-11- 瑠璃
古戸さんの体調は回復したが、それ以上の探索ができるかというとそうではない。私たちは大人しく村長の屋敷に戻り、涼しい部屋で体力を回復することにした。
提供された麦茶のピッチャーを置いたテーブルの上で、古戸さんはノートを広げ、村の全体図らしきものを広げている。その外側には先程観察していた杉の巨木が、五角形を成すように書き込まれていた。とはいえ、まだ空白が多い。
「さて、瑠璃さんにでも会いに行こうか」
そら来た。私は自室に籠らなかったことを後悔した。
「桐島さんに、手を出すなって警告されたばっかりなんですけど」
「それに従うとしても、挨拶ぐらいはしとかないと」
常識で考えれば、宿を借りる先の住人に挨拶しておく、というのは一般的な礼儀だ。しかし村長夫妻は私たちに対して瑠璃さまの存在を伝えなかった。そしてあとり君は瑠璃さまの存在を非常に恐れている。桐島さんの警告にしてもそうだ。
彼女はこの村でタブーになっている。それが神聖なものなのか不浄のものなのかは分からない。その両面かもしれない。
「前に物忌み中かもしれないって」
「向こうからはそうと言われてないから、うっかりで通るよ。それに楠田さんはもう物忌みしてる人を見てるだろう。この屋敷の中で同じことはするまいよ」
「そうですかね……」
古戸さんは膝に手をついて立ち上がり、部屋を出た。やむなく私もそれに従う。
廊下をぐるりと回り、屋敷の奥へ向かう。渡り廊下の先にある離れは、せいぜい部屋二つか三つ分の小さなものだ。よく手入れされていて、なるほど貴人の住まいという感じがした。
「どうもー、すみません。昨日からここにお世話になってる者ですけどもォ」
どこに居るとも知れない、そもそも在室しているのかどうかも分からない瑠璃さまに、古戸さんが間延びした声を掛ける。そのまま廊下を進み、部屋とを隔てる襖の前までやって来ると、内部から声が響いた。
「どうぞ、お入りになって結構ですよ」
それはたおやかな感じの、若々しい声だった。古戸さんが無遠慮に襖を開けると、薄暗い部屋の奥に腰かけた女性の姿が目に入った。
瑠璃さまはフィクションの離村にありがちな、不吉な雰囲気の老女ではなかった。せいぜいが三十歳ぐらいの、落ち着いた美しい女性だった。
和装――かしこまった着物とはまた違う――に身を纏い、長い髪をゆるく後ろに束ねている。彼女は文机のようなものを使っていて、今しがた読んでいたらしい和綴じの本を、背後の棚にしまった。
「ああ、お休み中のところ失礼します。挨拶もせずに申し訳ない」
「いいえ、構いません」
「せっかくですから少しお話でもと思いまして。座っても?」
「どうぞ」
古戸さんはその場にどっかりと胡坐を組んだ。私は彼ほどリラックスできなかったので、慣れない正座の姿勢で従った。
「事故にお遭いになったとか。お怪我がなくてなによりです」
「大したものじゃありません。車がちょっと動かなくなったぐらいで」
「お引止めしてしまって申し訳ないですが、祭の時期ということでご了承くださいな」
なんだ、結構よい人ではないか。私は思いのほか柔らかな対応に拍子抜けする思いだった。しかしそれで神奈子ちゃんが置かれている現状や下男の存在、桐島さんの警告がなくなるわけではない。
「十六年に一度の祭だとか。どういう種類のものなんです? 起源は古いんですか?」
古戸さんが尋ねた。瑠璃さまはどこからはじめようか少し考える素振りを見せたあと、ゆっくりと語りはじめた。
「この村の成り立ち自体はかなり古いですが、祭がはじまったのは元和二年のころです」
「ゲンワ……」
「江戸時代の初期ですね。四百年ほど前ですか」
古戸さんがそう言ったので、年号のことだと分かった。
「そのころ、村に陰陽師の末裔たる姉妹が流れつき、ここに元々あった神社の祭司となりました」
「時量師神ですね。陰陽道の神とはまた別のような気もしますが」
「よくご存じで」
「まあ、こういったことを少しかじってまして」
瑠璃さまがほんの少し、目を細めた。どのような感情を持ったのかは分からない。
「ですが、村人は妹を受け入れました。姉の方は、旅の最後に命を落としてしまったのです。生き残った片割れはここに安住の地を見出し、その代わり、村に豊穣を約束したのです。
当時貧困に喘いでいた村人はそれを歓迎し、祭司に据えました。以降、十六年に一度、領域を司り守護する時量師神に祈りを捧げ、陰陽道の業により地脈を整える儀式をおこなっています」
「その生き残った方の何代目かがあなた、というわけですね」
「そう伝わっています」
つまり、過去貧しかった村を富ませた伝説上の人物の子孫が瑠璃さま、ということになるのだろう。ある種の宗教的な権威を持っているわけだ。
「祭は本来、秘密裏におこなわれるのです?」
「いいえ、一部の儀式本番を除いては、特別秘密にする必要はありません。ただし領域を守護するという趣旨のために、外部との接触が絶たれているのです。既に入ってしまった者に関しても同様です」
「なるほどね……」
古戸さんは顎をさすりながら、自分が外で見聞きしたことと、瑠璃さまが話したことの整合性をすり合わせているように見えた。
「ところで、滝村という人物をご存じないですか?」
「滝村?」
「ええ。十六年前、この村を訪れたまま行方不明になっているのです」
「どのような方ですか」
「民俗学をやっていた人間なので、祭のことを調べに来たのだと思いますが」
「……かなり昔のことですし、私も村に来た方すべてを把握しているわけではありませんから、確かなことは言えません。ただ、今現在滝村という人物は、村にいないと思います」
この答えについては桐島さんと同じだった。古戸さんがかなり突っ込んだ質問をしたので、私も村を訪れた当初から気になっていたことを尋ねようと決心した。
「あの……私からもいいでしょうか」
「ええ、もちろん」
「ちょっとデリケートな質問かもしれないんですが、灰色の刺青のようなものというのは、この村の風習なんでしょうか」
そうでないだろうとは思いつつ、私は刺青という言葉を使った。腕の回りをぐるぐると指で示し、その形状を伝える。
「あれは生来のものです。先程話した陰陽師の血縁にのみ現れます。ある種の力の顕現であると我々は考えています。人により濃い薄いがありますが、特に健康に影響のあるものではないようです。人によっては少々不気味に映るかもしれませんが……」
「ああいえ、ただちょっと気になっただけなので」
四百年前の人間が持っていた形質が遺伝したとして、何世代を経てなお残るものだろうか? そもそも、そんな痣が先天的に生じることがあり得るだろうか? 疑問は尽きないが、この場でさらに質問するのは憚られた。
「ここはよい村です。移住者も歓迎しておりますので、気に入りましたらご検討ください」
冗談なのか本気なのか分からない提案には曖昧に頷いて、私たちはそろそろ辞去することにした。やや痺れた脚で立ち上がり、部屋をあとにする。
「どう思いました?」
私は古戸さんに感想を尋ねる。
「まあアレは説明用の文言さ。僕らが素性を全部話してないように、向こうもきっと核心は話してないだろう。そもそもあんまり突っ込んだ質問をしてないってのもあるけどね。少なくとも話し合いが成立する人間であると分かった、ってのは収穫かな。楠田さんの印象は?」
「いや、私はなんか雰囲気に呑まれて……」
そんな話をしながら戻ってくると、あとり君ら三人が帰ってきたところだった。樋口さんと高坂さんは炎天下で連れ回されたせいか、さすがにぐったりしている。
また彼らが見聞きしたものについて教えてもらおう。気づけば太陽は西に傾いている。外穂村での二日目が暮れつつあった。




