主たち
夜明け前、ヨルが、主たちを連れてきた。
下水道から。河川敷の橋の下から。神社の床下から。空き家の押し入れから。
十二年前に家を追われた主たちが、本町の商店街に、ぽつぽつと集まってきた。
◇
主たちの姿は、ばらばらだった。
モグさんのように、もぐらに似た年寄り。
ふわふわした白い毛玉のようなもの。背丈がわたしの倍ほどもある、細長い影。
古い着物の、おばあさんの姿をしたもの。小さな子どもの姿をしたもの。
十一。
ヨルを入れれば、十二。
「これで、全部じゃ」
ヨルが、息を切らして言った。
また、輪郭が少し薄くなっていた。一晩じゅう、町を走り回っていたのだ。
「本町の近くに隠れておった、家のない主は、これで全部」
主たちは、商店街のアーケードの下に、遠巻きに固まっていた。
人間のわたしたちを、じっと見ている。
その目には、見覚えがあった。
初めて会った日の、源さんの目。ホースを握っていた、戸川さんの目。
警戒している目だった。
「荒れた迷宮が、十一ある」
ヨルが、主たちに向かって言った。
「種を抜いて、おぬしらに入ってほしい。新しい家の、主になってほしいのじゃ」
主たちは、答えなかった。
しばらくして、着物のおばあさんの姿をした主が、口を開いた。
「人間は、家を壊す」
しわがれた、静かな声だった。
「わたしらの家を、十二年前、人間は壊した。上の家ごと、重い機械で。……新しい家に入っても、また壊されるだけじゃないのかい」
だれも、何も言えなかった。
本当のことだったからだ。
◇
わたしは、鞄から、父の図面帳を出した。
最後のページを開いて、主たちの前に、そっと置いた。
「十二年前、わたしの家も壊されました」
主たちの目が、図面帳に集まった。
「これは、わたしの父が描いた、わたしの家の間取りです。父は大工でした。地下に湧いた迷宮の間取りも、描き足してあります」
鉛筆の線を、指でなぞった。
「父は、市に何度も説明しに行きました。地下は危なくない、主がいるから、って。でも、だれも聞いてくれなかった」
ヨルが、わたしの隣に、黙って立った。
「あのとき、わたしは十歳で、何もできませんでした」
顔を上げた。
「今は、見えます。主のいる迷宮が、どれだけ整っていて、どれだけ安全か。昨日の夜、それを、町じゅうの人が知りました」
アーケードの向こうから、足音が近づいてきた。
源さんだった。
その後ろに、春日さん一家。戸川さん夫婦。高梨さん姉妹。佐野さんと、ことはちゃん。柳瀬荘の学生さんたち。
それから、ゆうべ、春日さんの家の温泉に避難した、知らない人たちが、何人も。
説明会で「売ろうと思ってる」と言っていた、あのおばあさんも、いた。
「うちの下に、来てくれないかい」
おばあさんが、着物の主に向かって、言った。
「ゆうべ、地面の下が鳴って、うちの台所の床に、ひびが入った。……息子のところに行くつもりだったけど。この家を、だれかに守ってもらえるなら、もう少し、ここにいたいんだよ」
着物の主が、おばあさんを見上げた。
「うちの店の下にも」
「うちの駐車場の下にも」
声が、次々に上がった。
主たちが、顔を見合わせた。
ヨルが、言った。
「この町の人間は、おぬしらを、追い出そうとはしておらぬ。迎えようとしておる。……わしは、十二年さまよって、初めてそういう町に来た」
着物の主は、長いこと、黙っていた。
それから、ゆっくりと、うなずいた。
「……壊さないと、約束できるかい」
「約束します」
わたしは、図面帳を胸に抱えた。
「壊させません。今度こそ」
◇
その日の昼から、作業が始まった。
わたしが、種の場所を読む。
黒須さんと、源さんと、学生さんたちと、近所の人たちが、掘る。
ヨルが、荒れた迷宮の魔物を、抑える。
種を抜いたら、主が、入る。
一軒目は、二丁目のおばあさんの家だった。
着物の主が入ると、でたらめに暴れていた青い線が、すうっと、まっすぐになっていった。
二軒目。三軒目。
途中で、三倉設備のトラックが、何台も路地に入ってきた。
荷台に、重機が載っていた。
「危険迷宮建物の解体作業に来ました。市との協定に基づいて」
作業服の男の人が、書類を振りかざした。
「指定は、出ていません」
宇佐美さんが、トラックの前に立ちふさがった。
「危険迷宮建物の指定は、迷宮対策課が出します。私は、出していません。指定のない建物の解体は、協定の範囲外です」
「課長の許可は」
「課長は、昨夜の避難の件で、市長に呼ばれています」
宇佐美さんは、一歩も引かなかった。
「現場の判断は、私がします。お引き取りください」
トラックは、しばらく路地に止まっていたが、やがて、一台ずつ引き返していった。
◇
七軒目の作業の途中、休憩のときだった。
黒須さんが、汗をぬぐいながら、わたしの隣に座った。
手には、刃を研ぎ直したモップの柄。
「柚木さん」
「はい」
「前に、迷宮の中で迷うのはもう嫌だ、と言いました」
覚えていた。
源さんの家に入る前の、事務所の裏で。
「八年前、俺は、自衛隊の迷宮対処隊にいました」
黒須さんは、まっすぐ前を見ていた。
「ある町の、湧いた家の地下に、命令で入りました。迷宮の核を、壊せという命令でした。危険だから、と」
「……」
「迷宮は、静かでした。魔物は、一匹も襲ってこなかった。廊下はまっすぐで、部屋には扉があって。……今なら分かります。主のいる迷宮でした」
黒須さんの、モップの柄を握る手に、力が入った。
「核の前に、子どもくらいの背丈の、何かがいました。俺を見ていました。何も言わずに」
黒須さんは、少し黙った。
「俺は、命令どおりに、核を壊しました。そいつは、消えました。迷宮は崩れて、上の家も、取り壊されました」
わたしは、何も言えなかった。
「あの目を、今でも夢に見ます」
黒須さんは、立ち上がった。
モップの柄を、肩に担いだ。
「だから、今度は、守るために清掃します」
八軒目の家に向かう黒須さんの背中は、いつもと同じだった。
短くて、まっすぐで、迷いがなかった。
ヨルが、いつの間にか、わたしの横にいた。
「知っておった」
「え?」
「蓮は、初めてわしの家に来た日に、わしの前で、土下座をした。……理由は言わなんだがの」
ヨルは、黒須さんの背中を見送っていた。
「わしは、許すも許さぬもないと言うた。わしの家を壊したのは、蓮ではないからの」
◇
日が沈むころ、十一軒目の作業が終わった。
最後の主――白い毛玉のような、小さな主――が、五丁目の空き家の地下に、ころころと転がり込んでいった。
でたらめだった青い線が、やわらかく整っていった。
わたしは、火の見やぐらのてっぺんに、もう一度登った。
本町の地下を、見下ろした。
十一の荒れた迷宮は、もうなかった。
かわりに、十一の、主のいる迷宮。整った青い線が、町のあちこちで、静かに灯っていた。
十一の家と、十一の主。
黒い根は、十一か所で、ぷつりと途切れていた。
でも。
駅前。やなせプラザの下。
黒い塗りつぶしは、まだ、そこにあった。
昨日よりも、少しだけ、大きくなって。
主を迎えた家、十一軒。
残るのは、やなせプラザの下だけだった。




