら呟いた。
雪と氷で築かれた壮麗な王城。
陽の光を受けた城壁は、水晶のように淡く輝いている。
いくつもの尖塔が空へ伸び、その屋根には青白い魔法灯が揺れていた。
雪精王国セレナリア王宮。
かつてノエルが暮らしていた、国の中心だった。
橇車が止まり、扉が外から開かれる。
オルヴァンが姿を現した。
「着いた。ここがセレナリア王宮だ」
重厚な城門が、低い音を立てながら開いていく。
ノクトたちは橇車を降り、それぞれの思いを胸に王宮へ足を踏み入れた。
オルヴァンに案内され、白い石造りの廊下を進んでいく。
壁や柱には氷の装飾が施され、天井から下がる魔法灯が淡い青色の光を放っていた。
大きな窓の外には、一面の雪景色が広がっている。
美しい王宮だった。
だが、どこか静かすぎた。
行き交う兵士たちの顔には疲れが見え、侍従たちも落ち着かない様子で足早に歩いている。
国が追い詰められていることは、その空気だけでも十分に伝わってきた。
やがて一行は、王宮の最奥にある巨大な扉の前へ辿り着いた。
左右に立つ兵士が頭を下げる。
オルヴァンが扉へ手をかけた。
「陛下がお待ちだ」
巨大な扉が、ゆっくりと開かれる。
その先にあったのは、広大な王座の間だった。
高い天井には巨大な氷晶のシャンデリアが輝き、左右には白銀の柱が整然と並んでいる。
正面の数段高くなった場所には、一つの玉座があった。
そこに、一人の男が静かに腰を掛けている。
雪のように白い髪を後ろへ流した、五十代ほどの男だった。
蒼く澄んだ瞳には、王としての威厳と穏やかな優しさが宿っている。
雪精王国セレナリア国王。
レイモンド・フロスト。
ノクトたちが王座の前まで進むと、レイモンドは静かに立ち上がった。
「遠路ご苦労だった」
その声は穏やかだった。
だが、目元には隠しきれない疲れが滲んでいる。
「雪女を倒し、囚われていた国民を救ってくれたこと。国王として心から感謝する」
レイモンドはノクトたちへ深く頭を下げた。
国王自らが頭を下げる姿に、ノクトは驚いた。
「頭を上げてください。俺たちは、目の前で困っている人を助けただけです」
「それでも、君たちが救ってくれた命に変わりはない」
レイモンドはゆっくりと顔を上げた。
しかし、その表情はすぐに曇った。
「だが、残念ながら……この国はまだ救われていない」
王座の間に、重い空気が流れる。
レイモンドは玉座の横に置かれていた大きな地図へ歩み寄った。
そこには、雪精王国セレナリアの全土が描かれている。
だが、王都を除くほとんどの場所に、赤い印がつけられていた。
「これは……」
ライナが不安そうに地図を見る。
「現在、王都を除くほとんどの街や集落が、魔王軍に占領されている」
ノクトたちの表情が険しくなった。
新聞には、セレナリアが魔王軍に占領されたと書かれていた。
だが、実際に地図を見せられると、状況の深刻さがはっきりと分かる。
国のほとんどが、すでに奪われていた。
「魔王軍を率いているのは、六魔星セラフィーヌ・グラシエ」
その名前が出た瞬間、ノエルの肩がわずかに震えた。
「彼女は恐ろしい氷魔法の使い手だ。街を凍らせ、我が軍の防衛線を次々と破っていった」
レイモンドは地図の王都を指さした。
「オルヴァンたち王国軍が、どうにかここだけは守っている。だが、兵も物資も限界に近い」
オルヴァンが険しい表情で目を伏せる。
「このままでは、王都が落ちるのも時間の問題だ」
レイモンドは強く拳を握った。
「民は故郷を追われ、多くの者が命を落とした。家族と離れ離れになった者もいる」
王の声に、悔しさが滲んでいた。
「このままでは、セレナリアは滅びる」
そして、レイモンドはノクトをまっすぐ見つめた。
「どうか、この国を救うために、君たちの力を貸してほしい」
ノクトは地図を見つめた。
赤い印で埋め尽くされた街や集落。
そこに暮らしていた者たちの顔は知らない。
だが、魔王軍に大切なものを奪われる苦しみなら、ノクトも知っている。
「もちろんです」
ノクトは迷わず答えた。
「俺たちは魔王軍を倒すために旅をしています。この国を見捨てるつもりはありません」
エリシアもうなずく。
「私たちにできることがあるなら、力を貸すわ」
「アタシも戦うよ!」
ライナも力強く拳を握った。
ノエルは少し遅れて顔を上げる。
「僕も……この国を助けたいです」
その声には迷いがあった。
それでも、自分の言葉で答えた。
レイモンドは安堵したように息を吐く。
「感謝する」
そして、その視線をノエルへ向けた。
「ノエル・グラシエ」
名前を呼ばれ、ノエルの表情が強張った。
「はい」
「君に聞きたいことがある」
レイモンドの声に、先ほどまでとは違う重みが加わった。
「セラフィーヌ・グラシエについて、君が知っていることを教えてほしい」
ノエルは目を伏せる。
「姉さんのことを……?」
「ああ」
レイモンドは小さくうなずいた。
「私は彼女が魔王軍に入ったことは知っている。そして、かつてこの国で多くの貴族を殺したことも」
ノエルの手が震えた。
ノクトは黙って、その様子を見つめる。
「だが、私には分からないのだ」
レイモンドは続けた。
「なぜ、セラフィーヌがそこまで変わってしまったのか」
王座の間が静まり返る。
「グラシエ家に、いったい何があったのか」
ノエルは何も答えなかった。
口を開こうとしても、声が出ない。
思い出したくない。
できることなら、ずっと心の奥に閉じ込めておきたかった。
けれどその過去から逃げ続けた先に、今のセラフィーヌがいる。
そして今、彼女はこの国を滅ぼそうとしている。
ノエルはゆっくりと息を吸った。
「……分かりました」
顔を上げる。
その瞳には、悲しみと覚悟が宿っていた。
「僕が知っていることを、全部話します」
ノクトたちは何も言わず、ノエルを見つめた。
ノエルは震える手を強く握り締める。
「グラシエ家が壊れた、あの日のことを」
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