図面を描く
わたしは、ノートをばらした。
入社してから半年かけて描いてきた、方眼ノートの全ページを。
この町の、一枚の間取り図にするために。
◇
プラザの地下から地上に戻ったのは、午前三時だった。
搬入口を出たところで、警備員の懐中電灯がこちらを照らした。
宇佐美さんが腕章を見せ、「立ち入り検査です」と言い張っているあいだに、わたしたちは路地へ走った。
黒須さんの軽トラックの荷台で、宇佐美さんは、スマホの写真を一枚ずつ確かめていた。
巨大な核。つながれたケーブル。積み上げられた箱。
金属のプレート。【採取地:奥多摩第二大型迷宮】。
「証拠には、なります」
宇佐美さんの声は、震えていた。
「でも、間に合うかどうか」
「間に合う、って」
「十一月四日に、市の都市計画審議会があります」
宇佐美さんは、画面から顔を上げた。
「本町を『迷宮災害警戒区域』に指定するかどうかを、審議する会です。三倉が、市長に、前倒しで開かせました。おとといの一斉発芽と、小学校の校庭の陥没を、理由にして」
「指定されたら」
「区域内の建物は、すべて、取り壊しの対象になります。主のいる湧き物件も、例外なく」
軽トラックの荷台が、がたん、と揺れた。
春日さんの家。源さんの家。柳瀬荘。ヨルの家。
昨日、十一の主を迎えた、十一の家。
全部、壊される。
「審議会は、公開です。市の動画チャンネルで、生配信もされます」
宇佐美さんが、言った。
「そこで、三倉の説明を、ひっくり返すしかない」
◇
「あの核は、このままでは、いずれ暴れる」
ヨルが、荷台の縁に腰かけたまま、言った。
また、輪郭が少し薄かった。
「主のおらん核は、家を探して、根を伸ばし続ける。根が足りなくなれば、町じゅうを、根にしようとする」
「主を、迎えればいいんですか。十一軒のときみたいに」
「あれほど大きな核に入れる主は、そうはおらん」
ヨルは、膝を抱えた。
「本当は、あの核のもとの主が、帰ってくるのがいちばんじゃ。……じゃが、十二年も前に家を追われた主が、どこにおるのか、わしにも分からん」
十二年前。
ヨルが、わたしの家を追われた年。
あの核の主も、同じ年に、家を追われたのだ。
◇
審議会まで、五日。
その朝、わたしは、柳瀬荘の地下の食堂に、みんなを集めた。
黒須さん。宇佐美さん。源さん。退院したばかりのタエさん。
春日さん一家。高梨さん姉妹。佐野さんと、ことはちゃん。戸川さん夫婦。
柳瀬荘の学生さんたち。岸本くん。
それから、ヨルと、モグさん。
「本町の、地下の間取り図を、作りたいんです」
長い石のテーブルの前で、わたしは言った。
「全部の家と、全部の迷宮と、全部の根と、プラザの核。一枚の図面に。それを、審議会で見せます」
「一枚って、どのくらいの大きさだ」
源さんが、腕を組んだ。
「このテーブルくらいです」
小野寺くんが、眼鏡を押し上げた。
「模造紙を、つなげましょう。大学の製図室から、製図板と、定規と、ペンを借りてきます」
「下書きの線は、どうするんだ。お前、一晩で、町一つ分を描く気か」
「下書きは、あります」
わたしは、鞄から、方眼ノートを出した。
半年分。
物件番号1から、物件番号58まで。
ひだまり不動産に入ってから、内見したすべての家。その地下の、すべての迷宮。
黒い地上の部屋。青い迷宮。赤い隠し部屋。
「これを、ばらして、町の地図の上に、貼ります」
タエさんが、ノートを見た。
それから、わたしを見た。
「いいのかい。あんたの、大事なノートだろう」
「だから、使いたいんです」
わたしは、ノートの留め具を外した。
最初のページだけは、外さなかった。
十歳のわたしが描いた、色鉛筆の間取り図の写し。
「この一枚以外は、全部」
◇
作業は、その日の昼から始まった。
小野寺くんが、模造紙を十二枚つなげて、石のテーブルいっぱいに広げた。
宇佐美さんが、市の住宅地図を写して、道路と区画の線を、鉛筆で薄く引いた。
わたしは、ノートのページを、一枚ずつ切り離した。
物件番号8、四丁目、春日邸。
地図の上の、四丁目の区画に、そっと貼る。
物件番号10、二丁目、高梨邸。
物件番号11、三丁目、源田邸。
物件番号13、五丁目、佐野邸。
一枚ずつ。一軒ずつ。
内見したときのことを、思い出しながら。
――廊下っていうのは、行きたい場所があるから曲がるんです。
――四十五センチは、本棚の奥行きです。
――この子の背丈と、ちょうど同じ。
ページとページのあいだの、まだ描いていない場所は、わたしが描き足した。
火の見やぐらの上から見た、本町の地下。黒い根の流れ。十一の、新しい主の家。
陽太くんと結菜ちゃんが、赤いペンで、隠し部屋を塗った。
ことはちゃんが、星の部屋に、小さな点を打った。
三上さんが、大鍋で、豚汁を作り続けた。
源さんは、わたしの手元を、ずっと見ていた。
「お前の線は、修一に似てる」
ぼそりと、言った。
「いや。……修一より、まっすぐだ」
◇
夜になっても、手は止まらなかった。
タエさんが、途中で、帰って寝なさいと言った。
わたしは、首を振った。
タエさんは、しばらくわたしを見て、それから、自分の分の座布団を持ってきて、わたしの隣に座った。
午前二時。
最後に、プラザの核を描いた。
黒い根が、四方から集まる先に、大きな黒い塊。
その塊の中に、灰色の、かすれた線で、引き裂かれた家の間取りを描いた。
部屋と部屋が、つながっていない。
廊下が、途中で千切れている。
描きながら、思った。
この家にも、だれかが住んでいたのだ。
広間で客を迎えて、回廊を歩いて、いくつもの客間を整えて。
十二年前までは。
ペンを置いた。
石のテーブルいっぱいに、本町の地下が広がっていた。
五十八の家と、四十一の種と、三十四の黒い根と、十一の新しい主の家と、一つの核。
黒と、青と、赤と、灰色。
食堂じゅうの人が、テーブルのまわりに集まって、黙って図面を見下ろしていた。
だれかが、鼻をすする音がした。
「……これが、本町の、本当の間取りか」
戸川茂さんが、つぶやいた。
「わしの家の下に、こんなもんが走ってたとはな」
ヨルが、テーブルの端に、両手をついていた。
金色の目が、図面の隅から隅まで、ゆっくりと動いた。
「よう描いた」
小さな声だった。
「おぬしの父に、見せてやりたかったのう」
わたしは、図面の右下に、小さく署名をした。
ひだまり不動産 柚木ひかり。
それから、顔を上げて、みんなを見回した。
「審議会では、わたしが説明します」




