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焦ったようなテヤンの声。
それに驚きつつ、駆けつければシレーヌがテヤンの腕の中で力なく倒れていた。
全身に見える逆上せのような赤み、荒く浅い呼吸、苦しそうな表情…
-熱中症か!?
そう思い、体温を確認しようと触れた指先の温度に、言いようもない違和感を感じて固まってしまう。
-こんなに身体が火照ってるのに…熱くない?
予想より熱を持っていない肌。
むしろ自分の平熱より低く感じてしまいそうな体温。
そして…
驚き見つめてしまった自分の指先についた、カサついた膜のような、虹色の光沢を帯びたもの。
-これ…もしかして鱗か?
もう一度シレーヌの全身へと目を走らせれば、乾燥したような肌の部分に見える、手についたものと同じ光沢の色味…
「テヤンッ!もしかしてこの子、人魚族か!?」
俺の言葉に、テヤンがその瞳を戸惑わせながら、分かりづらい真顔でこちらを見上げている。
「人間ではない、かも…しれない……海の帝国のお姫様だから…」
「なっ!?海の帝国って…むしろ人魚族しかいないだろっ!!」
余程動揺してるのか、今更のようにテヤンの口から溢れ落ちた事実に、思わず驚いた勢いのまま言い返してしまう。
海の帝国、マッサリア。
この大陸において名前のみ知られている、他国の侵入をあらゆる意味で拒む、鉄壁と呼ばれる閉ざされた国。
その国土の大半が海の中、水中に沈んでおり、そこに住まう国民は人魚族と呼ばれる水中で生きていける者たちだ。
彼らは陸に上がるとき、普段は尾びれと化している下半身を人型と同じに変え、肌に特殊な薄い鱗膜と呼ばれるものを纏い、高すぎる気温と乾燥から身を守る。
-その鱗が剥がれているということは、それが保てないほど弱っているということ…
砂漠に入ったことでの身を置く環境の急激な気温の上昇、
常に直射で当てられる日の光による乾燥、
魔法を大量に使ったことによる魔力の消耗…
挙げれば心当たりはキリがない。
「さっさと後ろ乗せろっ!」
怒鳴るような俺の声に、大きく頷いたテヤンは放たれた弾丸のような速さでシレーヌを抱えて、荷馬車の後ろへと飛び乗った。
俺も後を追うように荷馬車の操縦席へと乗り、すぐそばに置いてあるバックからある物を鷲掴む。
「かっ飛ばすから揺れるぞっ!…ここから少し南に逸れるが、確かオアシスがあったはずだ。」
前半は後ろに叫ぶように、後半はほぼ自分に言い聞かせるような独り言だ。
右手に持った干し草のようなものを、魔法で手の中に発生させた小さな炎で燻せば、紫の独特な匂いのする煙が立ち昇る。
すぐに効果が出たのだろう。
急に前脚をバタつかせたラクーマが、目をギラつかせ、興奮した様子で暴れ出す。
ガダブと呼ばれる、草食の生き物によく効く、興奮剤の効果がある草だ。
食べさせても効果は出るが、燻すのが一番即効性がある。
「ったく、面倒事勝手に抱えやがって!!」
そんな悪態と共に、荷馬車を全速力で走らせるため、その手綱を大きく振り上げた。
***
急発進、荒っぽい運転で砂の海を、俺たちの乗った荷馬車が飛ぶように走っていく。
ガタガタと激しく揺れる荷台部分で、周りの荷物や上下の振動から守るようにシレーヌのか細い身体を抱き込んだ。
-やはり熱い…
幾度が触れた体温よりはっきりとわかるその熱量に、何故か体が震える。
それを感じ取ったように、俺の腕へと横たわったままのシレーヌがビクッと大きく身体を揺らす。
「アベルッ!俺はどうしてたらいい?」
人間のこともまだよくわからないのに、人魚の事なんて知ってるわけがない。
人魚族なんて名前も、アベルが言うまで聞いたことがなかったくらいだ。
-確かに人間ではないだろうと思ってたが…
それでも、今のシレーヌの状態が正常どころか命に関わる自体だということは容易く理解できた。
「人魚は何より乾燥に弱い!そして今、魔法を使いまくって魔力の消耗、さらに暑さによる体力の消耗もあって自分でその乾燥を防げてない。何でもいいから濡らした布地その身体に巻きつけとけっ!!」
殆ど叫んでいるのに近い声が返ってくるのを聞きながら、手早く脱いだ自身のマントに、非常用の飲み水をぶち撒け、シレーヌ身体を覆うようにして巻きつける。
それが終わると同時くらいに、操縦席の方からアベルが常に持ち歩いてる、でかい斜めがけバッグがこちらに放られた。
「それから、そん中の栄養剤とMP回復剤飲ませろ!」
「栄養剤?MP回復剤って…」
「青と黄色の液体の瓶!!」
アベルの指示を聞きながら、バックを漁らせてもらえば言われた通りの、透明な瓶に入ったそれぞれ色のついた液体を見つけることができた。
俺は使ったことないが、アベルたち人間がよく使う"薬"の一種なのだろう。
-絶対高いんだろうな…
バックの中でも、貴重なものを入れるような奥の方に、3本ずつ大切に保管されていた瓶。
でも、そんな事を考えてる暇はないと、その瓶を1本ずつ抜き取り、バックを締める。
「シレーヌ、飲めるか?」
背から肩へ回した方の腕で肩を軽く揺すり、少し上体を起こしてやる。
荒く息を吐き出す口元は緩んではいるが、下手に液体を流し込めば噎せてしまうだろう。
ガタンッと、上下に激しく荷馬車を揺らす衝撃に、シレーヌも、瓶を持つ俺の手も大きく揺れる。
「チッ…」
らしくもない舌打ち。
肌にひりつく、乾いた空気がより一層今の状況を焦らせる。
-どうしたら…
紅潮した肌の上で、より一層赤く色づくシレーヌの唇がやたらに目につく。
「…非常事態だ。許せ」
小さく呟いた懺悔、いつにも増して低く掠れた自分の声に眉を顰めながら、手元の瓶に入った液体を口に含む。
-味はしないな…
そんな事を思いながら、腕に抱えたまま彼女に顔を近づける。
次いでゆっくりと持ち上げた彼女の頤、淡く開かれたままのその口元をそっと自身のものと重ね、慎重にそれをふっくらとした唇からから細い喉へと流し込む。
やけに、痛いほど時の流れを、ゆっくりとその身に感じる。
普段は気にならない瑞々しく、仄かに甘い彼女の匂いが、むせ返るように感じるほど近くて、頭が回らなくなりそうだ。
異常なほど自身の、心拍の動きが加速している…
少しずつ、コクリ、コクリと飲み下す動き。
ようやく2本分それを終えた時、急激に全身の力が抜けた。
例えるなら金縛りから解き放たれたあとのような。
思わず落としそうになったシレーヌの身体を、慌てて抱え直しては、また息を吐く。
-大丈夫だろうか…
汗で張り付く繊細な銀糸の髪を額から払ってやれば、心なしか安らいだ表情が見て取れる。
-良かった…
安堵で気の抜けたところを、また大きな揺れに襲われ、振動からシレーヌを守るようにまたしっかりと腕の中へ抱き直す。
濡れたマント越しに感じる暖かく、柔らかな感覚になんとも落ち着かない気分になる。
だからだろうか?
彼女から香る花の匂いが、より一層甘く感じるようになったことに、俺はこの時気がつくことができなかった。




