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滴水古書堂の名状しがたき事件簿  作者: 黒崎江治
Episode4 エリー
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-6- 惨劇の現場

 長く残る音の余韻は、明らかにパーティー用クラッカーのそれではなかった。耳をそばだてた私が続いて聞いたのは、なにか硬いものが床にぶつかる音だった。


「い、今のは?」


 真奈加が怯えたような声を出す。私は視線を古田さんから外さないままでいたが、彼は銃声の発生源とその理由に心当たりがあるようだった。


「失礼」


 古田さんはきびすを返し、厨房から出て行ってしまった。


「由宇子、逃げよう。今のうちに逃げようよ」


 真奈加が私の袖を引く。彼女の言うとおりに逃げるべきだろうか。隣家とは少し離れているが、そもそもが狭い島だ。辿り着くのは難しくない。それに銃声らしきものがしたという通報であれば、警察も動いてくれるだろう。


 そう考えたとき、私は不破さんの存在に思い至った。彼女が二階にいるならば、今現在危機にあるのではないか?


「真奈加は先に逃げてて。不破さん連れてくる」


「ダメダメダメ。だってさっきの銃っぽいじゃん」


「大丈夫。私空手やってるから。銃弾とか避けられるし」


「漫画じゃないんだから無理だよぉ」


 とにかく、と彼女を説き伏せて厨房を出る。先行した古田さんを追うようにして、私はそろりそろりと階段を上がった。どこかから、鉄臭い不穏な空気が流れてくる。瓜生さんの部屋の方か。


 拳銃を持って立てこもりとなったら、ニュースになってしまうな。それでも不破さんの安否を確認すべく、私は廊下の角から先の様子を盗み見た。


 そこにあった光景は、私が予想していたのとは違うものだった。


 血の海に横たわる身体。それは瓜生さんのものではなかった。脳天を打ち抜かれ、仰向けに倒れているのは、夕食の席で聖職者を名乗った赤門さんだった。


 銃声に続いた硬い音は、彼が倒れる音だったのだろう。死体の背後から廊下に長く飛び散った赤には、砕けた骨片らしきものが混ざっていた。


 死体の傍らには、拳銃を持ったまま腰を抜かしている瓜生さん。立ち尽くしている古田さん。そして、不破さんが部屋から出てきた。


 死体があるかもしれない、と覚悟はしていたが、私は思わず息を呑んだ。こちらの方を向いていた瓜生さんがそれに気づき、その様子を見た古田さんも私の方を振り返った。


「……どういうことですか、これは」


 見つかってしまった私は、誰にともなく説明を求めながら、姿を晒した。


「僕じゃない」


 瓜生さんが言った。彼は銃を両手でつかみ、銃口を空中に向けたまま小刻みに震えていた。銃は警察が持っているような小型のものではなかった。銀色の銃身は長く、全体的にごつごつしていて大きい。こんなものを、一体どこで入手したのだろう。


「こいつが襲ってきたんだ。揉み合いになってるうちに銃が暴発して、それで……」


「とりあえず銃は下ろして。危ないですから。ね?」


 私が努めて冷静に言うと、瓜生さんは震える手で銃を下ろした。少しの間、誰もなにも言わなかった。騒いでいないのが、より一層不気味だった。


 目論見が外れたらしい古田さんはともかく、不破さんも悲鳴一つ上げなかった。見ればその顔は青白く、放心したように目が虚ろになっている。ショッキングな光景を見たあまり、気絶寸前になっているのかもしれない。


「とにかく――」


「古田さん、動かないで」


 口を開きかけた彼を制して、私はぴしゃりと言った。


「真奈加が、私の友達が、古田さんと赤門さんの話を聞いたんです。今夜、瓜生さんを殺すって」


「なんで僕が……」


「理由はとにかく、これ以上変なことをさせるわけにはいきません。おとなしくしてて下さい」


 瓜生さんが壁に手をつきながらゆっくりと立ち上がり、私と不破さんとで、古田さんを囲むような形となった。けど、ここからどうしよう。殴って取り押さえればいいのだろうか。


「私、警察呼んできます……」


 それまで黙っていた不破さんが、弱々しい声で言った。真奈加が警察を呼んだかどうかは確認できないので、彼女がそうしてくれるのは助かる。古田さんと対峙する人数が減るのは少し心細いが、どのみち不破さんの状態で、荒事に対処するのは難しいだろう。


 彼女は我々の間をすり抜けて、一階に向かった。


「ことここに至っては、仕方がありません」


 古田さんは目線を落とし、自分の掌を見つめた。そしてゆっくりと目元に手をやり、身に着けていたサングラスを外した。


 露わになった瞳は、誰が見たとしても明らかに異常だと感じるものだった。色は深い赤。瞳孔はなく、わずかな黒がいびつな形で、泳ぐように漂っている。そのせいで瞳全体が、揺らめく炎のようにも見えた。


 人外の眼。吸血鬼の眼だ。いまさら自分の異形を明かして、この男は一体なにをするつもりなのか。


「説明しましょう。この瓜生という男――」


 そのとき、瓜生さんが動いた。銃から手を放し、一足飛びに古田さんへと躍りかかったのだ。武器を捨てたのも意外だったが、私はその俊敏さにも驚いた。銃がごとりと床に落ちるより早く、彼は三メートルあった古田さんまでの距離を詰めていた。


 なにかがおかしい。私は本能的にそれを察知して、少し距離を取ったまま身を守る。


 急襲された古田さんも油断してはいなかった。見計らったように身体を反転させ、大振りのフックで瓜生さんの頭を打とうとした。しかし瓜生さんは攻撃を受け止め、その腕をしっかりと掴んだ。


「もう少し展開を見たかったのに」


 瓜生さんが発したのは、先程までの動揺した様子と正反対の、落ち着いた声だった。口元に笑みさえ浮かべた余裕の態度に、私は警戒の度合いをさらに強めた。


「ダメじゃないか。先にネタばらししちゃあ……」


 瓜生の瞳が赤黒く濁る。その全身からは明確な悪意と残忍さが発せられていた。


 彼もまた吸血鬼……?


 瓜生は古田さんの腕を掴んだ手に力をこめて彼の肉を圧し、骨を砕き始めた。人間の握力ではまずありえない異常な所業だった。古田さんは唸り声を上げながら、もう片方の腕で反撃を試みた。しかしそれも止められ、掴まれる。


 瓜生は掴んだ両腕を力任せに外側へと引っ張った。古田さんのスーツがちぎれ、肩関節の外れる嫌な音がした。


 そこから瓜生が振りかぶり、手刀で古田さんの胴体を貫くまでは、ほんの一瞬の出来事だった。私は古田さんの背から突き出た、血濡れの指先を見た。そこには二、三センチはありそうな鋭い爪が備えられていた。


「う……」


 私は二歩、三歩と後ずさった。古田さんの腹から手が引き抜かれ、空いた穴からぼとぼとと赤黒の臓物が零れ落ちた。


 崩れ落ちた執事を一瞥したあと、瓜生は私に目を向けた。若く張りのあった彼の皮膚は今や青白く強張り、首筋や前腕にはミキミキと黒い血管が浮きはじめていた。


 赤い目が奇妙に光った。それには人間の本能を縛り上げ、動きを止めてしまうような効果があるように思えた。


「来るなッ!」


 私は声を発した。警告というよりも、無理やりにでも息を吐き、自分を叱咤するためのものだった。当然、瓜生は意に介さない。一歩一歩距離を詰めてくる。


 逃げるか? しかし階段の上から背中を狙われた場合、回避する術がない。


 瓜生の膂力は恐るべきものだが、動きを見た限り格闘技の玄人ではない。一か八か。掴まれたら終わりだ。


 彼が間合いに入った瞬間を見計らって、私は鋭く息を吐き、左足を踏み込んだ。それを軸足として身体ごと回転させ、みぞおちに向けた後ろ蹴りを放つ。


 モーションが大きいため試合では使いづらい技だが、うまく体重を乗せられれば威力は高い。私の場合、瓜生と同じような体格の人間なら、一撃で戦闘不能にできる自信があった。


 しかし突き出した足の裏に響いた感触は、平均的な人体を打ったときのそれとは大きく違っていた。濡れた畳を何枚も重ね、その裏に鉄板を貼りつけたものを蹴っているような気がした。


 だが、重さ自体は人間と同じ。瓜生は私の足にわずかな痺れを残し、仰け反って三歩後退した。


「やるじゃない……」


 おそらくダメージはさほどないだろう。私も素手であの怪物を殺せるとは思わない。一瞬の隙をついて身を翻し、廊下を駆けて階段に辿り着く。


 その場所から見える一階のホールには、二つの人影があった。一つは真奈加。そしてそれを羽交い絞めにしている不破さんだった。


 背後からは異形と化した瓜生が迫ってくる。私は館からの逃走が、極めて困難であることを直感した。

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