駅徒歩五分、地下にダンジョン付き
家賃三万円。
駅徒歩五分。
地下に、ダンジョン付き。
「……ほんとに、三万円なんですか」
春日美咲さんは、物件資料とわたしの顔を、三回ずつ見比べた。
「はい。管理費込みで、三万円です」
「4LDKで?」
「4LDKで、です」
柳瀬市本町四丁目。築四十一年の、木造二階建て。
南向きの庭があって、物干し台があって、二階の窓から駅のホームが見える。
普通なら、家賃は十二万円を下らない。
普通じゃないのは、台所の床下だ。
「おかあさん、ここ、ダンジョンあるの?」
小学五年の陽太くんが、目を輝かせて床下収納の扉を叩いた。
二年生の結菜ちゃんは、お兄ちゃんの背中に隠れている。三歳の湊くんは、お父さんの腕の中で眠っていた。
「陽太、触らないの」
美咲さんの声が、少し硬くなった。
気持ちは分かる。
家の地下に、ある日突然ダンジョンが湧く。十二年前から始まったこの現象を、世間は「湧き」と呼ぶ。湧いた家は「湧き物件」。
不動産の業界では、もう少し身も蓋もない呼び方をする。
ダンジョン付き事故物件。
「大手さんには、全部断られたんです」
お父さんの健一さんが、湊くんを抱え直した。
「子ども三人だと、どこも渋い顔で。条件に合う家は、審査で落ちて」
「それで、うちに」
「はい。ここなら湧き物件しかないけど、断らないって聞いて」
断らない。
それだけが、うちの取り柄だ。
わたし、柚木ひかりが、町の小さな不動産屋「ひだまり不動産」に入って、今日で二週間になる。
◇
「地下も、ご覧になりますか」
美咲さんが答える前に、勝手口から長身の男の人が入ってきた。
作業着に、長靴。手には、モップ。
ただし柄の先についているのは、モップではなく、短い刃だ。
「管理担当の黒須です」
黒須さんは、それだけ言って頭を下げた。
「先に、清掃に入ります」
床下収納の扉を開けると、石の階段が下へ続いていた。
ひんやりした空気。湿った土の匂い。
黒須さんが先に下りていき、少しして、「キイ」という短い鳴き声が三回聞こえた。
「清掃、終わりました」
「……清掃って」
「苔ネズミです。三匹」
美咲さんの顔から、すっと血の気が引いた。
地下は、一層だけの小さなダンジョンだった。
岩の壁に、ぼんやり光る苔が張りついている。通路が一本、奥へ伸びて、突き当たりで右に曲がる。その先は、六畳ほどの何もない岩の部屋。行き止まりだ。
「これで全部です。湧いてから、広がっていません。三か月に一度、黒須が管理に入ります。費用は家賃に含まれています」
説明しながら、わたしは目を細めた。
視界に、薄い青の線が重なっていく。
わたしのスキル、《間取り》。
建物の構造が、図面になって見える。どこに柱があって、どこに壁があって、どの部屋がどうつながっているか。
十五歳のスキル判定で、国がつけた評価はE。
判定書には「建物の間取りが分かるだけ。図面を見れば足りる」と書かれていた。
青い線は、家の下にも続いている。通路。曲がり角。六畳の行き止まり。
そこまでは、目で見たとおりだ。
でも。
行き止まりの部屋の、奥の壁。
図面の線が、そこで終わっていない。壁の向こうに、四角い空白がある。
線で囲まれているのに、中身が描かれていない、部屋の形。
「あの、ちょっといいですか」
気づいたら、口が勝手に動いていた。
「この通路、おかしいんです。まっすぐ掘れば短いのに、わざわざ右に曲がってる。廊下って、行きたい場所があるから曲がるんです。玄関から台所へ、台所から食卓へ、人が歩く順番に曲がるんです。なのにこの廊下は、何もない部屋に向かって曲がってる。ということは、ここは行き止まりじゃないんです。まだ途中なんです」
一息で言い終えてから、全員の視線に気づいた。
陽太くんが、ぽかんと口を開けている。
「……すみません。間取りのことになると、つい」
黒須さんだけが、表情を変えなかった。
「どこですか」
「奥の壁です。右から三歩目」
黒須さんが、モップの柄の先で岩壁を叩いた。
こん、と鳴った。
ほかの場所より、音が軽い。
もう一度、今度は肩で押す。
岩壁が、ゆっくりと奥へ沈んだ。
隙間から、白い湯気があふれ出した。
◇
壁の向こうは、丸い部屋だった。
天井の苔が、ほかよりも明るい橙色に光っている。床は平らな石で、真ん中に、岩をくりぬいた湯船がある。
透明なお湯が、縁ぎりぎりまで張られていた。
湯船のそばには、高さの違う石の腰かけが並んでいる。大人用と、子ども用。
「……おふろ?」
結菜ちゃんが、初めて声を出した。
黒須さんが腰から温度計を抜いて、湯に差した。
「四十一度」
「おかあさん、温泉だよ! うちに温泉がある!」
「まだ、うちじゃないでしょ」
陽太くんをたしなめる美咲さんの声は、さっきより少しだけ柔らかかった。
美咲さんは、おそるおそる湯船に手を入れた。そのまま、しばらく動かなかった。
健一さんが、湯船の縁に手をついた。
「今のアパート、追い焚きができなくて。冬は銭湯に行ってたんです。五人で行くと、それだけで二千円近くかかる」
健一さんは、美咲さんの顔を見た。
美咲さんは湯船から手を抜いて、濡れた指先を見つめた。
「……ここにします」
湊くんが、お父さんの腕の中で目を覚まして、湯気に向かって手を伸ばした。
◇
ひだまり不動産は、本町商店街のはずれにある。
ガラス戸には、色あせた物件のチラシ。奥には、小さな台所。
「入居申込書、いただいてきました」
書類を差し出すと、社長の日比野タエさんは、老眼鏡を額に押し上げた。
七十一歳。この町で四十五年、不動産屋をやっている。
「温泉だって?」
「はい。四十一度でした」
「この商売を四十五年やってて、初めて聞いたよ」
タエさんは鼻を鳴らして、コンロの鍋の蓋を取った。煮物の匂いが、事務所じゅうに広がる。
「食べな。初契約のお祝いだ」
「まだ契約じゃないです。重要事項説明は、タエさんが」
「分かってるよ。宅建士は、うちじゃ私だけだからね」
ちくりと胸に刺さった。
わたしは、宅建士の試験に二回落ちている。
味の染みた大根を食べながら、方眼ノートを開いた。
内見した家は、全部ここに手で描く。地上の部屋は黒。ダンジョンは青。
四丁目の春日さんの家。黒い4LDKの下に、青い通路と、六畳の部屋。
その奥に、赤いペンで、丸い部屋を描き足した。
「赤は?」
タエさんが、肩越しにのぞき込んだ。
「隠し部屋です。……赤を使ったの、初めてです」
「三倉の連中が捨てたスキルにしちゃ、上出来じゃないか」
三倉都市開発。
わたしが一度、内定をもらった会社だ。入社前のスキル再判定で、《間取り》は「業務に使えない」とされた。内定は、その日のうちに取り消された。
「捨ててもらって、よかったと思ってます」
半分は本当で、半分は強がりだった。
ノートの丸い部屋を、ペン先でなぞる。
湯船。四十一度のお湯。大人用と、子ども用の腰かけ。
ダンジョンが、どうしてそんなものを作るんだろう。
まるで、だれかが住みに来るのを、待っていたみたいに。
「ひかり、ついでに管理台帳に入れといて」
「はい」
古いパソコンで、管理物件リストを開く。
ひだまり不動産が管理している湧き物件は、二十三件。住所と家賃と入居者の名前が、一行ずつ並んでいる。
いちばん下に春日さんの行を足そうとして、手が止まった。
その一つ上の行。
本町一丁目、木造平屋。家賃、三万円。
入居者:魔王(家賃滞納 三か月)




