7-1
「殿下、殿下!」
磨き抜かれた真っ白い石の床に響く、慌ただしい足音が背後から執拗に追いかけてくる。
だが、それに気がついていながらその男は立ち止まるどころか、振り返る気配すらなく歩き続けていた。
先を急いでいるわけではない。
ただそのために足を止めなければならないのが億劫であった、それだけである。
しかし、それは男と迫ってくる騎士との身長差は歴然であり、男の前へと回り込んだ白い軍服を着た騎士が彼の前へと片膝をつく。
「無礼を承知で申し上げます。すぐさま貴方様に確認するべき案件があり、お時間を頂きたく存じます。宜しいでしょうか、王太子殿下。」
そう言って男を見上げる騎士の瞳が黄金に輝いた。
その光には常に他とは違う確固たる決意と、それを成し遂げようとする執念が浮かんでいる。
ダニエル・カイン・リヒター。
国王直属の近衛騎士団、白金隊隊長。その座に若干24歳という若さで登りつめた"虐殺の業火"。
燃えるような赤髪に、気難しくつり上がった鋭い眼光、左頬から首にかけてうっすらと残る刀傷が印象的な美丈夫である。
その二つ名とは裏腹に、王国民からは英雄のように慕われ、崇められている。
ダニエルはまだ言葉を返さない目の前の男をジーっと見つめ続ける。
目上の人間と視線を合わせて会話するなど、常識的に考えれば許されることではない。
しかし、今、ダニエルが対峙している男はそうせざるを得ないほどの警戒心を持って接しなければならなかった。
目の前の、まだ歳若すぎる王太子はただ遜る者を好まない。
決して侮り、逆らう者は許しはしない癖に、そういう"面白みのない者"も同様に残虐に処罰する。
ダニエル自身は"非常に面倒くさい悪童"、と自分より10は幼いその王子を称しているが、彼のもつ残忍さはそんな可愛いものではない。
父にまで"悪魔"と呼ばれたその少年に、まともに進言できる者はもうダニエルを残っていないであろう。
そんな彼がこの王子と話すとき、唯一気をつけているのがこの視線を合わせると言うこと。
この少年を前に一挙一動を見逃すことはそのまま命を失うことに直結しかねない。
その首をみすみす明け渡すのは意地でも避けたいものだ。
「相変わらず…生意気な面だ。なぁ、ダニエル。」
「気に入って頂けたようで何よりです。」
不敵に笑うダニエルを見下ろし、男は楽しげに口の端を釣り上げた。
そのギラついたペリドットの瞳が、勝手に動く駒を興味深そうに眺めている。
「…今は機嫌がいい。貴様の話を聞いてやろう。だが、俺様も暇ではない。この場で簡潔に話せ。」
男が指を鳴らすと、一瞬にして真っ黒なベルベット布の立派な椅子が現れ、ごく当たり前のように男はそれに態とだらしなくに腰掛ける。
まだ年端もいかぬ幼い容姿にはその立派な造りの椅子は大きすぎる。
それにほぼ沈み込むような格好で座る王太子の態度に、眉ひとつ動かすことなくダニエルは口を開く。
「では、単刀直入に申し上げます。また城下に勝手に出かけられたと聞き及んでおりますが、それは事実でしょうか?」
ダニエルの言葉に王太子は肩肘をつく。
「それがどうした?」
そんな傲慢な態度に一切動じず、ダニエルは言葉を続ける。
「いくら殿下がお強くても、共を連れずに外に出るのはお控えくださいと前も申し上げたはずですが?」
「あぁ、覚えている。」
ダニエルが見せたムッとした表情を、王太子はニヤニヤ笑いながら観察している。
「なら控えてください。今、殿下にもしものことがあればこの国は終わる。そのことを殿下自身ご存知でしょう?」
「クク…従う気もないのによく言う。」
「私は事実を申し上げてるだけです。」
その言葉に王太子はつまらなそうに笑みを消す。
「…考えておく。」
「殿下!」
「そう喚くな。せっかく面白いことを教えてやろうと思ったのだが。」
「面白いこと…ですか?」
警戒するようにこちらを見るダニエルを、王太子は揶揄うように言葉を紡ぐ。
「"血染めの狼"…好きだろ?城下に来ているぞ。」
その名を聞いた瞬間、金色の瞳の中に明確な殺意が激しく燃え上がったのが誰の目にもわかった。
この騎士が、今にも噛みつきそあな、飢えた野獣にも似た表情をするこの瞬間が、王太子が何より気に入っていた。
いつも澄ました理知的な顔を崩すことのない男が、その名を出すだけで劇情を表に露わにする。
悪い笑みを浮かべながら、王太子はもったいぶるようにその椅子から立ち上がる。
「奴のことだ、そう長くは王都に留まりはしないだろうなぁ?こんなところで現を抜かす余裕が、お前にはあるのか?」
そう言って、わざとダニエルの前にしゃがみこみ視線を合わせる姿は、揶揄うにしても悪趣味すぎた。
王太子の萌黄色の瞳を、ダニエルは不敬とも取られかねない憎悪の目で睨み返す。
「ランスロット王太子殿下!お願いがございます。」
唸るように低い殺伐としたその声は、いつもの堅物なダニエルのそれとは違い、感情を隠さない獰猛な魔物の咆哮を見るようだ。
それを見ながら、ランスロットは嬉しそうに、面白そうに頬を緩める。
「我が隊を私の一存で動かす許可を頂きたい!」
その言葉に、王太子は満足げ笑みを浮かべ、歌うような口ぶりでダニエルに問う。
「俺を楽しませてくれるんだろうな?」
「必ずや、彼奴の首を殿下の前に差し出しましょう!」
「…それは良い。"暇つぶし"にちょうど良い。その言葉、決して違えるな。」
それだけ聞くと、ダニエルは足早に王太子の前から立ち去った。
ガチャガチャと揺れる剣の音を聞きつつ、男は声を上げ、豪快に笑う。
「さぁて、どの駒が先に辿り着くかな?」




