エピソード4-2
どうしてこの人の手に、自分のものではない血が付いているのか……。
私はその人の手首を掴み、力いっぱい自分の方へ引き寄せた。
「……おい?」
彼が驚いているのは分かる。
……だけど今は、そんなことを気にしている場合じゃない。
私は引き寄せた大きな手を、ハンカチで力いっぱい拭き始めた。
「お……おい」
焦ったような声が聞こえたけれど、聞こえないふりをする。
薄い布地に、その人の手についていた液体が染み込んでいく。
付着してからそれほど時間が経っていなかったらしく、ある程度は拭き取ることができた。
焦った声を上げたわりに、その人は私の手を振り払おうとはしなかった。
されるがまま、大人しくしている。
「……よし」
私はその人の手を月明かりにかざして確認すると、大きな手を放した。
淡い水色のハンカチには紅い液体が染み込み、ところどころに染みを作っている。
私はそれを小さく畳み、バッグへしまおうとした。
「……待て」
その声に私は動きを止めて顔を上げる。
その人は私に向かって大きな手を差し出していた。
「……えっ?」
「それ」
視線の先は、私の手の中にあるハンカチだった。
「なんですか?」
私はハンカチとその人の顔を見比べる。
「それを渡せ」
〝それ〟がハンカチのことだと分かり、私は首を傾げた。
……まだどこか拭きたいのだろうか。
そう思い、素直に差し出す。
受け取ったその人は、ハンカチを自分のポケットへ入れた。
なに!?
……というか、なんで!?
「……あの……」
「うん?」
「それ、私のハンカチなんですけど……」
「知ってる」
知ってる?
知ってるのに、なんで自分のポケットに入れるの?
頭の中に疑問符を並べながら首を傾げる私を見て、その人は小さく笑った。
「こんなモノ、お前は持たない方がいい」
「……えっ?」
「今度、新しいハンカチを持ってくる」
言葉の意味が分からなかった。
……だけど、この人にハンカチを返す気がないことだけは理解できた。
だから私は、呟くように言った。
「……ハンカチならたくさんありますから、気にしないでください」
この人と再び会うことはない。
この人と私に〝今度〟なんてない。
果たされない約束なんてしたくなかった。
私はそう思っていた。
その時は。
私はまだ気づいていなかった。
この人との出会いが、私の生きる世界を変えることに。
私の時間に、その人が深く関わることに。
名前も年齢も……なにも知らないその人が、私にとってかけがえのない存在になることに……。
◇◇◇◇◇
「大丈夫ですか?」
「あぁ」
「ケガしてないですか?」
「あぁ」
「ひとりで帰れますか?」
「あぁ」
大丈夫だと確認した私は立ち上がった。
私が立ち上がると同時に、その人の視線も上へと動く。
「私、帰ります」
そう告げて背を向けた。
返事を待つことなく足を踏み出す。
その時、真後ろでなにかが動く気配がした。
不審に思って振り返った私は、その場で固まった。
でかッ!!
自慢じゃないけど……私は小さい。
成人しているにもかかわらず、私の身長は百五十センチにも届かない。
あと数ミリで百五十センチというところで、突如成長は止まってしまった。
それからどれだけ牛乳を飲んでも、背が伸びることはなかった。
どんどん成長していくクラスメートたちを横目に見ているうちに、気づけば下級生にまで追い抜かれていた。
その頃から、私は牛乳を飲むのをやめた。
背が低いことは、いつしか大きなコンプレックスになっていた。
『小さくて可愛い』
仲の良い友達にそう言って抱きしめられるたび、私は笑顔を返しながら心の中で溜息をついていた。
学校を卒業してからは、ハイヒールが私の武器になった。
コンプレックスを隠すための武器。
慣れないヒールで足が痛くなっても、バランスを崩して足首を捻っても、履くのをやめなかった。
十五センチヒールのサンダルを履いた私ですら、その人の顔を見るにはかなり見上げなければならない。
固まる私へ向かって、その人はゆっくりと近づいてきた。




