↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
23/28

篠宮の選択

 数字は、嘘をつかない。

 篠宮透は、三十一年間、そう信じて生きてきた。

 その数字に、嘘をつけと言われたのは、初めてだった。




◇




 三倉都市開発の本社ビル、二十八階。

 専務室の窓からは、柳瀬市の町並みが、模型のように小さく見えた。


「本町の湧き物件、全件の査定書だ」


 三倉恭一郎は、机の上の書類の束を、指先で叩いた。


「市に提出する。警戒区域の指定の、根拠資料になる。全件、ゼロ円で頼む」


 篠宮は、書類の一番上の一枚を見た。

 本町四丁目、春日邸。


「四丁目の春日邸の現在の査定額は、一千二百万円です」


「迷宮控除がある」


「迷宮控除を適用したうえで、一千二百万円です。私のスキルが、そう示しています」


「篠宮くん」


 三倉は、穏やかに微笑んだ。


「君のスキルは、A判定だ。会社は、君の目を信じて、高い給料を払っている。……その目が、湧き物件に一千二百万円の値をつけるなら、目のほうが疲れているのではないかね」


「疲れていません」


「では、もう一つ」


 三倉は、引き出しから、小さな黒いカメラを取り出した。

 篠宮が、いつも胸ポケットに挿していた、営業記録用のカメラだった。


「来週、県の聴聞がある。ひだまり不動産の件だ。君には、当社の証人として出てもらう。提出した映像に、編集はない。そう証言してくれればいい」


 篠宮は、カメラを見た。


 五分四十秒の映像が、三分に縮められ、日比野社長の姿が消されていた。

 自分は、編集に一切関わっていない。映像を提出したことすら、通知書の写しを見るまで知らなかった。


「専務。あの映像は」


「篠宮くん」


 三倉の声は、少しも変わらなかった。


「君のお父さんの店のことは、聞いている。情で判断して、全部を失った。……君は、そうならないために、数字の仕事を選んだんだろう」


 篠宮は、黙った。


「会社の数字を守るのも、数字の仕事だよ」




◇




 その日の夕方、篠宮は、用地取得部から、資料管理室への異動を言い渡された。


 査定書には、一枚もサインしなかった。

 聴聞の証人も、断った。


 資料管理室は、地下二階の、窓のない部屋だった。

 篠宮は、段ボールに私物を詰めながら、ノートパソコンを開いた。


 社内サーバーの、営業記録のフォルダ。

 四月二十一日。ひだまり不動産。五分四十秒。


 原本は、まだ残っていた。


 篠宮は、しばらく、そのファイル名を見ていた。

 それから、パソコンを閉じた。


 会社の記録を、勝手に外に出すことはできない。

 それは、数字を偽るのと、同じことだ。少なくとも、自分にとっては。


 父の店の、最後の日を思い出した。

 シャッターに貼られた、閉店のお知らせ。買い手の会社が提示した、最初の値段と、最後の値段。

 あのとき父に、正しい数字を、正しく見せてくれる人がいたら。


 篠宮は、目を閉じた。


 自分にできるのは、たぶん、それだけだ。




◇




「篠宮さんが、異動に?」


 手術が終わって三日目のタエさんは、ベッドの上で、ゼリーを食べていた。

 手術は、うまくいった。明日には、退院できるらしい。


「宇佐美さんから聞きました。用地取得部から、外されたって」


「査定書を、断ったんだろうね」


 タエさんは、スプーンを置いた。


「あの男は、数字に嘘がつけない。商売人としちゃ損な性分だ。……嫌いじゃないよ」


 その日の閉店間際、ひだまり不動産のガラス戸のベルが鳴った。


 白いシャツに、ジーンズ。

 篠宮さんだった。


「突然、申し訳ありません」


「……どうぞ」


 わたしは、応接テーブルにお茶を出した。

 篠宮さんは、一口飲んで、湯のみを置いた。


「担当から、外れました。もう、本町の物件を査定する立場にはありません」


「聞きました」


「それを、お伝えしに来ただけです」


 わたしは、聞きたかったことを、聞いた。


「聴聞の動画、篠宮さんのカメラの映像ですよね」


「はい」


「元の映像は、ありますか」


「あります。社内のサーバーに」


「それを――」


「お渡しすることは、できません」


 篠宮さんは、まっすぐ、わたしを見た。


「会社の記録を、外に出すことはできない。それは、私にとっては、数字を偽るのと同じことです。……すみません」


 わたしは、うなずいた。

 この人は、そういう人なのだ。


「ただ」


 篠宮さんは、湯のみを両手で包んだ。


「もし、聴聞の場で、証人として呼ばれれば。聞かれたことには、答えます」


 篠宮さんは、立ち上がった。


「数字は、聞かれたら答える。それが、私の仕事なので」


 ガラス戸が閉まった。

 わたしは、篠宮さんの湯のみを、しばらく見ていた。


 聴聞で、篠宮さんを証人として呼ぶ。

 呼べるのだろうか。三倉の社員を、こちら側から。




◇




 次の日の昼。


 ガラス戸のベルが、また鳴った。


「失礼します」


 グレーのスーツ。銀の社章。

 三倉専務だった。秘書らしき男の人を、二人連れていた。


「日比野社長は、ご入院中と伺いました。柚木さんに、お話があって参りました」


 わたしは、立ち上がった。

 膝が、少し震えた。


「どうぞ」


 三倉専務は、応接テーブルに座ると、事務所の中を、ゆっくりと見回した。

 色あせた物件のチラシ。奥の台所の、煮物の鍋。こたつ。


「いい事務所ですね。古き良き、町の不動産屋だ」


「ありがとうございます」


「単刀直入に申し上げます」


 三倉専務は、鞄から、一通の封筒を取り出した。

 見覚えのある、三倉都市開発のロゴ入りの封筒。


「柚木さん。うちに入りませんか」


「……え」


「あなたの《間取り》は、当社の判断の誤りでした。地下の構造を読み、隠し部屋を見つけ、迷宮の安定を見極める。これほど、再開発に役立つ力はない」


 三倉専務は、封筒を、わたしの前に滑らせた。


「新しく作る、『湧き物件再生事業部』の責任者として、お迎えしたい。給与は、ここの三倍は出しましょう」


「条件が、あるんですよね」


「察しがいい」


 三倉専務は、微笑んだ。


「明日の聴聞で、あなたが重要事項の説明に加わったと、認めていただく。ひだまり不動産は、業務停止になる。日比野社長は、ご高齢で、ご病気だ。ちょうどいい引き際でしょう」


 息が、詰まった。


「それから、本町の再開発に、あなたの目を貸していただく。プラザの地下を、あなたなら、きっと読める」


 三倉専務は、知っているのだ。

 プラザの地下が、黒く塗りつぶされていることを。

 自分たちには、そこが読めないことを。


「ひだまり不動産がなくなれば、本町の湧き物件の管理は、当社が引き継ぎます。春日さんも、源田さんも、学生さんたちも、悪いようにはしない」


 三倉専務は、ゆっくりと立ち上がった。


「お返事は、聴聞の日まで、お待ちします」


 ガラス戸の前で、三倉専務は、一度だけ振り返った。


「柚木さん。内定は、取り消しを、取り消します」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。