エピソード4-3
そして目の前で足を止める。
地面に座っていた時から大きいとは思っていた。
……でも、ここまでとは思わなかった。
「送っていく」
頭上から声が降ってくる。
「えっ?」
表情が見えない私は一歩後ろへ下がり、首が痛くなるほど顔を上げた。
ようやく視界に入ったその人の表情は、ごく普通だった。
社交的というわけでもない。
下心があるようにも見えない。
……かといって、面倒そうでも嫌そうでもなかった。
「あ……大丈夫です」
「は?」
「まだ時間も遅くないし、人もたくさんいるんで……」
その人は黙ったまま私を見下ろしている。
「……分かってねぇな」
独り言のような声だった。
「……えっ?」
首を傾げる私を置いて、その人は歩き出した。
『行くぞ』とも、『早く来い』とも言わない。
ゆっくりとした足取りで路地を抜け、メインストリートの方へと向かっていく。
彼のその広い背中を見ながら思った。
……私を送るのは諦めてくれたんだろう。
だから私は、その人より数歩遅れて歩き出した。
この路地を出たら、おそらく彼ともう会うことはない。
私たちはそれぞれ人の波に紛れて消えていくんだ。
明日になれば、今日の出来事さえ夢だったように思えるはず。
数週間もすれば、淡い水色のハンカチのことも、この背の高い人のことも記憶の片隅へ追いやられ、思い出すこともなくなる。
もともと生きる世界が違う私たちが、こうして言葉を交わし、同じ時間を過ごしていること自体が不思議だった。
頭では分かっているのに……。
なんでこんなに落ち着かないんだろう。
そんなことを考えながら歩いていたせいで気づかなかった。
路地とメインストリートの境で、その人が立ち止まっていたことに……。
その人が足を止めてから数十秒後、私も足を止めた。
止めたというより……止まった。
その大きな背中に勢いよくぶつかって。
「……きゃっ!」
顔面を強打した私は、高いヒールのサンダルを履いていたこともあってバランスを崩した。
そのまま尻もちをつく。
そう思い、私はぎゅっと目を閉じた。
だけどいくら待っていても予想していた痛みはやってこない。
代わりに感じたのは、腰を支える力強い感触だった。
おそるおそる目を開ける。
至近距離にある大きな身体。
「……危ねぇな」
……この言葉さっきも聞いたような気がする。
私の頭は少しずつ状況を理解する。
考え事をしていた私は、この人が立ち止まったことに気づかず背中にぶつかった。
その衝撃でバランスを崩した私を助けてくれたらしい。
「ご……ごめんなさいっ!」
私は勢いよく頭を下げた。
その瞬間。
ゴン!!
鈍い音とともに、おでこに激痛が走る。
すっかり忘れていた。
目の前にある、この大きな身体のことを……。
私はその場で額を両手で押さえ、蹲った。
「……おい」
「……はい」
「大丈夫か?」
「なんとか……」
答えた瞬間、おでこを押さえていた手を掴まれ、そっと引き離された。
驚いたのは、その行為に対してじゃない。
予想以上の至近距離にその人の顔があったからだ。
その人は一瞬だけ私の目を見つめ、それから視線をおでこへと移した。
「赤くなってる」
心配そうな眼差しを向けられた途端、鼓動が一気に速くなった。
この音が聞こえてしまうかもしれない。
そう思った私は慌てて口を開いた。
「ぜ……全然平気ですっ」
「そうか?」
「はいっ」
焦った私の声は、自分でも驚くほど大きかった。
ひぃっ!
なんで私は、こんな大声を出しているの?
焦れば焦るほど冷静さが遠のいていく。
そんな私を見て、その人は喉を鳴らして笑った。
は……恥ずかしい……。
「家はどこだ?」
笑いながら尋ねられる。
「駅の近くです」
答えてから思った。
なんでこの人、そんなことを聞くんだろう?
……というか、なんで私も普通に答えてるんだろう?
「……駅か」
小さく頷くと、その人は再び歩き出した。
繁華街のメインストリートを、駅の方へ向かって。




