-4- 家政婦の憂鬱
私たちは前日に作業をおこなった客間に移動し、三津さんが淹れたコーヒーをすすりながら、彼女から事情を聴くことにした。
「なにから話しましょう」
答えるとは言ったものの、自由度の高い会話に慣れていないらしい彼女はどこか居心地が悪そうだった。もちろん、容易に説明できない事柄だから、というのもあるのだろうが。
「天井裏にはなにがいるんですか?」
「分かりません」
「誠一郎さんはなんで餌をやってるんですか」
「分かりません」
「……ええと」
どうやらすぐに真相解明とはいかないようだ。三津さんも事態を断片的にしか知らないらしい。
ひとまず私は昨晩見たもののことを彼女に話し、こういったことが過去にあったかどうかを尋ねた。
「はじめてそれに気づいたのは、二か月ほど前でした」
三津さんは言葉を選びながら、ようやく意味のある話をはじめた。
「夜の間に食材がなくなるようになったんです。肉や魚があるときは優先的になくなっていましたが、パンや野菜がなくなることもありました。誠一郎様が消費されているものかと思いましたが、どうやらそうではないようでした」
「書庫に痕跡があったんですね?」
「はい。あるとき妙な臭いがしたので調べてみると、書庫の棚の上に腐りかけの野菜を見つけました。冷蔵庫にしまっておいた食材でしたから、猫やネズミが持っていったとは考えませんでした。
それ以降よく確かめるようになりましたが、容器の残骸や、場合によっては食べ残しらしいものが、決まって部屋の一角にある棚の上に残っていました。それから……」
彼女は一度言葉を詰まらせ、再び口を開いた。
「乾いた粘液のようなものがついているのです」
「私も見ました。アレはなんなんですか?」
「分かりません。天井板の一部が外れていて、そこからなにかが出入りしているのだと思います。奥にはスペースがありますが、詳しくは確かめていません。業者に調べてもらうということもしていません」
「別の場所で妙な生き物を見た、ということはないですか」
「ありません」
「誠一郎さんは自分のやったことを覚えてるんでしょうか?」
「覚えていないようです。私はこれまでに二回、いえ三回ほど、誠一郎様が起き出しているのを見たことがあります。はじめてのときお声をかけさせていただきました。意識朦朧といったご様子で心配になりましたので、部屋まで付き添いました。
ただ、翌日に確認してみると、やはり食材はなくなっていたんです。二回目も同じようになりました。その翌日、なにか変わったことはありませんでしたかとご質問してみましたが、心当たりはなさそうでした」
「本人が嘘をついてるかもしれない」
古戸さんが口を挟む。
「そうでないとは断言できません。私は言葉の裏を読み取るのが苦手ですし、必要のないことをあれこれ詮索するのは非礼にあたると考えておりますので、それ以降、真実を確かめるような問いかけをしたことはありません。
今は、食材が不足しないよう余分に用意し、書庫のこまめな清掃をおこなうに留まっています」
「なるほどね。このあたりの事情、君はなにか思うところがあるのかな? 僕らから聞いといてアレだけれど、雇用主のことを僕らに話すのは、君の倫理に違反しないのかな?」
「…………」
たっぷり二十秒ほどの沈黙があった。私はテーブルに置かれたカップを手に取り、冷めつつあるコーヒーを口に含んだ。
「やはり思い起こされるのは六文字様のことです」
彼女はかつて勤めていた館とその主について語る。
「オカルトや魔術といったものの中には、無害なものもあれば、使いようによっては大きな害を及ぼすものもある。館に勤めはじめたころ、私は六文字様からそう教えられました。
楠田様、古戸様は既にご存じかと思いますが、魔術やそれに関わる物品の中には、人の命さえ容易に奪うようなものも存在するのです。明確な目的を持ち、扱い方を知悉していてもなお、安全とは限りません……」
「つまり三津さんは、天井裏にいるのがなにか得体の知れない、危険なものなんじゃないかと心配してるわけだ。それもオカルトや魔術に関わるような」
「はい。私は誠一郎様が、なにか危険なものを、無自覚のうちに解き放ってしまったのではないかと懸念しています。
ですが正直に申しまして、私は怪異に対処する覚悟も、知識も、また職務の範囲を超えて行動を起こす意気地もないのです。ですので、せめて知り得た範囲のことを正直にお話しするべきだと思いました」
それから三津さんは私たちの顔を見据え、それまでよりもはっきりとした声で言った。わずかな眉根の強張りからは、抱いている決意のほどが見て取れる。
「楠田様、古戸様、できる限りで構いませんので、私をお手伝いいただけないでしょうか。天井裏になにがいるかを調べて、それが害を及ぼすものであれば、どうにか駆除する方法を見つけたいと思います」
「なるほど、なるほど。経緯についても、君の考えについてもよく分かった。柔らかい寝床と美味しい食事の礼として、僕として協力するのはやぶさかでない。楠田さんは?」
「私もまあ、構いませんよ。今日は泊まれると考えれば、仕事も急がなくていいですし」
「ありがとうございます」
三津さんは深々と頭を下げた。
「……そういえば、これは関係ないのかもしれませんが」
「うん?」
「たまに、鈴か笛のような音が聞こえるのです。天井裏から。リリリ、リリリと。風の音や家鳴りとは思えません」
私は昨晩寝入る前に聞いた音のことを思い出した。アレは寝入る際に見た夢ではなかったのだ。
それだけではない。もっと深く、記憶の奥底から蘇ってくるものがある。それほど遠くはない過去に、似たような音を聞いた経験はなかったか? 思い出したくはない思い出の中に、似たような――
「よし」
古戸さんが両手をパンと打ち合わせる。
「仕事を早めに片付けて、調べてみよう。これは中々面白そうだ」
追想から覚めた私は、持ったままだったカップの中身を飲み干してから、浮ついた様子の彼に、遊びじゃないですからねと釘を刺した。
そして午後一時の少し前、なんとか二百冊をやっつけた私たちは、再び天井裏の存在に思いを巡らせていた。
「実際に姿を見てみたいけど、どこから入れるかな」
「天井裏に入るんですか?」
「うん。書庫のあそこからでいいかな。もう板も外れてるみたいだし」
「おびき出す方が安全だと思いますけど」
「そこはほら、飼い主の手からじゃないと食べないかもしれない」
話を聞く限りどうも肉食らしいので、あまり近づきたくはないのだが……。
「でもそうなると、さすがに家主に許可を取らないといけないね。事情を話すことにもなるけれど、三津さんができないなら僕らがやるしかない」
分厚い古書を段ボールに詰めてから、古戸さんは手についた埃を払った。昨日今日と使っていた客間には、現時点でざっと二十箱の段ボールが積み重なっている。出すところに出せば十億円というような品は流石になかったが、中には十数万円の価格がつく稀覯本も含まれている。
作業をひと段落させた私たちは、少しして昼食に呼ばれた。食堂の窓から外に目を遣れば、灰色の空からはチラチラと雪が舞いはじめている。
本日の献立は、ホタテとほうれん草のクリームパスタ。
「片倉さん、先ほど三津さんからお話を聞いたんですがね」
「はいはい、なんでしょう」
先ほどの話を、改めて古戸さんが口にする。夜間の行動に話が及んだとき、誠一郎の顔に驚きが浮かんだのはもちろんだが、それとはまた別の、得心したような様子があったのを私は見逃さなかった。
「三津さん、もっと早く言ってくれればよかったのに」
「申し訳ありません」
「いや、責めてるわけじゃないんだよ。けどそう言われてみれば、おぼろげに覚えているようないないような……」
「ほかにも心当たりがありますか」
あるだろう、というような口調で私は言った。
「正直に言うと、ある。あるんですよ。食事のあとで話しましょうか」
気づけば、テーブルのパスタはすっかり冷めていた。




