切り取られた三分間
四十分を超えたタエさんの重要事項説明が、三分の動画の中では、一秒も残っていなかった。
その三分間の中で、わたしは、宅建士のふりをしていた。
少なくとも、そう見えるように、切り取られていた。
◇
「なんだい、これは」
病院のベッドの上で、タエさんは、聴聞通知書を握りしめていた。
点滴の管が、ぴんと張った。
「タエさん、落ち着いてください」
「落ち着いてられるかい」
通知書には、ノートパソコンで再生できるように、動画のデータが入った小さなカードが同封されていた。
わたしは、タエさんのベッドのテーブルで、それを再生した。
ひだまり不動産の事務所が映っていた。
応接テーブルに、春日さん一家。
画面の手前に、お茶のお盆を持ったわたしが立っている。
『あの家には、温泉があります』
わたしの声が、スピーカーから流れた。
画面が切り替わる。春日さんたちが、真剣な顔でうなずいている。
『湧き物件には、国の評価基準で……』
これは、篠宮さんの声だ。でも、声だけで、篠宮さんの姿は映っていない。
まるで、わたしが説明している途中に、だれかが補足しているように聞こえた。
また画面が切り替わる。
健一さんが、テーブルの上の契約書に、手を伸ばす。
タエさんは、一度も映っていなかった。
「……私が説明したところが、まるごと、ない」
タエさんの声が、かすれた。
「四十分以上、私がしゃべってたんだよ。湧き法の告知から、管理の説明から、全部。それが、まるごとない」
「この映像、どこから」
わたしは、画面の角度を見た。
応接テーブルを、斜め上から映している。ガラス戸のほうから。
あの日、ガラス戸から入ってきたのは。
「篠宮さんの、カメラです」
篠宮さんは、あの日、胸ポケットに、小さな黒いカメラを挿していた。
三倉の営業は、トラブル防止のために、商談を全部録画する決まりなのだと、あとで聞いた。
◇
「三倉が編集したのは、間違いないでしょうね」
その日の夕方、宇佐美さんが、病院の面会室に来てくれた。
「でも、聴聞で編集を証明するには、元の映像が要ります。元の映像は、三倉が持っている。出してくるはずがない」
「タエさんは、録音とか、してないんですか」
タエさんは、腕を組んで、黙り込んだ。
「……してるよ」
「え」
「四十五年、重要事項説明は全部、録音してる。お客さんの同意をもらってね。言った言わないで揉めたら、こっちが潰れるからさ。昔、それで一度、痛い目を見てるんだ」
タエさんは、窓の外を見た。
「テープが、事務所の金庫に、四十五年分ある」
わたしと宇佐美さんは、顔を見合わせた。
「でも」
タエさんが、続けた。
「録音で私が説明したことは証明できても、あの動画の中で、ひかりが説明してないことまでは、証明できない。向こうは『柚木も説明に加わっていた』って言い張るだろうね」
「……はい」
「それに」
タエさんは、わたしを見た。
「聴聞の日に、私の体がもつかどうか」
面会室が、静かになった。
◇
「もう一つ、お伝えしたいことがあります」
帰りぎわ、病院の玄関で、宇佐美さんが立ち止まった。
「三倉設備の水道工事の、掘削許可の記録を、調べていました」
「掘削許可」
「道路や公有地を掘るには、市の許可が要ります。私有地でも、水道の本管につなぐ工事なら、届け出が出ている」
宇佐美さんは、手帳を開いた。
「この一年の、本町の分です。……課長に、余計なことをするなと言われましたが」
「宇佐美さん」
「大丈夫です。昼休みにやりました」
宇佐美さんは、少しだけ笑った。
初めて見る、いたずらっぽい笑い方だった。
手帳には、住所が並んでいた。
一行、二行、三行。ページをめくっても、まだ続いていた。
わたしは、数えた。
宇佐美さんの表に載っていた、十七軒。
三倉が自分で買った空き家。
それから、表のどこにも載っていない、道路の下。公園の植え込み。駐車場。
「……こんなに」
「この一年で、本町だけで、四十一件です」
十七軒どころでは、なかった。
◇
その夜、わたしは一丁目の平屋で、問題集を開いていた。
事務所は、夜になると一人きりで、どうしても集中できなかった。
ヨルが「ここで勉強せよ」と言ってくれたのだ。
「ここが、勉強部屋じゃ」
地下の、六つ並んだ部屋の一つ。
ヨルが、こたつと、座布団と、苔の灯りを、三つ用意してくれていた。
「目が覚めて最初に作った客間が、勉強部屋とはのう」
「ありがとう、ヨル」
「礼はいらん。落ちたら、わしの家賃の但し書きが、無効になるのじゃろう」
「ならないです」
「なるかもしれん。わしは法律が分からん」
ヨルは、こたつの向かいで、わたしのお古のテキストを開いた。
まだ、読んでいる。
問題集のページの端には、タエさんの付箋が貼ってある。
――ひかりが絶対まちがえるところ。
――ここ、去年も落とした。
病院のベッドで、点滴の管を払いながら、タエさんはこの付箋を書いたのだろうか。
それとも、もっと前から、書いていてくれたのだろうか。
「柚木さーん、差し入れでーす」
階段の上から、声がした。
柳瀬荘の小野寺くんと、三上さんだった。
三上さんが、保温ポットとお弁当箱を抱えている。
「ヨルちゃんに、ここで勉強してるって聞いて」
「建築基準法のところ、俺、得意なんで。一応、建築学科なんで」
小野寺くんが、照れたように頭をかいた。
「ゴウの件で、助けてもらったから」
その夜は、四人で、日付が変わるまで勉強した。
小野寺くんの説明は、問題集よりずっと分かりやすかった。三上さんのお弁当は、タエさんの煮物と同じくらい、おいしかった。
ヨルは、途中でこたつに潜り込んで寝てしまった。
帰りぎわ、わたしは、ノートの余白に、宇佐美さんの手帳の住所を書き写した。
本町の地図。
赤丸が、四十一個。
そのほとんどが、駅の南側、やなせプラザのまわりに、固まっていた。




