エピソード8-3
夜とはいえ、二十四時間営業のスーパーにはそれなりに人がいる。
その大勢の視線を、一瞬で集めてしまうくらいには盛大に……。
まぁ、外のアスファルトの上で転ぶよりは、この磨き上げられた床の上で転んだ方が傷は少なくて済むかもしれない。
でも、明るい照明の下でこれだけ多くの人に注目されるのは、精神的なダメージが大きすぎる。
数秒後の自分を想像すると、どうにか避けたいと思うけれど……。
もう遅かった。
どれだけ手足をばたつかせて傾いた身体を戻そうとしても、重力には逆らえない。
私はただ、自分のそそっかしさを恨むしかなかった。
全身に受ける衝撃を覚悟する。
だけど、いつまで経っても私はスーパーの床に倒れなかった。
代わりに感じたのは、腰をしっかり支えられる感触だった。
……あれ?
おそるおそる閉じていた目を開ける。
すると至近距離にマサトの顔と、固くて広い胸があった。
状況をうまく飲み込めない私は、ただ呆然とマサトを見つめる。
そんな私を見下ろすマサトの表情は、ひどく焦っていた。
「大丈夫か?」
「う……うん」
どうやら、またマサトに助けられたらしい。
「あ……ありがとう」
「あぁ」
マサトは私の身体を離し、ゆっくり立たせてくれた。
両足でしっかり床を踏みしめた私は、大惨事を回避できたことに胸をなで下ろす。
「……ってかさ」
「……なに?」
「お前、転びすぎじゃねぇ?」
「……そうだね。人と比べると、よく転ぶかも……」
「じゃあ、ケガとかもよくするのか?」
「ケガ?」
「あぁ」
「……うーん、ケガはあまりしないかな。あっ、でも、擦り傷とか青痣とかは絶えないかもしれない……ほら」
私は膝丈のスカートを少し持ち上げ、膝を指差した。
そこには治りかけの擦り傷と、薄くなった青痣が残っている。
先週転んだときにできた傷だ。
私の肘や膝には、一年中こんな傷がある気がする。
「……それ、痛ぇだろ?」
「ううん、全然」
「痛くねぇのか?」
「うん、このくらいの傷なら平気」
笑顔で答えた私を見て、マサトは呆れたように大きなため息をついた。
……あれ? 私、呆れられてる?
……もしかして、こんな話、しない方がよかったとか?
小心者の私は、どきどきしながらマサトから視線を外した。
顔は逸らしたのに、マサトの視線は痛いほど感じる。
まっすぐ向けられたその視線に、鼓動がさらに速くなった。
まずい。こんなドジな一面を知られてしまったから、嫌われるかもしれない。
そう思った途端、胸の奥が重くなった。
どうしてそんな気持ちになったのか、自分でもよく分からない。
まだ知り合ったばかりのマサトだ。
普段の私なら気にも留めないはずなのに、どうしてこんな気分になるんだろう。
重たい空気を破ったのは、
「ほっとけねぇな」
マサトの小さな呟きだった。
「えっ?」
思わず顔を上げる。
予想した通り、マサトは私をまっすぐ見ていた。
ただひとつ、予想と違ったのはその瞳だった。
呆れた目で見られていると思っていたのに、そこにあったのは、とても優しい眼差しだった。
◇◇◇◇◇
マサトが持つカゴの中へ、私は鍋の材料を次々と入れていく。
白菜。
長ネギ。
豆腐。
椎茸。
えのき。
食材でいっぱいになったカゴはかなり重いはずなのに、マサトは文句ひとつ言わず、ただ黙ってついてくる。
おばさんたちに興味津々の目で見られても、若い女性たちに驚いた顔を向けられても、マサトは表情を変えず、片手でカゴを持ったまま歩いていた。
鍋に欠かせない脇役たちをひと通り入れ終えた私は、
「ねぇ、マサト」
「うん?」
「なにか好き嫌いはある?」
メインの具材を選ぶ前に尋ねた。
「好き嫌い?」
「うん。これが好きとか、あれは食べられないとか」
私の問いに、マサトは少し考え込む。
そして、
「……特にねぇな」
ぽつりと答えた。
「はっ!?」
思わず大きな声が出た。




