2 alterEGO
2 alterEGO
暗黒の空に鋭いサイレンが響く。パトカーが吐露を探しているのだった。しかし、吐露はとろとろと夜道を歩く。そこには自暴自棄の様相が見て取れた。
整理のつかない頭で訪れたのは山吹桔梗の家だった。
「ごめん・・・ください・・・」
「はい?」
桔梗の母親が玄関に顔を見せる。吐露の恰好を見て母親は絶句した。
まず目に付いたのは黒い学ランからでもよく分かる血の色だった。体中がぐっしょりである。調子の悪そうな恰好を見て、母親は吐露が事故にでもあったのかと想像した。
「吐露ちゃん?」
桔梗の声に吐露は顔を上げた。そこには土埃にまみれた顔と鼻水と涙にぬれた顔面があった。桔梗は一瞬、きな粉餅のようだと思ってしまった。
「どうしたの?」
桔梗の父親まで出てきた。
「ごめんなさい・・・ここに一晩おいてくれませんか。」
吐露の謝罪の言葉は山吹家の人々への謝罪とともに、命を奪った罪のない人々への謝罪を含んでいた。謝罪の言葉を発した途端、吐露はその場で泣き崩れた。
山吹家の面々は顔を見合わせる。ただ事でないのは間違いないと無言で頷き合った。
「一体、どうしたの?お父さんと喧嘩したの?」
吐露はこくりと頷いた。
だが、山吹家の人々はそれが嘘であると分かっていた。吐露の父親が吐露にこれほどひどいことをするはずはないと思っていたからだ。
「とにかく上がって。今日は疲れているみたいだから、おやすみなさい。」
桔梗の母親は優しく言って、応接間に通す。吐露が脇を通った瞬間、生物の死に絶えた臭いと重機の油の独特の匂いが充満した。
「大丈夫かい。吐露。」
明も点けず、吐露は泣き続けていた。そんな吐露にオーケンは話しかける。
「なんだ、人でなし。お前にかけれらる言葉などないんだよ。」
オーケンには吐露が怒っているのかどうかさえ判別がつかなかった。それほどまでに吐露の言葉は覇気がなく、弱弱しかった。このまま放っておけば衰弱死するかのようだった。
「君は正しい判断をした。それは私が保証する。君は世界を救ったんだ。」
「巻き込んでおいて無責任じゃないか。」
吐露は背後の壁に背中を打ち付けた。
「お前がやったんだ。全部お前のせいだ。お前が地球に来なかったら、こんなことにはならなかった。父さんや母さんや妹まで死ぬことはなかったんだ。」
「起きたことはどうにもならないよ。」
吐露の怒りは頂点に上る。
「無責任すぎるだろう。何が過ぎたことはどうしようもない、だ。お前は反省することも知らないのか。」
「反省することくらい知っている。でも、今は反省したところでどうにもならないような事態へと進行している。こうやっている間にも君の家族のような犠牲者が増えている。」
「お前のせいだろ!」
「そうさ。私のせいだ。これで満足か。」
吐露は再びむせび泣いた。怒りのぶつけどころを失ったのだ。どうすればいいのか分からなかった。どうもしたくなかった。このまま死んでしまえばどれほど楽なのかと思った。
「奴らは世界を征服すると言っていた。あの兵器を使って、人間を皆殺しにするつもりなんだ。」
「まだ終わっていないのか。」
追われ殺されるかもしれないという恐怖は去っていなかったのだと知って、吐露は逃げ出したくなった。だが、逃げ出すほどの勇気は吐露にはなかった。
「ああ。あれは私の敵の本体ではない。傀儡だ。あれはただ、ターゲットに似た存在を無差別に襲う兵器なんだ。殺した人間の体に潜り込み、擬態する。それは私たち、機械化兵も一緒だ。本来ならば殺した生物に擬態する。」
「だからって、どうしろって言うんだ。俺には何もできない。何もできないから無力なんだ。」
「そうだね。でも、吐露。それは私も一緒なんだ。私だって何もできない。だから、今できることは逃げることだ。」
「そんなことをすれば、被害が広がる。」
「それでも私たちに気を取られていれば侵攻を遅らせることができるだろう。いずれ、奴らはこの世界を侵略する。」
吐露はオーケンが追われることに恐怖を感じていないことを知った。オーケンは常に正しい行動をする。それは吐露にはできないことだった。吐露はオーケンが羨ましく、同時に悔しがった。
「ねえ、吐露ちゃんどうしたんでしょう。」
桔梗の母親が心配そうに相談した。
「何か事件に巻き込まれたに違いない。瀞登呂さんのところにもつながらない。警察に届けるべきじゃないか。」
桔梗の父親は髭のような眉毛をしかめて言った。
「でも、今はそっとしておいてあげましょうよ。吐露ちゃん、ショックを受けていて何も分からないんだわ。私に任せて。」
桔梗はそう言うと、居間を出て、吐露のいる応接間に向かって行った。
「吐露ちゃん?」
桔梗は吐露に声をかける。だが、吐露は桔梗の言葉に返事を返さなかった。
「ねぇ。ちょっとでいいから出てきてくれない?」
吐露は桔梗に何もかも話せたらどれほど楽だろうと考えた。しかし、そんなことはできなかった。吐露が己に起きたことを桔梗に話せば、桔梗が恐ろしい目に遭う。桔梗を巻き込むことだけは許しがたい事態であった。
「吐露ちゃん。本当にけがはない?何か、事件に巻き込まれたんでしょう?でも、大丈夫。私たちは吐露ちゃんを守るから。警察に言ったりしないから。私にとって大事なのは吐露ちゃんが無事かどうかなの。」
それでも、吐露は何も言わなかった。ただ、何かを我慢するように歯を食いしばるだけだった。
「もし、明日、元気になったら、私、ずっと穴の開いた空地で待ってるから。」
それだけ言うと、桔梗は静かに去っていった。
「吐露。君はどうするんだい?」
「朝早くここを出る。」
「あの子のことはいいのかい?」
「良くないさ。」
吐露は芯の通った目をしていた。その瞳に移る妖しい眼光は決意に満ち溢れている。
「俺は逃げるばかりだった。ずっと、ずっと逃げてばかりだった。だが、この逃亡は闘いのための逃亡なんだ。だから、俺は戦う。戦って、いつか幸せを取り戻す。」
吐露は床に寝そべった。そして、決意に満ちた瞳をそっと閉じていった。
翌朝早くに吐露は目を覚ました。
「おはよう。吐露。よく眠れたかい?」
「眠れるわけないだろ。」
吐露は嫌な夢を見て目を覚ました。
それは己が殺された人間に成り代わって殺される夢だった。まだその痛みが吐露の体に染みついている。このくらいの痛みでは済まないはずだ、と吐露は己にまだ残っている愚かな余韻を否定した。
布団を押し上げると、外気は寒く、吐露はまだ布団に残っていた気分になった。体の疲れも取れていない。
「まだ、夢なんて見てるなんて、やっぱり生身は不便だねえ。」
「お前も見たのか?」
「いいや。私は夢を見ないし、君の夢も共有できない。私と君とが共有できるのはごく一部の電気信号でしかない。それに、あまり君と私とが融合してしまうとどうしようもないことになってしまう。そうだね。例えるならば、接ぎ木みたいなものかな。この時代にも一応あるよね。」
「あまり知らない。」
吐露の声は沈むほど重かった。底冷えする空気に嘆息とともに見事に反響する。
「木の幹に別の木の枝をくっつけると、そのくっつけた枝が成長して別の木になってしまうんだ。私と君とが深く合体すると、どちらかが消えることになるということ。今回の場合、どちらが消えるのか、皆目見当がつかない。」
「そうか。」
吐露にとってはもうどうでもいいことになっていた。狂ったように叫びながら、首を掻っ切ってしまいたいという欲望を必死で押さえるので精いっぱいだった。
「恐らく君は何度も否定するだろうけど、君は最善の判断をしたんだ。気に病む必要はない。」
「……」
吐露は立ち上がる決意をした。この先がどうなるのか、未来の展望を吐露は考えられるほど余裕はなかった。追われている獣が逃げることだけしか考えられないように吐露もまた、この場から立ち去ること以外考えることはできなかった。
朝靄の立ち上る中、吐露は町を歩いていた。大量の布にうずくまる浮浪者以外はこの寒さに耐えかね、まだ屋内にいるのだろう。吐露は学生服のまま、首に真紅のマフラーを巻き、かじかむ手に白い息を吹きかけ歩いていた。学生服もマフラーも血に染まり、油と鉄の匂いは一生消えそうになかった。
「藤崎……」
吐露は予想していた人影を見つけた。そこは全ての始まりの場所であった。吐露とオーケンが出会い、全てが壊れてしまった場所。
「吐露ちゃん。こんな朝早くどうしたの?」
吐露は鋭い視線で桔梗を睨んだ。吐露の表情を見て、桔梗は観念したように溜息をついた。
「これはお前が教えたのか?オーケン。」
桔梗の口調は急に変貌した。まるで先ほどまでとは別人が話しているようであった。少女の声で間違いはないが、暗く重く、太く、そして、残酷さの垣間見える声であった。
「残念ながら、私はあなたが何者であるかも判別がつかない。あなたが私と同じであることさえ確信が持てなかった。全てはこの彼の決断なんだ。」
「なるほど。役立たずなのは変わりないのだな。」
桔梗は嘲笑うかのように鼻で笑った。
「しかし、オーケン。俺のことを忘れたとは言わせないぞ。あれほどお前のことを苦しめてやったというのに、体が覚えるほどきつく鍛錬してやったのだがなぁ。」
桔梗の頬が吊り上がる。それはゾッとするほどいやらしい笑みであった。
「まさか、あなたは、ショーグンなのですか。」
「ああ。そうだとも。だが、お前が俺のことを覚えていなくても仕方がないだろうなぁ。なにせ、ただの雑兵だったのだから。」
「テメェ。藤崎に何をした。」
「チッ。話に割り込んでくるんじゃねえよ。なんだ?お前はまだその魂だけの存在に教えていないのか?この女は死んでる。俺が殺した。殺すってのは単純でいいよなぁ。なにせ、あっという間に説明できる。一々どこにかくまってるとかそういうことをしゃべらなくてもいいからなぁ。」
「オーケン。一ついいか?」
「いいや、ダメだ。」
吐露にはオーケンが悲痛の叫びをあげているような気がした。
「俺が魂だけというのはどういうことだ。」
「言葉通りの意味だ。お前の体はすでにないんだよ。瀞登呂吐露。ったく、もっと言いやすい名前にしろよ。面倒だな。」
「オーケン!」
「ごめん。」
吐露の中には絶望などなかった。そんなものはとうに臨界を超えていた。今はただ、オーケンが隠し事をしていたことに対する怒りの他に吐露の感情の所在はなかった。
「君が絶望しないように気を配ったつもりなんだ。私は人間のように繊細な心を持っていないから、君の心を推し量ることができない。私にとって一番がクロ姫で、二番目に優先すべきが君なんだ。」
吐露の耳には申し開きのようにしか聞こえなかった。
「もう、今さらどうしようもないだろう。」
様々なものが壊れ始めた。それは今も着実に壊れ始めている。それでも、壊れた歯車で世界という時計は動き続ける。一人の少年が望むか望まざるかに関わらず。
「それでも、もう、前にしか道は残っていないんだ。」
少年は進むことを決意した。目の前に道が見えなくとも、通り過ぎた人々に迷惑をかけるわけにはいかないという消極的な理由から一歩進んだ。
「待つんだ、吐露。私たちではあのショーグンには勝てない。スペックが違い過ぎる。」
「人間並みの記憶容量しか持っていないお前でも分かっているんだな。」
「俺の体はお前のものなんだろう。なら、俺以上の力があるんじゃないのか。」
「ところが坊ちゃん。そうでもないんだなぁ。それが。こいつの能力は人並だ。なにせ、電子戦用だからなあ。2015年でもない今はインターネットなんてものもない。機械も電気で動く単純なものだ。つまりはこの時代に来た瞬間から、この廃品の運命は決まってたんだよ。」
「待ってください。ショーグン。何故2015年なのですか。姫は2005年に飛ばしたはず――」
「ところがどっこい、よりにもよって、2015年だ。それが何を意味するのか、お前には分かっているだろう。オーケン。」
「オーケン。もう、隠し事は無しだ。」
吐露の言葉で、オーケンは観念した。今の吐露は己ではなりきれなかった戦士の精神だと感じたからである。
「君には大分ショックな出来事だろう。でも、言わなくちゃいけない。今から48年後、2015年から先の未来がこの地球にはない。私たちの星から地球は2015年以降、観測できなくなった。それが何を意味するのかは――」
「簡単なことだ。つまりは、この地球がなくなってしまうだけだ。それと姫が2015年にたどり着いたこと。ここには意味があるとは思えないか?」
「まさか!」
オーケンは震える声で叫んだ。吐露はオーケンが動揺するところを初めて見た。
「そのまさかだ。この地球はダイコーン・ブレイドによって破壊される。つまりは俺たちの勝利が確定したも同じだ。俺たちはダイコーン・ブレイドを使い、宇宙全てを掌握する。そして、宇宙の外さえも支配してみせるさ。」
「でも、それはおかしい。この地球にダイコーン・ブレイドがない限り、そんなことは……」
「だが、オーケン。お前も分かっているだろう。俺たちの星でこの地球が滅びることを観測した時点で、2015年に地球が滅びることは確定したのだと。それはどうやっても覆せない。つまりは、お前がこの地球を壊したことになるんだよ。オーケン。お前の愚かな判断でこの地球はパーさ。」
吐露には宇宙人たちの言っていることは少しも分からなかった。未来について考える余裕のある人間は絶望するのだろう。だが、吐露にはもう未来などないに等しい。だから、今やるべき事だけは分かっていた。
「逃げるぞ。オーケン。」
「無駄さ。何もかも無駄に終わるんだ。私はこの地球に姫を送り込むにあたって、恐らくこうなるであろうことを予測していた。私がこの素晴らしい地球を壊したんだ。」
こういう時にかける言葉を吐露は知らなかった。今は声をかけている時ではない。いつでもできると割り切る。
吐露は桔梗の皮を被ったショーグンに背を向け逃げ出した。
「危険だ。ショーグンに背を向けるなんて!」
考えていてもらちが明かないことを吐露は知っていた。今はするべきことを、逃げて泥まみれになっても逃げて、生き抜くことしかできないのだから。
ショーグンは背を向け逃げていく吐露を見て、不敵に笑った。
「俺に背を向け逃げるとは。お前は何も変わっていないな。」
ショーグンの腕は機械独特の音を立てて変形していく。そこにはすでに人間の皮膚の名残はない。鉛色に輝く金属が動き、目まぐるしく姿を変えていった。そして、桔梗の右腕に現れたのは五つの銃口を持つ回転機関銃であった。
ショーグンは機械の腕を掲げ、狙いを絞り、けたたましい音を立てた。
その音は吐露にも聞こえていた。吐露は途絶える相間もない騒音に足を止めそうになったが、それでも走り続けた。路地の中に逃げ、姿を隠そうと必死で駆ける。
「どうして当たっていないんだ……そうか!上だ!」
オーケンが指摘した瞬間、吐露は朝のひかりにうすぼんやりと映る大きな影を見つけた。それは吐露の影に覆いかぶさるように近づいてくる。
「!」
吐露は縺れる足で必死に前に飛んだ。その直後、吐露がいた場所に上からコンクリートが落ちてきて、頭を揺さぶるような激しい音を立てて地面にぶつかり爆ぜる。吐露はアスベストのホコリで咽てしまった。
「大丈夫かい?吐露。ケガは?」
「今は前へ、前へ…!」
後戻りは許されない。それは吐露が人をひき殺した晩、悟ったことだった。致し方なくも誰かを殺した時、すでに前へと進む以外の選択肢は潰えてしまったのだ。
ショーグンは舞い上がるホコリの中逃げていく人影を視認していた。熱源探知ソナーからもしっかりと確認できていた。
「隊長。まんまと逃がしてよかったんですかい?」
ショーグン目指して飛来した二つの人影があった。一つは桔梗のようなセーラー服の少女。だが、制服のデザインは違っている。もう一人は流行のミニスカートを身に纏った若い女性だった。
「お前らのために残してやったんだよ。ジャッカル。」
話しかけてきた若い女性をショーグンはジャッカルと呼んだ。
「ハンデは何分ですかい?ショーグン様。」
「ハイエナか。お前ら、女に化けて恥ずかしくないのか?」
すると、セーラー服の少女、ハイエナは腹を抱えて笑う。
「あんたがそう言うか。あんたも同じだろうに。」
「俺はアイツを仕留めるためにやったんだ。全く、不便で仕方がない。」
「ふーん。完璧主義な隊長が敢えて不便を選ぶとは。一体どういう心境の変化で?」
ジャッカルは少し顔を曇らせていった。その姿は休日に街を闊歩する女性そのものだった。
「余興だ。このまま世界を征服しても面白くないだろう?せめて、恐怖させても差し支えない存在を絶望の奥底に沈めてやりたかっただけだ。だが、気に食わんな。あの坊主のあの目。少しも絶望していない。」
「俺たちが追い詰めてやりますよ。なんなら時間制限ギリギリまで追い詰めて、心とかいうものをバラバラにしてご覧にいれましょうか?」
「バカ。なるべく早く始末しろ。遊び方は任せるがな。」
桔梗の腕はみるみる元の姿に戻っていく。飛び出しの仕掛けのある絵本を閉じたかのような不自然さだった。
「ジャッカル。お前から行けよ。俺はお前の兄貴だからな。お楽しみは譲ってやる。だが、しっかりと録画しておけよ。後でじっくり見るからな。」
「兄さんは趣味が悪いなぁ。」
かく言うジャッカルの顔は歪なほどに歪んでいた。それはこらえきれぬ快楽の現れであった。人を殺すときの血液の噴出が、彼ら兄弟にとっての最大の幸福だった。
「この世界はいいねぇ。人間を殺し放題だ。寄生虫に食わせるなんてもったいねえぜ。」
吐露とオーケンはひっそりとした公園で休んでいた。公園の中には人影はない。だが、公園の外には通学する小学生たちが無邪気にはしゃいでいて、ここが一体どこであるのかという漠然とした不安が吐露の中にこみ上げてきた。心臓は小学生の声を聞くたびにバクバクと嫌な鼓動を立てた。
「オーケン。あいつらは人に化けることができるんだな。」
「そうだよ。吐露。でも、今はゆっくりと休まないと。限界だろう?」
吐露は自身の体から沸き立つ熱を抑えきれないでいた。どうしか疲れを落ち着けようと地面に座り込んだものの、体は休まる気配すら見せない。
「あいつらを見分ける方法はないのか?」
「現状では見当たらない。むやみに人に近づかないことかな。彼らもこの地上に降り立った時には私と同じくらいの知識しかないはずだが、殺した人間の電気信号を隅々まで読み取って、情報を得る。それだけで化けている時の不自然さはなくなる。それに、私以上にこの世界の情報を取り入れているだろう。もう、お手上げさ。」
吐露はオーケンが諦め始めていることに苛立ちを感じた。自身の一部である別の何かが自分とは正反対の感情を抱いているからである。
「なあ、オーケン。今は逃げるほかにないんだ。じゃないとお前の望みも――」
「望みなんてなくなってしまったよ。私が全てを壊した。この地球に2015年以降ないという話を聞いただろう?姫も捕らえられてしまったということだ。私は無力だ。」
「嘘かもしれないだろ!」
吐露は座りながら地面を蹴った。踵から衝撃が右足に走り、無駄なことをしたのを後悔した。
「残念ながら、それは本当だ。2015年以降、この地球には未来がない。この地球は滅びる。それだけは確定している。」
「未来とか、そういうのは分からない。でも、変えられるだろ。未来って奴は。今を生きてる俺たちが諦めたら、どうしようもなくなるだろうが。姫に会うんだろ。それまで生きて行くんだろ。そうしたら、変わるかもしれない。」
「吐露はこんな状況でも諦めていないんだね。それとも、君は何も分かっていないのか。」
「諦めてないんじゃないよ。俺は全て諦めた。なあ、オーケン。俺はもう生きていないんだろう?俺の体はなくなっちまったんだろう?」
オーケンもまた、吐露に苛立っていた。絶望的な状況でもまだ諦めていないように見える吐露にオーケンは憧れが反転した嫉妬を抱いていた。その嫉妬が黒く濁り、オーケンは吐露を絶望させてやろうとした。
「そうさ。君の肉体は死んでいる。だが、魂だけは情報の塊として生かしてあるのさ。その魂もいつしか消えてしまうだろう。もって後一年かな。」
ただ、どちらが消えるのかはオーケンにも分かっていなかった。オーケンの意思か吐露の魂、どちらかがどちらかを塗りつぶし、消え去ることだけは確定していた。オーケンが消えた時、吐露がどうするのかということをふと考え、オーケンは吐露に重い運命を背負わせたことを後悔した。
「そうか。」
それだけ言って吐露は立ち上がった。その姿にオーケンは焦った。
「どうして君は立ち上がる!この先の未来はないはずだ!君も言っただろう?全て諦めたって!なのに、どうして、どうして君は立ち上がるんだ!私には理解できない!」
「そんなの、俺にだってわかっちゃいねえさ。もしかしたら、俺はお前に感謝してるのかもしれない。俺の未来は無理矢理捻じ曲げられない限り、大したものにはならなかった。ずっと、負い目とかいう、人を見下した感情を抱きながら生きていたんだろう。でも、こんなどん底だからこそ、どん底に生きる人の気持ちが分かる。一度落ちてしまったもんは、いくら考えてもらちが明かない。だから、しっかりと前を見て進むしかないんだ。もう一度上に立つことを願って、どん底に落ちることを恐れてな。なんだか、とってもせいせいする。」
「理解できないよ。」
オーケンは遥かな未来を見て、オーケンは目の前の現在を見ているのだった。
「まだ、俺たちは生きてるだろう?俺もお前もまだ動ける。なら、動くほかないだろ。まだ、全て終わったわけじゃない。例え、この先、苦難しかなくとも、終わりしかなかったとしても、それでも、終わりまで行く他ないだろ。それしか道はないんだから。」
オーケンは吐露が今しか見ていないことを理解した。絶望の中から一縷の望みを見出そうと足掻いていることを理解した。それはひどく危ういことだった。未来全てを捨てる行為だった。だが、今を足掻くしかないとオーケンは決意した。己とともに生きるものが危うくも正しい道を行くなら、己も共に歩くべきだと思ったのだ。
「とにかく、これからどうするべきか考えないといけない。ショーグンはマシーナリー、つまり、君の両親を殺した機械で全ての人間を殺して成り代わるつもりだ。そして、姫が現れると、一斉に捕らえる。これから大虐殺が起きる。その中、抵抗するのは無理だし、逃げ切れるかも怪しい。どうするんだい?」
「藤崎の両親はどうなったんだろう?」
「死んでるだろうね。帰るのはお薦めしない。」
「そうか。」
冷静な意見を浴びせられ、吐露は本当に八方塞がりなのだと感じた。
「逃げ続けて最後の一人になるほかないのかもなぁ。」
吐露は空を仰いだ。空は白けていて、そのくせ、雲一つない。冬にしては珍しい天気なのだが、日光が当たっても温かくはならないだろうと感じた。
「もし、最後の一人になるまで生き残って姫を見つけて保護したら、お前はどうするんだ?」
「宇宙船で逃げる、と言いたいけど、そんなものがあるかどうか。少なくとも、私一人では地球の重力から逃げ出せない。姫はもっとだろう。身体能力は君たち地球人と変わらないのだから。」
「最後の一人になってから考えればいいか。」
夢想する未来は絶望しかなかった。希望は現在にしか転がっていない。未来を見ることで足がすくむのなら考えない方がいいと吐露は考えた。
「全く、お気楽というか。君はなんだか性格まで変わってしまったね。よく知らない私がいうのもなんだけど。」
「もとよりそういうヤツだったんだろ。」
吐露はもとより未来に希望を持ってはいなかった。夢もない。ただ、世界の流れに流されて知らず知らずのうちに何者かにさせられているだけだった。
だが、今、吐露は世界の流れから弾き飛ばされた。それは、自らの力だけで何かにならなければならないということだった。未来を己で選ばねばならないことに吐露は得も言われぬ不安を抱いた。
そんな折であった。
「よう、ねえちゃん。なかなかいかしたカッコしてるじゃねえか。」
その声に吐露は振り向く。気が付くと、公園には吐露たち以外に人影があった。それは三人の男女だった。男たち二人が一人の少女に話しかけているようだった。
「なあ、俺たちといいことしようぜ。」
「なんなの、あれ。言ってることはファンキーなベイベーなのに、恰好が物凄く大人しいよ。」
「ああいう流行なんだよ。」
男たちの髪型は女性のようなボブヘアであった。アイドルの髪型を真似たものだと分かる。どちらも似たような恰好で、双子だと言われると妙に納得してしまうところがあった。
一方の少女は、セーラー服であったが、スカートを足先まで長くしている。あまり見慣れないファッションであった。制服もこの近くの学校では見慣れない。
「ナンパというか、連れ込もうとしているみたいだね。でも、今は関わる時じゃないよね。」
それは吐露にも分かっていた。
吐露は少女の姿を見て、藤崎のことを思い出していた。目を見張る長髪の黒髪は藤崎には似ていない。堂々とした態度も少しも似てはいなかった。
藤崎はもう戻ってこない。そんな現実を突きつけられたような気がして、吐露の胸は軋んだ。
「ほら。こっち来いよ。」
男の一人が少女の腕をとった。
「おい、お前ら。」
吐露は知らぬ間に話しかけていた。
「なんだ?もやしみたいなガキ。」
あまり驚いた様子もないことから、男たちは吐露のことを知っていたようだった。
「白昼堂々、はしたないことは止めろよ。」
「おいおい、優等生ぶりやがって。ここはそういう町だろうが。むしろ、お前たちみたいに坊ちゃん面したやつが歩いている方が気に食わねえんだよ。さっさと消えろ。」
吐露の頭の中に実力行使という言葉が浮かんで消えた。腕力では敵わないことは吐露がよく知っていた。
「警察を呼ぶぞ。」
「はん。警察なんざ怖くもねえ。それに、駐在所までどんだけあると思ってやがる。」
吐露は男たちが駐在所の場所まで把握してことに及んでいることを理解した。ますますどうしようもない。だから、男に飛びついた。
「早く逃げろ!」
吐露は少女の腕をつかんでいた男に背後から飛びついた。男は少女から手を離す。吐露は簡単に振り払われてしまった。
「俺たちに喧嘩を売ってんのか?いいぜぇ?二度と顔が元に戻らないくらいに――」
少女はゾッとするほど冷ややかな瞳で吐露と男たちを見ていた。逃げる気配はない。線の細い顔の中に埋め込まれている瞳は虚ろで、何を考えているのかは吐露には分からなかった。
地面に転がった吐露に男は覆いかぶさり、腕を振り上げる。吐露は目をつぶり、痛みを堪えようとした。だが、吐露に降りかかったのは、生温かい液体であった。嗅いでも嗅ぎ慣れることのない、混沌の匂い。生というものが削がれているというのに、その液体だけはまだ、生の余韻を残している。
吐露はそっと目を開けた。すると、そこには、冗談のように青い空が浮かんでいた。空を覆っていたはずの男の頭はどこにもなかった。天を突き刺す男の拳は力なく、垂れ下がり、頭を無くした体は吐露の足に倒れかかる。吐露のズボンが寝ション便をした時のように温かく濡れた。
「俺の獲物に手を出してるんじゃねえよ。」
公園にはもう一人女が存在していた。その手は鋭い刃物でできていた。赤い血に濡れている。同じく紅で濡れた頬は歪なほどに歪んでいた。己に降りかかる雨を心の底から喜んでいるようだった。
「吐露。逃げるんだ。」
吐露は目も前の惨劇に体が動かなくなっていた。
「な、なんなんなんなんなんだ!なにがなにでなにがなんなんだ!」
動揺した今は唯一となった男が刃の女に背を向け、走り出した。
女の足が鉛色に変わる。その鉛色の足から温風が噴き出し、気が付いたときには、女は胴が真っ二つとなった男の亡骸のそばに立っていた。
「……ははっ。ははははははは!最高だねえ。本当に最高だ。この血の匂い。懐かしいぜ。虐殺の匂いだ。火薬の匂いで満たされた戦場とは比べ物にならねえぞ、これは。楽しくて楽しくて、仕方がねえじゃねえかよ、おい!」
女は享楽に歪んだ顔で吐露を見た。吐露には女の心境が理解できなかった。人を殺すということが快楽となるなど少しも理解出来ようもなかった。
「そうだよ。その顔が見たかったんだ。恐怖を張り付けた、最高の表情。やっぱり、目の前で死を見せてやるとこうなるよねなぁ。楽しいタノシイたのしい!」
「お前……」
吐露はやっとのことで口を開く。
「俺を怖がらせるためにその人たちを殺したとでも言うのか。」
「そうだよ?それ以外に廃品の使い道がどこにあるってんだ。いいよなあ、オーケン。弱虫のお前がさらにビビッてション便漏らす姿を見てみてえよ。でも、ちょっくら、反抗的な目をしてやがる。」
刃の女は未だ冷ややかな少女に目を向けた。
「止めろ!」
「なんだ、こいつは。初めっから壊れてやがるのか?うーん、そうだな。お前の目の前で殺すのも一興だが、ゆっくりじっくり体をばらすのもいいか。早くお前を殺すように言われてるからなぁ。まあ、コイツはデザートにしておくか。」
刃の女はそう決めると、数メートルあった吐露との間合いを一瞬で詰める。
吐露が死を悟った時だった。
吐露の目の前に熱と閃光が走り、刃少女は一瞬で消え去っていった。
「お前は――」
遠くの地面に女の首だけが転がっていた。肉が見えるはずの首の切断面には機械と電気の閃光が走っている。
「戦略型の……裏切る気か!」
虚ろな少女はゆっくりと首だけの存在に近づいて行き、足で首を粉々にした。少女の腕には少女の体に似合わない巨大な鉄の塊がついていた。
「あなたは、一体――」
オーケンは恐る恐る、凶暴な腕を持つ少女に尋ねた。
「私は反乱軍特務官のフライエだ。」
表情も変えず、少女は平然と敵であることを口にした。




