-5- 異形の偶像
「ふぅぅ」
そそくさと来た道を戻りながら、真奈加が大袈裟に身震いする。洞窟で見つけたものと聞いた音とで、身体だけでなく肝も大いに冷やしたようだ。
ともあれ私たちは一旦池のほとりに戻り、改めて廃寺を目指した。ぴんくまからの距離は数百メートルもないのだろうが、足場の悪さに必然歩幅は狭くなり、白一色の地面が感覚を狂わせる。それでも十五分ほど行進していくと、一般住宅のそれとは違う屋根のシルエットが近づいてきた。
寺の周りには塔も、門も、灯籠すらない。素朴な造りの本堂と、それに寄り添う蝋梅が、ぽつんとそこにあるといった具合だ。手入れの具合としては池の周りにある廃屋よりも多少マシという程度で、寺院としての機能を保っているようには見えない。
本堂の正面に立った私たちは、墓やその他の変わったものがないか、ぼんやりと辺りを見回した。
「ガワだけ見ると禅宗っぽい感じはする。悟りを開くのにはいい立地だけど、檀家を募るのは大変そうだね」
古戸さんが感想を述べていたとき、集落の中心方向から誰かがやってきた。古びた防寒具に身を包んだ、集落の住民と思しき老人たちだ。
彼らは板か担架に乗せた大きなものを運んでいた。筵に包まれたそれがなにかは分からないが、慎重な手つきや歩き方から見て、ゴミや丸太ということはなさそうだ。
こちらに気づいた老人たちは足を止め、無遠慮な視線を投げかけてきた。私は会釈をするように目を伏せて、悪意がないことを示そうとした。
しかし彼らは私たちを咎めるでもなく、立ち去るでもなく、どこか弛緩した様子で佇んでいる。古戸さんが能天気に手を振ってもまったくの無反応。余所者に好意を向けていないのは確かだが、どこか違和感がある。
古戸さんは老人たちとのコミュニケーションを諦め、振っていた右手をポケットに収めた。
「インタビューしても答えてくれないだろうしなあ。せっかくだけど、一回戻ろうか? 位置関係は大体把握したし、夜にこっそり来よう」
「戻るのはいいですけど、そこまでして調べたいんですか、お寺」
私は言った。寺の付近にヤサカさんの存在を示すようなものは見当たらず、人が滞在している気配もない。中になにかを隠すとしても、もっと適した場所がありそうなものだ。
「見たところここに僧侶はいないし、仏教寺院としての役割を果たしているとも思えない。でもあの老人方は寺に用事があるようだから、やっぱりここはなんらかの役割を持つ場所なんだろう。
仮に大事な場所だというだけなら、一喝して僕らを追い払えばいいと思うんだけど。なぜ彼らはそうしない。多分、やましいことがあるからだ」
「ヤサカさんに関係することでしょうか」
「分からない。少なくともなんらかの秘密ではあると思う」
「あのー……」
老人たちの方を気にしながら、真奈加が小さな声で言った。
「それって不法侵入するってことですか?」
「うん? まあ、厳密に言えば法に触れるかもしれない。真奈加君と片倉君は、心配なら宿で待っててもいいよ。将来のある身だからね」
まるで私には将来がないみたいな言い方だ。
「僕は行きます」
片倉君が言った。大学入学前にこのようなことをするリスクは、彼も十分に承知しているだろう。それほどの決意があるならば、もはや止めまい。
「うえぇ、じゃあ私も行きます」
真奈加は単純に流されやすいだけだ。協調性があると言えば聞こえはいいが。
二人から言質を取った古戸さんは満足げに頷くと、寺に背を向けてさっさと歩きはじめた。真奈加と片倉君、そして私も三人を追ってその場を離れたが、老人たちのじっとりした視線が、かなり長い間、後頭部に貼りついている気がしてならなかった。
*
午前中の探索を早々に切り上げた私たちは、一度麓に降りて買い出しを済ませ――温泉にも入り――たあと、各自の部屋で時間を潰し、その後何食わぬ顔で夕飯の席についた。酒居さんは私たちの邪心に気づいた様子もなく、身体の温まるビーフシチューを作ってくれた。
再集合は午後八時。私たちは分厚い手袋と帽子を身につけ、強力なLED懐中電灯を携えて、ぴんくま二階の非常口に立った。外出の目的を尋ねられると面倒なので、酒居さんに気づかれないよう、こっそりと寺に向かうつもりだった。住民にもなるべく存在を悟られないようにする。
私たちは無言のまま屋外に出て、古びた鉄製の階段を下りた。寒さはいよいよ骨にまで沁みるようだ。細い月は出ているが、周囲はほとんど真の闇。しかし地面の雪にライトを向ければ、白い反射光が足場を照らしてくれる。
「修学旅行のとき、よくこういう風にこっそり宿の外に出なかった?」
真奈加が言った。どこかワクワクしているような様子だ。
「出てたっけ?」
「僕はあんまりなかったです」
「僕も別に」
「そっか……」
先頭に私、体力的に劣る真奈加と古戸さんを挟み、最後尾に片倉君。万が一にもはぐれないよう、一列になって慎重に進む。
居室の明かりはつけたまま、カーテンも開けてきたので、ぴんくまの位置は確認できる。あとは池の場所と昼間の記憶を頼りにして、迷わないよう寺を目指せばいいのだが、その道のりは中々に困難だった。
私たちは数度立ち止まり、ぴんくまと池の方角を確認しながら三十分近くかけて寺までやってきた。ライトを地面に這わせながら前方に向けると、黒ずんだ本堂の壁材が目に入る。
耳を澄ますも音はなく、視界に蠢くものもない。誰かに見張られている、と囁く第六感もない。侵入するなら今の内だ。
「鍵はかかってないね」
古戸さんが手慣れた様子で戸を照らす。普通こういった場所が施錠されているのかどうかは分からないが、解錠も破壊も不要なのはありがたい。違法性にはひとまず目を瞑る。
建てつけの悪い戸をゆっくりと空けると、古びた板敷の内部が露わになった。広さはせいぜい十二畳ほどか。奥には後光を背負った高さ五十センチほどの仏像がある。
「と、言っても特になんもないな」
床、壁、天井とライトで照らしてみるが、鴨居に溜まった埃や木材のささくれが目に入るくらいで、変わったものは見受けられない。いっそ不自然なほどにがらんとした空間だ。
昼間に老人たちが運んでいたものはもう持ち去られてしまったのか、あるいは元々ここ以外に置くことになっていたのか。
空振りだったかと諦めかけたとき、私は仏像の背後で気になるものを見つけた。床の間を広くしたようなスペースの床に、小さな把手がついていたのだ。三人を呼び寄せ、しゃがみこんで確認する。
どうやら床の一部が上げ蓋になっているようだ。大きさからして単なる収納とは考えづらい。
「どう思いますか、古戸さん」
私は尋ねた。
「広い土地があるにも関わらず、わざわざ地下に空間を作る。隠れキリシタンの里というわけでもなさそう。これがうしろめたさの正体かな? いよいよ宇良木集落の暗部にレッツゴー、というところかな」
「そこまでのコメントは求めてませんが」
真奈加と片倉君の顰蹙を背に感じつつ把手を握る。重い上げ蓋をずらすと、石造りの階段が目に入った。闇の奥からはかび臭く湿った空気が漂ってくる。ライトで照らしながら覗き込んでみると、どうやら階段は一度折り返し、地下室に繋がっているようだ。
レッツゴー、というほど積極的にはなれないが、ここまで来て引き返すという選択肢はない。私は足元に注意しつつ、石段に足をかけた。古戸さん、真奈加、片倉君が続く。
地下空間はかなり古いもののようだが、放棄されているわけではないようだ。漆喰の塗られた壁には、ここ数年のうちに補修された形跡もある。
階段を半ばまで下りたとき、遠くのほうから虚ろな響きを伴った、風とも獣の声ともつかない音が聞こえてきた。にわかに空気が生臭さを孕み、粘度を増したような気がした。
不安と焦燥に駆られた私が足早に階段を下りきり、強力な光であたりを照らすと、思わず顔をしかめざるを得ないものが目に入る。
「うっ……」
それは仰向けに横たわる、青ざめた全裸の男性だった。
身じろぎも呼吸もない。体温を確かめる勇気はないが、まず間違いなく死んでいるだろう。私のうしろから覗き込んだ真奈加が息を呑む。
「やっぱりあのとき運んでたのは死体だったね」
古戸さんが言った。
「落ち着いてる場合ですか」
「まあまあ楠田さん。普通、寺院の中に遺体そのものを運び込むということはしないけど、組み合わせ自体はそれほど不自然じゃない。とはいえこれが宇良木の秘密かというと、もうちょっとなにかあるような気がするね。ところで片倉君、この人はヤサカさんじゃないよね?」
「いえ……違いますね」
片倉君が恐る恐る男性を覗き込んだ。年齢はおそらく八十代。死因は病気か老衰か。安置されている場所や状況によっては、確かに大騒ぎしなくていいのかもしれないが……。
男性の死体に目を奪われている私たちをよそに、古戸さんはさらに奥をライトで照らした。ほう、という声に釣られて私も同じ方向を見る。
そこにあるのは彫像だ。しかし上にあった仏像とは似ても似つかない。知識に乏しい私でも、これが常人の崇めるようなものでないのは理解できる。
犬かライオンに似た巨大な頭部。しゃがみこんだ類人猿のような胴体。鉤爪のある手で掴んでいるのは、胸から上を齧り取られた人間の身体だった。




