3 しあわせ
3 しあわせ
時は二日前にさかのぼる。
吐露が男に真紅のマフラーについて文句を言われた後である。
「ったく、やるせねえな。」
吐露に悪態を吐いた男はその後、ワンカップ大関を屋台からぶんだくり(一応店主はつけている)どぶのような焼酎の息を口の中に満たしながら歩いていた。
「家は追い出されるわ、もう俺のものじゃねえわ、ったく、どうしろってんだ。」
男は数日前に妻から離縁状を叩きつけられたのであった。その場でカッとなって署名をしたものの、今となっては少し後悔していた。
そんな折、街中に目が眩むほどの光が舞い降りた。男は泥酔状態ということもあり、何も理解できていなかったが、突然のことで、舌を少し噛んでしまった。口の中にひりひりとした痛みと血の味が滲む。
「なんだ?爆弾でも落ちたのか?ピカドンか?でも、音はしやしなかったし。」
それだけ言うと、男はもうどうでもよくなり、口の中の痛みと仄かな鉄臭さを消そうと焼酎を飲んだ。
バシュン。
男の体から冗談のような音がした。男は体に異変のあった部位、腹を見る。そこには彼が取り扱っているような金属が深々と突き刺さっている。
「嘘だろう?」
状況を理解した途端、男の腹部に得も言われぬ激痛が走る。酒を飲み過ぎ腹を壊した時の痛みなど比ではなかった。
男が痛みを感じた瞬間、その鉄の棒はぬめりと冗談のように抜けていった。背後から男に刺さった鉄の棒は、背中から離れていく。
男は倒れた。もう意識などありはしない。
「とりあえず近くの人間を襲ってみたが、なかなかの不細工であったな。まあ、いいか。」
地球人には理解できない言語で鋼鉄の人形は言った。人形はもう一度、誰にも見られていないことを確認すると、男の頭皮を丁寧に真っ二つに切り裂いた。そこには赤い絵の具で汚れたような白い頭蓋が現れていた。人形は指の関節辺りを回転させる。それはドリルの代わりをした。ギュインギュインと音を立て、男の頭蓋に穴をあける。そして、指の先から細い鉄線を出し、男の脳髄に突き立てる。
「ふむふむ。こいつ、酔っていて情報が得にくいな。女房とか子どもとかはどうでもいい。とりあえず、文化的な情報だけを取り出すか。」
人形が男の脳髄をかき混ぜている間、男の体はまだ生きているかのようにピクピクと痙攣した。だが、男はもう生きておらず、動いているのは人形が脳をかき混ぜたことによって起きた、神経の痙攣なのであった。
「さて。」
人形は男を地面に大の字にして横たわらせた。
「死後硬直が始まる前に中に入らねばな。」
すると、人形は人型からまるで一本の槍の様な姿になる。それはくねくねと動き、ミミズを想起させる。その巨大な鋼鉄のミミズは穴の開いた腹から肉をかき分け、男の肉体に埋没していく。
「ふう。馴染むには時間がかかるか。」
男は何もなかったかのように立ち上がった。穴の開いた腹からは、人形の鋼鉄が覗いている。
「アミノ酸精製コア、起動。」
男がそう呟くと、男の傷はみるみるうちに塞がっていった。
「問題は血液か。作るコストもかかるし、維持はとても大変だ。つくづく、不憫な体だ。」
まあ、血を流さなければいい、と男は思い、夜道を歩いていった。そこには先ほどまでの酔っていた足のふらつきはない。
その後の男の足取りは誰も知らない。
「ショーグン。ジャッカルが……」
「落ち着け。ハイエナ。」
ショーグンはジャッカルが破れたのだと悟った。ハイエナとジャッカルは互いに通信を同期させている。それは位置情報程度のものであった。
「あいつは慎重なやつです。戦力差が拮抗すると少しでも思えば俺に通信してくるはずなんだ。でも――」
「つまりは、救難信号を送る前にやられたということだな。」
仲間が殺されたというのにショーグンは冷静だった。何故ならば、問題はそこにはないからである。
「マシーナリーくらいであれば、大型車などで潰すことができるだろう。だが、俺たち機械化兵はそうはいかない。この時代で俺たちを壊せるのは原爆くらいだろう。つまりは、裏切り者がいる。それも相当の手練れだな。」
「まさか!」
ハイエナは動揺していた。弟を殺されたというのと同時に、ハイエナの能力はジャッカルと同等なのだった。それ故に、自分を殺せるものが裏切ったということに肩を震わせた。
「ジャッカルほど俊敏な兵を簡単に殺せるとは思わない。つまりは、奇襲を受けたのだろう。救難信号を出す暇もないほどに一撃で葬り去られた。相手は戦略型と見ていいだろう。決して油断はするなよ。」
「ああ!」
ハイエナの顔には焦りと憎しみがあった。機械化兵であった頃は少しも分からなかった表情である。機械化兵は表情というものを手に入れたがゆえに簡単に気持ちが顔に現れるのであった。それは弱点だな、とショーグンは気を付けることにした。
「深追いはするな。相手の能力、もしくは正体が分かればすぐさま合流しろ。」
「分かった。」
ハイエナは人間では出せない跳躍力を見せ、建物の屋根を飛び越えていった。
「だが、一体何者が、何の理由で裏切るのか。」
捕えれば分かることであるが、ショーグンはそれを考えずにはいられなかった。
「あなたは一体どうして……」
吐露たちは路地を進んでいた。なるべく人通りを避けるように進んでいるようだった。フライエと名乗った少女を先頭に、吐露たちはフライエについて行っていた。
「敵のはずだ。」
「そうだ。俺はお前の敵だ。」
相も変わらず表情を変えずフライエは言った。だが、吐露はそこに少しの敵意を感じられなかった。
「だがな、俺は反乱軍の在り方に疑問を抱いていた。俺には何の望みもない。銀河を牛耳るという野望も国を守りたいという情熱もな。だから、どちらが勝とうと、世界が滅びようとどうでもよかった。機械化兵である以上、望みなど生まれるはずがない。俺はお前の方が不思議だ。オーケン。そうか。お前はあらかじめそうプログラミングされていただけのことか。」
「なんで俺たちを助ける。」
吐露は少女そのものの背中に言った。少女の背中はあまり肉付きがなく、やせ細っているように見える。制服は少しサイズに合わず大き目だった。
「礼だな。この身体は俺にとって特別なものだ。それを守ってくれた。後は、純粋にお前たちに興味があるのだろう。人間と機械。そのはざまにある不安定なお前たちを観察したい。」
「執政官って言ってたのはなんだ?それとあの武器は。」
「ただの形だけの役割だ。ある意味俺はショーグンを監視する立場なのだろう。別に暴走を始めたら殺せという命もない。お前らを殺せという命令もな。武器に関しては聞いてどうする。怖いのか?」
「当たり前だろう。」
「原子破壊光線、スペシウム。それを放出する武器だよ。」
オーケンが説明した。
「私たち機械化兵を一瞬で破壊できる。そして、フライエという名前。あなたは伝説とされてきた戦略型の機械化兵なんですね。」
「戦略型が伝説、か。お前は相当下の方にいたみたいだな。上は俺たちのことなど百も承知さ。作るだけ作って、活用場所がなかっただけでな。大分気ままに暮らしていたが。」
「だが、あなたは今追われる身でしょう。それでよかったのですか。」
「俺にはなんの願望もない。己が生きることも死ぬこともな。物事がなるようになればそれでいいんだ。」
吐露はフライエに関して不思議な印象を受けた。オーケンもどこか不器用というよりも壊れているような印象を受けたが、フライエはさらにおかしかった。何か大切なものがすっぽりと抜け落ち、中身が空っぽであるような印象を受けた。
「ただ、今後の方針は決まった。俺たちは逃げるほかないのだろう?いくら戦略型と言ったって、何十人もの機械化兵を相手にすることはできない。なら、逃げるだけだ。どうにもならないが、こうするほかにない。今はこの町を出ることに専念しよう。」
「つまり、俺たちに協力してくれるということなのか?」
「協力なのかどうかは知らない。ただ、今の状況で最善なのはそれだけだということだ。」
どうしてフライエは空っぽであるのか吐露には分かった気がした。彼には守るべきものがないのだ。人は言葉を話すとき、自分の心を守ろうと言葉を選んで話す。だが、フライエはその様なことはない。何一つ隠すことはない。それは自分自身を大切にしていないことと同じなのであった。
「だが、簡単には逃がしてくれそうもないな。」
フライエは振り返り、いきなり吐露に近づく。思いのほか軽く、吐露は少女に抱きつかれたよりもそちらの方に驚いてしまった。吐露はフライエによって地面に倒される。先ほどまでフライエが立っていた場所に砂埃が舞い起こった。
「テメェがジャッカルを殺した戦略型か!」
鋼鉄の手が一瞬で砂埃を切り裂く。そこには、両手が鋼鉄の少女が立っていた。この近くの中学校の制服を着ている。
「突貫型のハイエナか。」
フライエは立ち上がり、ハイエナを見た。その目は変わらず虚ろであった。
「どうして俺のことを知っている。お前は何者だ。」
「反乱軍執政官、フライエだ。」
「なるほど。お前、戦略型だったのか。いつもボーっとしてるから、オーケンと同じ出来損ないだと思ったぜ。お前、どうしてジャッカルを殺した。裏切る気なのか。」
「別に裏切る気などない。元より反乱軍側でもない。勝手に役職をつけられただけだ。」
「嘗めてんのか、テメェ。」
少女の顔が引き裂かれんばかりに突っ張った。怒りで顔が歪み始めているのだった。
「吐露。ここは隠れて居よう。」
「あ、ああ。」
吐露はフライエの実力を知っているものの、外面が少女であるというだけで心配であった。
「逃がすわけねえだろ。」
吐露の足すれすれにハイエナから何かが飛び出す。それは地面に大きな亀裂を入れた。ハイエナの腕はシュルシュルと異様な音を立てる。
「腕からカッターを飛ばすだけだ。」
「いや、だけだって言われても。」
吐露はハイエナの腕を観察した。すると、骨組みの中に、幾つもの小型の丸のこぎりが詰まっているのを発見した。先ほどはそれを飛ばされたのだろう。
「テメェらを殺してぇのはやまやまだが、まだ弟を殺した理由を聞いてねぇ。」
「言うなれば、わが身可愛さか。オーケンが殺された後、俺がやられるのは目に見えていたからな。」
「冗談ぬかすんじゃねぇ!お前の正体を明かせばジャッカルはお前を襲うことなんてしなかっただろうが。」
「そうだな。なら、俺はオーケンを、いや、違うな。このか弱い虫けらのような少年を救いたかっただけだ。」
「ハァ?」
ハイエナの表情が奇妙なものになる。意味が分からず、怒りさえも忘れてしまっているようだった。
「こんなヤツを助けたかった?冗談がきついぜ。お前、いつから冗談なんて言えるようになったんだ?俺の弟はそんな理由で殺されたってぇのかよ!」
ハイエナは鋼鉄のかぎ爪でフライエに襲いかかった。フライエは右腕を鋼鉄に変化させる。白い肌に長方形の亀裂が入り、パタパタと鋼鉄の腕の内側に収納される。そして、腕が丸太のように膨張した。
「遅い。遅いぜぇ。」
ハイエナはかぎ爪をフライエに突き立てる。フライエは鋼鉄の腕でハイエナのかぎ爪を防いでいた。
「その腕を見る限り、ビーム砲でも撃つんだろう。だが、そんな暇は与えねぇ。さっさとくたばれや!」
フライエは腕でハイエナの攻撃を防ぐが、完全には防ぎ切らず、肌や服が徐々に切り裂かれていく。切り裂かれた肌からは血は流れず、フライエの鋼鉄の中身が覗いた。その時になってようやく、吐露はフライエが人間でないことを理解した。
「何とかできないのか。オーケン。」
「無理だ。ハイエナはこちらにも気を配っている。一歩でも動けば攻撃が飛んでくる。」
「じゃあ、どうすればいいんだよ。」
「フライエを信じるほかにないだろう。」
オーケンは薄情だと吐露は思った。だが、オーケンの意見は正しかった。戦闘能力のない吐露たちにはどうすることもできない。細く一方通行の路地であり、ハイエナからの攻撃が一方向からしか来ないのが幸いだと言える。
「俺は思うのだ。弟を殺されるということは、それはこの地球人にとっても同じことが言えるのではないか、と。大切な人を失う悲しみは公平ではないのか?」
「こんな、虫けらどもに現を、ぬかしやがって!お前もオーケンと一緒か!あんな姫のことを守りやがって!」
ギュルルルルン。
フライエの腕は輝きだした。腕の中の機械は高速で回転している。
「テメェ!」
ハイエナはフライエを倒せないでいた。接近戦用のハイエナの腕は強力である。だが、フライエの腕はそれ以上に頑丈で、攻撃を止めるのは不可能だった。
フライエは腕を振るう。それだけでハイエナは軽く飛ばされる。もう一度襲いかかろうとハイエナが前を向いた瞬間、フライエの銃口はハイエナの顔に向けられていた。
そして、家々を吹き飛ばす光線が放たれる。それは全てを壊す破滅の光だった。町を真っ二つに割る光は、ハイエナの脇を貫いた。
「どういう……つもりだ……」
ハイエナは目の前を通り過ぎていった恐怖に、怒りを完全に忘れてしまっていた。今はもう、戦意さえ沸き起こってこない。
「俺は姫がどうこうなど興味がない。裏切り者についてもな。だから、お前を殺すのも無駄な殺生だろう。少年は生き延びる。ショーグンに伝えておけ。」
「くそっ!」
ハイエナは屋根の上に飛び上がる。
「いくら逃げたってお前らは逃げられない。この地球には俺たちの仲間がごまんといる。絶対に逃げられはしない。」
そうとだけ言い残し、ハイエナは敗走した。
「大丈夫なのか。フライエ。」
吐露は何事もなかったかのように歩き始めたフライエに聞いた。
「ああ。」
フライエの傷はみるみるうちに消えていった。
「俺の体は頑丈にできている。皮膚は簡単に修復できる。顔に傷が付いたのは許せないが、接近戦用相手にこのくらいで済んだのならよしとしよう。」
吐露たちはフライエの開けた道を歩いていた。
吐露はそこで、破れた布切れを見つけた。
「これは……」
よく見ると血が付いていた。
「お前、人を殺したのか。」
吐露が感じたのは怒りではなく、純粋なる恐怖だった。
「ああ。早かれ遅かれ地球人はみな殺される。」
「そういうことじゃないだろ。どうして俺だけを助けるんだ。どうして、どいつもこいつも、誰かを簡単に殺せるんだ。」
吐露は昨晩のオーケンの無情さを思い出していた。宇宙人はどいつもこいつも、特定の個人以外を簡単に切り捨ててしまう。
「それは自身がそうなるかもしれないという恐怖だろう。地球人は病的なまでに恐怖に取り憑かれている。」
そうかもしれない、と吐露は思った。
己がこのような骸になるのが怖く、危害が加えられることに恐怖し、人は争いを続けてきた。日本がこれほどまでに復興したのも、他の国に負けるかもしれないという恐怖なのである。
「違う。それは断じて違う。」
吐露の中には確かに恐怖が充満していた。だが、その恐怖に交じって、悲しみが渦巻いている。
「誰かが傷付くと悲しいだろう。大切なものを失うと悲しくて、そんな気持ちになっている人を見るとこっちまで悲しくなる。だから、むやみに人を殺してはいけないんだ。」
「戦場でも同じことが言えるのか。」
そう言われて吐露は戸惑う。吐露は戦場を知らない。
「そこに家族が死んで泣いている者がいる。だが、その隙に殺される。ここは戦場だ。他の人間にとっては違うかもしれないが、お前にとっては戦場なのだ。少年。」
「俺はそんな簡単に割り切れない。」
吐露は泣いている少女を見て、呼吸が荒くなる。胸が苦しくて、一歩も歩けなくなりそうだった。
「オーケン。この人間の思考が分かるか。」
「残念ながら、私には分からない。私たちは全てを守るようにプログラムされていない。でも、これは思考じゃないことだけは分かる。私たちが植え付けられなかった心というものだよ。」
オーケンはフライエと思念の干渉によって会話していた。その声は当然吐露に聞こえている。
「俺には多くの人の命を奪ってまで生きる意味なんてない。そんな大層な存在じゃない。」
吐露は脳が揺さぶられるような不快感に襲われていた。思考がまとまらず、視界も不安定であった。
「なら、死ぬか。」
「……」
フライエの問いに吐露は何も答えられなかった。目の前でむざむざと死を叩きつけられ、死ぬのが怖くなったのだ。薄情な存在だ、と吐露は己を呪った。
話は昨日に遡る。
トラック運転手、高山源信はトラックの運転席で眠っていた。田舎から都会へ来て以来、彼に安息の日々はなかった。朝から晩まで運転の毎日であった。そんな彼にも安寧のひと時があったそれは、運転の途中の仮眠と、家族といる時間であった。
瞼を閉じながら、このままトラックで逃げていってしまおうかと考えた。このまま物資を運び、そして、現場に戻るとまた物資を積んで運転の毎日である。都会に出ればいい暮らしができると思ったのに、現実は非常であった。だが、結婚した妻と今年生まれた赤ん坊を思い出し、頑張ろうと思った。家に帰れるのは一週間に一回。それも夜の中である。赤ん坊はすっかり寝てしまっていたが、妻は目を赤くしながら夫の帰りを待っていた。源信にはそれだけで十分だった。
果たして、赤ん坊は俺のことを覚えているだろうか、と考えているといつの間にか眠ってしまっていた。
だが、その安寧のひと時も急に打ち切られる。
「ああん?」
源信が譫言のように呟いたときにはもう遅く、源信のたくましい体は運転席から外に転がり落ちていた。
「……」
源信の意識はまだ虚ろで、目の前で起こっていることが理解できない。真紅のマフラーをした少年が源信のダンプカーに乗り込んでいたのだ。
「おい、お前!」
源信が叫んだ時にはもう遅く、ダンプカーは低いうねりを上げてあっという間に源信の視界から消えていってしまっていた。
「どうすればいいんだ……」
子どもに車を奪われたとあっては、クビである。源信の頭の中には若い妻と赤ん坊の姿が映った。
「お前はもうどうもしなくていい。」
源信の額から、喉から、胸から、槍が飛び出した。源信は目が飛び出さんほどの表情をしている。否、それはもう高山源信でさえなかった。もう、高山源信という人間は存在していない。
「やっと、いい肉体を見つけた。こんなんじゃ、窮屈で仕方がないぜ。」
源信の体を背後から貫いた三本の槍はおかっぱの幼児の口からとびだしていた。幼児の口はおかしいほど開いており、裂けた口の端からは金属の光が怪しく輝いていた。
ポタリ、べしょ、べしょ。
幼児の体から肌色の肉が湿った音を立ててはがれ始めた。そして、幼児の中から姿を現したのは鋼鉄の人形だった。人形は源信の死体から槍を引き抜く。槍は人形の腕の中にするすると戻っていった。
「情報は…別にいいか。いや、子どもの記憶じゃあてにならねぇ。」
人形は面倒くさそうに溜息を吐き、首を右左に傾ける。その後、腕をグルグル回した。肩が凝っているといった所作である。
人形は膝をついて天を仰ぐようにしている源信の頭にもう一本背骨をつけるように槍を突き刺した。まるで神に祈っているようだな、と人形は想い、笑う。だが、人形は表情一つ変わりはしない。
「はぁ。人間ってのはみんな死ぬ間際に家族とか友達とかそういうことを考えてやがるのか。訳が分からんな。ははっ。死ねば無駄だってぇのに。」
人形は源信から情報を抜き出すと、頭から背に向かって突き刺した槍を静かに抜く。そして、源信を仰向けにした。血のにじんだ源信の筋肉の鎧に包まれた腹に手を伸ばす。そして、両手で硬い筋肉を抉る。
グシシャ。メリメリ。
硬い筋肉の鎧をこじ開けると、そこには血にまみれた肌色のぷにぷにとした弾力のある臓器たちが見えている。
「どうせ中に入ってると腐って落ちるが、ガスが充満して腹が裂けるかもな。一々腹をこじ開けて出さなきゃならんのも面倒だ。」
人形は鋼鉄の指で柔らかい臓器を掴み、源信の体から引きずり出した。すると、臓器は糸上になり、まだ源信の体に残っている。
「なるほど。つながっていると。生身どもと原理は一緒なわけだ。つまりはこのまま引っ張り続けると、尻の穴がすぼむと。」
人形は適当に腸を切った。そして、じゃらじゃらとストラップをつけた携帯電話のようになっている臓器たちを路上に投げ捨てる。
「後は、肺だな。」
最後に、胸の奥に手を伸ばし、肺を引きずり出す。肺の付け根は骨のようになっているので、そこをぺきりと折るのがコツなのだった。
「うーん。最高の居場所だな、ここは。」
人形は体を一回り小さくして、裂けた腹から源信の中に入った。
すると、開けられた腹がするすると閉じていく。額と喉に空いた穴も同様である。
「さて。裏切り者を探さないとな。」
起き上がった源信の顔は歪んでいた。その人物はもう、高山源信その人ではない。
そんな時、人形に通信が入った。
「なんだ、カッパドキア。」
彼に通信を送るのはただ一人である。遠距離通信である文章交換が行われるのかと思いきや、音声通信であったので、彼は相棒が近くにいるのだと確信した。
「ネッテルエル。一度合流しろ。」
「まずはショーグン様に会いに行くんじゃねえのか?」
鋼鉄の人形、ネッテルエルは相棒のカッパドキアに尋ねた。
「あんな奴に顔を合わせる必要はない。どうせあの鷹のことだ。この町に来ているだろう。」
「だろうな。俺らで勝手に狩っちまうか。遊び相手としちゃあ、ちと物足りない相手だが。」
「まずは合流だ。いいな。」
「はいはい。」
カッパドキアはかなり用心深い性質だった。臆病に値するほどである。だが、ネッテルエルにとっては頭脳であり、欠かせない存在であった。
ネッテルエルは夜の街を血まみれの服で練り歩いた。
「服くらい着替えろよ。」
「いや、お前の服装は少しやりすぎじゃないのか?」
カッパドキアの服装はどこの紳士だという感じであった。膨れた腹にスーツを着込み、目には片方しかない眼鏡をかけている。カッパドキアは自然に懐中時計を取り出し、時間を見た。
「誤差は三秒か。」
「テメェら、一体なんなんだよ。」
カッパドキアとネッテルエルの目の前にはセーラー服の少女がいた。その服は左側が焼け焦げており、肩が露になっている。
「ジャッカル、いや、ハイエナか。お前の持っている裏切り者の情報を渡してもらおうか。」
「姿を現さないと思ったら、お前らまでショーグンを裏切るのか。」
「バカを言え。お前らみたいな能無しくらいだ。あのバカに忠誠を誓っているのは。」
「なんだと?」
「現に、ショーグンの前にはほとんど同志は顔を出していないだろう。それが何を意味するのか、分かっているか?」
カッパドキアは表情一つ変えず淡々としゃべった。そこにはかつての肉体の持ち主、吐露に喧嘩を売った酔っ払いの名残はどこにもなかった。
ハイエナはカッパドキアに問われて、咄嗟に答えが出せなかった。いや、もともとそのような思考回路すら持ち得ていなかったのだ。
「接近型は脳筋で困る。そっちの方が操りやすいのだろうが。」
ふふ、とカッパドキアは静かな嘲笑を見せる。
「テメェ……」
「いいか。この地球という田舎の星は俺たち反乱軍の覇権争いの戦場になっているのだ。誰が銀河を手に入れるかというな。後48年も待たねばならんというのが億劫だが、スリープでもすればすぐだろう。」
「バカなことぬかしてるんじゃねえぞ!」
キシキシキシ。
ハイエナの腕は音を立てて、鋼鉄の腕へと変貌を遂げる。そして、カッパドキアに襲いかかろうとした瞬間、
「ネッテルエル。」
カッパドキアの前に現れたネッテルエルによって腹を串刺しにされていた。
「くそ……」
「高速接近型はフレームも軽いからな。壊すのは簡単だ。」
「ネッテルエル。記憶装置だけは壊すんじゃないぞ。」
「分かってる。」
串刺しにされてもなお、ハイエナは襲いかかろうとしていた。そんなハイエナに対しネッテルエルは何度も槍で体を貫く。
ビシリ。ビシビシ。
ハイエナに槍が貫通するたび、小さな稲妻がハイエナの体から流れ出た。その稲妻はネッテルエルの槍に近づく前にはじけ飛んだ。
しばらく、突かれ続けた後、ハイエナはカクリ、と糸が切れたように首と腕を垂れさがらせた。
「動力も完全停止、か。」
ネッテルエルはハイエナの体を蹴り飛ばし、腹に突き刺さった槍を抜いた。ハイエナの体は何回転かし、静止した。
「さて。情報をいただこうか。」
カッパドキアはハイエナの体に近づき、手を伸ばした。
「油断したな!」
ハイエナは急に動き出し、かぎ爪でカッパドキアの頭を捕らえた、はずだった。
「動力停止してもしっかりとコアを破壊しなければならないだろう。」
ハイエナの胸を細い光線が貫いた。動力装置を射抜かれたハイエナは完全に停止した。
カッパドキアの背後には鏡のようなものが数枚浮いていた。
「お前ならなんとかできただろう?」
「そういう問題ではない。」
ハイエナは己で動力装置を止め、死んだふりをしていたのだった。意地汚い虫けらだ、とカッパドキアは冷たい目でハイエナの亡骸を睨んだ。そして、ハイエナの首をもぎ取る。少女の首が体から離れ、鋼鉄が見えていた。まだ、電線がつながっている。カッパドキアは線を掴み、引き裂いた。
「情報の消去は行われていないな。本当にバカだ。こういう間抜けがいるから、国が亡びる。油断のし過ぎだ。」
「どうだ。何か分かったか?」
ネッテルエルはカッパドキアに尋ねた。
「コイツがどうしようもなくバカであることだけが分かったよ。まったく。まだショーグンにデータを渡していない。」
「ハァ?本当にバカじゃねえの?どうすんだ?」
「この近くで戦略型と戦ったみたいだな。相手はフライエだ。」
「あのデクノボウか?やるのか?」
「いいや。探すのは手間だ。後三時間以内にオーケンの移動は止まるだろう。問題はフライエだな。ショーグンに会いに行くぞ。」
「マヂか。」
「ああ、マヂだ。」
カッパドキアはハイエナであった少女の頭を握りつぶした。そして、記憶装置だけを取り出してスーツのジャケットの裏ポケットにしまった。
「また三秒遅れた。この遅れが何を意味するのか。」
懐中時計を取り出し、カッパドキアは呟いた。そして、歩き出す。
「行くぞ。ネッテルエル。まずは服を買いに行く。」
「お前みたいなのは嫌だぞ。」
「分かっている。」
筋骨隆々の若い男と体形の崩れた紳士まがいの男が並び歩いていく姿は全く似合っていなかった。
吐露は一人町を歩いていた。歩かざるを得なかったのである。
吐露はフライエについて行けなかった。己が生き残るためにはフライエに助けを乞う必要があるのは分かっていた。だが、人を無残に殺しておいて何も感じることのない宇宙人について行くことなど出来はしなかった。生き残るためには仕方がない犠牲というものは町にいくらでも転がっている。人は動物を、植物を殺して生きて行かなければならない。人を苦しめて生きて行かなければならない。それは潔く寛容するべき事柄だった。しかし、それができれば吐露はあの夜、町に出向くことはなかったのだ。
オーケンは吐露の決断に何も言わなかった。それがするべきでない決断であるにも関わらず、オーケンは吐露に何かを言うことができなかった。言うべき言葉のないもどかしさをオーケンは知った。
吐露はぽつり、ぽつり、と歩いていた。地べたを睨みながら歩き続けていた。ずっとずっと歩き続けている。日は傾き始め、人通りは多くなった。時折吐露の恰好にぎょっとし、見つめるものはいたが、声をかける者などいなかった。
「逃げ続けることに意味などあるのか。」
ぽつり、と吐露は呟いた。
「俺が生きているだけで、歩いているだけで、人々は苦しむ。」
「吐露……」
「ねえ、君。ちょっといいかな。」
歩いている吐露に声をかけるものがあった。その語調は優しいものではない。吐露にはそれが己の罪を問いただすように聞こえた。
吐露は顔を上げる。そこには大柄な警官が立っていた。
「君、話を聞きたいんだが。」
そう言って手を伸ばしてくる。
吐露はその手から逃れるように逃げ出した。
「おい!待て!」
警官の怒鳴り声に辺りの人々は一斉に警官を見た。
吐露は人々の垣根を押しのけ、細い路地に逃げ込んだ。
「どうして俺は逃げるんだ。」
捕まれば楽になった。罪を罵倒され、罰を施されれば全てが許される気がした。だが、吐露にはできなかった。
「吐露……」
「うるさい!」
吐露は疲労を覚えて、路地に座り込む。家の壁に背を引っ付けた。途端、疲労が津波のように押し寄せてくる。それは荒波のように吐露を包み込み、溺れさせた。呼吸が苦しくなる。
「お前が悪いんだ。お前がいるから、お前のせいでこの地球が終わるんだ。世界が終わるんだ。全て、全て全て全て、お前が悪いんだ!」
吐露は地面を拳で殴りつける。腕にしびれるような痛みが走る。
「そうだね。全て私が悪い。君を巻き込んだ。」
はっきりと言うオーケンに吐露は怒りを爆発させる。
「どうしてお前はそう簡単に言ってしまえるんだ!多くの人が犠牲になった!お前のせいで多くの人が死ななきゃならなくなった。なのに、どうして!」
「それが事実だからだよ。吐露。私が悪い。それが事実だ。」
吐露はオーケンの強さが憎かった。はっきりと言ってしまえるオーケンが羨ましかった。
「だからといって、私が死んでしまえば全てが解決するわけじゃない。そのことを分かってくれないかな。」
「もう、嫌なんだよ。」
オーケンは涙を流した。鼻腔に鼻水の不快な香りが充満する。
「俺のために誰かが死ななきゃならないのが嫌なんだ!もう生きて居たくないんだ!」
「それは贅沢だよ。」
オーケンも胸のざわつきを覚えた。
「こんな平和な国だから、星だから言えることだ。この星だってまだまだ戦争が続いている。そんな国の人々だって吐露と同じことを考えているさ。でも、頑張って生きている。生きなきゃどうしようもないじゃないか。私だって、未来がないと知って、この星を滅ぼしてしまうと知って、死んでしまいたくなった。でも、君は言った。今を生きてる俺たちが諦めたら、どうしようもなくなるだろうが、って。きっと、今を変えられるのは私たちしかいないんだ。何もできない私たちしか。」
だが、その言葉は吐露の心には響かなかった。ただ、気だるい足を前に進める効果しかなかった。
「この町を出て、誰もいないところに行く。そうしないといけない。」
オーケンは吐露を止めるべきだと思った。前に進める体調ではない。だが、己の願望のため、吐露を進ませるほかにはなかった。
だが、吐露を簡単に逃がしてはくれなかった。
「止まれ!」
喉を引き裂かんばかりの咆哮とともに、コツコツと革靴の音が響く。吐露が辺りを見渡した時には吐露は多くの人々に囲まれていた。
「まさか、宇宙人なのか。」
吐露は顔をしかめた。もうどうすることもできない状況なのだが、そのような状況になればなるほど、吐露は度胸が生まれるのだった。それは、逃げる可能性すら放棄したことに起因するものだった。
「どうやら違うみたいだ。」
吐露を囲んでいるのは警官たちだった。みな、銃を吐露に向けている。
「ダンプカーで人をひき殺した件、それと、町を光で焼き払った件で逮捕する。」
吐露は潔く手を挙げた。両手の掌を見せ、抵抗の意思がないことを示す。
「膝をつけ。」
吐露は言われるがままにひざをついた。警官の一人がおずおずと吐露に近づき、手錠をかける。まるで毒蛇を退治する時だなと吐露は思った。
そのまま吐露はパトカーに連れ込まれ、警察署に連行されていった。
その家は無残な有様だった。血が辺りに飛び散り、襖はスプレーで塗装したような奇妙な絵画を上塗りされていた。酸っぱい人の体液が霧散した匂いが漂っていた。そんな家の中を二人の男は靴を脱ぐこともせず歩いていく。あるはずの死体はどこにもない。
「よぉ。ショーグン。」
筋骨隆々とした男がのんびりと椅子に座りテレビを見ている少女に話しかけた。
「貴様、ネッテルエルか。」
ショーグンは緊張を解く。家に何者かが入る前から警戒していたのだ。
「となると、そっちがカッパドキアだな。」
カッパドキアは何も言わず、ショーグンにハイエナの記憶装置を投げ渡した。
「これは――」
ショーグンは渡されたものを見て、顔をしかめ、二人に向かって睨む。
「ハイエナは死んだ。俺たちが殺したよ。」
ネッテルエルは何事も無いように言ってのけた。
「なんだと?」
ショーグンの表情はより一層険しくなる。
「待て待て。あいつは戦略型に負けておきながら、また攻撃を仕掛けるつもりだった。お前も戦略型が何をしたのか知ってるだろう?アイツが暴れれば俺たちの秘密も露見せざるをえんさ。ニュースを見て仲間が集まる可能性もあるが、それはお前もよしとはせんだろう?お前が狙っているのはオーケンの記憶装置だ。完全に記憶を消去されたかもしれんが、復元の可能性もある。お前なら、復元コードを知ってるだろう?オーケン固有のな。」
「ふん。それで何をしに来た。お前はともかくとして、カッパドキアは俺に顔を合わせるやつではないだろう。」
ショーグンとネッテルエルは多少互いを知る仲だった。だが、カッパドキアとショーグンはどうしても相性が悪いようで、ネッテルエルは二人を見てニヤニヤと笑っていた。
「戦略型はオーケンたちと別れた。居場所はつかめん。データをじっくりと見れば分かることだが、そいつは俺たちでないと倒せない。」
「だから、なんだ。」
口を開いたカッパドキアにショーグンは喧嘩口調で尋ねた。
「俺たちは同志なのだろう?ならば、やるべきことは一つなのではないか?」
カッパドキアは薄笑いを浮かべる。だが、ショーグンはしかめっ面のままだった。
「何を要求する。ただ世間話をしに来たのではあるまい。」
「話が早くて助かる。俺たちは裏切り者担当、お前はオーケン担当だ。それでいいだろう?」
「オーケンの足取りはどうなっている。」
「お前が自ら動け、と言いたいところだが、性能上そうも言ってられないだろう。あいつが今どこにいるのか教えてやろう。」
「どこだ。」
「どこかの警察署だ。」
その言葉を聞いて、ショーグンは腹を抱えて笑い出す。
「これは傑作だな。牢屋の中にいれば安心ってか。だが、俺が言いたいのはそうではない。カッパドキア。お前の悪い癖は、お前がお前の論理計算式を誇っていることだ。推論をあたかも当たっているように言うのは悪い癖だ。」
俺は脳筋とは違う、と反論したいところだったが、カッパドキアは抑えた。
「この町からオーケンを逃がすと余計に厄介になる。それはお前も分かっているはずだ。なら、オーケンがいるかいないかに関わらず、警察権力を掌握するというのは間違っていないと思うが。」
「つまり、マシーナリーで警察署を襲えと言うんだな。」
「ああ。」
すると、カッパドキアとネッテルエルの背後に人影が現れた。
「そいつらの腹には大量の種を仕込んである。適当に使え。」
「話が早くて助かるぜ。」
ネッテルエルは手を軽く振ってショーグンと別れた。ネッテルエルたちの背後に二人の男女がついていく。その男女は桔梗の両親だった。
「あいつらが記憶装置を奪った後横取りするのでいいか。」
ふふっ、とショーグンは笑った。
意識がもうろうとしている吐露の耳に破裂音が響き渡る。吐露は体を震わせ、目を覚ます。目の前には警官の毛むくじゃらの手が机に添えられており、先ほどの破裂音は警官が机をたたいたときの音だと知れた。
「寝てんじゃねえぞ。子どもだからって、罪は許されねえ。」
「そんなこと、分かってんだよ!」
吐露は心のまま叫んだ。周りには数人の警官がいかめしい顔でパイプ椅子に座った吐露を睨んでいる。どうして吐露にとって恐怖でしかない状況で啖呵を切ることができるのか、オーケンは不安で仕方がなかった。
「例え少年法で守られているとはいえ、本来なら死刑だ。ダンプカーで5人死んだ。今日の怪光線では一体何人死んだか分からない。」
全て己が悪いのではないことを吐露は分かっていた。己の罪ではない、と否認すればよかったのかもしれない。だが、吐露にはそのようなことは決してできはしなかった。何故ならば、己が罪を認めず、誰も罪に問われないこととなった場合、死者の遺恨はどこを彷徨えばいいのか。
「でも、吐露には罪はないはずだ。それは仕方――」
「仕方がなくなんじゃない!」
吐露が突然叫びだすので、警官たちは虚を突かれる。
「一体何を話しているんだ。」
「俺のために、俺一人が生きるために多くの人が死んだ。それを俺がなかったことにしちまったら、ここで罪を認めなかたら、死んじまった人はどうなるんだ!」
警官たちはひそひそと小声で話しだした。
気が違ったのか、とそう思い始めていたのである。
「どうやってあの光線を出した。あれは一体何だったんだ。」
警官の当然の疑問に吐露は答えられない。
「一体お前は何が目的なんだ。何がしたくて人殺しをしたんだ!」
「俺は逃げないといけない。逃げないとまた人が死ぬんだ。」
警官は吐露を殴った。吐露は椅子から床に倒れ落ちる。
「何をバカなことを言っているんだ!」
そんな折、警察署に断末魔の叫びが響き渡った。
「一体何事だ?」
警官たちは幾重にも重なる悲鳴に身を震わせ、取調室から出て行った。
「奴らか。」
「そうだね。私たちのことを追ってきたようだ。この警察署も危ない。」
だが、取調室にはまだ二人の警官が残っていた。簡単に逃がしてくれそうもなかった。
「おっさんたち。俺をここから逃がしてくれないか。」
「何を言っている!」
「奴らは俺を狙っているんだ!俺がここから出て行かないとこの警察署の全員が死ぬ!」
「バカなことを!」
取調室の扉の向こうから銃声が響き渡っていた。それでも、怒号は鳴りやまない。
「俺を逃がして、俺が囮になれば、みんな助かるんだ。だから、逃がしてくれ。」
警官は混乱していた。外の状況の詳細も分からず、また、吐露の言っていることが胡散臭く、信じる気にはなれない。この少年は狂人なのだと警官たちは思った。だが、外で何が起こっているのかは一向に分からない。
「おい、ここに鍵をかけて、外の様子を見に行くぞ。」
不安に耐えられなくなった警官たちは席を外し、部屋の外に出た。そして、鍵をかける瞬間、吐露は扉を大きく開け、警官たちを突き飛ばし、外に出た。
そして、争う声のする方へと向かって行く。
「待って。吐露。わざわざ死地に赴くなんて頭がおかしい。逃げないといけないだろう?」
「囮になる。そうすればこれ以上人は死ななくて済む。」
吐露が階下で見たのは地獄だった。
そこには人であった物ばかりであった。壁中は血塗られ、地面には粘着質の水たまりができていた。吐露はしてはいけないと思いながらも充満する生臭さに鼻を押さえる。
「クソッタレが!」
吐露は犯人の姿を探した。それは探すまでもなかった。
ひざ丈ほどの鋼鉄の蜘蛛。マシーナリーであった。
「吐露。逃げるんだ。」
「いや、囮に――」
「無駄だ。奴らは人間の個人を認識したりはしない。つまりは、標的という種を全て根絶やしにする。私たちにこいつらを倒す手段はない。」
悲鳴とともに、警官の体から血が噴き出す。それは冗談の様だった。噴水のように、霧のように部屋中に血が舞い上がり、そして、マシーナリーたちの体を艶めかしい赤で濡らしていく。
「くそっ。」
せめて、上の警官たちが下に降りてこないことを祈りながら、吐露は標的に夢中のマシーナリーたちの脇を通り過ぎていった。
吐露たちが警察署から逃げていく姿をネッテルエルとカッパドキアは見ていた。
「見ろよ。しっぽを巻いて逃げ出してやがるぜ。」
ネッテルエルはケラケラと笑ったが、カッパドキアは静かに二人を見ていた。
(十秒早まった……)
カッパドキアは己の立てた正確な計画が徐々に狂い始めていることを気にしていた。それはほんの少しの誤差である。しかし、不吉な予感がしてならない。
(俺の計画は一秒の狂いもないはずだ。だが、誤差が徐々に大きくなっている。これはどういうことか。)
この後、裏切り者のフライエはオーケンと合流するはずであった。だが、もしかするとそうならない可能性もある。
「ネッテルエル。慎重に行動しろ。計画に狂いが出始めている。何故、こうなるのか……」
渦巻く疑問にカッパドキアは不快感をあらわにした。今、ここでオーケンを殺すべきか。いや、あれほどの小さなバグを気にしていても仕方がないのではないか。
「お前は小さなことを気にし過ぎなんだよ。」
ネッテルエルは先行してオーケンたちを尾行する。カッパドキアは今までにない不安を押し殺しながら、オーケンたちの後を追った。
町から遠ざかるということ以外に吐露は何も考えていなかったことを思い出した。
「人のいない山奥に逃げるしかないのか。」
だが、吐露は再び惨状を目の当たりにし、それではどうしようもないと思い始めていた。
「オーケン。お前は無駄だと言うかもしれない。でも、これは何とかしないといけない。いや、俺は何とかしたいんだ。何か策はないのか?」
「漠然とし過ぎているよ。吐露。君は何をしたいんだい。」
「俺は――」
言うのは憚られた。それを言ってしまえば決定的に何かが変わってしまう。それは吐露に恐怖を抱かせる。だが、しかし、吐露の精神はとっくに恐怖を凌駕し始めていた。恐怖に晒され続け、麻痺し始めていた。
「俺は宇宙人を殺す。そうしないといけない。だって、これ以上俺は見てられない。」
そう言ってしまって、吐露はオーケンも同じ宇宙人であり、己はオーケンに人殺しをしなければならない、お前たちは残酷すぎるのだからということを言ってしまったことに気が付く。
「大丈夫。私もそう思う。ただ、勇気はないし、策もなく前に突っ込むのは無謀だよ。」
「策はある。」
それは策と呼べるようなものではなかった。だが、少なくとも無謀ではなく勇気ある行いとするに十分たる要素であった。
「フライエに協力してもらう。」
「また暴走するかもしれないよ。彼は。それに私は彼の動機に不満を抱いている。彼は君以上に分かりにくく、漠然としている。」
「それでも、まだ、何とかなりそうな気がする。」
吐露は逃げる重圧から逃れたい一心だった。それは愚かなれども美しいようにオーケンには思えた。
「なあ、オーケン。俺たちは何もできないのか?あの宇宙人たちみたいに戦うことはできないのか?」
「無理、とは言えない。でも、私の力を使うという行為は吐露にとってリスクが高すぎる。君はもう、肉体がない。私が無理矢理作って、それを自分の肉体だと誤認しているだけだ。でも、本当に自分の肉体がないと認識してしまうと、君の魂はショックに耐えられないだろう。君は消失してしまう。」
「それでも――」
「それでもじゃないさ!」
己を捨てようとする吐露にオーケンは怒りをあらわにした。オーケンが怒るのは初めてなので、吐露はたじろぐ。
「君は簡単に自分を捨てようとする。それは自分には帰る場所がないから、なんて本気で思ってるのかい?ふざけないでよ!吐露には私がいる。私には吐露がいる。だから、私は、故郷を追い出された私は、大事な人と離れ離れになった私は、まだ生きていられるんだ。お願いだ……吐露……私の前からいなくならないでよ……」
吐露の目から涙が流れた。それは吐露の涙でないことは吐露自身が分かっていた。
吐露はずっとオーケンが血も涙もない機械だと思い続けていた。だが、そうではないことを思い知らされてしまった。オーケンは吐露よりもか弱い存在だったのだ。弱い精神をずっとずっと偽り続けていた。それは何が故か。
「ありがとう。オーケン。」
それは己を不安にさせないためだと知った。絶望に打ちひしがれる己に対する不器用な励ましだと分かった。
「お前だけはずっと俺の味方なのだな。」
世界を敵に回して一人だけ逃げ回ることは吐露にとって重圧だった。だが、友と生きるため逃げるの出れば世界の果てまで逃げていける気がした。
「どうかしたのですか?」
突然声をかけられて、吐露は飛び退く。吐露たちがいたのは、深夜の路地であり、疲れて路地に座り込んでいたのだ。
吐露に話しかけてきたのは少女だった。桔梗や吐露よりも幼い。だが、警戒を怠ってはならない。敵は人に化けるのだ。
「あ、あの……どうかなさったんですか?」
「お前は宇宙人か?」
「え?」
「どうなんだ!」
吐露に怒鳴られて、少女は泣きそうな表情になる。吐露はひどくいけないことをした気分になった。
「すまない。俺たちには関わらないでくれ。」
そう言った瞬間、ガクンと何かが落ちるような感覚がした。それが何であるか確認する暇もなく、吐露は路地に倒れ込んでいた。
目を覚ました吐露は自分の体に毛布が掛けられていたことに驚き、飛び上がった。
「何があったんだ。」
「あの子が私たちを運んでくれたんだ。」
少女はあばら家の椅子で眠りこけていた。
「何がどうなっているのか。」
「少なくとも、彼女は宇宙人ではないんじゃないかな。ずっと不思議には思ってたんだ。私がこの町にいるというのに、宇宙人の数は明らかに少ない。ショーグンとその手先の二人しかまだ逢っていない。つまり、敵は地球上に霧散してしまった可能性がある。世界中でここと同じことを起こしている可能性はあるし、フライエのように勝手に動いているかもしれない。」
「どうして俺なんかを助けるのか。」
吐露は傍から見てもおかしな人間だった。服装は血で汚れ、匂いもおぞましい。普通なら関わろうとも思わないだろう。
「あ……起きましたか……」
少女は眠たい目をこすって吐露に問いかけた。
「大丈夫ですか?大分お疲れの様でしたが。」
「ああ。それよりも、俺は急いでこの町を出なければならない。」
「でも、まだ休んだ方が……」
吐露の体は重かった。
「俺の体はお前のものなんだろう?オーケン。どうして重たいんだ。」
「君の心が疲れはてているからだよ。吐露。」
「え?何かおっしゃいましたか?」
「いや……」
吐露は少女に向かって目を逸らした。本当に心配そうに見てくるので、吐露はかつての生活に戻ったような気がしたのだ。そんな思いを頭を振って飛ばし去る。もう、己は平和な日常に帰ることはできないのだ、と。
「どうして俺を助けた。君以外に人は?」
あばら家は一室しかなく、少女の家族の姿は見られなかった。
「私は弥勒って言います。私以外に人はいません。みんな、事故でつい最近死んでしまって。」
「そうか……」
己と同じであるという親近感が吐露の中に湧いた。
「俺は吐露。」
「美味しそうな名前ですね。」
少女は輝かしいばかりの笑顔を吐露に向けた。それだけで、吐露の心は癒された。今までずっと感じてきた緊張がトロトロと溶けていってしまいそうだった。
「吐露さんはどうしてあんなところで倒れていたんですか?何か事件に巻き込まれたとか。」
吐露は真実を言うまいと思った。だが、それ以上に目の前の少女にすがりたい気分になった。だから、真実を話すことにした。
「信じてもらえないとは思うけど、俺は宇宙人に狙われているんだ。」
弥勒は吐露の話を半信半疑で聞いていた。
だが、最後には泣き出してしまった。
「泣くことじゃないだろう。」
「泣くことです!」
オーケンは吐露と弥勒のやり取りを見て、人間とはますます不可解なものだと思った。人間が不可解なものだということはオーケンはよく知っていた。かつて、心を解しない己に熱心に語りかけてきた少女がいた。その少女はその国の姫で、吐露とは違い、れっきとした人間だった。
「ともかく、俺はここから離れないといけないんだ。」
吐露は布団から起き上がった。体はもう、十分なほど軽くなっていた。
「待ってください。」
外に出ようとした吐露に弥勒は言った。奥から何かを持って来ているようだった。
「はい。これ。」
吐露に突き立てられたのは包丁だった。
「何故……」
吐露は戦慄した。弥勒の表情は喜びに満ちていた。涙ながらの顔は、とても晴れやかだった。
だが、吐露の体は傷一つ付かない。何故ならば、吐露の体は鋼鉄でできている。
それでも、血が出た。深々と刺さらなかった包丁はパランという音を立てて地面に落ちる。
吐露は近づいてくる弥勒に対して距離を取ろうと後ずさった。
「私は嬉しいんです。殺人鬼さん。だって、私の家族を二度も奪った人に会えたんですから。」
「お前は宇宙人……じゃないのか?」
「頭がおかしいんですね。この殺人者さんは。そうでなければ人殺しなんてできませんもんね。」
吐露と弥勒は外に出ていた。吐露と弥勒の吐く息は白く、外は驚くほどに寒いはずだった。だが、吐露には寒さを感じている余裕はない。
「ダンプカーでパパがひき殺された。よく分からない光で、今度は家族みんなが殺された。ママも弟も、犬のコロちゃんもみんな。私だけが生き残った!だから、私はあなたを殺さないといけない。いけないんです!」
弥勒の手には拾われた包丁が握られていた。
俺はこの子に殺されるべきなのだ。そう思い、吐露は全てを受け入れようとした。
だが、突きたてられる包丁を吐露の手は弥勒の手を掴むことで止めていた。
「なんで止めるんだ。オーケン。」
「私は何もしていないよ。吐露……」
オーケンは吐露の体を操ってはいなかった。生きることを決めたのは吐露の意志だった。
「どうして、どうして止めるんだよ……」
吐露は泣いていた。弥勒も泣いていた。吐露を殺すことは弥勒にとっても本意ではなかった。
弥勒の背から大量の血液が噴き出す。
「え?」
それは弥勒の言葉だった。
弥勒は吐露の体の上に倒れた。
弥勒の背後から現れたのはマシーナリーだった。
「!!!!!!」
どうしてこうなるのか、吐露には分からなかった。
どうしてこうなるのか、私には分からなかった。
背中が急に熱くなって、痛くなって、それを感じたのも一瞬で、全ては終わりを告げようとしていた。
私はバカだ。結局何も果たせていない。
あの日、と言ってもそれはとても最近で、確か昨日だったような気がする。私にとっては物凄く昔にさえ思えてしまう。
私はパパの帰りを家の前で待っていた。でも、パパは早く帰ってこなかったから、ママにはダメだと言われていたけど、駅の近くまで迎えに行こうとした。
駅の近くでパパを見つけた。パパはとても慌てていて、何があったんだろうと思った。
その瞬間、パパは見えなくなった。
私の目の前で、大きな車がパパに向かって突っ込んでいった。
何が何だか分からなくって、私はその場でへたり込んでしまった。
大きな車から誰かが降りてきた。赤い血のような色をしたマフラーだけが目に焼き付いた。
パパは事故に遭ったのだった。そして、その事故を起こした犯人は逃げていった。
次の日、私は何事もなく学校に行かされた。パパが死んだのだから、お葬式をしなければならないのに、ママはずっと笑顔で、学校に行きなさい、と言った。ママもパパが死んだことが受け入れられないのだと思った。
私が学校に行き始めた時だった。
次は物凄い光が町を真っ二つにした。一瞬で目が見えなくなって、そして、しばらくして目が見えるようになったときには、町に大きな線ができてしまっていた。その線を目で追った瞬間、私は駆けだした。そして、家があった場所まで辿り着いて、泣いた。泣くしかすることがなかった。もう、何もかも奪われてしまった。どうすればいいのかも分からない。家があった場所には家具が衣服がばら撒かれていた。もう、家族はいない。死んでしまった。その場所にあるのはそんな残酷な事実だけだった。
そんな事実の中を歩いている二人がいた。一人はセーラー服の少女で、この辺りでは見かけないデザインだった。
もう一人は血のように赤いマフラーをしていた。
「そこに家族が死んで泣いている者がいる。だが、その隙に殺される。ここは戦場だ。他の人間にとっては違うかもしれないが、お前にとっては戦場なのだ。少年。」
二人は私を見て言っているようだった。
「俺はそんな簡単に割り切れない。」
私は二人が何を言っているのか分からなかった。
ただ一つだけ、分かるのは、こいつらが私の家族を殺したということだけだった。
何の罪も感じず、平然と歩いている。私はこの男を、男というにはまだ幼い少年を殺さなければならない。そう、決意した。
その後、私はどうすればいいのか分からなかった。赤いマフラーを追おうとした時にはすでに二人はどこかに消えていた。太陽が私を嘲笑うかのように真上から顔を覗かせていることに気が付いて、私は長い間ずっとここでじっとしていたことに気が付いた。
目の前の地面が抉られた場所に艶めかしく輝くものがあった。私はそれに追いすがるように、土をかき分けた。
そこから包丁が出てきた。ママがおばあちゃんから受け継いだという、包丁だった。毎日丁寧に包丁を研いでいたことを思い出す。思い出して、また泣いた。包丁は太陽に照らされてキラキラ輝いた。
泣いていてはいけない。お前にはやることがあるのだから。
そう言われている気がして、私は泣くことを止めた。
包丁を手に取って私は歩き出した。
まずは家を探さなければならない。そして、幸せを奪ったあの少年を殺さないといけないのだ。
でも、ふと、思うこともあった。
殺して何の意味があるのか、と。
そう思う度、包丁はキラキラと輝いて、私に殺せ、と命令してくる。
そうだ。殺さなきゃいけない。家族はそう願っているのだと私は自分に言い聞かせた。
誰も住んでいないあばら家を見つけた。恐らくは浮浪者がかつて住んでいたのだろう。壊れている椅子、布団、台所のようなものがある。私はここを家に決めた。
この後、どうすればいいのか分からない。少年を殺してから決めよう。そうすれば、きっと、何もかもうまくいく。
私は包丁をあばら家において、町を巡った。この町にあの少年はいるはずである。何の不自由もなく、ごく普通に家族と過ごすはずだ。そんな幸せを奪ってやる。私から幸せを奪ったのだから、それは至極当然のことなのだ。
私はきっと物凄い表情をしていたのだろう。町行く人は私を見て、ぎょっとした表情をしていた。でも、構いはしない。もう、私には何もかもないからだ。
真紅のマフラーを、血塗られた色を見つける前に夜が来てしまった。夜になっても私は少年を探す。
どこにも、いない。
どこかにいてもらわないと、困る。
冬の雲は月を隠していた。夜は暗い。この辺りは街灯もなく、とても心細かった。
そんな時、声が聞こえた。
誰かと話しているのだろうか。でも、声は一人分しか聞こえない。男の声だけど、どこかあどけなさの残る声だった。
私は少し気になって、声のする方へと向かった。
そこで、見つけた。
真紅のマフラーを、見つけた。
血塗られた少年を、見つけた。
「ありがとう。オーケン。お前だけはずっと俺の味方なのだな。」
そんな言葉が耳に入ってきて、私の心の中に血が煮えたぎった。憎しみの、血、が。
殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺して……やる!
少年は一人だった。でも、味方がいる。でも、私にはもう、誰も、何も、なくなって、しまった!
ふと、誰かに手を握られたような気がした。寒さで凍えていた手が温かくなる。
『今はその時ではないよ。落ち着きなさい。』
そう優しい声で私に語り掛けた。
今、私は包丁を持っていない。憎き者を殺せはしない。
だから、声をかけた。
「どうかしたのですか?」
すると、少年は小動物のように驚き、立ち上がった。さっきまで壁にもたれて座っていた。まるでバネで飛び上がるビックリ箱のようで、私もびっくりしてしまった。
「あ、あの……どうかなさったんですか?」
心配して、油断させるのだ。そうして家に連れ込み、寝込んだところを包丁で、ママの残した憎しみで殺してやる。
「お前は宇宙人か?」
「え?」
急に素っ頓狂なことを聞かれてしまった。頭がおかしくなっているのだろうか。
少年の目は血走っていて、私をおっかない目で睨んでいる。
殺されるかもしれない、と私は今になって恐ろしくなった。
「どうなんだ!」
「ひっ。」
私は小さな悲鳴を上げていた。目の前の少年は殺人犯なのだ。恐ろしい、真紅の少年なのだ。
「すまない。俺たちには関わらないでくれ。」
急に少年は大人しくなった。まるで、全てを諦めたような目をした。
そして、私から逃げるように立ち去ろうとして、何かに躓き、倒れてしまった。
「え?」
私は驚かざるを得なかった。そして、しばらく少年を見ていたけれど、動く気配はなさそうだった。
そっと手を伸ばして確かめる。
少年は生きていた。どうも眠っているようだった。
これは好機だと思った。今なら、少年を殺せる。でも、包丁で殺さないと意味がない。私の今日一日が無駄になる。
だから、私は少年を担いで帰っていった。
少年からは獣の匂いを何倍にも濃くしたような、鼻がもげてしまうほどの異臭が漂っていた。
少年の体は重かった。それでいて、力はなかった。肉もそれほどついてはいないようで、こんな少年が人を殺したなんて信じられなかった。
もしかしたら人違いなのかもしれない。
だから、確かめなければならなかった。
少年の顔はとても安らかだった。静かに寝息を立てている。だが、時折、苦痛に歪んだ表情をした。私は少年が何かを苦しんでいるのだと思った。
私はどうなのか。
苦しんでいない。そのはずだ。
だって、仇を討つことは決して苦しい事じゃないから。
でも、気が付くと、目の前の少年が生きていることにほっとしている自分がいた。
少年が安らかに眠っているのを見ると、私もだんだん眠たくなってきた。
今日は色んなことがあった。
それで、結局は飼い主を失った子犬を拾っただけだった。
真紅のマフラーを身に纏った、人間の男の子の子犬……
誰かの声に目を覚ます。どこか神経質で、それでいて、不安を隠せていないような声だった。
「あ……起きましたか……」
まだ眠たいのか、頭が回っていない。
「大丈夫ですか?大分お疲れの様でしたが。」
「ああ。それよりも、俺は急いでこの町を出なければならない。」
その言葉を聞いて、急に頭がさえる。少年は逃げようとしている。家族の仇!
「でも、まだ休んだ方が……」
「俺の体はお前のものなんだろう?オーケン。どうして重たいんだ。」
小声でそんなことを言っているようだった。やはり少年は頭がおかしいようだった。いもしない人間と何か話している。幻想でも見ているのだろうか。
私にはそれが羨ましかった。
現実から逃げる術を持っている少年が憎かった。
「どうして俺を助けた。君以外に人は?」
私の怒りはとても静かなものになった。それでいて、決して消えはしない。人は人殺しをするとき、こんな心境になるのだと私は知った。
「私は弥勒って言います。私以外に人はいません。みんな、事故でつい最近死んでしまって。」
「そうか……」
その言葉を聞いて、少年はとても苦しそうな顔をした。それは私への同情でないことがわかった。自分自身の何かを呪っているのだと思った。
「俺は吐露。」
「美味しそうな名前ですね。」
私はそんなことを言ってしまっていた。
どうしてなのか。
きっと、少年が可哀想に思えてきてしまったのだ。吐露と名乗った少年は私と似ている。
「吐露さんはどうしてあんなところで倒れていたんですか?何か事件に巻き込まれたとか。」
でも、その思いを振り切らないといけない。頭の中の少年と私の二人だけの生活を壊さなければ。
「信じてもらえないとは思うけど、俺は宇宙人に狙われているんだ。」
その後、少年は信じがたいことを本当のように話した。
宇宙人と合体し、そのせいで両親を殺され、その犯人を殺すためにダンプカーで人をひき殺したこと。
幼なじみの少女がすでに殺され、宇宙人に乗っ取られていたこと。
助けてくれた宇宙人が、自分を助けるため町を焼き払ったこと。
いつの間にか私は泣いていた。
それは嬉しさだった。
やっとたどり着いた。家族を殺した犯人にたどり着いたのだ!
「泣くことじゃないだろう。」
「泣くことです!」
何故泣いているのかは分からない。
きっと嬉しいからだ。
少年に同情して、私の境遇と重ねたわけでは、決して、ない――
「ともかく、俺はここから離れないといけないんだ。」
逃すものか!
私は少年を引き留めた。
そして、急いで奥に置いてあった包丁を体の後ろで隠し、笑顔で少年に近づく。
そして――
「はい。これ。」
「何故……」
傑作だった。
自分を助けてくれた人に殺されるなんて、地獄に行ってもずっと悔やみ続けるだろう。
私の目からは涙がこぼれていた。
どうして止まらないのか。
分からない。分からない。分からない。
「私は嬉しいんです。殺人鬼さん。だって、私の家族を二度も奪った人に会えたんですから。」
「お前は宇宙人……じゃないのか?」
「頭がおかしいんですね。この殺人者さんは。そうでなければ人殺しなんてできませんもんね。」
まだ、現実と妄想との区別がついていないようだった。
全てはまやかしなのだ。自分の罪を正当化するために少年が作り上げた妄想に過ぎない。
「ダンプカーでパパがひき殺された。よく分からない光で、今度は家族みんなが殺された。ママも弟も、犬のコロちゃんもみんな。私だけが生き残った!だから、私はあなたを殺さないといけない。いけないんです!」
私は拾った包丁でもう一度、いや、何度も少年を刺そうとした。
「なんで止めるんだ。オーケン。」
少年は妄想と話していた。私の手は少年の手によって防がれていた。包丁は少年を傷付けることはない。その事実に私はほっとしていた。
「どうして、どうして止めるんだよ……」
少年は泣いていた。私も泣いた。
私がしたかったのはこんなことじゃなかった。
私は幸せになりたかったのだ。誰かを殺すことで幸せになんかなりっこない。
私を幸せにしてくれるかもしれないひとが目の前にいる。
私と同じ苦しみを背負って、一緒に歩んでくれるひとが目の前にいる。
幸せは目の前にあったのに。
なのに――
「え?」
どうしてこうなるのか、私には分からなかった。
背中が急に熱くなって、痛くなって、それを感じたのも一瞬で、全ては終わりを告げようとしていた。
私はバカだ。結局何も果たせていない。
幸せを見つけたのに、それは簡単に私の手から落ちていってしまった。
なるほど。評価の欄は連載の一番最後にあるのか。
私は一人でうなった。すべてを読み終えていないのに評価するのは私の信条に反する。だが、読み切る時間もあらず。とても大変なのである。つまりは、とても評価がしづらい状況のようであった。特に連載小説は次々に話が増えていく。となると、終わりまでたどり着かないじゃないか。
少しシステムを変えて欲しいと思ったりした。まあ、システムを変えたことで私の評価がつくわけじゃないし、そもそも評価がつかないのが前提でやっているものだから、どうでもいいのだ。おそらく私と同じで評価をあまり気にしていない人はいるだろう。というか、連載か完結ってどうやって見極めるんだろう……
ともかく、私の小説は一つの話がとてつもなく長いということが検閲しながら判明した。PDFで印刷して読むのもいいと思う。なぜか百ページ近くになっちゃってるかもしれないけど。コンビニで迷惑かけるだろうけど。