一斉発芽
三か所が、五か所になった。
五か所が、八か所になった。
日が沈むころには、本町の十一か所で、地面が鳴っていた。
◇
駅の改札を出ると、町の音が、いつもと違っていた。
低い唸り。遠くのサイレン。どこかで、ガラスの割れる音。
防災無線が、ひっきりなしに鳴っている。
『本町地区で、複数の湧出が発生しています。付近の皆さんは、本町小学校に避難してください。繰り返します――』
「根が、育ちきる前に、芽を出させたんです」
宇佐美さんが、走りながら言った。
「三倉が、何かをして、成長を早めた。……聴聞で負けた、その日に」
「仕返し、ですか」
「分かりません。でも、四十日も待つ気はなくなった、ということでしょう」
商店街の角で、黒須さんの軽トラックが待っていた。
荷台に、ヨルが立っていた。フードを下ろして、金色の目で、町を見ていた。
「乗れ。やぐらまで行く」
◇
火の見やぐらのはしごを、一人で駆け上がった。
黒須さんは、やぐらの足もとに立った。
「下は、俺が守ります」
登らなくていいです、と言う前に、黒須さんはもう、モップの柄を構えていた。
やぐらのまわりの路地から、赤い目の苔ネズミが、何匹も這い出してきていた。
てっぺんで、手すりをつかんで、目を細めた。
青い線が、重なる。
黒い根が、見える。
本町の地下が、沸き立っていた。
十一か所。
黒い根が、地面の近くまで一気に伸びて、ねじれた迷宮を吐き出している。源さんの家と同じ、でたらめな間取り。廊下が自分にぶつかり、階段が宙で終わり、部屋が膨らんでは潰れる。
そして、十一の荒れた迷宮が、黒い根でつながって、プラザの黒い塊へと、脈打っていた。
「宇佐美さん、聞こえますか」
スマホを耳に当てた。
「二丁目の、郵便局の裏の通り、地下が空洞です。車を入れないでください。五丁目の、コンビニの前も」
『了解。消防に伝えます』
読めるかぎりの危ない場所を、片っ端から伝えていった。
そのうち、気づいた。
避難所の、本町小学校。
その校庭の真下を、一本の太い黒い根が、まっすぐに横切っていた。
「宇佐美さん、小学校は、だめです」
『え?』
「校庭の下を、根が通ってます。今はまだ大丈夫でも、根が膨らんだら、校庭ごと沈むかもしれない」
『でも、本町の指定避難所は、あそこしか』
電話の向こうで、宇佐美さんが、言葉に詰まった。
わたしは、町を見回した。
沸き立つ黒い根の中に、ぽつん、ぽつんと、静かな場所があった。
四丁目の、春日さんの家。
二丁目の、高梨さんの家。
三丁目の、源さんの家。
六丁目の、柳瀬荘。
一丁目の、ヨルの家。
五丁目の、佐野さんの家。
主のいる、湧き物件。
黒い根は、その家々の手前まで来ると、まるで壁に当たったように、向きを変えていた。
主のいる迷宮の、整った青い線が、黒い根を、押し返している。
「宇佐美さん」
声が、震えた。
「湧き物件に、避難させてください」
◇
『……前例が、ありません』
宇佐美さんの声は、硬かった。
『湧き物件は、法律上、危険な建物です。そこに住民を避難させるなんて、市の職員として』
「分かってます」
『もし、何かあったら』
「何もありません。わたしが、見てます」
電話の向こうが、静かになった。
サイレンの音。どこかで、だれかが泣いている声。
『……分かりました』
宇佐美さんの声が、変わった。
『私の判断で、やります。責任は、私が取ります』
防災無線が、途切れた。
しばらくして、宇佐美さんの声が、町じゅうに流れた。
『こちらは、柳瀬市迷宮対策課です。本町小学校への避難は、中止してください。四丁目、二丁目、三丁目、六丁目、一丁目、五丁目の、次の建物に避難してください――』
◇
それからのことは、あとで、みんなから聞いた。
春日さんの家には、四丁目と二丁目の人たちが、四十人以上集まった。
健一さんと美咲さんが、玄関で一人ずつ迎え入れた。温泉の部屋は、子どもとお年寄りでいっぱいになった。湯船の湯気で、部屋じゅうがほんのり温かかったそうだ。
陽太くんと結菜ちゃんが、知らない子どもたちに、腰かけの座り方を教えていた。
柳瀬荘の地下の食堂には、六丁目と五丁目の人たちが、六十人近く。
三上さんが、石のかまどで、大鍋の豚汁を作った。小野寺くんと葉山くんが、懐中電灯を持って、迷路の道案内をした。来栖さんは、カメラを置いて、赤ちゃんを抱っこしていた。
迷路の主は、その夜だけ、迷路をまっすぐにしてくれたらしい。
源さんの家の作業場には、三丁目の人たちが。
源さんは、作業台の上に布団を敷いて、お年寄りを寝かせた。モグさんが、天井の隅から、黙って見下ろしていたそうだ。
高梨さんの家の書庫には、千秋さんと夏美さんが駆けつけて、近所の人たちを迎えた。
佐野さんの家の星の部屋には、ことはちゃんが、怖がる小さな子たちを連れていった。
「ここ、怖くないよ」
ことはちゃんは、そう言って、星の天井を指さしたそうだ。
◇
夜中の二時。
やぐらの上で、わたしは、まだ町を見ていた。
黒い根の脈は、少し落ち着いてきていた。
十一の荒れた迷宮は、まだそこにある。でも、もう、広がってはいなかった。
スマホが鳴った。
健一さんからだった。
『ひかりちゃん。今、うちの温泉に、何人いると思う』
「四十人くらい、ですか」
『四十六人』
健一さんの声が、少し笑っていた。
『説明会で、売るって言ってたおばあちゃんもいるよ。ローンが残ってるって言ってた人も。みんな、湯船のまわりに座って、うちの子たちと、しりとりしてる』
「……」
『地上で何回も揺れたのに、ここは、一回も揺れなかった』
健一さんが、少し黙った。
『売らないよ。この家は』
わたしは、手すりに額をつけた。
目の奥が、痛かった。疲れのせいだけでは、なかった。
やぐらの下から、黒須さんの声がした。
「柚木さん。宇佐美さんから伝言です。小学校の校庭が、さっき、二メートル沈んだそうです」
息が、止まった。
もし、あそこに、町じゅうの人が避難していたら。
わたしは、もう一度、町を見下ろした。
沸き立つ黒い根の海の中に、ぽつん、ぽつんと、青い線の島が浮かんでいる。
法律では、危険な建物。業界では、ダンジョン付き事故物件。
三倉が、価値ゼロ円と呼んだ家。
その夜、主のいる湧き物件だけが、町でいちばん安全な場所だった。




