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滴水古書堂の名状しがたき事件簿  作者: 黒崎江治
Episode6 時代の墓碑銘
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-終- 私はかつてあなただった

 冷えて乾いた闇が全身に触れる。それはどこか冥界へのいざないめいて、私の肌を粟立たせた。しかしこの感覚もあながち思い込みとは言えない。事実奥に潜んでいるのは、幾星霜を経て墓から這い出た亡霊なのだから。


 ヴェラの肩越しに前方を確認すると、玄室の入口からはわずかに灯りが漏れている。ざらついた紙をこするような、不快な囁き声が聞こえてきた。およそ人間の口から出る音とは思えない。


 壁に手をつき、足元を確かめ、塵一つ踏むのにも神経を尖らせながら、ゆっくりと階段を下っていく。


 しかし半ばまで来たとき、ヴェラが偶然転がっていた石を蹴飛ばしてしまった。それは硬い音を立てながら玄室まで転がっていく。


 囁き声が止んだ。気づかれたかもしれない。


 命令らしき声を受けて、足音が近づいてくる。五歩、四歩、三歩……。


 進むか、退くか。ヴェラは進んだ。私も意を決してそれに続いた。


 ばったりと出くわすことになった蛇人間を、ヴェラが蹴倒して玄室に踏み込む。その際、蛇人間の手元から半透明のプラズマ球が飛び出した。それは私の髪を掠め、毛先を焦がし、すぐうしろの古戸さんに命中した。炎が私の首筋を舐める。


「あっつ!」


 私は階段を下りきった。身を起こそうとする蛇人間の頭を、素早く踵で蹴り砕く。


 目線を上げると、電気ランタンの灯りを背に、二体の蛇人間が迫ってきていた。一体はヴェラに、もう一体は私に。おそらくはアクロ語の呪詛を吐きながら、仇敵に対する憎悪を込めて。手には刃渡り三十センチほどの、波打つ形の短剣がある。


 ヴェラを援護したいが、まずは目前の敵を片づけなくては。


 右から左に振り抜かれた短剣を躱し、その腕を手刀で叩く。表皮は硬いが内側は柔らかく、骨は細い。足払いで転ばせてから馬乗りになり、醜い顔面に拳を叩きこむ。


 蛇人間に武術と呼べる概念があったかどうかは分からない。しかし空手だって遡れば数百年の蓄積がある。寝起きの身体では容易に防げまい。


 彼らは確かに勇士かもしれないが、打撃や投擲、武器の扱いについては、人間の熟練者に遠く及ばない。リーチの差も思いのほか大きかった。


 ダメ押しの一撃で相手が動かなくなったのを確認し、ヴェラの方に意識を向ければ、彼女もクロスボウを一旦手放し、蛇人間から奪った短剣で、相手の胴を串刺しにしているところだった。人間と同じ赤い血が噴き出す。


「動くな!」

 そのとき、玄室の奥から声が響いた。


 見れば例の男が乾さんに短剣を突きつけている。私は思わず動きを止めた。


「一丁前に人質か……」


 いつのまにか古戸さんが横に立っていた。靴が煙を上げていて焦げ臭い。


「こっちには爆弾があるぞう、投降しろ」


 両手を上げ、起爆スイッチを示しながら、古戸さんが一歩一歩近づいていく。ヴェラがクロスボウを拾い上げ、構える。


「それ以上動けば、この男が死ぬぞ」


 短剣が首に押しつけられる。男は乾さんを盾にしており、狙撃も難しい。これでは膠着状態だ。どうしたものか。


 乾さんの顔を見る。一応、意識は清明なようだ。目が合った。なにかを伝えようとしている気がした。


 彼はしきりにウィンクし、眼球をキョロキョロと動かしている。錯乱しているわけではなさそうだ。自分のことは構わず動けということか?


 私の足元には、先程殴った蛇人間の身体と、投げ出された短剣がある。私はそれを目だけで確認し、相手に察知されないよう重心を動かした。乾さんと視線を交わしてから、短剣を軽く蹴飛ばす。


「なにを……」


 それは石の床を滑り、ガラスの棺にぶつかった。高い音が玄室の中に響く。


 男の注意が逸れた瞬間、乾さんが動いた。身体をねじり、倒れ込むように刃から逃れる。二人の密着状態が解かれた。


 ヴェラはその隙を見逃さなかった。コンマ五秒後、男の左眼には、太い矢じりが突き立っていた。


 低く掠れた、苦悶の咆哮が玄室の闇を震わせた。しかし眼と脳を貫かれてなお、男は動きを止めなかった。残る右眼に不撓ふとうの憎悪を込めて、波打つ短剣を振りかぶる。


 私は既に走り出していた。手前にある水盤に足をかけて跳躍し、倒れた乾さんが刺される直前、男の側頭部に右膝をめりこませた。


 石扉との間に挟まれ、その頭蓋骨がひしゃげる。男は不自然な体勢で乾さんに覆いかぶさった。しかし手足にもはや力はなく、耳や口などからはどろりとした血が溢れ出した。


「ハァ……」


 その執念は恐るべきものだったが、さすがにもう起き上がってくることはないだろう。


「乾さん、大丈夫ですか? 怪我は?」


「ああ……なんとかね。いててて」


 乾さんを死体の下から引っ張り出す。彼は手首を身体のうしろで拘束されていた。古戸さんにも手伝ってもらい、灰色のダクトテープを切断する。


 今や玄室は血の臭いに満ち、私たち以外に動く者はなかった。それでもヴェラは一体一体を確かめ、頭に矢を撃ち込んでいく。その執拗な作業を終えると、ようやく彼女は落ち着きを取り戻した。


「これで、蘇った分は全員殺したはず……」


「いやあ。なんとか自爆せずに済んでよかった。とりあえず外に出よう」


 古戸さんが提案する。私たちは乾さんに手を貸しながら、地上へ戻った。


 静かな発掘現場。頭上には星が輝いている。生きて玄室から這い出した私たちは、広場の辺縁で闘争の熱を冷ましながら、乾さんの怪我を改めて確認した。幸い、先日の火傷以外に大きなものはなく、せいぜい手荒に扱われたときにできた擦り傷があるぐらいだった。


「結局、あの男に誘拐されたのかい」


「それは多分そうなんだけど、どうやら薬を盛られたらしい。それとも催眠術かな。よく覚えてないんだ。……そういえば古戸、さっき足を火傷してなかったか?」


「いや、靴が多少焦げたぐらいだ」


 焦げたというか、ズボンの下部ごと完全に焼失している。しかし周囲が暗くてよく見えないからか、乾さんはそれ以上追求しなかった。ヴェラは気づいているのかどうか分からないが、少なくともこの場で、古戸さんをサタン認定することはなかった。


「しかし、本当に来てくれてよかった。多分あの場で首を切って、血を水盤に捧げるつもりだったんだろう。途中である程度意識はハッキリしてたんだけど、そのときにはどうしようもない状況だった」


「アルコールの耐性に助けられたね」


 限りなく死に近い状況であったにも関わらず、ショックがさほどでもなさそうなのは、彼が古戸さん同様の鈍感さを持っているからなのか、あるいは盛られた薬による鈍麻が残っているからなのか。


「ヴェロニカも、ありがとう。凄腕だったね、その……弓が」


「いえ、もともとの使命ミッションですから。協力してもらったのは、むしろ私の方です」


「楠田さんも、……どうしたの?」


「いえ……」


 そのとき、私は玄室のある場所を見ていた。達成感や安堵とは違う気持ちが、頭の中にわだかまっていた。


「古戸さん。蛇人間が敗けた理由」


「うん?」


「人類の方が残虐で、容赦がなかったからじゃないですかね」


「……面白いね。面白い仮説だ。憎悪や遊びの範疇を超えた嗜虐というものは、原始的なようでいて、人類だけが持つ武器の一つなのかもしれないね」


 武器の加工技術、投擲能力、チームワーク、筋力、持久力、生命力、判断力、繁殖力。勝敗を決める要素は数あれど、相手の種そのものを否定し、繰り広げられる血生臭い闘争に、暗い喜悦を持って臨むことのできる特性。


 それこそが、数万年前、数十万年前の競争における趨勢を決したのではないか。地下空間での闘争を通じて、私はそのような、感傷に似た思いを持った。


 人類である私たちは蛇人間を恐れた。しかし両者は捕食者と被捕食者の関係ではなく、あくまで同じ生態的地位ニッチを争う相手だった。蛇人間たちもまた人類を恐れただろう。彼らの目に私たちはどう映ったのか。


 しかし今や、それを尋ねることはできない。一体残らず殺したからだ。


 小休止のあと、私たちは遺跡を破壊することにした。


 玄室の上に置いてあった爆薬を改めて屋内に設置し、安全な位置まで退避して起爆スイッチを押す。


 くぐもった爆音のあと、地下空間の構造が崩壊し、さらに下にあるものごと沈没していく。金属板も土砂に呑まれて姿を消した。


「おおっと、みんな、離れろ離れろ」


 思いのほか広範囲が巻き込まれた。言い出しっぺの古戸さんが逃げ遅れかけて、ヴェラに手を引かれながら登山道に逃げ込む。


 盛大な土埃を巻き上げて、蛇人間が造った時代の墓は本物の墓となった。滅亡のあとに残っていた種族の残り火がまた一つ消えた。この場所の後始末や、ほかに残った同種の遺跡は、ヴェラが所属している結社とやらがなんとかするだろう。


 恐竜は絶滅した。蛇人間の文明も消えた。人類の繁栄も永遠ではないだろう。今私が見ている光景は、数千年後、数万年後、あるいはもっとあとになって、進化したイカ人間やカマキリ人間が見る光景かもしれない。


 突飛な想像だろうか? しかし恐竜たち、蛇人間たちは、自分たちの足元を這う人類の遠い遠い祖先を目にして、将来これが文明の担い手になるだろう、自分たちを追い落とす存在になるだろう、などとは想像しなかったはずだ。


 とはいえ、ひとまず私たちは明日を勝ち得た。数万年後のことは、数万年後の人間が考えればいい。今日を生き残った私は、麓に戻ったら温泉に入ろうなどと話し合う三人とともに、もはや跡形もなくなった発掘現場をあとにした。

Episode7は『眠れぬ人の夢』を予定しています。

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