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22/28

根

 三十六点。

 予備校が出した解答速報で、自己採点をした結果だった。

 合格ラインは、毎年、三十五点前後。受かっているのか、いないのか、十一月の発表まで分からない。




◇




「三十六点なら、上等だよ」


 病院のベッドで、タエさんは言った。

 明後日に手術を控えて、少し痩せていた。


「去年は、何点だった」


「二十九点です」


「七点も上がったんじゃないか。あとは、神様の気分次第さ」


 タエさんは、窓の外を見た。


「それより、プラザの下が見えないって?」


「はい。真っ黒で」


「あんたの目が、何かに負けるのは、初めてだね」


 タエさんは、しばらく黙っていた。


「ヨルに聞いてごらん。あの子は、あんたより、ずっと長く生きてる」




◇




 その夜、ヨルを連れて、やなせプラザのフェンスの前に立った。


 ヨルは、フードを下ろして、長いこと、黒い建物を見上げていた。

 金色の目が、細く、細くなった。


「……迷宮じゃ」


「やっぱり」


「それも、とてつもなく大きい」


 ヨルの声が、かすかに震えていた。


「おぬしの目に入りきらぬのは、大きすぎるからじゃ。それに、真ん中に、何か重いものがある。光を吸い込むような、重いものが」


「核、ですか」


「そうかもしれぬ。じゃが、主の気配がない」


 ヨルは、プラザの地面を、足先でとんとんと叩いた。


「主のおらん、核だけの、大きな迷宮。……そんなものが、町の真ん中にあってよいはずがない」


「全体を見るには、どうしたら」


「高いところに登れ」


 ヨルは、あっさりと言った。


「上から見下ろせば、間取りは、ひと目で分かる。おぬしが、いつもチラシの間取り図を、上から眺めておるのと同じじゃ」




◇




 本町商店街の真ん中に、古い火の見やぐらがある。


 昭和の初めに建てられた、鉄骨のやぐらだ。高さは、十五メートルくらい。

 今は使われていなくて、てっぺんの半鐘も、錆びついている。


「市の管理物件です」


 宇佐美さんが、懐中電灯で、やぐらの足もとを照らした。


「本来は、立ち入り禁止です。ですが、私は今、迷宮対策課の職員として、地下の迷宮の状況を確認するための、高所からの調査に立ち会っています」


「……そういうことに、するんですね」


「そういうことに、します」


 宇佐美さんは、まじめな顔で、やぐらの扉の鍵を開けた。


 わたしと、黒須さんと、ヨルで登った。

 鉄のはしごが、一段ごとに、きいきいと鳴った。


 五メートルを過ぎたあたりで、後ろの黒須さんの気配が、止まった。


「黒須さん?」


「……大丈夫です」


 声が、いつもより少しだけ高かった。


 振り返ると、黒須さんは、はしごに両腕でしがみついていた。

 顔が、白い。


「もしかして、高いところ」


「少し」


「迷宮で、苔ネズミの群れに一人で突っ込む人が」


「迷宮は、地下なので」


 ヨルが、はしごの下から、ぷっと吹き出した。


「蓮。おぬしにも、弱い間取りがあったか」


「……先に登ってください」


 黒須さんは、目を閉じたまま、一段ずつ、はしごを登ってきた。

 最後まで、下を見なかった。




◇




 やぐらのてっぺんから、本町が見渡せた。


 駅のホーム。商店街のアーケード。その向こうの、住宅街の屋根の連なり。

 夜の町に、ぽつぽつと明かりが灯っている。


 わたしは、手すりにつかまって、目を細めた。


 青い線が、重なる。


 最初は、いつもと同じだった。

 家の間取り。地下の配管。湧き物件の、迷宮。


 四丁目の春日さんの家の下に、丸い温泉の部屋。

 二丁目の高梨さんの家の下に、細長い書庫。

 三丁目の源さんの家の下に、木の香りの作業場。

 六丁目の柳瀬荘の下に、大きな食堂。


 どれも、きちんと筋の通った、主のいる間取り。


 もっと、遠くまで。


 目の奥が、熱くなった。

 三軒同時に見た夜より、もっと。頭の芯が、じんじんと痛む。


 でも、高いところから見下ろすと、不思議と、線が整理されて見えた。

 チラシの間取り図を、上から眺めるときと同じだった。


 そして、見えた。


 本町の地下に、もう一つの線があった。


 青ではなかった。

 黒い、細い線。髪の毛ほどの細さの線が、何十本も、地下を這っている。


 宇佐美さんの手帳にあった、四十一の住所。

 その一つ一つから、黒い線が伸びていた。


 わたしが掘り出した七つの種のあとからは、灰色の、枯れた線が、途中で途切れていた。

 でも、残りの三十四か所からは、黒い線が、まだ生きていた。


 道路の下を。公園の植え込みの下を。駐車場の下を。

 黒い線は、まっすぐに、一つの方向へ伸びていた。


 駅前。

 やなせプラザの、黒い塗りつぶしの中へ。


「……根です」


 声が、かすれた。


「種どうしが、根でつながってる。全部、プラザの下に向かって」


「やはりのう」


 ヨルが、手すりに両手をかけて、町を見下ろしていた。


「種どうしが根を張って、一つの大きな迷宮になろうとしておる。プラザの下の核が、根を引き寄せておるのじゃ」


「主のいない、大迷宮」


「そうじゃ」


 ヨルの横顔が、こわばっていた。


「源治の家を思い出せ。主のおらん迷宮は、でたらめに伸びて、上の家ごと崩す。あれが、町じゅうの根とつながって、一つになったら」


 ヨルは、最後まで言わなかった。


 言わなくても、分かった。


 町ごと、崩れる。




◇




「いつ、ですか」


 ずっと黙っていた黒須さんが、はしごの上から、聞いた。

 まだ、目を閉じていた。


 わたしは、根を見た。


 源さんの家の種は、埋められてから一か月で湧いた。

 あのとき、種から伸びていた根の太さを、わたしは覚えている。根が、家の基礎に届いたとき、湧きが起きた。


 今、本町の地下を這う黒い根は、それよりずっと細い。

 でも、三十四本が、少しずつ、少しずつ、太くなっている。そして、プラザの下の黒い塊に、吸い込まれていく。


 一本の根が、源さんの家の根と同じ太さになるまで。

 全部の根が、プラザの核と、太くつながりきるまで。


 頭の中で、線を引いた。

 何度も引き直した。


「……四十日」


 自分の声が、遠くに聞こえた。


「根の太さから逆算すると、育ちきるまで、四十日です」


 やぐらの下で、宇佐美さんが、懐中電灯を握りしめるのが見えた。


 十月二十二日。

 四十日後は、十二月一日。


 聴聞は、六日後。

 合格発表は、一か月と少し先。


 そして、四十日後に、この町の下で、主のいない大迷宮が、目を覚ます。

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