事故物件凸(後編)
黒い画面の上に、最後の一コマが、焼きついたように残っていた。
ライトに照らされた、岩の壁の角。
その角度だけが、ゴウさんの居場所を知る手がかりだった。
◇
「録画、してました」
葉山くんが、震える声で言った。
「ゴウの配信、面白そうだったから、画面ごと録ってて。……最後のところ、戻せます」
「見せて」
葉山くんのスマホで、配信の最後の十秒を、一コマずつ送った。
ゴウさんが、ふり返る。
ライトが、真後ろの壁を照らす。
壁の角が、一瞬だけ映る。
止めて、と言った。
画面の端に、岩の壁の角があった。
角の向こうの壁に、赤いスプレーの文字が、ほんの少しだけ映り込んでいる。
「参上」の、「上」の字の端。
「この角、直角じゃないです」
わたしは、画面の角を、指でなぞった。
「百二十度くらい。鈍い角です。この迷路で、百二十度の角があるのは、輪になった通路の、北東と南西の二か所だけ」
ノートの迷路を開いた。
輪の通路の、二つの鈍い角に、赤いペンで印をつける。
「落書きは、北側の通路に書いてました。落書きが角の向こうに見えるなら、ゴウさんがいるのは、北東の角の、すぐ内側です」
小野寺くんが、ノートをのぞき込んで、息をのんだ。
「……写真一枚から、それが分かるんですか」
「間取り、なので」
答えになっていない答えだった。
路地の向こうから、軽トラックのエンジン音がした。
急ブレーキ。ドアの開く音。
黒須さんが、モップの柄を担いで、走ってきた。
その後ろから、黒いフードの小さな影が、ぴょんと荷台から飛び降りた。
「タエのところで、ぜんざいを食べておったら、こやつが血相を変えて飛び出していくのでな」
ヨルが、口のまわりにあんこをつけたまま、言った。
「ついてきてやった」
◇
三人で、地下に下りた。
白い苔の光が、迷路を照らしている。
でも、その光は、ヨルの家の地下よりも、どこか冷たかった。
「次、右です」
わたしは、ノートを見ながら言った。
黒須さんが、右へ曲がる。
曲がった先が、行き止まりだった。
「……え」
さっきまで、ここは通路だった。
青い線が、わたしの目の前で、ゆっくりと向きを変えていく。
「道を、変えられてます」
「怒っておるな」
ヨルが、迷路の天井を見上げた。
「この家の主は、迷路が好きなのじゃ。迷わせて、遊んで、最後に客間へ通す。そういう、いたずら好きのやつじゃ。……じゃが、壁に落書きをされて、腹を立てた」
ヨルは、行き止まりの壁に、小さな手のひらを当てた。
「怒るのは、もっともじゃ」
静かな声だった。
わたしに言っているのではなかった。
「じゃが、殺してはならぬ。人を殺した家は、もう家ではなくなる。主が、家を家でなくしてどうする」
しばらく、何も起きなかった。
それから、行き止まりの壁が、ずず、と横に滑った。
青い線が、また動いた。
今度は、わたしたちの前に、まっすぐな通路が一本、北東の角まで、まっすぐに伸びていた。
「行け」
ヨルが、額の汗をぬぐった。
◇
ゴウさんは、北東の角の、すぐ内側にいた。
狭まった通路の、ほんのわずかな隙間に、体を丸めてうずくまっていた。
金髪が、岩の粉で白くなっている。自撮り棒は、半分に折れていた。
「ゴウさん」
声をかけると、ゴウさんは、びくりと顔を上げた。
「……た、助け」
「助けに来ました。ひだまり不動産です」
ゴウさんの顔が、くしゃりと歪んだ。
画面の中で、あんなに明るく笑っていた人が、子どもみたいに泣いていた。
黒須さんが、ゴウさんを担ぎ上げた。
「待て」
ヨルが、腕を組んで、ゴウさんの前に立った。
「おぬし、この家の壁に、何を書いた」
「え、あ、ゴウ参上って……」
「消していけ」
「え」
「消していけ。そうせねば、この家の主は、おぬしを許さぬ。この家の迷路は、一生、おぬしの夢に出るぞ」
ゴウさんは、金色の目に見下ろされて、こくこくとうなずいた。
それから三十分、ゴウさんは、岩の壁の赤いスプレーを、タオルと水で、必死にこすって落とした。
黒須さんが、黙って手伝った。わたしも手伝った。
最後の一文字が消えたとき。
迷路の苔の光が、ふわりと、温かい色に変わった。
青い線が、また動いた。
いちばん下の層の、大きな空白。その手前で、行き止まりだった通路が、すうっと奥へつながった。
「……通してくれるそうじゃ」
ヨルが、小さく笑った。
「客間へ」
◇
いちばん下の層の、いちばん奥。
壁を押すと、ひらけた場所に出た。
大広間だった。
天井が高い。ドームのように丸く、苔の光が星のようにちりばめられている。
真ん中に、岩をくりぬいた、長い長いテーブルがあった。両側に、ベンチが並んでいる。
数えると、二十人は座れた。
テーブルの端には、大きなかまどのような、石の囲いまである。
「……食堂だ」
いつの間にか、後ろに学生さんたちが下りてきていた。
黒須さんが道を確かめたあとで、葉山くんが連れてきたらしい。
小野寺くんが、ドームの天井を見上げて、言葉を失っていた。
三上さんが、石のかまどの前にしゃがみ込んでいた。
来栖さんは、カメラを構えたまま、シャッターを押すのを忘れていた。
「この家、もとはアパートだったから」
わたしは、天井を見上げた。
「大勢の人が、一緒に住んでいたから。この家の主は、大勢で食べる場所を、作っていたんだと思います」
八年。
だれもいなくなったアパートの下で、この家の主は、長いテーブルを、一人で磨き続けていたのだ。
「借ります」
小野寺くんが、ふり返った。
「四人で。……いや、もっと仲間、呼びます」
三上さんが、もうかまどに手を当てていた。
「ここで、鍋やろう」
◇
翌日、ゴウさんが、謝罪の動画を上げた。
不法侵入をしたこと。壁に落書きをしたこと。
それから、助けられたときのこと。
『不動産屋のお姉さんがね、配信の最後の一コマの、壁の角度だけで、俺の居場所を当てたんすよ。間取りで。……マジで、命の恩人っす』
動画は、一晩で百万回再生された。
切り抜きが、あちこちに流れた。
『間取りで人を救う不動産屋』
『写真一枚で場所を特定は草』
『湧き物件の地下、ガチで部屋あるんだ』
『ひだまり不動産、どこにあるの』
ひだまり不動産の電話は、また、鳴りやまなくなった。
その夜、事務所で電話番をしていると、知らない番号から着信があった。
出ると、聞き覚えのある、ぶっきらぼうな声がした。
「俺だ。源田だ」
「源さん。どうしたんですか、こんな時間に」
「動画、見た。お前、名字、柚木だったな」
「……はい」
受話器の向こうで、源さんが、少し黙った。
「親父さんの名前は、修一か」
心臓が、どくんと鳴った。
父の名前を、だれかの口から聞いたのは、何年ぶりだろう。
「蔵を片づけてたら、出てきた。お前の親父の、図面帳だ」
源さんの声が、少しだけ、かすれていた。
「取りに来い」




