-2- 蔵書
片倉邸には書庫がある。滴水古書堂と同じく、丸々一部屋が蔵書の保管場所として使われているのだ。当然ながら本の数も膨大。一見した古戸さんが思わず声を出すほどの量だった。
「おっと……、これは中々の大仕事になりそうだなあ。段ボール、もっと持ってくればよかったね」
棚に収められた本は分厚い壁を成し、沈黙の内に私たちを見下ろしている。数百冊までは覚悟していたが、どう見積もっても千冊以上、もしかすると二千冊に届くかもしれない。一冊三十秒で値付けするとしても、到底一日で終わる量ではない。
とはいえ非常にありがたいことに、清掃と整頓と分類はほぼ完璧だった。これが埃っぽく、触れば崩れそうな本の山だったなら、かかる時間は二倍か三倍にもなってしまう。
蔵書の数は予想以上だったが、気圧されていては古本屋の名折れ。私たちは早速作業に取りかかった。書庫の隣にある客間の一つを作業スペースとして確保してもらい、まずは一箱分の本を運び込み、ノートパソコンと表計算ソフトで目録を作っていく。
値段を決めるのはもっぱら古戸さん。とはいえ一年の経験で、私にもなんとなくの基準が分かってきていた。
滴水古書堂は個人から本を買い取るほか、古書組合の交換会に顔を出して仕入れをすることもある。その際こちらからも出品するのだが、どの古書店がどのジャンルのものをどれくらいで買ってくれそうか、という見当がつかなければうまく在庫を処分することができない。
逆に言うと、その見当をつけられれば、将来の売り物になる本の買取価格も計算できるのだ。
それはそれとして片倉邸のラインナップ。古戸さんの表情からすると、興味を引かれるものが少なからずあるようだった。
「曾祖父さまは外交官、お祖父さまは帝国陸軍の情報将校をされていたとお聞きしました。そのころからの蔵書もあるようです」
客間にコーヒーを運んできてくれた三津さんが言った。
「アメリカかな?」
「そう聞いております」
さらに話を聞いてみると、大体二十世紀初頭から第二次大戦前ごろに蒐集されたものが多いようだ。本自体はもっと古い時代に発行されたものもある。
「ネクロノミコンのファンだったんだね。〝ナコト写本〟に関連するものもある」
「ナコト写本っていうのも魔導書ですか」
私は尋ねた。
「魔導書というより資料の方が近いかな。人類勃興以前の知的存在によって書かれたとされている」
「はあ」
ロマン溢れる設定だ。本当かどうかはともかく。
書庫には流石にネクロノミコンやナコト写本そのものがあるわけではない。集められていたのは、それに関連する、あるいは内容を引用した書籍、個人的な研究と思われるノート、手記、書簡、等々。価値があるのかないのか分からないような品々も沢山見つかった。
「こういうのも引き取るんですか」
「いくつかは無価値だけど、個人的に欲しいものもあるね」
このあたりになると、私にはまだ理解できない――そもそもすべきでないかもしれない――領域になってくる。
「どんどん進めましょうか、とりあえず」
作業をはじめたのが午前十時半。正午までにひとまず百冊をやっつけたが、まだまだ先は長そうだ。
誠一郎さんの厚意により提供された昼食は、三津さんの作ったホットサンドだった。以前も口にした記憶がある。どうやら彼女の得意料理らしい。
食後、私は客間で昼寝を決め込んだ古戸さんを放置し、リビングにやってきた。栗色の皮張りソファに腰を下ろし、午前中の作業で凝った身体をぐっと伸ばす。
「お疲れ様です」
そこに現れたのは誠一郎さんだった。どうやら彼はこの南向きのリビングで、長い時間を過ごす習慣があるようだった。
一人で居るには広い部屋、広い邸宅。奥さんとは別れてしまったか、先立たれてしまったか。情景としては寂しげだが、思い出のある馴染みの空間でゆっくりするのが、彼の安らぎであるのかもしれない。
「進捗はいかがでしょう」
「全体から言うと、まだまだですね」
「楠田さんはもう長いんですか? この仕事」
「ようやく一年になったところです」
「私も何件か付き合いがありますけど、古本屋っていうのは素敵なお仕事ですねえ。それを若くて凛とした女性がやるのも、情緒があっていいじゃないですか」
屈託のないコメントに若干照れ臭さを感じつつも、適当に相槌を打つ。誠一郎さんのイメージは若干誇張されている可能性があるにせよ、普通の古本屋はきっとそれなりに情緒があって素敵な仕事なのだろう。
「もともとすごく関心があるってわけじゃなかったんですが、その、ふとしたきっかけで働くようになって」
「ははあ。私も最初はそれほど興味がなかったんですが、やっぱり祖父さんとか親父の影響でね。本は普通の人間にも別の世界を開いてくれるでしょう? 実際に開いてみなくても、それが本に詰まってると考えるだけで楽しい」
「そういうものですか」
「私にとっては」
ある意味では私にとっても、本が異世界への入口となることがある。異世界というか異界というか、名状しがたき宇宙というか。
「まあ、本体はほとんど三島市を出ないんだけどね」
ははは、と誠一郎さんは笑う。
世間話をするうち、胃の中で昼食がこなれてきたのを感じた私は、そろそろ作業を再開しますと言い置いて、リビングから作業場となる客間へ戻った。
昼寝していたはずの古戸さんがいないので、そのまま書庫を覗く。すると彼は部屋の中で脚立に登り、天井の木目をじっと眺めているところだった。
「隠し部屋でも探してるんですか?」
「いや、なんか変な音がしてさ、滅茶苦茶でかいナメクジでもいるのかなって」
「アマゾンの奥地じゃないんですから。ネズミとかハクビシンとかじゃないんですか」
「うーん。もっと大きいと思うんだよなあ」
「いいから、作業はじめましょうよ」
古戸さんはなにが気になったのか、また少しの間天井を見つめたあと、危なっかしい足取りで脚立を降りた。
結局、その日に片付けられたのは五百冊。極力手間を省き、効率を重視したにも関わらず、全体の三割ほどしか終わらなかった。私たちは少々の準備不足を認めつつ、まずは査定の済んだ分を目録とともに保管しておき、残りの作業はまた後日にやろうと決めた。
「どうもあと二日ぐらいはかかりそうな計算です」
古戸さんは作業の目途をそのように報告した。
「構いませんよ。そう急ぐものでもないですから。泊まるなら客間を使ってもらっても」
「へえ。じゃあ今度来るときは、お言葉に甘えちゃおうかな」
誠一郎さん自身、客人のいる状態を望んでいるように思えた。寝起きの姿を見られるのは少々気恥ずかしいが、私一人でホテルに泊まるとも言いだしづらい。食事とメイドつきの宿だと割り切れば、多少は寛げるだろうか。
そんなわけで私たちは再訪を約し、この日は片倉邸をあとにした。
*
私たちが再び片倉邸を訪れたのは、翌週月曜のことだった。作業開始までのスケジュールや手順は前回とほぼ同じ。しかし今度は長丁場を想定し、大量の段ボール箱を含めた若干の物資を持ち込んだ。
午前二時間、昼過ぎに二時間、若干の休憩を挟んで二時間、最後のひと頑張りで一時間。作業が長くなるにつれ効率は低下し、二日目終了時点で進捗はまだ七割。
当然のことながら箱の数はライトバンに積み込めないほどになったので、売るものと売らないものを分類した上で、宅配便の手配をしておいた。
店舗でのぬるい労働に慣れた私は、終日の作業で流石にぐったりしていた。しかしこの調子で進めば、なんとか明日には帰れるだろう。
三津さんの手料理を食べ、リビングで身を休める。テレビから流れる天気予報は、明日の午前中から夜にかけての大雪を告げていた。




