魔法練習
「ヴィクトルさん、お待たせしました」
腕輪に声を掛けると、フワリと姿を現した。
「……濡れているではないか」
現れて早々にリュシルの髪を見て眉間に皺を寄せる。
「ふむ。丁度いい。自分で水分を抽出してみなさい。」
「……が、頑張ります……水分の、抽出……」
両手で髪に触れて水を取り除くイメージをする。
「えっと……みず、を……」
「自分の掌に集める」
「てのひらに……」
ヴィクトルの誘導に従い、髪に触れていた手を胸の前で広げる。髪からフワフワと水が浮き上がり、掌の上で集結していく。
「髪に潤いが残る程度でいい」
「……はい」
胸下にある髪を見て取りすぎないように、集めるのを止めた。
「集めた水を空気に馴染ませる」
「空気……」
すぅー……っと少しずつ霧散し始める。
最後の雫が消えると、ほっと安堵の息が漏れた。
「……まぁ、及第点と言った所か。」
「ありがとうございますっ」
髪を指で梳きながら自分で出来たことに嬉しそうに微笑んだ。
「魔法の練習は何をしたらいいですか?」
「今日作った武器の生成速度と本数の増量だな。君の魔力なら理論上は百本程度まで増やせるはずだ。」
「分かりました」
ヴィクトルは手を差し出す。
「触れていた方が良いですか?」
「もしもの時、きみの魔力を抑えるにはその方が効率的だ」
「なるほど」
リュシルはそっと重ねて、反対の手の指先から大きな針を生成していく。
魔力が正しく身体を流れるようになったおかげで、生成速度は先程の半分以下で作れるようになった。
同じ密度……同じ硬度……
心の中で何度も唱えながら一つ一つ作っていく。
先程は十本で体力の限界が訪れたが、今は難なく二十本目を作っていた。集中力はあるため、作り上げた針を維持しながらも順調に数を増やしていく。
しかし――
四十本。
五十本……
そこで指先が震えた。
「……そこまでだ。」
「は……はい……はぁ、はぁ……」
「……体力が足りていないな」
四十本を超えたあたりから、生成速度が落ちていた。
息が上がり、視界がぼやける。リュシルは今、気力だけで立っている状態だった。
ヴィクトルに肩を支えられながらゆっくりとソファまで導かれ、座らせられる。
「……楽な姿勢になりなさい。横になって構わない。」
溜息とともに淑女として正し過ぎる姿勢に注意を受ける。その言葉に、リュシルはぎこちなく身体を横たえた。
未だ存在し続ける針達をヴィクトルはパチンと指を鳴らして霧散させ、リュシルの負担を少しでも軽くする。
「君はまず、体力の向上だな。今のままでは森すら歩けまい。」
「はい……」
まるで走り回った後のようにドクドクと耳のすぐ近くで心音を感じる。ただ立って魔法を使っていただけなのに、身体中が熱い。
身体の中を血液と魔力がグルグルと巡っているのが分かる。
「はぁ……はぁ、ふぅ……」
閉じていた瞳を開けると水色の髪が見えた。
リュシルの頭側の肘置きに腰掛けて、本を読んでいるらしいヴィクトルの背中。綺麗な真っ直ぐ落ちる長髪。癖毛のリュシルは少し羨ましいと思った。
呼吸が落ち着いてきて、再び瞳を閉じると深呼吸をして整える。
ガサガサと音がしたと思ったら、口に何かが入ってきた。
「んんっ!?」
ほろり……
「……んむ……」
起き上がって咀嚼する。口の中でホロホロと崩れて甘みとバターの香りが広がる。クッキーだ。
「少し食べなさい」
一口サイズに割られた残りを差し出され、こくりと頷いて大人しく受け取る。そう言えばお昼に買ってきてくれた袋の中にクッキーも入っていた。
「……美味しい、です……!」
ごくんと飲み込むと、瞳を輝かせて驚いたように言葉が出た。
食事はいつも砂を噛むような心地だったのに、甘みが、香りが、美味しいと思えた。
こんなにも食事が美味しいと思ったのは初めてだった――
「魔力が流れ出して体の機能も正常化したか」
やはり抑え込む事は悪影響しか生み出さないのか……カリカリとメモを取りながら呟くヴィクトル。
感覚が正常になったのか、このクッキーが美味しいのか正しくは分からないが、食事が苦痛でなくなるのならばリュシルは嬉しかった。サクサクと1枚のクッキーを食べる。
美味しい。
「美味しい」というのはこんなに嬉しい事なのかとリュシルは表情を和らげた。
「ヴィクトルさん、ありがとうございます」
「……言っただろう、主が使い物にならなければ僕の評価に関わるのだと。」
礼など不要だとそっぽを向いてしまったが、リュシルは微笑んではいと頷いた。
クッキーを食べ終え、リュシルは両手で水の球を作る。出して、消して、出して、霧散させて、また出して……座って、出したものを保持しなければあまり体力を使わないのではないかと思ったのだ。これならば生成速度を上げる練習も出来る気がした。
ヴィクトルは黙って見ている。
出して、消して……少しずつ、出すスピードは上がっているような気がするが、密度も硬度もないただの純水だ。少し、密度を上げて生成する。魔法の生成には神経を使う。先程までの純水と同じ速度で作るのはやはりまだ難しい。
しかしリュシルは楽しかった。今まで間違った指導で使えなかった魔法が、こうして自分の意思で使えることが嬉しかった。
ふよふよと浮かぶ水の球を針の形に変え、次は短剣の形に変え、他は何の形が出来るだろうと考える。そもそもリュシルには武器の知識が無かった。今までそのような物とは無縁だったのだから無理もないだろう。水の球になったまま両手の中でふよふよと浮かぶ。武器に拘らなくても良いのかとリュシルは次にカトラリーを形作った。スプーン、フォーク、ナイフ……他に知っているものは……ペン、インク瓶、封蝋を形作ってハッとした。
「お手紙……!」
忘れていた。お父様に報告の手紙を書かなければ。
「……家にか?」
「はい、落ち着いたら連絡をって執事に言われていたんでした。」
「ならば……家庭教師の事も書いた方がいい。」
「え……でも……」
「キミは家庭教師に殺されるところだったんだぞ?見逃していい問題では無いはずだ。」
「……はい。」
ぽんと一度だけ頭に触れてヴィクトルは腕輪に戻って行った。
机に向かい、シンプルな便箋を取り出す。
書いては紙を変え、書いては紙を変え……
数枚、書き直した末に一枚の手紙が出来上がった。
『親愛なるお父様
連絡が遅くなりましたこと大変申し訳ありません。
無事に召喚士学園に入学をし、英霊様との契約を結びました。英霊様のおかげで体内の魔力も正常に動き始めたようです。
そして、魔力について学んだことによって私が家庭教師に教えられていたことが間違いだということを知りました。
お父様の方にどのように報告がいっていたかは存じ上げませんが、私は当時、家庭教師から「淑女に魔力は不要、危険な魔力なので出してはいけない」と教えられていました。
しかし、学園で学び、抑え込むことばかりだった私はとても危険なことをしていたのだと知りました。
ずっとご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。
当時の家庭教師が何を思っていたのかは分かりませんが、どうか、私と同じ思いをする方がいないことを願います。――リュシル』
……これで、良いだろうか……
家庭教師が今どうしているのか、この手紙を送った後に家庭教師がどうなるのか、リュシルには分からない。関わりを持ったことが無いため父親がどんな人かも分からないのだ。噂では怖い方だと聞いた。しかしリュシルは実際の父を知らない。親なのに、肖像画で見た顔しか知らないというのもおかしな話だ。きっと、殿下の方が父のことを知っているのだろう。かと言って殿下に自分の父について聞く気にはなれない。
……出来る限り、殿下と関わらないようにしたい。変な噂になれば、それこそ自分の居場所が無くなるだけだから……。
リュシルは無事にこの学園を卒業して自立したいと考えていた。魔力のせいで死ぬのならば、それでも構わないとも思っていた。
しかし、魔法を扱えるようになりつつある今は少し希望が見えてきて、ヴィクトルが許すならば冒険者として活動したいと考えている。
公爵家としても卒業後に戻ってこられても迷惑だろう……自身が嫌われている事は百も承知だ。次兄には治らぬ怪我までさせてしまったのだから、戻る事は出来ないと思っている。だが、魔力が落ち着いたのなら家の為にと結婚させられる可能性も捨てきれない。
……でも……
私が魔力過多症なのは変わらないし、召喚士でなければまた症状は重たくなる……
やっぱり、私が家のために出来ることは出て行くこと、かしら……
結婚するにしても瑕疵があるから正妻にはなれないし、召喚獣付きだものね。一人で生きていくためには私ももっと強くならなくては。
教科書通りの淑女にならなくても良いのではないかと気付いて、リュシルは少しだけ肩の力が抜けた。
レナさんのような明るさは私にはないけれど……
ただのリュシルになれたなら――……
「……頑張ります。」
うん、と両手を握って一人気合を入れる。
手紙を丁寧に折り、封筒に入れて蝋を垂らす。封蝋を押したら完成だ。あとはこれを受付に頼むだけ。夕飯の時に持って行こう。
そう言えば、と教科書と一緒に置かれていた羊皮紙を見る。
『選択教科の案内』希望者には科目選択をして学べる教科があるらしい。
薬草学、錬金術、占星術、古代文学、生物学の五つから選べるようだ。
どれも初めて知るものばかりで胸が躍る。どうしよう。冒険者としてあった方が良いものと言ったら薬草学だろうか。古代文学も気になる。遺跡探索などもいつかしてみたいものだ。錬金術で何か人の役に立つものを作り出せたら素敵だ。占星術は叡智が詰まっていると聞くし、生物学は後世に伝えておきたいものだ。
「どうしましょう……」
中々決められない。
私に合っているものはどれだろう?
『薬草学は覚えておいた方がいい。ギルドの依頼にも薬草の採集依頼はよく出ている。自分で調合出来るようになれば小遣い稼ぎも可能だ。』
「 ! そうなんですね。それなら今年は薬草学にします。」
『一年は薬草学、二年は錬金術、三年はその時興味のあるもので良いだろう。薬草学と錬金術は似ている所もあるから二つは続けて学んだ方が分かりやすいはずだ。』
「分かりました。ありがとうございます。」
ヴィクトルの意見に素直に頷く。
そうだ。自立をするためには生計を立てられるようにならなければいけないのだ。学生のうちに少しづつでも金策しなければ卒業後に無一文では自立も何もない。
リュシルは羊皮紙に『薬草学』と書いてサインを入れる。
明日も午前の座学だけだから午後は図書館で薬草学の本でも読もうかな、なんて思いながら教材を全て亜空間BOXへ入れた。
机の上には手紙と裁縫セット。自宅から何枚か持って来ていた古布をクローゼットから取り出し、針をとった。
カードキーを入れる袋を作りたかった。
制服のスカートに……いや、ベルトに通せるように作ろう。冒険者として活動する際にはギルドカードも携帯しなければいけないから、二つが入るサイズで……ベルトに通せて、取り出しやすいように……
亜空間BOXでも良いが、自分に何かあった場合、すぐに身分証がわかった方がいいだろうと身につけられる形にする。
カードのサイズを型取り、布を裁って縫い合わせる。
離れで一人で過ごしている時、手慰みにベッドの上でずっと縫い物をしていた。刺繍をしたりレースを編んだり、ぬいぐるみを作ったり。
やはり刺繍を1番多く縫っていたが、ちょっとしたポーチなども作っていた。リュシルにとっては慣れた作業なので、スイスイと針が進む。
一時間ほどで、カードポシェットが完成した。ベルトに付けて、ワンピースの上から装着する。
「よし、出来ました」
そろそろ食堂が開く時間だ。他学年も入り交じる談話室と食堂は少し気が重い。出来れば今日はもう誰にも関わらずに過ごしたかった。
しかし……ここは学園だ。学生と言えども多少の社交は必要なのだ。
ふぅ、と小さく息を吐きカーディガンを羽織って手紙を持つと部屋を出る。
食堂が空いてすぐは一年の入室可能時間となっていたから、今の時間ならば殿下に会うことはないだろう。
大丈夫、大丈夫、と階段を降りながら自分に言い聞かせる。少し緊張しながら談話室に続くドアを開けた。
「あ。来た!リュシルー!」
「レナさん……!」
跳ねるように駆け寄ってくるレナに、驚いたように口元を抑えるリュシル。
「やっと会えた〜!クラス違ったんだね。残念。」
「はい……私も今朝知ったばかりだったので……残念です。」
「良かったら、夕飯は一緒に取ってもいいかしら?」
「はい、是非。」
二人は一緒に歩き出した。
「リュシルは初授業、どうだった?」
「とても楽しかったです。私、初めて魔法が使えたんですっ」
弾んだ声で楽しそうに笑っている。
レナは一瞬目を見開いて、同じ様に笑顔を見せた。
「えっ本当に!?おめでとう!今日はリュシルの記念日だねっ」
「記念日……! そうですね、今日の事を忘れないようにします。」
胸に手を当てて大事な思い出をしまうように微笑んだ。その時手の中で手紙がくしゃっと小さく音を立てる。
「あ。私ちょっとお手紙出してきますね。」
「それなら一緒に行くよ。」
「ありがとうございます。」
お互いに微笑みあって寮の受付まで歩いた。
受付で手紙を渡し、食堂へ向かう。どんな魔法を使ったとか、亜空間BOXの呪文を唱えたら出てきたのが穴だったとか、リュシルが話す度にレナは楽しそうな声を上げている。
他愛ない会話がこんなに楽しいものなのだと、リュシルは初めて知った。
私の話に笑って答えてくれる……嬉しい……
胸が温かくて、幸せな気持ちだった。先程までは誰にも会いたくないと思っていたのに、レナは本当に太陽みたいな子だった。レナがいるとこの場が明るくなっているような気がするのだ。
食事を選び二人で席に着く。リュシルはパン、スープ、フルーツを選んだ。少しドキドキしながら食事に口を付ける。さっきのクッキーが特別美味しかったのか、それとも味覚が回復したのか……
「…………美味しいですね」
ほぅと少し頬を染めて息を吐く。
どうやら後者だったようだ。
食事が、美味しい。
スープはよく煮込まれた肉と野菜。パンは香ばしい麦の香り。フルーツは瑞々しくて甘酸っぱい。
飲み込むのが苦ではない。
美味しいけれどいきなり沢山はやはり食べられず、少しづつをしっかり味わっていただく。
「……あ。そう言えぱ、クラスの子に聞いたんだけど……」
何かを思い出したようにレナが声を上げた。
「はい?」
「……今朝、殿下に会ったんだって?」
「……はい……とても花が舞っていました……」
視線を落とし、困った表情を浮かべて今朝の殿下を思い出す。……花が、舞っていた……。
「……ぶふっ……ふふっ……殿下は相変わらずなんだね」
リュシルの花の表現に吹き出しながら、昔のお茶会を思い出す。
レナは明らさまに態度が違った殿下を覚えていた。
令息や令嬢が殿下に話し掛けても表情を崩さないのに、リュシルと話す時だけ柔らかい表情を浮かべていたのだ。
しかし、リュシルはそれを知らなかった。いつだって体内の魔力が漏れ出ないように抑え込むことに必死で、表情を取り繕う事しか頭になかったのだ。
「……相変わらず……?」
「あれ。気付いてなかった?昔のお茶会の時から殿下はリュシルしか見てなかったよ。」
「……全然、知りませんでした……」
呆然とレナを見つめる。
知らなかった。昔から殿下はあんな感じだった?
……覚えていない。
私は……みんなの顔すら、覚えていない……
名前は、記憶していた。
しっかり覚えなさいと指導され毎回、暗記していたから。図書館で会ったサシャもお茶会の時に名前を聞いたことがある。
しかし、顔は覚えていなかった……




