審査会
源さんの家を壊すかどうかは、五人の大人が、一時間で決める。
それが、市の「危険迷宮建物審査会」だった。
取り壊しまで、あと十二日。
◇
話は、種を抜いた日の夜にさかのぼる。
ヨルが連れてきた「年寄り」は、わたしの膝くらいの背丈しかなかった。
白いひげが、地面につきそうなほど長い。煤けた作業着のようなものを着て、手は大きく、爪は黒い。ずんぐりした体つきは、どこか、もぐらに似ていた。
土の匂いがした。
「モグじゃ」
ヨルが紹介すると、モグさんは、わたしをじろりと見上げた。
「人間の娘か。ふん」
「は、はじめまして」
「下水道は湿気が多くてかなわん。……で、家はどこだ」
気難しい、とヨルは言っていた。
本当だった。
源さんの家の地下に下りると、モグさんは、わたしたちには目もくれず、迷宮の壁という壁を、手のひらで叩いて回った。
最後に、通し柱の真下で立ち止まった。
天井を、長いこと見上げていた。
「いい柱だ」
ぼそりと、言った。
「人間の大工にしちゃあ、上等だ。……住んでやる」
その瞬間だった。
わたしの目の前で、青い線が、動き始めた。
でたらめに曲がっていた廊下が、すうっと、まっすぐに伸びる。
扉のなかった部屋に、扉がつく。宙で終わっていた階段が、下の層にきちんと着く。
間取りが、整っていく。
わたしは、夢中でペンを走らせた。
初めて、源田邸の迷宮を、最後まで描き切った。
ノートの左のページには、種を抜く前の、途切れた線の図面。
右のページには、整った図面。
同じ家の、二枚の間取り図だった。
◇
審査会は、市役所の第三会議室で開かれた。
正面の長机に、審査委員が五人。市の建築指導課長、建築士、大学の先生、消防の人、自治会連合会の会長さん。
その横の小さな机に、事務局として、宇佐美さんが座っていた。
傍聴席には、タエさん、源さん、春日さん一家、近所の人たちが十人ほど。
委員席の横に、もう一つ、机があった。
三倉都市開発。
篠宮さんが、資料を揃えて座っていた。
「三倉都市開発は、市との協定に基づき、危険迷宮建物の解体と、跡地の取得を請け負っております」
篠宮さんは、立ち上がって一礼した。
「また当社は、市に『湧き予測』の情報を提供しております。本件の建物についても、四月二十八日に湧出すると予測しておりました。予測どおりです」
委員の何人かが、感心したようにうなずいた。
わたしは、膝の上で、ノートを握りしめた。
予測どおり。
あの赤丸の地図は、市に出す予測の、社内用の地図だったのだ。
予測が当たるのは、当たり前だった。
自分で、種を埋めているのだから。
でも、今それを言っても、証拠はない。
種に巻きついていたテープ一本で、大きな会社を訴えることはできない。
今日、守るべきなのは、源さんの家だ。
「当日の計測値、魔物の暴走、床の抜け落ち。いずれも、取り壊しの基準を満たしています」
篠宮さんは、手元の紙を一枚めくった。
「当社の査定では、資産価値はゼロ。解体が、所有者にとっても最善の選択です」
委員長の建築指導課長が、うなずいた。
「では、所有者側から、意見を」
タエさんが、わたしの背中を押した。
わたしは、立ち上がった。
「ひだまり不動産の、柚木です」
声が、裏返った。
委員の一人が、手元の資料をめくった。
「あなたは、宅建士ですか」
「……いいえ」
「スキルは」
「《間取り》です。E判定です」
小さな笑いが、委員席のどこかで漏れた。
わたしは、ノートを開いて、長机の上に置いた。
左右の二枚の図面が、委員たちに見えるように。
「左が、四月二十八日の夜の、源田邸の地下です。右が、今の地下です」
「手描き、ですか」
「はい」
「手描きの図面では、根拠に……」
「見てください」
言葉が、勝手に前に出た。
「左の図面は、廊下がねじれて、自分にぶつかってます。扉のない部屋があって、どこにも着かない階段があります。でも、右の図面は、廊下が全部まっすぐです。部屋には全部、扉があります。階段は、ちゃんと下の層に着いてます」
息を吸う。
「廊下っていうのは、人が歩く順番に曲がるものです。家っていうのは、そういうふうに、ちゃんと筋が通ってるものです。右の図面は、筋が通ってます。この迷宮は、もう荒れていません。家になってます」
会議室が、しんとした。
「……でたらめな線を、整った線に描き直しただけでは」
大学の先生が、首をかしげた。
「現地を、確認しませんか」
事務局の席から、声がした。
宇佐美さんだった。
「審査会規則の第十二条で、委員の過半数の同意があれば、審査の途中で現地を確認できます。現場は、ここから車で十分です」
宇佐美さんは、わたしのほうを見なかった。
手元の黒い計器を、静かに机に置いただけだった。
◇
三十分後、委員の五人と宇佐美さんは、源さんの家の地下にいた。
苔が、やわらかい白い光を放っていた。
廊下はまっすぐで、床は平らで、壁から土はこぼれていなかった。
宇佐美さんが、計器を構えた。
針は、ほとんど動かなかった。
「迷宮の安定度、基準値の範囲内です」
宇佐美さんの声が、少しだけ高くなった。
「四月二十八日の計測値の、十分の一以下です」
委員たちが、顔を見合わせた。
わたしは、目を細めていた。
廊下の突き当たり。わたしが描いた右の図面にも、まだ描いていない場所がある。
線で囲まれているのに、中身のない、四角い空白。
種を抜いた夜、右の図面を描いたときには、なかった空白だった。
「すみません。あの奥の壁、押してもいいですか」
委員長が、戸惑いながらうなずいた。
黒須さんが、壁を押した。
ふわりと、木の香りがした。
壁の向こうは、小さな部屋だった。
真ん中に、ぶ厚い一枚板の作業台。壁には、道具を掛けるための木の釘が、等間隔にずらりと並んでいる。
床には、まだ新しい木くずが、うっすらと積もっていた。
作業場だった。
大工の。
「……なんだ、これは」
源さんが、委員たちをかき分けて前に出た。
作業台の縁を、指でなぞる。木の釘の一本一本を、確かめるように触れていく。
釘の数は、源さんの道具箱に入っている道具の数と、ちょうど同じだった。
モグさんの姿は、どこにもなかった。
でも、たぶん、どこかで見ているのだろうと思った。
二週間で、こんな部屋を作ってしまうような、腕のいい年寄りなのだから。
源さんの肩が、震えていた。
「家は……」
源さんは、作業台に両手をついた。
「家は、住む人がいれば直せる。……昔、同じ現場にいたやつの、口癖だ」
心臓が、どくんと鳴った。
その言葉を、わたしは知っている。
十二年前、崩されていく家の前で、父が言った言葉だ。
聞き返そうとした。
でも、源さんは、作業台に額をつけて、声を殺して泣いていた。
わたしは、聞けなかった。
◇
審査会は、その場で再開された。
五人のうち、四人が手を挙げた。
危険迷宮建物の指定は、取り消された。
地上に戻ると、規制線の外で待っていた近所の人たちから、拍手が起きた。
春日さんちの陽太くんが、いちばん大きな音で手を叩いていた。
源さんは、松の木の下で、タエさんに背中を叩かれていた。
篠宮さんは、少し離れたところに立って、源さんの家を見ていた。
スキルを使っている顔だった。
「……八百万円」
篠宮さんは、だれにともなく言った。
「ゼロ円だった家が、八百万円になっている」
それから、わたしに向き直った。
「数字は、嘘をつきません」
悔しそうでも、怒っているようでもなかった。
「今日の数字も」
篠宮さんは、軽く頭を下げて、背を向けた。
その先に、もう一人、男の人が立っていた。
五十代半ば。仕立てのいいグレーのスーツ。銀の社章。
審査会の傍聴席の、いちばん後ろの列に座っていた人だ。
「三倉都市開発の、三倉です」
男の人は、わたしに名刺を差し出した。
専務取締役、三倉恭一郎。
「見事でした、柚木さん。あなたを手放したのは、当社の判断の誤りだったかもしれない」
穏やかな声だった。
穏やかすぎて、背中が冷えた。
「ですが、当社の予測では、本町ではこれから、あと十七軒が湧きます」
三倉専務は、駅の南側の家並みを、ゆっくりと見渡した。
「来年の春には、本町は、更地になっているでしょう。皆さんの、安全のために」
わたしは、ノートの赤丸を思い出していた。
十八個あった赤丸。
そのうちの一つが、源さんの家だった。
十七。
あの地図の、残りの赤丸の数と、同じだった。




