↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
4/28

相続会議の内見

「この家、五十万円で売ってしまおうと思うんです」


 お姉さんのほうが、そう言って、茶の間の畳に目を落とした。

 テーブルの向こうでは、篠宮さんが、売買契約書の束をそろえていた。




◇




 本町二丁目。木造二階建て。

 この家に一人で住んでいた高梨ふみさんは、この冬、八十八歳で亡くなった。


 相続したのは、二人の娘さんだ。

 姉の高梨千秋さんと、妹の野々村夏美さん。二人とも、もう別の町に家庭がある。


 家は、五年前に湧いた湧き物件だった。


「母が、タエさんにはお世話になったから。売る前に一度、見てもらいなさいって、親戚に言われて」


 夏美さんが、申し訳なさそうに言った。

 つまり、わたしは「売る前に一度見た」という手続きのために来たのだ。タエさんの代わりに。


「三倉さんからは、五十万円でと言われていて」


「解体費は当社が持ちます。お二人の手元に、五十万円が残ります」


 篠宮さんが、淡々と補った。


「ほかに買い手は、まず見つかりません。湧き物件ですから」


 千秋さんが、小さくうなずいた。

 今度、篠宮さんに会ったら言い返そう。そう思っていた言葉は、一つも出てこなかった。


 茶の間の壁に、カレンダーが掛かっていた。

 去年の十二月のまま、めくられていない。

 台所の窓辺には、空の植木鉢が三つ並び、冷蔵庫には、町内会のごみ当番の表が、マグネットで留めてあった。


 ふみさんが、ついこのあいだまで、ここで暮らしていた家だ。


「篠宮さん」


「はい」


「解体したあと、この土地は、どうするんですか」


「当社で更地にして、まとめて再開発します。この一帯は、駅から近いので」


「まとめて、ですか」


「ええ。一軒ずつ古い家が残っているより、そのほうが、町のためになります」


 篠宮さんの答えに、迷いはなかった。

 本気でそう思っている人の、声だった。


 わたしは、篠宮さんの鞄を見た。

 あの中に、まだ、赤丸の地図が入っているのだろうか。


「……あの、地下を見せていただいても、いいですか」


 篠宮さんが、ちらりと腕時計を見た。


「どうぞ。十分で済むなら」


 十分で済ませる気は、なかった。




◇




 地下への入り口は、二階の押し入れの床にあった。


 階段を下りると、黒須さんが先に「清掃」を済ませて待っていた。苔ネズミが二匹。いつもどおりの、小さな湧きだ。


 一層だけのダンジョン。

 短い通路の両側に、小さな部屋が三つ。どれも四畳半くらいの、何もない岩の部屋だった。


「ご覧のとおりです」


 後ろから下りてきた篠宮さんが言った。


「何もありません」


 わたしは目を細めた。

 青い線が、視界に重なっていく。


 通路。三つの部屋。

 三つとも、奥の壁が、少しだけ手前にある。


 部屋の形に、違和感があった。

 四畳半なら、奥行きはもう少し深いはずだ。三つの部屋が、どれも同じだけ、奥を削られている。


 削られた分を足すと、どうなるか。


 図面の上で、線をつなぐ。

 三つの部屋の奥に、細長い部屋が、ちょうど一つ入る。


「篠宮さん。この三部屋、奥行きがそろって四十五センチ浅いんです」


「それが?」


「四十五センチは、本棚の奥行きです」


 篠宮さんが、黙った。


「三つの部屋の奥に、本棚を並べた細長い部屋がある。奥の部屋に入るなら、入り口はたぶん、真ん中の部屋の――」


 黒須さんが、もう真ん中の部屋の奥の壁に、手を当てていた。


「ここですか」


「はい。そこです」


 黒須さんが押すと、岩の壁が、横に滑った。


 ひやりとした、乾いた空気が流れてきた。

 古い紙の匂いがした。




◇




 細長い部屋の壁は、一面、岩を削った棚になっていた。


 棚には、物が並んでいた。


 片方だけの手袋。ボタン。ビー玉。錆びた鍵。折り紙の鶴。黄ばんだ年賀状。耳の取れたうさぎのぬいぐるみ。

 それから、いちばん奥の棚に、背表紙のそろった大学ノートが、ずらりと。


「……なに、これ」


 千秋さんの声がした。

 いつの間にか、姉妹も地下に下りてきていた。


 千秋さんが、棚の一つに手を伸ばした。

 小さな、赤い毛糸の手袋。


「これ、私の」


 千秋さんの指が、震えていた。


「小学二年のとき、なくしたの。母が編んでくれたやつで、片方なくして、泣いて、母に怒られて……」


「お姉ちゃん、これ」


 夏美さんが、ビー玉を一つ、手のひらに載せていた。

 中に、青いねじれ模様が入っている。


「私が、床下に落としたやつだ」


 黒須さんが、ぽつりと言った。


「床下に落ちた物が、流れてきたのかもしれません」


 本当に、そうだろうか。


 床下に落ちた物が、迷宮の中を流れて、この部屋に集まった。

 それなら、棚の上で、こんなふうに並ぶはずがない。

 手袋は手袋どうし、ビー玉はビー玉どうし。年賀状は、年の順に。


 だれかが、並べたのだ。


 わたしは、ヨルの言葉を思い出していた。


 主は、客を待つ。だから、客間を作る。


 この家の主は、家族がなくした物を、拾っておいてくれたのだ。

 いつか、取りに来るだろうと思って。


 夏美さんが、奥の棚の大学ノートを一冊、抜き出した。

 表紙に、丸い字で「日記 ふみ」とある。


「母の日記……。去年の分が、どこにもなかったの。遺品整理のとき、ずっと探してたのに」


 夏美さんが、最後のページを開いた。

 二人で、のぞき込んだ。


 しばらく、だれも何も言わなかった。


 やがて千秋さんが、声に出して読んだ。


「――家の下に、だれかいる気がする。怖くはない。なくし物が、ときどき戻ってくるから」


 千秋さんの声が、そこで一度、止まった。


「――私がいなくなっても、この家には、だれかに住んでほしい」




◇




 茶の間に戻ると、姉妹は長いこと、日記を挟んで話し合っていた。

 篠宮さんは、売買契約書を手にしたまま、黙って待っていた。


「柚木さん」


 千秋さんが、顔を上げた。


「この家、貸すことはできますか。ひだまり不動産さんで」


「……はい。できます」


「売るのは、やめます。母の、最後の頼みなので」


 夏美さんが、うなずいた。


 篠宮さんは、契約書を静かに鞄にしまった。


「感情で判断されると、あとで後悔されることが多いのですが」


「後悔しても、いいです」


 千秋さんが、赤い手袋を握ったまま言った。


「五十万円より、こっちのほうが、ずっと高いから」


 篠宮さんは、何も言わなかった。

 かわりに、茶の間を見回した。

 古い柱。日に焼けた畳。地下へ続く押し入れ。


 篠宮さんの目が、かすかに見開かれた。


 スキルを使っている顔だ、と分かった。

 何かの数字を、見ている。


「……おかしいな」


 篠宮さんが、だれにともなくつぶやいた。


「五十万円、じゃない」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。