根の中心
「箱、開けちゃったんだ」
夜の十一時、ひだまり不動産のガラス戸の前で、岸本くんは震えていた。
チェックのシャツの袖に、黒い粉のようなものが、こびりついていた。
◇
「昨日の夜、プラザの地下に運んでるとき、台車から一個落として」
事務所の応接テーブルで、岸本くんは、タエさんが出したお茶にも手をつけなかった。
「ふたが割れて、中が見えた。……黒い石が、ぎっしり詰まってた。くるみくらいの。青いテープが巻いてあって」
わたしと黒須さんは、顔を見合わせた。
「それで、その石が、床に転がったとき」
岸本くんは、自分の手を見た。
「床に、根っこが生えた。コンクリートの床に。……一瞬で」
「……」
「班長が飛んできて、石を拾って、何も見なかったことにしろって。それから、もう来なくていいって言われた」
岸本くんは、顔を上げた。
「柚木。あれ、水道の部材なんかじゃないよな」
「うん」
「俺、春から、町じゅうに、あれを埋めてたのか」
岸本くんの声が、裏返った。
わたしは、本当のことを話した。
種のこと。湧きのこと。源さんの家と、ゆうべの一斉発芽のこと。
岸本くんは、最後まで黙って聞いていた。
それから、両手で顔を覆った。
「……ごめん」
「岸本くんは、知らなかった」
「知らなかったで、済むかよ」
岸本くんは、しばらく、顔を覆ったままでいた。
それから、手を下ろして、ポケットから、一枚のカードを取り出した。
三倉設備の、社員証だった。
「プラザの、地下の搬入口。この社員証で、まだ開くと思う。クビになったけど、取り上げられてないから」
◇
午前一時。
やなせプラザの裏手の搬入口に、わたしたちは立っていた。
わたし、黒須さん、ヨル、宇佐美さん。それから、岸本くん。
「これは、湧き法の第二十三条に基づく、立ち入り検査です」
宇佐美さんが、腕章を巻きながら言った。
「湧出の疑いのある建物には、迷宮対策課の職員が立ち入ることができる。所有者の同意は、必要ありません。……ふつうは、昼間にやりますが」
「昼間だと、三倉が止めに来ますよね」
「そういうことです」
岸本くんが、社員証をカードリーダーにかざした。
小さな電子音がして、扉の鍵が外れた。
中は、地下駐車場だった。
閉店したショッピングセンターの、がらんとした駐車場。白い区画線が、懐中電灯の光の中に、どこまでも続いている。
その奥に、工事用の仮設の囲いがあった。
囲いの向こうに、穴があった。
直径十メートルはある、垂直の穴。
鉄骨の足場が組まれ、仮設の階段が、暗闇の底へ、ジグザグに下りている。
「三倉が、掘ったんですね」
宇佐美さんの声が、かすれた。
「こんな工事、市に届け出が出ていない」
わたしは、穴の縁に立って、目を細めた。
何も、見えなかった。
青い線は、穴の縁で、ぷつりと途切れていた。その先は、黒。一面の、塗りつぶされた黒。
「見えないのか」
ヨルが、わたしの袖を引いた。
「はい。……ここからは、目が使えません」
「なら、わしが照らす」
ヨルが、手のひらを上に向けた。
小さな、金色の光が、ヨルの手のひらの上に、ぽうっと灯った。
主の、灯りだった。
◇
階段を、下りた。
十段。二十段。五十段。
数えるのをやめたころ、足もとが、コンクリートから、岩に変わった。
迷宮だった。
でも、それは、今まで見てきたどの迷宮とも違っていた。
天井が、見えない。
壁が、遠い。
ヨルの灯りが届く範囲の外は、すべて、闇だった。
そして、足もとを、無数の黒い根が這っていた。
腕ほどの太さの根。指ほどの細さの根。
全部が、同じ方向に向かって、伸びていた。
「ついていきましょう」
黒須さんが、モップの柄を構えて、先頭に立った。
根をたどって、歩いた。
魔物は、出なかった。
苔ネズミも、石喰いも。何もいない。
それが、かえって怖かった。
「生き物の気配が、ない」
ヨルが、つぶやいた。
「主のおらん迷宮には、ふつう、荒れた魔物が湧く。……ここには、それすらおらん。何かが、全部、吸い込んでおる」
どれくらい歩いたか、分からなくなったころ。
根が、一か所に、集まり始めた。
何十本、何百本の根が、より合わさり、絡み合い、一本の太い幹のようになって、闇の奥へ伸びていく。
その先に、それがあった。
◇
核だった。
大きかった。
軽自動車ほどもある、黒い、いびつな塊。表面は、溶けた岩のようにつやつやと光り、ゆっくりと、脈打っていた。
どくん。どくん。
源さんの家の、あの小部屋の脈と、同じリズム。
でも、その一拍ごとに、足もとの岩が震え、根という根が、波打った。
核のまわりには、工事用の照明と、機械が並んでいた。
ケーブルが何本も、核の表面に、直接つながれている。
そして、壁ぎわに、木の箱が、山のように積み上げられていた。
岸本くんが運んでいた、箱だ。
「……これ」
宇佐美さんが、核のそばの機械に貼られた、金属のプレートを照らした。
【管理番号:K-07】
【採取地:奥多摩第二大型迷宮 最深部】
【採取日:十二年前の日付】
【所有:三倉都市開発株式会社 資源事業部】
「大型迷宮の、核」
宇佐美さんの声が、震えていた。
「三倉が、奥多摩の大型迷宮から、持ち出したもの。……十二年前に」
十二年前。
湧きが、始まった年。
わたしは、核に向かって、目を細めた。
さっきまで、黒く塗りつぶされていた場所。
でも、ここまで近づくと、ほんの少しだけ、線が見えた。
青い線ではなかった。
灰色の、かすれた線。
部屋だった。
廊下だった。
広い広間と、長い回廊と、いくつもの客間。
大きな、大きな家の、間取り。
でも、その線は、ばらばらだった。
部屋と部屋が、つながっていない。廊下が、途中で千切れている。まるで、一枚の間取り図を、乱暴に引き裂いて、ばらまいたように。
「家だ」
声が、勝手に出た。
「これ、だれかの家の間取りです。……引き裂かれた、家の」
ヨルが、核の前に、進み出た。
小さな手のひらを、脈打つ黒い表面に、そっと当てた。
ヨルの灯りが、揺れた。
金色の目が、大きく見開かれた。
それから、ゆっくりと、細くなった。
「……主が、おらん」
ヨルの声は、ひどく静かだった。
「この核には、主がおらん。追い出されたのじゃ。核だけ、無理やり、持ち去られた」
ヨルは、核に額をつけた。
「これは、だれかの家だったものじゃ」




