-5- そして銃声が響いた
一階に降りて玄関ホールに向かい、靴を履いて外に出る。暖かく湿った空気と、結露した植物の匂いが雨雲の到来を告げていた。
館の壁沿いに行けば裏庭につくだろう。私はバラとひまわりが咲く前庭から出て、時計回りに館の裏手へと向かった。二階の窓から光が漏れてはいたが、足元は暗い。勝手口のようなものがあるなら、そちらから出るべきだったかもしれない。
一階の部屋は暗いが、無人なのだろうか。ちらりと目を横に向けたとき、私は意外なものを見た。
建物の側面に三つある窓の内、二つが塞がれている。鎧戸が閉められているとかではなく、ベニヤ板が打ち付けられ、完全に封鎖されているのだ。
窓が割れたとしても、こんな風に処置するだろうか? 早めの台風対策だとしても、一部の窓だけ塞ぐのは妙だ。間取りで言うとどの部屋だったか。客室でないのは間違いない。
一体、なんのために? しかし私は考えを深める前に、湧きだした疑心を無理やり打ち消した。そもそもこういう妙な気分を解消するために外までやって来たのだ。私は下草をずんずんと踏みしだいて、封鎖された窓の横を通過する。
玄関のちょうど反対側。館の裏手は、壁に取り付けられた照明で意外に明るかった。前方でこっこっこっ、という鳴き声がする。見ればそこには木材と、半透明の波板と、緑の金網でできた、自作と思しき鶏小屋があった。
近づいて観察すると、それほど大きくはない小屋の中で、六、七羽の鶏が飼われていた。多分前にはもっといて、今日の夕食になったのだろう。
魚を捌くくらいなら私にもできるが、鶏をしめろと言われるとちょっと自信がない。古田さん自身が屠殺から血抜きまでやったのだとすれば、中々気合の入った作業だ。ごちそうさまでした、と私は心の中で手を合わせた。
改めて裏庭全体を眺める。植木に囲まれた芝生の庭は、ほかの場所と比べても特によく手入れされていた。中央には白い金属のテーブルと二つのチェアがあり、座って休めるようになっている。
天気のよい日中はここに腰を下ろし、厨房から持ち出した紅茶などを飲むのだろう。有名作家の全書なんかを読みながらだとさらに優雅だ。ただし今は宵闇に侵され、湿気も相まって、やや不気味な雰囲気が漂っていた。
爽やかな夜風に当たりながら星でも眺めようと思っていたが、これでは少々期待外れだ。それでも私はテーブルにつき、チェアごと館に背を向けてしばしぼんやりした。身体の力を抜き、目を閉じて何度か深呼吸する。
再び目を開けたとき、私はふと正面に、ローズマリーの茂みがあることに気がついた。それだけならなんということもないが、その茂みに半ば埋もれるようにして、白い石のようなものが覗いている。
気になった私は椅子を立ち、それに近づいた。しゃがみこんで手を伸ばし、ローズマリーの葉を除ける。
その白い物体は、標石でも彫刻でもなかった。それは縦横約二十センチ、高さ三十センチほどの直方体で、側面には文字と数字が彫られているようだった。私は指の感覚とスマホの明かりを頼りに、ゆっくりとそれを読んだ。
E、L、L、I、E
エリー、と書かれている。
その下にある数字はハイフンで繋がれた四桁と四桁。これは西暦だ。はじめの四つが今から二十三年前、次の四つが一年前を示していた。
すべてを読み終える前に、私は気づいていた。これは墓碑だ。正式なものではないにせよ、故人の証として建てられたのは間違いなかった。
二十三年前に生まれたエリーは、一年前に死んだ。この墓碑が本物ならば、私たちは既にこの世を去ったエリーの誕生日会に招かれた、ということになる。
ドッキリにしても趣味が悪すぎる。そして私が知るエリーは、こんな不謹慎な悪戯をする人間ではない。
ならばなぜ、誕生日会は開催されたのか。
「あ、いたいた! 由宇子ぉ」
突然、背後にあった勝手口の扉が開かれ、真奈加が現れた。私はいきなり声をかけられて驚き、危うくローズマリーの茂みに倒れ込みそうになった。
「大変、大変」
立ち上がり振り返った私は、なにやら慌てた様子の真奈加が、裸足のまま駆け寄ってくるのを見た。彼女の肩を押さえるような形で受け止め、落ち着かせる。
「ちょっとヤバそうなこと聞いたんだけど」
真奈加は言う。暗くてよく分からないが、顔が青ざめているようにも見える。私もヤバそうなものを見たのだが、まずは彼女の話を聞くことにした。白いチェアに座るよう勧め、二度深呼吸させる。
「なにを聞いたの?」
「それがね」
真奈加は湧き出す感情を抑えるような様子で、慎重に言葉を紡ぐ。
「さっき偶然、客室の……多分赤門さんの……客室の前を通ったんだけど、誰かと話してる声が聞こえたのね」
「うん」
「なんかちょっとサプライズの準備でもしてるのかなって、気になるじゃん」
「盗み聞きしたの?」
「まあ……、でもそれはこの際どうでもよくて」
私は彼女が扉に耳をくっつけ、じっとしているさまを思い浮かべた。
「話してたのは赤門さんと、古田さんだと思う。それで、それで」
「落ち着いて。それで?」
「……今夜、瓜生さんを殺すって」
思わず目尻がひきつった。二人が瓜生さんを殺す算段を立てている? どうして?
私は自分が混乱しているのを感じた。一度にショッキングな情報を受け取り過ぎている。
混乱しているのは真奈加も同じだろう。しかし私も、先程見たことを告げておいた方がいいと考えた。私は彼女に、庭の片隅に墓標があったこと、そこにはエリーの名前と、彼女の生没年が記されていたことを話した。
「うそ。うそうそうそ」
当然、真奈加は大きく動揺した。
「偽物じゃないとは言い切れないけど……。私も正直、色々あり過ぎて考えがまとまらない」
「警察呼んだ方がいい?」
「呼んでもいいけど、なんて説明する?」
まだなにも起こっていない、といえば起こっていない。誕生日会に来たはずが、祝う本人の墓を見つけました。それで警察が動いてくれるだろうか。
密談にしたところで、聞き間違いだと言われればそれまでだ。一度悪戯と断じられてしまったら、後々本当になにか起こった場合、不利になったりはしないだろうか。
「やっぱり、最初からおかしいよ」
真奈加が怯えた様子で言った。
「こんな離島で誕生日会やるのも、エリーがいないのも、あの変な骨のナイフとかも……」
「落ち着いて、落ち着いてよ」
私の肩を掴んで揺さぶる真奈加を、なんとか宥める。
「まず、誰かに相談した方がいいと思う」
私はそう提案した。
「古田さんと赤門さんじゃない方がいい。瓜生さんも……多分やめといたほうがいいと思う。不破さんは冷静そうだし、なにか知ってそうだったから……」
「じゃあ、不破さんに相談しよう」
なにをやるかが決まったことで、真奈加はほんの少し冷静さを取り戻した。根本的な解決法ではないにせよ、多少なりとも有益な情報が得られるかもしれない。単純に頭数を増すだけでも安心感は違う。
そういうわけで、私たちは勝手口から屋内へと戻ることにした。私は靴を手に持ち、真奈加は足についた土を払う。
勝手口を入った先は厨房だった。近代的な改修がなされていて、銀色の調理台や冷蔵庫が照明を反射している。
冷蔵庫。私はふと、そのドアを開いてみたい衝動に駆られた。中にはなにか、この館と住人の異常性を示すものが入っているかもしれない、と感じたのだ。
「由宇子?」
私は大きな冷蔵庫に歩み寄り、両開きのドアに手をかけた。バカッと音がしてそれが開き、冷気が流れ出す。なにごとかと真奈加も寄ってくる。
私はよく整理された冷蔵庫の中身を眺めた。パックの飲料、ハムや鶏肉、種々の乳製品、調味料。このあたりは一般的な家庭の冷蔵庫と変わりない。しかし庫内の一角に、私は瓶に入った赤黒い液体を見つけた。
どろりと粘度のあるそれは、明らかにワインやトマトジュースではない。
「なにかお探しですか」
ホールに繋がる扉から、古田さんが現れた。なんともタイミングの悪いことだ。調査をするなら、見張りぐらいは立てておくべきだった。
どうする? 殴るか? いや、ヤケクソになるのはまだ早い。
「あの、ちょっと喉が渇いちゃって……」
真奈加が言い訳を試みるが、その声からは明らかな動揺が感じられる。
「それは気がつきませんで、申し訳ありませんでした。……どうかされましたか?」
冷蔵庫のドアは開かれたままだ。私が思わず瓶入りのなにかに目をやると、古田さんもそれに気づいたようだった。
「……これ、なんですか」
私は意を決して尋ねた。
「ああ、それは血でございます」
古田さんはあくまでも穏やかな口調で答えた。
「鶏を捌くに出るものです。捨ててしまうのはもったいないので、腸詰でも作ろうかと」
本当だろうか? 私は問い詰めたい気持ちになった。血のことは百歩譲って納得します。でも、あなたはなぜ、エリーが死んだことを黙っているのですか。あなたは今夜、本当に瓜生さんを殺すつもりなのですか。あなたのサングラスの奥には、一体なにがあるのですか。
……あなたは実は、吸血鬼なのではないですか。
私は疑念を持って古田さんを見つめた。私の疑念を、古田さんも感じ取っているようだった。その上で、こちらがどのように出るかを窺っているようにも見えた。
気まずく、緊張に満ちた沈黙が流れた。数分に思えるような数秒が経った。
そして古田さんが口を開いてなにかを言おうとしたとき、館に一発の銃声が響いた。




