32.茜香とセリカ
「茜香か…寛子でいいって。ややこしいし」
あたしは苦笑いを浮かべて言った。
「寛子ね。そういえばそんな名前だったっけ」
セリカはガラス張りを背もたれにして寄り掛かった。
「で、セリカはあたしを尾けたりして、一体何してたの?今の今まで」
セリカは一息ついて話し始める。
「あたしは…この世界に放り出された時、すぐに理解した。ここは前世のあたし、寛子が生きた世界だって。縁もゆかりもないこの世界で行くあてもなかったあたしは、どうすればいいかわからなかった」
「そう…だったの」
「目的もなく歩いて歩いて歩いて…彷徨ってるうちに空腹に耐えきれなくなったあたしは、美味しそうな匂いに釣られてお店に飛び込んだ。そこは年取った夫婦が2人で切り盛りしてる喫茶店だった」
セリカの頬が少し緩んだような気がした。
「急にこの世界に放り出されて、行くあてなくて、お腹すいて、でもお金なくて…そんな訳わからないことを言う女なんて普通関わりたくないでしょ?でも夫婦は違った。お腹いっぱい食べろって。行くあてないなら店の二階を使っていいって…」
「いい人達に出会えたのね」
「そうね。それからしばらくすることもないし、普段はお店の手伝いをしてた。あたしが店に出るようになってから客が増えたっておじさんは喜んでくれた。いつまでもここにいてくれていいって。笑えるでしょ」
そう語るセリカの顔からは表情を読み取れなかった。
「そんな時だった。突然お店にやってきた。寛子、あんたがね」
あたしは驚きを隠せなかった。
「えっ、喫茶店て…どこの?」
「男と2人で楽しそうに話してたでしょ?あたし、あそこにいたんだから」
「そんな…見てな…」
「あんたが男に夢中だったから気がつかなかったんでしょ!寛子にオーダー取りに行ったのも、飲み物だしたのもあたし!」
自分の周りの見えてなさを恥じたくなった。
「すごいびっくりした。だってあたしそっくり…いや、自分と全く同じ人間がそこにいたんだもん。どう考えてもおかしいでしょ。その日から。寛子のことを後を尾けたのは」
セリカは身振り手振りを交えて話す。
「1日のほとんど、寛子を尾けてた。楽しく友達と談笑してたり、男の子にちょっかいかけたり、男とデートして惚けてたり、他の男とベンチで逢引したり…」
「中村とは別にっ…」
「別に?なに?モテモテね、寛子」
にやつきながらあたしをからかうセリカ。
「バカ言わないでよ…それで、あの時、あの夜…なんであたしと直人の前に現れたの?あれはセリカだったでしょ?」
「あー、あれね…あれは、あのバカを庇うため!ほんとにバカ!もう見てられなくってさ。絶対バレない自信あったんだけどな」
「なんの自信よ、それ」
悔しそうな口調をあらためて話すセリカ。
「そうして毎日、寛子を観察してたらさ、あたしわかったんだ」
セリカは軽く蹴伸びをしながら言う。
「ここは寛子が元々望んでた世界なんだって。あんなどうしようもない異世界じゃなくて、本当に寛子が願った、転生して生きたかった世界」
あたしは唇を噛みしめた。
「寛子は気づいてたの?」
「あたし?あたしは…ね、いつなんだろうな。でも初めから気づいてたかな。だってこんなに幸せなんだよ?こんなの当たり前だって思えない自分がどこかにいた。おかしいよ、そんなのってって…ただ、これが現実じゃないなんて理解したくなかっただけ。目を閉じたままでこの世界が続くならそれでもいいって思ってた…」
視界の夜景が少しぼやけてくる。
あたしはセリカに聞きたいことを質問した。セリカがこの世界をどう思うか。
「この世界はセリカから見てどう?」
「悪くないんじゃない?不便なことも全然ないし。ただ、いろんなモノが溢れすぎてて、大事なことを忘れちゃいそう」
「大事なことって?」
あたしは答えを望んだ。
「うーん…忘れちゃった。あたしもこの世界、長くなっちゃったしね」
「あんたってほんとに…」
掴みどころがない女ね。
♦︎♦︎
「それで、これからどうしたいの?寛子は」
「セリカはどうなの?」
先にセリカの意見が聞きたかった。
「あたしはねえ…」
セリカは顎に手をやり、悩むような仕草をして答える。
「正直、このままでもいいかなって思ってる。戻ったところでまたくだらないことをやらされるハメになるんだろうし。こっちはせっかくこんな自由でなんでもある世界なんだから、楽しまなきゃ損でしょ。それで?寛子は?あんたがどう思ってるかが大事でしょ、ここは寛子の世界なんだから」
「もう満足かな、あたしは。十分いい夢見られたよ。きっと覚めてしまえばまた恋しくなる。でもなんでだろうな。あたしは前に進みたい」
そう、と一言言ってセリカは笑った。
自分を見て思うのも不思議だけど、その笑顔を美しいって思った。
「セリカの影響を受けてしまったのかも。後先考えずに猪突猛進なとこ」
「それはいい影響ね」
笑いながら言うセリカに、あたしもつられて笑った。
「ところで、なんであたしとセリカが別々に存在してるの?おかしい話じゃない?」
「さあ?あたしに聞かれても。考えられるとしたら…この世界を作った奴がそうしたのかもしれないし、寛子がそう望んだのかもしれない」
だったらあたしがそう望んだのかもね。
こうやってセリカと話せて良かったと思った自分がいた。
「どうやって戻るか、わかってるの?」
セリカの問いにあたしは答える。
「うん、なんとなく」
「だったらいいや。じゃあこれ渡しとくね」
取り出されたのはスキルペイン。
本来ここには似つかない剣。だからこそ、これはこの世界を終わらせるのに必要な鍵。
受け取ったあたしは時計を確認した。
「そろそろ行かないと。セリカは…あれ?」
セリカの姿が見えない。周りを見渡してもどこにも。
唐突にいなくなってしまった。
いや、いなくなった訳じゃない。
「ほんとにもう。いつも勝手なんだから…じゃあ戻りますか。あたしたちのクソみたいな世界に」
独り言をぼそっと呟き、メインデッキを後にした。




