102話 グラシエの名
今回もお読み頂きありがとうございます。
雪女たちを倒したあと、エリシアたちはすぐに氷漬けにされた男たちの救助を始めた。
ライナが拳で氷の柱を慎重に砕き、エリシアが崩れ落ちる男たちの体を受け止める。
ノエルは杖を握り締め、次々と魔法を唱えていった。
「精霊よ、凍てついた命に温もりを。体を蝕む冷気を取り払って!」
淡い光が洞窟の中に広がる。
男たちの青白くなった肌に、少しずつ血の気が戻っていった。
だが、全員を救うことはできなかった。
長い間、氷の中に閉じ込められていたのだろう。すでに息絶えている者もいた。
ノエルは一人ずつ胸に手を当て、呼吸を確かめていく。
そして、何も言わずに首を横に振った。
そのたびにライナの表情が曇る。
「間に合わなかったんだね……」
「うん……」
ノエルは悔しそうに唇を噛んだ。
「でも、まだ生きている人もいる。今は、その人たちを助けないと」
ノエルは休むことなく魔法を使い続けた。
救えなかった命はある。
それでも、生き残っている者は少なくなかった。
やがてノエルは、氷の台座に寝かされたノクトのもとへ駆け寄った。
「ノクト!」
ノクトの体は冷たく、まぶたも固く閉じられている。
ノエルは杖をかざし、ノクトの全身を淡い光で包み込んだ。
「精霊よ、彼を蝕む凍結を解いて!」
ノクトの体を覆っていた氷が、音を立てて砕ける。最初からノエルの守護魔法が効いていたので、体の表面が少しだけ凍っているくらいだった。
しばらくすると、ノクトの指先がわずかに動いた。
「う……」
ノクトはゆっくりと目を開けた。
そして飛び起きるなり、自分の体を何度も確かめる。
「し、死ぬかと思った!こんな怖い思いをしたのは初めてだ!」
エリシアは小さく笑った。
「お疲れ様。あなたのおかげで、大勢の人が助かったわよ。良いことをしたわね」
「そうなのか?」
「ええ。たまには役に立つじゃない」
「たまにはってなんだよ」
ノクトは不満そうに言いながら、辺りを見回した。
氷から救い出された男たち。
必死に治療を続けるノエル。
そして、もう動かなくなった者たち。
ノクトの表情から、すぐに笑みが消えた。
「……全員は助からなかったのか」
「間に合わなかった人もいるわ」
エリシアが静かに答えた。
ノクトは拳を握った。
だが、今は立ち止まっている場合ではない。
「とにかく、当分はこんな役目はごめんだ」
「また必要になったらお願いするわ」
「絶対に嫌だからな!」
その時だった。
洞窟の外から、何かが雪を踏み締める音が聞こえてきた。
一つではない。
何十。
いや、それ以上だ。
地面がわずかに揺れるほどの足音が、こちらへ近づいてくる。
ノエルが顔を上げた。
「この音……スノウルーク?」
次の瞬間、洞窟の入口に大勢の兵士が姿を現した。
兵士たちは、白銀の獣に跨っている。
厚い毛並み。
力強い四肢。
透き通るような角。
その獣の名は、スノウルーク。
セレナリアの雪原を駆ける、白銀の騎乗獣だった。
蹄から薄い氷のマナを放ち、深い雪にも沈まず、凍った斜面でも滑ることなく走る。
吹雪の中を進むセレナリア兵にとって、欠かすことのできない相棒だった。
洞窟の外には、百を超える兵士たちが集まっていた。
どうやら雪女を討伐するために、この山までやって来たらしい。
その先頭から、一人の男が前へ出た。
男はスノウルークの背から静かに降りる。
銀灰色の髪を短く整えた、四十代ほどの男だった。
厚い白銀の軍装を身にまとい、左頬には古い傷跡が一本走っている。
氷のように冷たい青い瞳。
だが、その立ち姿には、兵を預かる者らしい落ち着きがあった。
「私はセレナリア王国軍隊長、オルヴァン・グレイスだ」
オルヴァンは洞窟の中を見回した。
倒された雪女たち。
救い出された男たち。
そして、ノクトたち。
「雪女を退治したのは、君たちか?」
「ああ」
ノクトが答えた。
「俺たちが倒した」
オルヴァンは驚いたように目を細めた。
「この数を、たった四人で……」
その時だった。
「待て!」
兵士の一人が、大きな声を上げた。
その視線は、ノエルへ向けられている。
救助に必死だったノエルは、自分のフードが外れていることに気づいていなかった。
兵士は震える指でノエルを指さす。
「あの男はグラシエの一族だ!」
洞窟の空気が一変した。
「あいつは、セラフィーヌ・グラシエの双子の弟だぞ!」
その言葉を合図に、兵士たちから罵声が上がる。
「呪われた一族が、この国に何の用だ!」
「人殺しの一族め!」
「お前の姉が、またこの国を襲ったんだぞ!」
「捕らえろ!」
「死刑にしろ!」
ノエルは何も言い返さなかった。
ただ、向けられる憎しみを黙って受け止めている。
まるで、こうなることを最初から分かっていたかのようだった。
「黙れ!」
オルヴァンの怒声が、洞窟に響いた。
兵士たちが一斉に口を閉ざす。
オルヴァンはノエルの前へ歩み寄った。
「君は本当に、グラシエ家の者なのか?」
一瞬の沈黙。
ノエルは外れていたフードを握り締めた。
そして、気まずそうに口を開く。
「はい。そうです」
兵士たちがざわついた。
「僕の名前は、ノエル・グラシエです」
オルヴァンの表情が険しくなる。
「では、六魔星セラフィーヌ・グラシエの弟で間違いないんだな?」
「……はい」
ノエルの声は小さかった。
オルヴァンは深く息を吐いた。
その目には、怒りとも戸惑いともつかない感情が浮かんでいる。
「ノエルくん。君には、私たちと王宮まで来てもらう」
兵士たちがノエルを取り囲んだ。
両腕を掴もうとした、その瞬間。
「ちょっと待てよ!」
ノクトがノエルの前へ出た。
「セラフィーヌとノエルに血の繋がりがあったとしても、セラフィーヌが犯した罪とノエルは関係ないだろ!」
兵士たちが武器に手をかける。
それでも、ノクトは一歩も退かなかった。
「ノエルを無理やり連れていくつもりなら、俺は力ずくでも取り返す」
「ノクト」
ノエルが弱々しく声を上げた。
「ありがとう。その気持ちは、本当に嬉しいよ」
ノエルは困ったように笑った。
「でも、そんなことをしたら、ノクトまで悪者になってしまう。僕はもういいんだ」
「いいわけあるか!」
ノクトの声が洞窟に響き渡った。
「ノエルは俺たちの仲間なんだ!」
ノエルが目を見開く。
「何があっても守る。命に代えてもだ!」
「ノクト……」
驚きに揺れたノエルの瞳に、わずかな喜びが浮かんだ。
それはすぐに涙へ変わりそうになり、ノエルは慌てて目を伏せた。
「やるじゃない。よく言ったわ」
エリシアもノクトの隣へ立つ。
「ノエルは私たちの仲間よ。勝手に連れていかせるつもりはないわ」
「アタシも!」
ライナも拳を構えた。
「ノエルは誰にも渡さないよ。だって、大事な仲間だもん!」
四人と兵士たちの間に、張り詰めた空気が流れる。
オルヴァンは眉間に皺を寄せ、小さく息を吐いた。
「誤解しないでほしい」
彼は兵士たちに手を下げさせた。
「私たちは、ノエルくんを処罰するために連れていくわけではない」
「だったら何のためだ」
ノクトが睨みつける。
「陛下が、ノエルくんを必要としている」
「陛下が?」
「この国を救うために、彼の力が必要なのだ」
ノエルが顔を上げる。
「僕の力が……?」
「詳しい話は王宮でする」
オルヴァンは真剣な目でノエルを見た。
「一度、私たちを信じて王宮まで来てくれないか?」
ノエルは答えられずにいた。
この国の兵士たちから向けられた憎しみ。
姉の名。
自分を必要としているという国王。
すべてを受け止めきれず、黙り込んでしまう。
すると、ノクトが代わりに口を開いた。
「俺たちも同行する。それが条件だ」
オルヴァンは少し考えた。
やがて、静かにうなずく。
「分かった。君たちも一緒に来てもらおう」
話がまとまると、兵士たちはすぐに救助へ動き出した。
生存者たちは次々と洞窟の外へ運び出される。
毛布で体を包まれ、スノウルークが引く救護用の橇車へと乗せられていった。
すでに息絶えていた者たちも、置き去りにはされなかった。
オルヴァンは部下へ短く命じる。
「生存者は集落へ戻せ。医療班をつけろ」
「はっ!」
「亡くなった者たちも、丁重に運べ。必ず家族のもとへ帰すんだ」
「承知しました!」
兵士たちは迷いなく動き始めた。
やがてノクトたちも、洞窟の外へ出る。
吹雪の中には、百頭を超えるスノウルークが並んでいた。
白銀の毛並みが風に揺れ、蹄の下では淡い氷のマナが光っている。
その中に、一台の大きな箱型の橇車があった。
厚い木材と白い金属で作られた、王宮へ向かうための軍用橇車だった。
中には毛皮の座席が並び、窓には冷気を防ぐ透明な氷晶板がはめ込まれている。
「君たちは、こちらへ」
オルヴァンに案内され、ノクトたちは橇車へ乗り込んだ。
ノエルは黙ったままだった。
フードを深く被り直し、膝の上で両手を強く握り締めている。
ノクトは、その隣に座った。
「大丈夫だ」
ノエルがわずかに顔を上げる。
「俺たちも一緒に行く。何があっても、お前を一人にはしない」
ノエルはしばらく黙っていた。
そして、小さくうなずく。
「……ありがとう」
やがて、スノウルークが静かに動き出した。
橇車は雪の上を滑るように進んでいく。
集落へ戻る救護隊とは途中で別れ、ノクトたちを乗せた一団は白い山道を越えていった。
向かう先は、雪精王国セレナリアの王宮。
そこで待っているものが救いなのか、それとも新たな争いなのか。
ノエルにも、まだ分からなかった。
もしよろしければポイント評価、ブックマーク登録をよろしくお願い致します!




