↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/28

資産価値ゼロ円

「査定額は、ゼロ円です」


 紺のスーツの男の人は、春日さんの家の写真を指さして、そう言った。

 契約書にハンコを押す、ほんの五分前のことだった。




◇




 その日の午後、ひだまり不動産の小さな応接テーブルには、春日さん一家が並んでいた。

 健一さんと美咲さん。陽太くんと結菜ちゃんは、事務所の隅でタエさんにもらった飴をなめている。湊くんは、ベビーカーで眠っていた。


「では、重要事項の説明をします」


 タエさんが、老眼鏡をかけ直した。

 宅建士証を胸の前に掲げる。重要事項説明は、宅建士にしかできない。わたしは、お茶を出すだけだ。


「本物件は、迷宮湧出建物の取引に関する特別措置法、いわゆる湧き法に定める『湧き物件』に当たります。地下に迷宮があることを、ここでお伝えします」


 タエさんの声は、いつもより低くて、ゆっくりだった。


「迷宮の管理は、三か月に一度、探索者資格を持つ者が行います。費用は家賃に含まれます。管理を怠った場合、市が危険迷宮建物に指定し、取り壊しを命じることがあります」


 美咲さんの手が、膝の上で小さく握られた。


「当社は、管理を怠ったことは、四十五年で一度もありません」


 タエさんが、ほんの少しだけ笑った。

 美咲さんの手が、ほどけた。


 ああ、と思った。

 これが、宅建士の仕事なんだ。


 書類の読み上げじゃない。

 この人に任せていい、と思ってもらうための時間なんだ。


 そのとき、ガラス戸のベルが鳴った。


「失礼します」


 入ってきたのは、三十歳くらいの男の人だった。

 紺のスーツに、銀の社章。社章の形には、見覚えがあった。


 三倉都市開発。


「管理会社のひだまり不動産さんですね。四丁目の物件の所有者、島田様に、当社から買い取りのご提案をお持ちしました」


 男の人は、応接テーブルの春日さんたちに気づくと、軽く頭を下げた。


「ご契約中でしたか。お邪魔して申し訳ありません。ですが、ちょうどいい。入居される方にも、知っておいていただいたほうがいいでしょう」


 男の人は、テーブルの上の物件資料の写真を、指先で軽く叩いた。


「昨日、外から拝見しました。私のスキルで」


 そして、言ったのだ。


「査定額は、ゼロ円です」


 事務所が、静かになった。


「湧き物件には、国の評価基準で『迷宮控除』がかかります。地下が湧いた時点で、土地と建物の価値は、ほぼゼロになる。解体費を引けば、マイナス三百万円です。当社なら、二百万円で引き取ります」


「……取り壊すんですか」


 健一さんの声が、かすれた。


「いずれは、どの湧き物件もそうなります。皆さんの安全のためです」


 男の人の言い方は、丁寧だった。

 丁寧なぶん、反論のしようがなかった。


 それから男の人は、お茶のお盆を持ったまま固まっているわたしに、目を留めた。


「……柚木さん?」


「ご無沙汰しています、篠宮さん」


 三倉都市開発、用地取得部の、篠宮透さん。

 半年前、わたしの内定取り消しの面談をした人だ。


「E判定の。こちらにいらしたんですね」


 篠宮さんの声には、嘲りも同情もなかった。

 事実を確認しているだけ、という声だった。


「建物の間取りが分かるだけのスキルでは、うちの仕事にはなりませんでした。失礼ですが、ここでも同じでは」


 言い返したかった。

 言い返す言葉を探して、口から出たのは、これだけだった。


「あの家には、温泉があります」


「存じています。温泉付きの湧き物件です」


 篠宮さんは、まばたきもしなかった。


「査定は変わりません。湧き物件の価値は、地下の中身では決まらない。湧いたかどうか、それだけです」


 お盆の上で、湯のみが小さく鳴った。


 ガタン、と椅子の音がした。

 タエさんが立ち上がっていた。


「島田さんには、伝えとくよ」


「ありがとうございます」


「返事は、分かってるけどね」


 タエさんは台所に消え、すぐに戻ってきた。

 手には、食卓塩の瓶。


「ひかり、戸、開けて」


「え、あの、それは」


「開けて」


 篠宮さんは、塩の瓶を見て、ほんのわずかに眉を動かした。

 それから、春日さんたちに丁寧に一礼して、くるりと背を向けた。


 ガラス戸に向かうその足に、陽太くんが走っていった。

 飴の袋を落として、拾いに行こうとしたのだ。


 ぶつかった。

 篠宮さんの脇に抱えていたファイルが落ちて、書類が床に散らばった。


「ごめんなさい!」


「いいよ。怪我は?」


 篠宮さんが陽太くんを立たせているあいだに、わたしは書類を拾い集めた。


 その中の一枚に、目が吸い寄せられた。


 本町の地図だった。

 住宅地図の上に、赤い丸がいくつも打ってある。丸の横には、日付。

 見出しには、こうあった。


 【湧出予定日】


 湧き物件の地図ではない。

 ひだまり不動産が管理している二十四軒は、どれも丸がついていない。


 赤丸がついているのは、まだ湧いていない家だ。


 三丁目の角の家にも、赤丸。日付は、四月二十八日。


「社外秘です」


 篠宮さんの手が、わたしの手から、その一枚をすっと抜き取った。

 表情は、少しも変わっていなかった。


「失礼しました」


 ガラス戸が閉まった。

 タエさんが、閉まった戸に向かって、本当に塩をまいた。




◇




 春日さんたちは、それでも契約書にハンコを押した。


「島田さんはね、売らないよ」


 タエさんは、陽太くんの頭をなでながら言った。


「あの家で、子どもを三人育てた人だ。家が空っぽで寂しいって、ずっと言ってた。あんたたちが住むって聞いたら、喜んで泣くよ」


 美咲さんが、やっと笑った。


 春日さんたちが帰ったあと、わたしは方眼ノートの余白に、さっき見た地図を描いた。

 覚えているかぎりの、赤丸の位置。


 十八個。


 どの丸も、駅の南側に固まっている。

 ヨルが、いやな匂いがすると言った方角だ。


「タエさん。湧きって、いつ湧くか、分かるものなんですか」


「分かるわけないだろ。地震と同じだよ」


 タエさんは、煮物の鍋を火にかけた。


「分かるって言うやつがいたら、そいつは占い師か、詐欺師だね」


 わたしは、ノートの赤丸を見下ろした。


 三丁目の角。四月二十八日。

 今日は、四月二十一日。


 最初の日付は、来週だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。