-6- 惨劇の現場
長く残る音の余韻は、明らかにパーティー用クラッカーのそれではなかった。耳をそばだてた私が続いて聞いたのは、なにか硬いものが床にぶつかる音だった。
「い、今のは?」
真奈加が怯えたような声を出す。私は視線を古田さんから外さないままでいたが、彼は銃声の発生源とその理由に心当たりがあるようだった。
「失礼」
古田さんは踵を返し、厨房から出て行ってしまった。
「由宇子、逃げよう。今のうちに逃げようよ」
真奈加が私の袖を引く。彼女の言うとおりに逃げるべきだろうか。隣家とは少し離れているが、そもそもが狭い島だ。辿り着くのは難しくない。それに銃声らしきものがしたという通報であれば、警察も動いてくれるだろう。
そう考えたとき、私は不破さんの存在に思い至った。彼女が二階にいるならば、今現在危機にあるのではないか?
「真奈加は先に逃げてて。不破さん連れてくる」
「ダメダメダメ。だってさっきの銃っぽいじゃん」
「大丈夫。私空手やってるから。銃弾とか避けられるし」
「漫画じゃないんだから無理だよぉ」
とにかく、と彼女を説き伏せて厨房を出る。先行した古田さんを追うようにして、私はそろりそろりと階段を上がった。どこかから、鉄臭い不穏な空気が流れてくる。瓜生さんの部屋の方か。
拳銃を持って立てこもりとなったら、ニュースになってしまうな。それでも不破さんの安否を確認すべく、私は廊下の角から先の様子を盗み見た。
そこにあった光景は、私が予想していたのとは違うものだった。
血の海に横たわる身体。それは瓜生さんのものではなかった。脳天を打ち抜かれ、仰向けに倒れているのは、夕食の席で聖職者を名乗った赤門さんだった。
銃声に続いた硬い音は、彼が倒れる音だったのだろう。死体の背後から廊下に長く飛び散った赤には、砕けた骨片らしきものが混ざっていた。
死体の傍らには、拳銃を持ったまま腰を抜かしている瓜生さん。立ち尽くしている古田さん。そして、不破さんが部屋から出てきた。
死体があるかもしれない、と覚悟はしていたが、私は思わず息を呑んだ。こちらの方を向いていた瓜生さんがそれに気づき、その様子を見た古田さんも私の方を振り返った。
「……どういうことですか、これは」
見つかってしまった私は、誰にともなく説明を求めながら、姿を晒した。
「僕じゃない」
瓜生さんが言った。彼は銃を両手でつかみ、銃口を空中に向けたまま小刻みに震えていた。銃は警察が持っているような小型のものではなかった。銀色の銃身は長く、全体的にごつごつしていて大きい。こんなものを、一体どこで入手したのだろう。
「こいつが襲ってきたんだ。揉み合いになってるうちに銃が暴発して、それで……」
「とりあえず銃は下ろして。危ないですから。ね?」
私が努めて冷静に言うと、瓜生さんは震える手で銃を下ろした。少しの間、誰もなにも言わなかった。騒いでいないのが、より一層不気味だった。
目論見が外れたらしい古田さんはともかく、不破さんも悲鳴一つ上げなかった。見ればその顔は青白く、放心したように目が虚ろになっている。ショッキングな光景を見たあまり、気絶寸前になっているのかもしれない。
「とにかく――」
「古田さん、動かないで」
口を開きかけた彼を制して、私はぴしゃりと言った。
「真奈加が、私の友達が、古田さんと赤門さんの話を聞いたんです。今夜、瓜生さんを殺すって」
「なんで僕が……」
「理由はとにかく、これ以上変なことをさせるわけにはいきません。おとなしくしてて下さい」
瓜生さんが壁に手をつきながらゆっくりと立ち上がり、私と不破さんとで、古田さんを囲むような形となった。けど、ここからどうしよう。殴って取り押さえればいいのだろうか。
「私、警察呼んできます……」
それまで黙っていた不破さんが、弱々しい声で言った。真奈加が警察を呼んだかどうかは確認できないので、彼女がそうしてくれるのは助かる。古田さんと対峙する人数が減るのは少し心細いが、どのみち不破さんの状態で、荒事に対処するのは難しいだろう。
彼女は我々の間をすり抜けて、一階に向かった。
「ことここに至っては、仕方がありません」
古田さんは目線を落とし、自分の掌を見つめた。そしてゆっくりと目元に手をやり、身に着けていたサングラスを外した。
露わになった瞳は、誰が見たとしても明らかに異常だと感じるものだった。色は深い赤。瞳孔はなく、わずかな黒がいびつな形で、泳ぐように漂っている。そのせいで瞳全体が、揺らめく炎のようにも見えた。
人外の眼。吸血鬼の眼だ。いまさら自分の異形を明かして、この男は一体なにをするつもりなのか。
「説明しましょう。この瓜生という男――」
そのとき、瓜生さんが動いた。銃から手を放し、一足飛びに古田さんへと躍りかかったのだ。武器を捨てたのも意外だったが、私はその俊敏さにも驚いた。銃がごとりと床に落ちるより早く、彼は三メートルあった古田さんまでの距離を詰めていた。
なにかがおかしい。私は本能的にそれを察知して、少し距離を取ったまま身を守る。
急襲された古田さんも油断してはいなかった。見計らったように身体を反転させ、大振りのフックで瓜生さんの頭を打とうとした。しかし瓜生さんは攻撃を受け止め、その腕をしっかりと掴んだ。
「もう少し展開を見たかったのに」
瓜生さんが発したのは、先程までの動揺した様子と正反対の、落ち着いた声だった。口元に笑みさえ浮かべた余裕の態度に、私は警戒の度合いをさらに強めた。
「ダメじゃないか。先にネタばらししちゃあ……」
瓜生の瞳が赤黒く濁る。その全身からは明確な悪意と残忍さが発せられていた。
彼もまた吸血鬼……?
瓜生は古田さんの腕を掴んだ手に力をこめて彼の肉を圧し、骨を砕き始めた。人間の握力ではまずありえない異常な所業だった。古田さんは唸り声を上げながら、もう片方の腕で反撃を試みた。しかしそれも止められ、掴まれる。
瓜生は掴んだ両腕を力任せに外側へと引っ張った。古田さんのスーツがちぎれ、肩関節の外れる嫌な音がした。
そこから瓜生が振りかぶり、手刀で古田さんの胴体を貫くまでは、ほんの一瞬の出来事だった。私は古田さんの背から突き出た、血濡れの指先を見た。そこには二、三センチはありそうな鋭い爪が備えられていた。
「う……」
私は二歩、三歩と後ずさった。古田さんの腹から手が引き抜かれ、空いた穴からぼとぼとと赤黒の臓物が零れ落ちた。
崩れ落ちた執事を一瞥したあと、瓜生は私に目を向けた。若く張りのあった彼の皮膚は今や青白く強張り、首筋や前腕にはミキミキと黒い血管が浮きはじめていた。
赤い目が奇妙に光った。それには人間の本能を縛り上げ、動きを止めてしまうような効果があるように思えた。
「来るなッ!」
私は声を発した。警告というよりも、無理やりにでも息を吐き、自分を叱咤するためのものだった。当然、瓜生は意に介さない。一歩一歩距離を詰めてくる。
逃げるか? しかし階段の上から背中を狙われた場合、回避する術がない。
瓜生の膂力は恐るべきものだが、動きを見た限り格闘技の玄人ではない。一か八か。掴まれたら終わりだ。
彼が間合いに入った瞬間を見計らって、私は鋭く息を吐き、左足を踏み込んだ。それを軸足として身体ごと回転させ、みぞおちに向けた後ろ蹴りを放つ。
モーションが大きいため試合では使いづらい技だが、うまく体重を乗せられれば威力は高い。私の場合、瓜生と同じような体格の人間なら、一撃で戦闘不能にできる自信があった。
しかし突き出した足の裏に響いた感触は、平均的な人体を打ったときのそれとは大きく違っていた。濡れた畳を何枚も重ね、その裏に鉄板を貼りつけたものを蹴っているような気がした。
だが、重さ自体は人間と同じ。瓜生は私の足にわずかな痺れを残し、仰け反って三歩後退した。
「やるじゃない……」
おそらくダメージはさほどないだろう。私も素手であの怪物を殺せるとは思わない。一瞬の隙をついて身を翻し、廊下を駆けて階段に辿り着く。
その場所から見える一階のホールには、二つの人影があった。一つは真奈加。そしてそれを羽交い絞めにしている不破さんだった。
背後からは異形と化した瓜生が迫ってくる。私は館からの逃走が、極めて困難であることを直感した。




