事故物件凸(前編)
『はいどうもー! 凸メン・ゴウでーす!』
『今日はですね、なんと、ガチの湧き物件に来てまーす!』
学生さんのスマホから、場違いに明るい声が響いた。
画面に映っているのは、わたしたちが今いる、このアパートの廊下だった。
◇
本町六丁目、柳瀬荘。
木造二階建ての、古いアパートだ。一階に三部屋、二階に三部屋。外階段の手すりは錆びて、郵便受けの名札は、全部はがされている。
八年前に湧いて、住人は一人残らず出ていった。
大家さんは、九十歳を過ぎて、取り壊して土地を売りたがっていた。
三倉都市開発からも、もう話が来ているらしい。
その柳瀬荘を、まるごと借りたいという電話があったのは、先週のことだ。
「シェアハウスにしたいんです。四人で」
電話の主は、柳瀬市の私立大学に通う、三年生の小野寺樹くんだった。
今日、内見に来たのは、その四人。
小野寺くんは、建築学科。ひょろりと背が高くて、ずっと建物の柱や梁を見上げている。
三上彩さんは、栄養学科。台所のコンロの口数を、真っ先に数えていた。
葉山蒼くんは、情報学科。スマホを二台持っていて、一台は常に何かのゲームをしている。
来栖なずなさんは、写真部。古いアパートの錆びた手すりを、うれしそうに撮っていた。
「家賃、ほんとに一部屋あたり七千五百円ですか」
小野寺くんが、物件資料を見て、目を丸くした。
「四人で三万円です。湧き物件なので」
「SNSで見ました。四丁目の、温泉の家」
来栖さんが、カメラを下ろして言った。
「あれ、ひだまり不動産さんですよね。地下に、隠し部屋があるって」
「ここにも、あるかもしれないと思って」
小野寺くんが、照れたように頭をかいた。
「建築やってると、古い建物の、図面に載ってない空間って、たまらないんですよ」
気が合いそうだ、と思った。
◇
わたしは、目を細めた。
青い線が、重なる。
柳瀬荘の間取り。六つの部屋、外階段、共用の廊下。
その下に、地下の迷宮がある。
変わった間取りだった。
三層。
どの層も、細い通路が、何度も何度も折れ曲がっている。行き止まりが多い。分かれ道も多い。
でも、でたらめではなかった。線はまっすぐで、筋が通っている。
迷路だ。
だれかが、わざと、迷路の形に作っている。
「主のいる迷宮です」
思わず、口に出ていた。
「え?」
「あ、いえ。……構造が、安定しているっていう意味です」
小野寺くんが、首をかしげた。
わたしは、ノートに迷路を描き写しながら、笑ってごまかした。
迷路の線をたどっていくと、いちばん下の層の真ん中に、大きな空白があった。
線で囲まれているのに、中身のない場所。
隠し部屋だ。それも、かなり広い。
でも、そこへ至る道が、見つからなかった。
迷路のどの通路をたどっても、空白の手前で、行き止まりになる。
この家の主は、客間の入り口を、迷路の奥に隠している。
見つけてほしいのか、ほしくないのか。
黒須さんは、今日は三丁目の別の物件の「清掃」に行っていた。
地下に入るのは、黒須さんが戻ってからにしよう。そう思って、ノートを閉じたときだった。
「……あれ?」
葉山くんが、ゲームをしていないほうのスマホを見て、声を上げた。
「これ、ここじゃない?」
◇
『はいどうもー! 凸メン・ゴウでーす!』
『今日はですね、なんと、ガチの湧き物件に来てまーす!』
画面の中で、派手な金髪の男の人が、自撮り棒を振り回していた。
背景に、錆びた外階段が映っている。
この建物の、裏手だ。
『いやー、最近SNSで湧き物件がバズってるじゃないですか! 温泉がどうとか! でもね、ゴウは騙されません! 湧き物件はね、事故物件! ダンジョン付きの事故物件なんですよ!』
コメント欄が、勢いよく流れていた。
『ゴウきたー』
『不法侵入じゃね?』
『湧き物件って入っていいの?』
『同接すごい』
画面の右上に、数字が出ている。
同時接続、三千二百。
「裏口から、入ってる」
小野寺くんが、窓から外をのぞいた。
アパートの裏手、地下への入り口がある物置の扉が、開け放されていた。
『では、行きまーす! 湧き物件の地下、凸ります!』
画面が揺れて、暗くなった。
階段を下りていく足音。ライトの白い光が、岩の壁を照らす。
「止めないと」
わたしは、物置へ走った。
でも、扉の前まで来て、足が止まった。
黒須さんがいない。
わたしは、探索者の資格を持っていない。主のいる迷宮とはいえ、迷路の中に一人で入るのは、危ない。
葉山くんが、スマホを持って追いかけてきた。
『うわ、なんだここ、迷路? ガチ迷路じゃん!』
『分かれ道ー! 右か左か、コメントで決めて!』
『右』
『左』
『帰れ』
ゴウは、コメントに従って、右へ曲がった。
そして、左へ。また右へ。
わたしは、スマホの画面と、ノートの迷路を見比べた。
ゴウが歩いている道筋が、分かる。
いちばん上の層の、北側の通路だ。
まだ、大丈夫。そう思った。
『ちょ、壁に落書きしときましょうか! ゴウ参上って!』
画面の中で、ゴウがスプレー缶を振った。
岩の壁に、赤い文字が吹きつけられていく。
その瞬間。
わたしの目の前で、青い線が、動いた。
◇
でたらめに動いたのでは、なかった。
源さんの家のときとは、違う。
線は、まっすぐなまま、ゆっくりと、向きを変えた。
ゴウがいる通路の、前の分かれ道が、閉じた。
後ろの分かれ道も、閉じた。
通路が、一本の、出口のない輪になった。
「……怒ってる」
「え?」
葉山くんが、わたしを見た。
「この家の主が、怒ってます」
画面の中のゴウは、まだ、気づいていなかった。
『はい、ゴウ参上! 完成! じゃ、戻りまーす!』
ゴウが、来た道を戻る。
右へ。左へ。
さっき来たはずの分かれ道が、なかった。
『……あれ?』
ゴウのライトが、岩の壁を、右へ左へと照らす。
『え、ちょっと待って、ここ、さっき通った?』
『いや、通ってない……? 通った?』
『迷ってて草』
『演出?』
『ガチっぽくない?』
ゴウは、早足で歩き始めた。
画面の揺れが、大きくなる。
わたしのノートの上で、輪になった通路が、少しずつ、少しずつ、狭まっていく。
「葉山くん、黒須さんに電話して。ひだまり不動産の、管理担当の人。番号はこれ」
わたしは、名刺の裏に番号を書いて、葉山くんに押しつけた。
それから、物置の扉の前にしゃがみ込んで、地下に向かって叫んだ。
「ゴウさん! 聞こえますか! 動かないでください!」
返事は、なかった。
スマホの画面の中で、ゴウが、走り出した。
『やばいやばいやばい、出口どこ』
『ライト、ライト消え……』
ゴウのライトが、ちらちらと瞬いた。
コメント欄が、止まらない。
『え、マジ?』
『これ演出じゃないよね』
『誰か通報しろ』
『ゴウ大丈夫?』
同時接続が、一万を超えた。
わたしは、ノートの迷路を見つめた。
ゴウがいる輪。その輪の、内側の壁が、こちらへ迫ってきている。
画面の中で、ゴウが、ふり返った。
ライトの光が、真後ろの岩の壁を照らした。
壁が、動いていた。
ゴウの悲鳴が、スマホのスピーカーから響いた。
そして、画面が、真っ黒になった。
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