説明会
「本町の皆さんの安全のために、当社は、町ごと買い取ります」
三倉専務の声は、公民館の古いスピーカーを通しても、穏やかだった。
穏やかなまま、町を二つに割った。
◇
陥没の穴は、直径三メートルほどだった。
やなせプラザの正面入口の、すぐ前の歩道。
けが人は、いなかった。日曜日の午後で、閉店したショッピングセンターの前を歩く人は、ほとんどいなかったからだ。
「市が調べる前に、三倉が鉄板でふさぎました」
試験の日の夜、事務所に集まったとき、黒須さんが言った。
「プラザの敷地は、三倉の私有地です。穴も、敷地の境界の内側だと言い張って、市の立ち入りを断った」
「宇佐美さんは」
「抗議したそうですが、課長に止められたと」
わたしは、ノートの地図を見下ろした。
四十一個の赤丸の、真ん中。そこに、穴があいた。
翌日、本町の全世帯に、一枚のチラシが配られた。
【本町地区 安全のための説明会】
主催:三倉都市開発株式会社
後援:柳瀬市
◇
公民館の大広間は、人でいっぱいだった。
パイプ椅子が足りなくて、後ろの壁ぎわに、何十人も立っている。
春日さん夫婦がいた。佐野さんと、ことはちゃんがいた。戸川さん夫婦がいた。柳瀬荘の学生さんたちが、四人並んでいた。源さんは、腕を組んで、いちばん前の席に座っていた。
正面の長机には、三倉専務。その横に、篠宮さん。
篠宮さんは、一度も顔を上げなかった。
「先日の陥没は、地下の迷宮が原因である可能性が高いと、当社は考えています」
三倉専務は、スクリーンに地図を映した。
本町の地図。
赤い点が、いくつも打ってある。
「これが、当社の湧き予測です。本町では、今後も湧出が続くと予測されます。今年、本町で湧いた物件は、市内の湧きの七割を占めている。この町の地盤は、すでに、迷宮に侵されているのです」
会場が、ざわめいた。
「当社は、柳瀬市に対し、本町地区を『迷宮災害警戒区域』に指定するよう、提案しました」
スクリーンが、切り替わった。
【一括買取のご提案】
・区域内の土地・建物を、当社が一括で買い取ります
・買取価格は、湧き前の相場の一・五倍
・引っ越し費用、新居探しも、当社が全面的に支援します
一・五倍。
会場のざわめきが、さっきとは違う色に変わった。
◇
「売らん」
戸川茂さんが、最初に声を上げた。
「わしの家は、湧かなかった。庭から、変な石を掘り出したら、湧かなかった」
「戸川様。予測が外れたのは、幸運だっただけかもしれません」
三倉専務は、にこやかに答えた。
「次も幸運が続くとは、限りません」
茂さんが、言葉に詰まった。
「この町を更地にして、何を建てる気だ」
源さんが、立ち上がった。
「駅前の再開発です。商業施設と、タワーマンション。皆さんにも、優先的にご入居いただけます」
「俺は、自分で建てた家に住んでる。タワーなんぞに、住む気はねえ」
何人かが、うなずいた。
でも、別の何人かは、うつむいていた。
「……うちは、売ろうかと思ってる」
後ろのほうで、おばあさんが、小さな声で言った。
「息子が、一緒に住もうって言ってくれてるの。でも、この家が売れなくて、ずっと動けなかった。湧き物件なんて、だれも買ってくれないから」
「うちもだ」
別の声。
「ローンが、まだ十年残ってる。湧いたら、家の価値がゼロで、ローンだけ残る。一・五倍で買ってくれるなら、今のうちに」
責められなかった。
だれも、間違ったことは言っていなかった。
篠宮さんのお父さんの話を、思い出した。
情で、古い家にしがみついて、潰れていく人。
この会場にも、そうなるかもしれない人が、いる。
「……健一さん」
春日さんの奥さんが、夫の腕を握っていた。
健一さんは、スクリーンを、じっと見つめていた。
「子どもたちの、安全を考えたら」
健一さんが、つぶやいた。
あの家は、安全です。
主がいるから。ちゃんと、家になっているから。
そう言いたかった。
でも、主のことを、ここで、どう説明すればいいのか。
◇
わたしは、手を挙げていた。
「ひだまり不動産の、柚木です」
会場が、少し静かになった。
ゴウさんの動画を見た人が、何人もいるのだろう。
「湧き物件は、ちゃんと管理すれば、住めます。危ないのは、荒れた迷宮だけです。四丁目の春日さんの家も、二丁目の高梨さんの家も、三丁目の源田さんの家も、湧いたあと、ちゃんと安定しています」
「存じています」
三倉専務は、わたしを見て、やわらかく微笑んだ。
「柚木さん。一つ、伺ってもよろしいですか」
「……はい」
「あなたは、宅建士ですか」
喉の奥が、詰まった。
「来週、無資格で重要事項の説明をした件で、県の聴聞を受けられると伺っています。……資格のない方の『住めます』という説明を、皆さんは、信じてよいのでしょうか」
会場が、ざわめいた。
何人かが、わたしを見た。
さっきまでとは、違う目で。
膝が、震えた。
何か言わなければ。何か。
「――専務」
低い声がした。
篠宮さんだった。
長机の端で、初めて、顔を上げていた。
「時間が押しています。質疑は、ここまでにしては」
三倉専務が、ゆっくりと、篠宮さんを見た。
ほんの一瞬、何かが、二人のあいだを通り過ぎた気がした。
「そうですね。では、本日はここまでといたします」
◇
公民館を出ると、春日さん夫婦が待っていた。
「ひかりちゃん、ごめん」
健一さんが、頭を下げた。
「迷ってる。正直に言うと。あの家は好きだ。子どもたちも、温泉が大好きだ。でも、もし、陥没みたいなことが、うちの下で起きたら」
「迷っていいです」
わたしは、首を振った。
「迷うのが、当たり前です。家族のことなんですから」
美咲さんが、わたしの手を握った。
あの内見の日、湯船から手を抜いたときと、同じ手だった。
二人と別れたあと、わたしは、駅前へ向かった。
やなせプラザは、夜の闇の中に、黒い箱のように沈んでいた。
正面の歩道には、鉄板が敷かれ、白いフェンスで囲まれている。
わたしは、フェンスの前に立って、目を細めた。
青い線が、重なる。
駅のホームの下。地下の改札。商店街の、古い店の地下倉庫。
本町の地下が、図面になって、目の前に広がっていく。
三軒同時に見たあの夜から、わたしの目は、少しずつ、遠くまで届くようになっていた。
そして、やなせプラザの下。
息が、止まった。
何も、見えなかった。
線がないのでも、空白があるのでもなかった。
プラザの地下だけが、黒いインクを流し込んだように、一面、塗りつぶされていた。
図面が、読めない。
わたしの目が、生まれて初めて、何かに、はね返されていた。




