でたらめな間取り
その家の間取りは、描けなかった。
ペンで線を引いても、引いても、つながらない。
図面が、目の前で、勝手に書き換わっていくのだ。
◇
三丁目の角には、赤い光がいくつも回っていた。
消防車が一台。パトカーが一台。
規制線の外に、パジャマの上に上着をはおった近所の人たちが集まっている。
「やっぱり、湧き物件は危ないんだよ」
「うちの近くにも、四丁目に越してきた家族がいるだろう。温泉だなんだって、浮かれて」
ひそひそ声が、耳に刺さった。
夕方、SNSで「住みたい」と書いていた人たちと、たぶん、同じくらいの数の人たちだった。
人垣の端で、スマホのカメラを構えている男の人がいた。
紺のスーツ。こんな夜中に。
篠宮さんだった。
篠宮さんは、地割れと家を、何枚も、淡々と撮っていた。
わたしに気づくと、小さく会釈をして、また撮影に戻った。
どうして、こんなに早く、ここにいるのだろう。
あの家の前庭に、地割れが走っていた。
朝、松の枝が落ちていたあたりから、縁側の下へ。割れ目の奥から、低い唸りのような音がする。
「源さん! いいから離れな!」
タエさんの声がした。
規制線のすぐ内側に、朝のおじいさんが立っていた。
頭のタオルはなく、白い髪が逆立っている。
「道具が中にあるんだ」
「道具なんか、また買えばいいだろ!」
「買えるか。五十年使った鉋だぞ」
源田源治さん。三丁目で一人暮らしをしている、元大工さん。
タエさんとは、四十年来の知り合いだと、後で聞いた。
「黒須」
「はい」
いつの間にか、黒須さんが隣にいた。作業着に、ヘルメット。手には、刃のついたモップ。
「道具箱だけ、取ってこられるかい」
「場所が分かれば」
源さんが、家の奥を指さした。
「一階の奥の、作業部屋だ。床の間の横」
「ひかり」
タエさんが、わたしを見た。
言われる前に、わたしは目を細めていた。
◇
青い線が、重なった。
地上の家は、まだしっかりしていた。柱も、梁も、壁も、まっすぐ立っている。大工さんが自分で建てた家だと、ひと目で分かる。無駄のない、きれいな間取り。
でも、その下は。
思わず、口を押さえた。
地下に、迷宮が湧いていた。
でも、それは、ヨルの家の地下とはまるで違っていた。
廊下が、途中でねじれて、自分自身にぶつかっている。
扉のない部屋がある。部屋のない扉がある。
階段が、どこにも着かないまま、宙で終わっている。
そして、線が、動いていた。
まばたきするたびに、廊下が一本消えて、別の場所に一本生える。
部屋が膨らんで、隣の部屋を押しつぶす。
わたしは、ノートを出した。
描こうとした。
描けなかった。
一本目の線を引き終わる前に、その廊下はもう、そこになかった。
「柚木さん」
黒須さんの声で、我に返った。
「通れる道を」
「……一階は、大丈夫です。でも、床下の真下で、迷宮が動いてます。作業部屋の床の、北側の半分は、下が空洞です。南側の壁ぞいを歩いてください」
「南の壁ぞい」
「それと、柱です」
青い線の中に、赤黒い点が、いくつも群がっていた。
柱の根元に、取りついている。
「石喰いが、基礎をかじってます。東の通し柱が、いちばん危ない」
黒須さんは、うなずいて、地割れをまたいで家に入っていった。
わたしは規制線の際に立って、声を張った。
「玄関から、まっすぐ。左に曲がって」
ガラスの割れる音。キイ、という鳴き声。
苔ネズミだ。でも、鳴き声がいつもと違う。高くて、とがっていて、止まらない。
「床、北側に寄らないで!」
鈍い音がして、黒須さんの返事が聞こえた。
「清掃中です」
しばらくして、黒須さんが出てきた。
片手に、使い込まれた木の道具箱。もう片方の手で、モップの刃についた何かを、地面にこすりつけている。
苔ネズミの目は、赤く光っていた。
いつもの、ぼんやりした灰色の目ではなかった。
「暴れてます」
黒須さんは、短く言った。
「三か所で、床が抜けました。あの中には、もう入らないほうがいい」
源さんが、道具箱を受け取った。
ふたを開けて、中の鉋に手を触れて、それから何も言わずに、ふたを閉じた。
◇
「あれは、種じゃ」
すぐ後ろで、声がした。
ヨルが、パーカーのフードを深くかぶって立っていた。
金色の目が、地割れを見ている。
「たね?」
「主のおらん、迷宮のかけらじゃ」
ヨルは、ひどく嫌なものを見る顔をしていた。
「迷宮は家じゃと言うたな。家には主がおる。主が、廊下をまっすぐにし、部屋に扉をつけ、魔物を静かにさせる。家を、家の形にまとめておる」
「じゃあ、主がいないと」
「だれも、まとめぬ」
ヨルは、ねじれた地下を見通すように、目を細めた。
「だから、ああなる。廊下はでたらめに伸び、魔物は暴れ、いずれ、上の家ごと崩れる」
「でも、どうして主のいない迷宮が、ここに」
「湧きは、本来、主と一緒に生まれるものじゃ。主のおらん迷宮が、自分から湧くことはない」
ヨルは、わたしを見上げた。
「だれかが、種を埋めたのじゃ」
背中が、冷たくなった。
三丁目の角。四月二十八日。
篠宮さんの地図。
湧きの予定なんて、分かるはずがない。
――埋めた人間でなければ。
◇
夜中の十二時を過ぎて、白いワゴン車が着いた。
横腹に「柳瀬市 迷宮対策課」の文字。
降りてきたのは、作業服にヘルメットの女の人だった。三十代半ば。手に、黒い計器のようなものを持っている。
「迷宮対策課の、宇佐美です。所有者の方は」
源さんが、黙って手を上げた。
宇佐美さんは、地割れの前で計器を構えた。
針が、右に振り切れた。
宇佐美さんは、しばらく針を見つめていた。
それから、手元のバインダーに何かを書き込み、一枚の紙を切り離した。
「源田源治さん」
声は、事務的だった。
でも、紙を差し出す手は、少しだけためらっていた。
「この建物を、危険迷宮建物に指定します。緊急指定です。本日から立ち入りを禁止します」
源さんは、紙を受け取らなかった。
かわりに、タエさんが受け取った。
わたしは、横から紙をのぞき込んだ。
いちばん下に、太い字で書かれていた。
取り壊しまで、三十日。




