↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
17/28

三軒同時

 ヨルに、聞かなければならないことがあった。

 でも、その夜、わたしはヨルの家にたどり着けなかった。

 本町の三か所で、同時に、地面が鳴り始めたからだ。




◇




 源さんの家を出たのは、夜の九時過ぎだった。


 父の図面帳を胸に抱えて、わたしは一丁目へ向かって歩いていた。

 ヨルの部屋。あの子。ひかりの友だち。

 頭の中で、鉛筆の文字がぐるぐる回っていた。


 スマホが鳴った。

 宇佐美さんからだった。


「柚木さん。予測リストが、更新されました」


 宇佐美さんの声は、いつになく早口だった。


「三倉から、市のシステムに、さっき。湧出予定日が、三軒、前倒しになっています」


「いつに、ですか」


「今夜です」


 足が、止まった。


「二丁目の佐藤さん、五丁目の山根さん、六丁目の空き家。三軒とも、今夜、日付が変わる前後」


 この六週間で、わたしと黒須さんは、戸川さんの家を入れて、表の家のうち三軒の庭から、種を掘り出していた。

 所有者が同意してくれた家だけだ。断られた家もあった。三倉に、もう売ってしまった家もあった。


 予測は、何度も外れた。

 三倉が、気づかないはずがなかった。


「……先回りされるのが嫌だから、早めたんですね」


「そうとしか思えません」


 宇佐美さんの声が、悔しそうに揺れた。


「三軒とも、住民の避難は私がやります。でも、湧いてしまったら、私には、指定の紙を書くことしかできない」


「止めます」


 わたしは、もう走り出していた。




◇




 三軒は、本町の三つの通りに、ばらばらに散らばっていた。


 一人では、回りきれない。


 事務所に電話をかけると、タエさんがすぐに出た。

 事情を話し終える前に、タエさんは言った。


「蓮は五丁目に向かわせる。源さんにも電話する。あんたは、一番見通しのいい場所に立ちな」


「見通しの、いい場所」


「あんたの目は、一軒ずつしか見えないのかい」


 はっとした。


 わたしは、本町の真ん中にある、小さな公園へ走った。

 すべり台のてっぺんに登る。


 目を細めた。


 青い線が、重なる。

 いちばん近い、五丁目の山根さんの家。その下で、黒い結び目が、もう根を広げ始めていた。


 もっと。

 もっと遠くまで。


 目の奥が、じんと熱くなった。

 青い線の網が、少しずつ、少しずつ広がっていく。五丁目の通り。その向こうの路地。六丁目の、空き家。


 二軒、同時に見えた。


 頭が割れそうだった。

 でも、見えた。


「黒須さん、五丁目の山根さんの家、玄関の右手の植え込みの下、一メートル。もう根が出てます。急いでください」


 電話の向こうで、スコップが土に入る音がした。


「六丁目の空き家は……」


 空き家の下で、黒い結び目が、どくん、と脈打った。

 根が、もう、家の基礎に届きかけていた。


 間に合わない。


「六丁目は、わしが行く」


 すべり台の下から、声がした。


 ヨルだった。

 いつの間にか、黒いフードが、公園の暗がりに立っていた。


「タエが、知らせに来た」


「でも、ヨル、もう夜です。家を空けたら」


「半日はもつと言うたじゃろう」


 ヨルは、もう走り出していた。


「芽が出かけた種なら、わしが抑えておける。おぬしの目が要るのは、掘る者のほうじゃ」




◇




 その夜のことは、ところどころしか覚えていない。


 五丁目の山根さんの家で、黒須さんが種を掘り出した。

 二丁目の佐藤さんの家には、源さんが軽トラックで駆けつけた。モグさんが、源さんの家の地下から、ほんの少しだけ顔を出して、ついていったらしい。「年寄りを夜中に働かせおって」と、ぶつぶつ言っていたそうだ。

 柳瀬荘の学生さんたちが、懐中電灯とスコップを抱えて、路地を走り回っていた。


 わたしは、すべり台のてっぺんで、三軒の下を、交互に見続けた。


「源さん、もっと北です。物干し台の、真下」


「黒須さん、根が二本残ってます。左に」


「ヨル……」


 六丁目の空き家の下で、黒い結び目が、何度も何度も、脈打とうとしていた。

 そのたびに、何かが、それを押さえつけていた。


 小さな、金色の光が、結び目のすぐそばに見えた気がした。


「黒須さん、五丁目が終わったら、六丁目へ。ヨルが、一人で押さえてます」


 午前三時。

 六丁目の空き家の庭で、黒須さんが、最後の種を掘り出した。


 わたしは、すべり台のてっぺんに座り込んだ。

 目の奥が、焼けるように痛かった。


 三軒とも、湧かなかった。




◇




 空が白み始めたころ、六丁目の空き家に駆けつけた。


 庭の真ん中に、黒須さんがしゃがみ込んでいた。

 その腕の中に、ヨルがいた。


「ヨル!」


 ヨルの体が、薄かった。


 透けている、というのとは少し違う。

 輪郭が、朝の光に溶けかけている。パーカーの黒も、髪の黒も、どこか色が抜けていた。


「……家を、空けすぎた」


 ヨルが、目を開けた。

 金色の目も、いつもより、ずっと淡かった。


「眠る。……しばらく、起こすな」


「しばらくって、どのくらい」


「わからん。……家に、連れて帰れ」


 黒須さんが、ヨルを抱き上げた。

 軽い、と黒須さんがつぶやいた。


 わたしは、ヨルの小さな手を握った。

 冷たかった。


「ヨル。聞きたいことが、あるんです」


 ヨルの目が、ゆっくりと、わたしを見た。


「……ひかり」


 かすれた声だった。


「あの帳面を、見たのじゃな」


 息が、止まった。


 ヨルは、それ以上、何も言わなかった。

 目を閉じて、黒須さんの腕の中で、静かに眠っていた。




◇




 ヨルを一丁目の平屋に寝かせて、事務所に戻ったのは、朝の六時だった。


 表の残りは、十一軒。

 断られた家と、三倉に売られた家と、まだ日付の来ていない家。


 ガラス戸の鍵は、開いていた。

 事務所の明かりが、ついたままだった。


 タエさんは、一晩じゅう、ここで電話を受けていたはずだ。

 住民からの問い合わせ。市からの連絡。源さんや学生さんたちとのやりとり。


「タエさん、ただいま戻りました。三軒とも……」


 言いかけて、声が止まった。


 応接テーブルの横に、電話の受話器が、ぶら下がっていた。

 ツー、ツー、という音が、小さく鳴り続けていた。


 その下の床に、タエさんが倒れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。