-12- もう一人の神奈子
「陰陽道ですか……」
うなじまでの毛をドライヤーで乾かしながら、高坂さんが感心したように言った。時刻は午後八時過ぎ。夕食を終えた私たちは、寝るまでの時間を割り当てられた部屋で過ごしている。古戸さんは入浴。あとり君と樋口さんは傍らでオセロ中だ。扇風機がフォウフォウと音を立てる快適な室内。
「さすがに全部の木は確かめなかったけどね。古戸さん倒れたし」
「熱中症は洒落になりませんから、気を付けてくださいよ」
それに迷惑もかける。同行する私を含めて。
「この村、全部回ろうとすると結構広いよね。高坂さんたちはどうしてたの」
「あとり君に連れられるまま、割とあてどもなくぶらぶらしてました。えっと、東かな。こっちの方には結構廃屋なんかもあって」
「廃屋かぁ、子供ってそういうの好きだよね。秘密基地みたいな」
「こういうところは危ないからあんまり入らない方がいい、って言ったんですけどね。いつも遊んでるから大丈夫だって」
別に子供だから好きなわけじゃないぞ、とあとり君が抗議する。ちなみにオセロは樋口さんが三戦全敗中だった。
「あとり君、他に面白いところはないの」
私は尋ねた。
「豚とか鶏とか飼ってるところ行くか? 滅茶苦茶臭いけど」
「いや、そこはいいかな……」
豊かとはいっても所詮は山村、観光名所やレジャー施設などは望むべくもない。古戸さんに付いて行くならば、奥宮にはもう一度向かうことになるだろう。あの下男とは遭遇したくないが、神奈子ちゃんの様子は気になる。
「よしあとり君、今度は私とやろう」
樋口さんと代わってあとり君とオセロ盤を挟む。私は一切の手加減をしなかったが、結局樋口さんと同様に全敗を喫した。
◇
私たちが外穂村を訪れてから三日目の朝が来た。明後日の朝には村の出入りが解禁される。そういえば祭の時間はいつからいつまでなのだろう。
古戸さんは早くに寝たせいか、きっちりと朝に起きてきた。食事をしっかり摂ってから、午前中は奥宮に行くぞと息巻いている。
「そうか、でもおっちゃんに抜け道通れるかな」
あとり君は樋口さんたちを連れ回すことに満足したのか、今日は古戸さんに付いて行くことにしたようだ。
「大丈夫だ。軍手がある」
「昨日みたいなことにならないで下さいよ」
「ちゃんと水を飲んでおけば問題ないだろう、多分」
古戸さんはさすがに少し懲りたようで、わざわざ凍った水の入ったボトルを用意していた。軍手と併せて、中々それっぽい装備になっている。
「ではあとり隊員、出発だ」
「おー」
見ようによっては微笑ましく映る二人を追うようにして、私は屋敷をあとにした。
本日も晴天。空を見上げれば雲一つない。予報によれば、向こう数日はこの陽気が続くようだ。古戸さんは雨になっても調べたがるだろうから、私にとっても都合がいい。例の抜け道を雨の中進むような事態は、流石にちょっと勘弁願いたいものだ。
村の辺縁をぐるりと回り、まずは里宮に移動した。昨日とは違って境内には人がいた。かがり火を設置しているようだ。彼らの怪訝な視線に晒されながら、私たちは茂みに分け入っていく。草を掴み、泥で汚れながら。
「これは道ではない」
古戸さんは登攀開始十秒で弱音を吐いた。
「はー、これだから都会モンは」
先頭のあとり君が自信に満ち満ちたような表情で煽る。私は最後尾で古戸さんの尻を支える役目だった。結局、前日の二倍時間をかけて、私たちは奥宮に辿り着いた。
まずは蔵の陰から敷地の中央方面を覗く。下男の姿はなかった。常時見張りをしているわけではないのだろう。あるいは、瑠璃さまとやらになにかを申し付けられているか。
「由宇子姉ちゃん、肩貸してくれ」
あとり君に請われ、私は彼を窓の位置まで持ち上げた。また姉弟の間で、なにがしかの会話が交わされる。
「楠田さん、僕もあとで肩車してくんない?」
「嫌です」
「嫌か。ではあとり隊員。僕からの質問だと言って伝えてくれ。君は儀式でどんなことをするのか知ってるのかって」
「おう、分かった」
古戸さんに応じたあとり君が、蔵の中にいる姉に問いかける。窓越しの返答。
「知らないけど、自分がやることは昔から決まってたって。心配してくれてありがとうって」
「ふぅん……まあいいや」
あとり君は三度の訪問を約束し、地面に降りた。
「で、ほかも見に行くんですよね?」
私は古戸さんに確認する。今は不在にしているようだが、いつ下男が帰って来るとも知れない。
「もちろん。なんのために苦労して登ってきたと思ってるんだ」
泥だらけの軍手を外してズボンに挟み、古戸さんはずんずんと蔵の陰を出た。私とあとり君がそれを追い、私も従う。
東からの木漏れ日が揺れる境内。里宮と違ってここは地肌がそのままで、下草もかなり生えている。少なくとも、村人が日常的に出入りする場所ではないのだろう。
さしあたって気になるのは、正面の社殿だ。剥げかけた朱や漆が年月を感じさせる。屋根はかつて銅で葺かれていたようだが、今はびっしりと緑青を生じていた。あまり大きくはない。内部はせいぜい十畳ほどだろう。
正面の扉を見ると、鎖と南京錠が取り付けられていた。
「いざとなったら壊せなくもないな」
南京錠を爪で叩きながら、古戸さんが物騒なことを言う。
「すげーこと言うな。瑠璃さまに殺されるぞ」
「殺される前に逃げればいいのサ」
「俺が一緒にいるときはやらないでくれよ……」
あとり君が不安な顔をする。この男ならやりかねないと思ったのかもしれない。もしそうなら、正しい推察だ。
とはいえ流石の古戸さんも、今の今からおっぱじめる気はないようだ。私は南京錠から視線を外し、左のプレハブに目を遣る。さすがに本殿より古くはないが、こちらもかなり長い間、風雨に曝されてきたように見える。
「なんだと思う? 楠田さん」
「物置とかじゃないんですか」
「物置は蔵があるだろう」
監視カメラを確かめるような動きを見せながら、古戸さんがプレハブへと近づく。私もそうしたところで、ふとなにかが聞こえた。
か細いが、長く延びる声。古い民謡のような、どこか郷愁を誘う歌だった。古戸さんが口に手を当て、沈黙のジェスチャーを作る。
私は耳を澄ませた。歌声はプレハブの中から聞こえている。中に誰かがいるのは間違いない。神奈子ちゃんと同じ立場の人間なのだろうか?
プレハブには窓があるものの、カーテンが掛かっていて中を窺うことはできなかった。古戸さんはほとんど躊躇いなく入口に歩み寄り、ドアを叩いた。
歌声が止む。
「こんにちは。お休み中のところ失礼します」
工夫のない文句だが、私がやっても多分同じようになるだろう。返答はしばらく帰ってこなかった。
「村長さんのところでご厄介になってる者ですが」
私も近くで気配を窺う。あとり君もドアに耳をくっつけている。
「……どなた、ですか」
かなりしてから、ドアの向こうで声が聞こえた。弱々しく、抑揚を欠いた、虚ろな声だった。女性であることは確かだが、年齢は分からない。
「古戸といいます。あとり君も来てますよ。村長さんとこのあとり君」
また長い沈黙。
「お名前窺っても?」
「神奈子……」
「神奈子さん?」
この人も神奈子? あるいは、別の人間を指しているのだろうか。
「直接お話しできませんかね。あんまり時間は取りませんから」
「神奈子……」
「ダメっぽいなこりゃ」
声の調子や返答までの時間からすると、なんらかの原因によって精神薄弱状態に陥っていると想像できた。古戸さんは頭をぼりぼりと欠いてから、ノブに手を伸ばす。
「流石に押し入りはまずいんじゃ?」
「いや……鍵が掛かってるね。彼女も監禁されてるんじゃないか」
もはや監禁という言葉が当たり前に使われる。
「この村に神奈子って名前の人が二人いるの?」
私はあとり君に尋ねた。彼もまた困惑している様子だった。
「いねえな」
村に存在しないはずの神奈子。あるいは蔵の神奈子ちゃんを呼び続ける誰か。どちらにせよ尋常の状態ではない。
「面白くなってきたな」
古戸さんは顎をさすりながら、プレハブと本殿を交互に見た。陽光を受けた眼鏡が妖しげに光る。
「あとり君は知らないが、もう少し年長の人間なら知ってるかもしれない」
「誰に聞くんです」
「村はずれの猟師を訪ねよう。昨日のお礼も兼ねてね」




