根
三十六点。
予備校が出した解答速報で、自己採点をした結果だった。
合格ラインは、毎年、三十五点前後。受かっているのか、いないのか、十一月の発表まで分からない。
◇
「三十六点なら、上等だよ」
病院のベッドで、タエさんは言った。
明後日に手術を控えて、少し痩せていた。
「去年は、何点だった」
「二十九点です」
「七点も上がったんじゃないか。あとは、神様の気分次第さ」
タエさんは、窓の外を見た。
「それより、プラザの下が見えないって?」
「はい。真っ黒で」
「あんたの目が、何かに負けるのは、初めてだね」
タエさんは、しばらく黙っていた。
「ヨルに聞いてごらん。あの子は、あんたより、ずっと長く生きてる」
◇
その夜、ヨルを連れて、やなせプラザのフェンスの前に立った。
ヨルは、フードを下ろして、長いこと、黒い建物を見上げていた。
金色の目が、細く、細くなった。
「……迷宮じゃ」
「やっぱり」
「それも、とてつもなく大きい」
ヨルの声が、かすかに震えていた。
「おぬしの目に入りきらぬのは、大きすぎるからじゃ。それに、真ん中に、何か重いものがある。光を吸い込むような、重いものが」
「核、ですか」
「そうかもしれぬ。じゃが、主の気配がない」
ヨルは、プラザの地面を、足先でとんとんと叩いた。
「主のおらん、核だけの、大きな迷宮。……そんなものが、町の真ん中にあってよいはずがない」
「全体を見るには、どうしたら」
「高いところに登れ」
ヨルは、あっさりと言った。
「上から見下ろせば、間取りは、ひと目で分かる。おぬしが、いつもチラシの間取り図を、上から眺めておるのと同じじゃ」
◇
本町商店街の真ん中に、古い火の見やぐらがある。
昭和の初めに建てられた、鉄骨のやぐらだ。高さは、十五メートルくらい。
今は使われていなくて、てっぺんの半鐘も、錆びついている。
「市の管理物件です」
宇佐美さんが、懐中電灯で、やぐらの足もとを照らした。
「本来は、立ち入り禁止です。ですが、私は今、迷宮対策課の職員として、地下の迷宮の状況を確認するための、高所からの調査に立ち会っています」
「……そういうことに、するんですね」
「そういうことに、します」
宇佐美さんは、まじめな顔で、やぐらの扉の鍵を開けた。
わたしと、黒須さんと、ヨルで登った。
鉄のはしごが、一段ごとに、きいきいと鳴った。
五メートルを過ぎたあたりで、後ろの黒須さんの気配が、止まった。
「黒須さん?」
「……大丈夫です」
声が、いつもより少しだけ高かった。
振り返ると、黒須さんは、はしごに両腕でしがみついていた。
顔が、白い。
「もしかして、高いところ」
「少し」
「迷宮で、苔ネズミの群れに一人で突っ込む人が」
「迷宮は、地下なので」
ヨルが、はしごの下から、ぷっと吹き出した。
「蓮。おぬしにも、弱い間取りがあったか」
「……先に登ってください」
黒須さんは、目を閉じたまま、一段ずつ、はしごを登ってきた。
最後まで、下を見なかった。
◇
やぐらのてっぺんから、本町が見渡せた。
駅のホーム。商店街のアーケード。その向こうの、住宅街の屋根の連なり。
夜の町に、ぽつぽつと明かりが灯っている。
わたしは、手すりにつかまって、目を細めた。
青い線が、重なる。
最初は、いつもと同じだった。
家の間取り。地下の配管。湧き物件の、迷宮。
四丁目の春日さんの家の下に、丸い温泉の部屋。
二丁目の高梨さんの家の下に、細長い書庫。
三丁目の源さんの家の下に、木の香りの作業場。
六丁目の柳瀬荘の下に、大きな食堂。
どれも、きちんと筋の通った、主のいる間取り。
もっと、遠くまで。
目の奥が、熱くなった。
三軒同時に見た夜より、もっと。頭の芯が、じんじんと痛む。
でも、高いところから見下ろすと、不思議と、線が整理されて見えた。
チラシの間取り図を、上から眺めるときと同じだった。
そして、見えた。
本町の地下に、もう一つの線があった。
青ではなかった。
黒い、細い線。髪の毛ほどの細さの線が、何十本も、地下を這っている。
宇佐美さんの手帳にあった、四十一の住所。
その一つ一つから、黒い線が伸びていた。
わたしが掘り出した七つの種のあとからは、灰色の、枯れた線が、途中で途切れていた。
でも、残りの三十四か所からは、黒い線が、まだ生きていた。
道路の下を。公園の植え込みの下を。駐車場の下を。
黒い線は、まっすぐに、一つの方向へ伸びていた。
駅前。
やなせプラザの、黒い塗りつぶしの中へ。
「……根です」
声が、かすれた。
「種どうしが、根でつながってる。全部、プラザの下に向かって」
「やはりのう」
ヨルが、手すりに両手をかけて、町を見下ろしていた。
「種どうしが根を張って、一つの大きな迷宮になろうとしておる。プラザの下の核が、根を引き寄せておるのじゃ」
「主のいない、大迷宮」
「そうじゃ」
ヨルの横顔が、こわばっていた。
「源治の家を思い出せ。主のおらん迷宮は、でたらめに伸びて、上の家ごと崩す。あれが、町じゅうの根とつながって、一つになったら」
ヨルは、最後まで言わなかった。
言わなくても、分かった。
町ごと、崩れる。
◇
「いつ、ですか」
ずっと黙っていた黒須さんが、はしごの上から、聞いた。
まだ、目を閉じていた。
わたしは、根を見た。
源さんの家の種は、埋められてから一か月で湧いた。
あのとき、種から伸びていた根の太さを、わたしは覚えている。根が、家の基礎に届いたとき、湧きが起きた。
今、本町の地下を這う黒い根は、それよりずっと細い。
でも、三十四本が、少しずつ、少しずつ、太くなっている。そして、プラザの下の黒い塊に、吸い込まれていく。
一本の根が、源さんの家の根と同じ太さになるまで。
全部の根が、プラザの核と、太くつながりきるまで。
頭の中で、線を引いた。
何度も引き直した。
「……四十日」
自分の声が、遠くに聞こえた。
「根の太さから逆算すると、育ちきるまで、四十日です」
やぐらの下で、宇佐美さんが、懐中電灯を握りしめるのが見えた。
十月二十二日。
四十日後は、十二月一日。
聴聞は、六日後。
合格発表は、一か月と少し先。
そして、四十日後に、この町の下で、主のいない大迷宮が、目を覚ます。




