家賃滞納の入居者
魔王から、家賃を取り立ててくる。
入社二週間の新人に、社長が言いつけた仕事だ。
どう考えても、新人の仕事ではない。
「魔王って、何なんですか」
「入居者だよ。会えば分かる」
タエさんは、ラップをかけたタッパーを三つ重ねて、わたしの両手に載せた。
中身は、筑前煮と、ひじきと、卵焼き。
「ついでに、これ届けといて」
「取り立てに行くのに、差し入れを持っていくんですか」
「払う気はあるんだよ、たぶん。払い方を知らないだけでね」
意味が分からなかった。
分からないまま、わたしは事務所を出た。
◇
本町一丁目は、駅の北側の古い住宅街だ。
路地を二回曲がった奥に、その家はあった。
木造の平屋。瓦屋根に、細い縁側。表札は出ていない。
台帳によれば、築六十二年。十二年前に湧いた湧き物件で、家賃は三万円。滞納は、三か月。
「ごめんください。ひだまり不動産です」
返事はない。
玄関の引き戸に手をかけると、鍵はかかっていなかった。
廊下の先の和室に、こたつが出ていた。
四月も半ばを過ぎたのに。
こたつ布団の中から、黒いパーカーのフードだけが、ちょこんとのぞいている。
「……だれじゃ」
フードが、もぞりと動いた。
出てきたのは、十歳くらいの女の子だった。
肩までの黒い髪。大きすぎるパーカーの袖。目の色だけが、灯りを映したような、深い金色をしている。
「ひだまり不動産の、柚木です。家賃の件で」
「タエの煮物の匂いがする」
女の子は、わたしの話を聞いていなかった。
まっすぐタッパーに手を伸ばし、器用に蓋を開け、こたつの上の箸立てから箸を一膳抜いた。
「いただきます」
手は、きちんと合わせた。
「あの、家賃が三か月分、九万円……」
「やちん、とは何じゃ」
「住んでいる家に、毎月払うお金です」
女の子は、筑前煮のにんじんを噛みながら、首をかしげた。
「わしは、この家の主じゃ。主が、家に金を払うのか」
「いえ、この家の持ち主は、大家さんで」
「家の持ち主と、家の主は違う」
話が、まったくかみ合わない。
わたしは、ため息をつくかわりに、目を細めた。
こういうとき、わたしはつい間取りを見てしまう。落ち着くからだ。
視界に、薄い青の線が重なる。
平屋の間取りは、すぐに分かった。玄関、廊下、和室が三つ、台所、風呂。昭和の家らしい、まっすぐな造り。
問題は、その下だった。
息が止まった。
地下に、二層のダンジョンがある。
上の層の真ん中を、一本の廊下がまっすぐ通っている。廊下の南側に、同じ大きさの部屋が六つ。北側には、小さな部屋がまとめて並ぶ。下の層には、吹き抜けの中庭まである。
「中廊下型……!」
声が出ていた。
「北側に水回りっぽい小部屋をまとめて、南側に居室を並べてる。昭和の公団住宅と同じ考え方です。日の当たらないダンジョンで、なんで南北を分ける必要があるのかは分かりませんけど、でも、廊下の幅が全部同じなんです。ぶれてない。こんなに整った迷宮の間取り、見たことがありません」
一息で言い終えて、我に返った。
女の子が、箸を止めてわたしを見ていた。
「おぬし、見えるのか」
「……少しだけ」
女の子は箸を置いて、立ち上がった。
床の間の掛け軸を、ひょいとめくる。裏の壁に、人ひとり通れるくらいの、石の階段が口を開けていた。
「ついてまいれ。見えるなら、見せてやろう」
◇
地下は、静かだった。
壁の苔が、やわらかい白い光を放っている。床は平らにならされ、ほこりひとつない。
廊下の端に、苔ネズミが一匹いた。
わたしは身構えたが、苔ネズミは女の子を見ると、壁ぎわにすっと寄って、道をあけた。
「魔物、ですよね」
「おるぞ。行儀がよいだけじゃ」
女の子は、すたすたと廊下を歩いていく。
「迷宮は、家じゃ。家には、主がおる。主がおれば、迷宮は静かになる。魔物も暴れぬし、壁も崩れぬ」
「主って、つまり……」
「わしのようなものじゃ」
女の子は、六つ並んだ部屋の一つを、ちらりとのぞいた。空っぽの、きれいな部屋だった。
「主は、客を待つ。だから、客間を作る」
その言葉で、頭の中の何かがつながった。
「じゃあ、四丁目の家の温泉も」
「四丁目の湯か」
女の子は、少しだけ笑った。
「あそこの主は、恥ずかしがりでな。十二年、ずっと客を待っておった。……ようやく来たか」
春日さんの家の、高さの違う腰かけを思い出す。
大人用と、子ども用。
だれかが住みに来るのを、待っていたみたいに。
――みたいに、じゃなかったのだ。
「あなたは、何なんですか」
「主じゃと言うておる」
女の子は、つまらなそうに袖を振った。
「名はヨル。タエは魔王と呼ぶがな。最初に会うたとき、『迷宮の主である』と名乗ったら、聞き違えおった」
「……聞き違えで、台帳に魔王って書いたんですか」
「あやつ、耳が遠い」
思わず、笑ってしまった。
「この家には、前から住んでいたんですか」
ヨルは、一瞬だけ黙った。
「前の家は、なくなった。ここは空き家じゃった。前の主が出ていったあとのな」
それ以上は、言わなかった。
わたしも、聞かなかった。
◇
結局、家賃は一円ももらえなかった。
帰りぎわ、わたしはもう一度、台帳の写しを見た。
この家の欄だけ、管理の記録が空白だ。三か月に一度、黒須さんが入るはずの「管理」が、十二年間、一度も入っていない。
入る必要がないのだ。
主がいるから、魔物は暴れない。壁も崩れない。
ほかの湧き物件なら、管理費だけで毎月一万円近くかかる。
この家だけは、それがゼロ。
タエさんは、たぶん最初から分かっていた。
「払う気はある。払い方を知らないだけ」。ヨルは、家を守ることで、もうずっと家賃を払っているのだ。
「また来い」
玄関で、ヨルはタッパーを三つとも、空にして返してきた。
「次は、がんもどきがよい。タエに言うておけ」
「催促するんですか、魔王が」
「主じゃ」
路地に出たところで、ヨルがふいに顔を上げた。
小さな鼻が、ひくりと動く。
「……ひかり、と言うたか」
「はい」
「三丁目のほうから、いやな匂いがする。だれの家でもないものの匂いじゃ」
金色の目が、駅の南側を見ていた。
「気をつけよ」
振り返っても、春の夕方の、普通の町並みがあるだけだった。
その日、三丁目にはまだ、何も湧いていなかった。




