エピソード8-1
「ねぇ」
「ん?」
「もう、やめる」
「なにを?」
「……敬語……」
「はっ?」
「年上だと思ってたから、ずっと敬語を使ってたんだけど……」
「うん」
「私の方が年上だったし、敬語はもうやめようと思う」
「あぁ」
「それから、今までは私の頭には『マサトさん』ってインプットしてたんだけど……」
「うん」
「それを『マサト』に書き換える」
「あぁ、そうしてくれ」
マサトさん――じゃなくてマサトが、柔らかく笑った。
「うん、そうする」
その笑顔につられて、私も笑った。
「……で?」
「えっ?」
「俺はなんて呼べばいいんだ?」
「なんてって?」
「年下だから『ヒナさん』って、呼んだ方がいいのか?」
なんか違う。
その呼び方に違和感を覚えた私は、
「ううん。マサトは今まで通り『ヒナ』って呼んでいいよ」
そう答えた。
「了解」
マサトはなぜか嬉しそうに頷いた。
「ねぇ、マサト」
「ん?」
「お腹空いてない?」
「腹?」
「うん」
「そう言えば、なんとなく」
「良かった。じゃあなにか食べに行こうよ。私、バイト終わったばっかりだからお腹ペコペコなんだ」
「あぁ、そうだな。なにが食いたい?」
「なににしようかな……あっ……」
「……ん?」
突然大きな声を出した私を見て、マサトが不思議そうな顔をする。
「お鍋」
「鍋?」
「うん、最近、無性に鍋が食べたかったんだけど、ひとりだとできなくて我慢してたんだ。マサトはお鍋は好き?」
「嫌いじゃねぇけど……」
「けど?」
「この時期に鍋って暑くねぇか?」
「……あっ……」
……確かに。今の時期に鍋は暑いかもしれない……。
鍋って真冬に食べるものだし。
肩を落とした私を見て、
「……まぁ、この時期の鍋も悪くねぇかもな」
マサトはそう言った。
明らかに気を遣ってくれている。
「今日じゃなくてもいいよ。冬になってから食べればいいんだし」
慌ててそう言うと、マサトは大きな手で私の頭を軽く撫でた。
「食いもんは食いたいと思った時に食うのが、いちばんうまいんだ」
「えっ?」
「だから、食いに行こうぜ」
「いいの?」
「もちろん」
その言葉が嬉しかった。
「じゃあ、材料買ってウチでしようよ」
「はっ?」
……なに? なんでそんなに驚いてるの?
「どうしたの?」
「いや今、『ウチで』って言わなかったか?」
「えっ? うん、言ったけど、それがどうかした?」
「……家はちょっと……」
「あっ、大丈夫だよ」
「大丈夫? なにが?」
「私、一人暮らしだから。誰かに気を遣う必要なんてないし」
「……」
「ワンルームだから広くはないんだけど、それでもゆっくりはできると思うよ」
「……」
「だから、ウチでしようよ」
「……なぁ、ヒナ」
「うん?」
「一応、俺は男なんだけど」
「うん、知ってるよ」
「自分の家に男を呼ぶのに抵抗感とかねぇのか?」
……抵抗感?
マサトが言った言葉の意味がよく分からなくて、私は首を傾げた。
そんな私を見て、マサトは大きく息を吐く。
「……お前は、もう少し危機感を持った方がいい」
「危機感?」
「あぁ。もし俺がお前の家から金品を盗んだらどうする?」
「えっ? マサトってそんなことする人なの?あっ、でもウチには盗まれるような物もお金もないから大丈夫だよ」
「……」
「じゃあ、もし俺がお前を襲ったらどうすんだ?」
「マサトはそんなことしないと思う」
「そんなこと分からねぇだろ」
「ごめんなさい」
「いや、別に怒ってるわけじゃなくて」
「怒ってないの?」
「あぁ。ただ、もう少し危機感を持てって……」
「良かった。てっきり怒られてるのかと思っちゃった」
「……」
「……じゃあ、行こうか」
「は? どこに?」
「えっ? 私の家だけど? あっ、その前にスーパーで材料買って行こうよ」
「全然、分かってねぇな」
勢いよく立ち上がった私を見上げ、マサトが呆れたように盛大なため息をついた。
「大丈夫」
「は?」
「マサトは悪い人じゃない」
「……なんでそう断言できるんだ?」




