図書館
リュシルは静かに涙を流していた。
魔力を通して共有される術者の感情にヴィクトルは眉を寄せる。深い悲しみと何故、どうして、と言う答えの見えない疑問はとても覚えのある感情だった。
腕輪の中でヴィクトルは自身の首に触れる。昔、自責の念に駆られ自ら切った喉元……フッと自嘲気味な笑みが零れた。
リュシルの傍に顕現しようとしたが、図書館にリュシル以外の気配を感じ様子を見る。
「……どうしたの……?」
足音もなく隣からハンカチが差し出された。
リュシルはビクリと肩を跳ねさせ、慌てて目元を擦る。
「擦ると良くないよ。使って?」
穏やかな優しい声。初めて聞く声だ。
こくりと頷き、そっとハンカチを受け取る。目元に押し当て、長く息を吐く。
「……すみません……」
「気にしないで。他に人はいないし。」
「……ありがとう、ございます……」
隣を見上げれば、中性的な顔立ちの優しい顔があった。
……先程、クラスで見た気がする。
リュシルの思考を読んだかのように、彼はクスクスと笑みを零した。
「同じ中距離クラスだよ。ぼくはサシャ・ギルベール。宜しくねリュシルさん」
「宜しくお願いします、サシャさん……ごめんなさい、こんな姿で……」
「ううん。ぼくはただ魔力の揺らぎが気になって来ただけだから。邪魔しちゃってたらごめんね。」
サシャの言葉にふるふると首を振った。声をかけて貰えて良かったかもしれない。悲しみに沈み込まずに済んだ気がした。
「……どうやってここに?」
ドアの音は聞こえなかった気がする。
「僕のエルフの能力、テレポートで直接飛んで来た。」
机に軽く腰掛けて、リュシルの髪を撫でる。ビクリと震えたリュシルだが恐怖はない。まるで幼い子供をあやすような仕草だった。
「リュシルさんの魔力、とても綺麗だね。涙も、髪も……」
撫でていた手で髪を一筋すくい上げ、サシャがそこに軽く口付けようとしたその瞬間、リュシルの視界が暗くなった。
「えっ」
「……おっと。……ふふふっ、ぼくは君の主を傷付けてはいないだろう?」
「……主に不用意に触れるな。離れろ。」
リュシルの背後から目元を隠し、サシャを睨みつける。サシャは肩を竦めて顔の横で両手を開いた。
「ヴィクトルさん……?」
何が起きたのかと、視界を遮る手から逃れるように上を見る。
「噂と違って案外、過保護なんだね。」
サシャは面白そうに目を細めてヴィクトルを見ていた。その笑みに比例するようにヴィクトルの表情は険しくなる。
「……分かったよ。そんなに睨まないでくれ。ぼくは授業に戻るさ。……またね、リュシルさん」
「あ、はいっ。ハンカチありがとうございました」
リュシルの声に笑顔を見せると、一瞬後ろに現れたエルフと共に消えていった。
再び静かになった図書館。
僅かに眉間に皺を寄せたヴィクトルがリュシルを見下ろしてその頭にぽんと手を置いた。
「……ヴィクトルさん……?」
無言のまま、何度かぽんぽんと頭を撫でられる。
どうしたのか分からなかったが、リュシルは大人しく撫でられる事にした。
英霊という存在のヴィクトルには体温などない。体温が高めのリュシルにはひんやりと感じられる手。しかし大きな手は安心感を与えてくれる。
「……さっきは、なにか気に障ること言ってしまったみたいですみません。」
「……いや……」
ただ少し、過去を思い出してしまっただけだ。そう言おうとして、口を噤む。
感傷に浸るなんて非合理的だ……まだ、この少女が主の器として相応しいのか見極めきれていない。今はただ、研究対象なだけだ。不要な情報は必要ない……
「……私、ワザと魔力の扱いについて教えられていなかったのかもしれません……この本に書かれていることと、別のことを、教えられてきました。魔力は不要だと、危険な魔力だから出してはいけないと……本当は、溜め込む方が、良くないんですね……」
「……そうみたいだな。……だが、もう出せるだろう?」
「……私、もっと魔力を出しても良いんですか?本当に、大丈夫でしょうか?」
「不安ならば、少しずつ出す魔力を多くしていけばいい。いきなり全部は出せないのだから。」
「少し、ずつ……」
「まずは初歩の亜空間BOXからだな。三歳の幼子でも出来る基本魔法だ。……その本にも書かれているはずだ。」
「……はいっ!」
ホッとしたように笑顔を見せた。
サシャから受け取ったハンカチを本の脇に置き、本の続きに目を通す。
魔法の属性について――
『魔法の基本属性は七つ。火、水、風、土、聖、闇、無。火と水、風と土、聖と闇はそれぞれ互いに打ち消し合う。又、それぞれに進化・派生属性も存在する。』
『火の進化・派生属性は 炎、熱、蒼炎、黒炎
水の進化・派生属性は 氷、雷、雪、毒
風の進化・派生属性は 嵐、竜巻、浮遊
土の進化・派生属性は 草、岩石
聖の進化・派生属性は 光、心
闇の進化・派生属性は 暗黒、呪
無の進化・派生属性は 時間、空間
※現在 確認出来ているもののみ。』
『――初歩魔法――
魔力を持つものは無属性魔法が使用可能である。これは生活魔法とも呼ばれる。
・亜空間BOX
常に自分の近くに共にある自分専用の入れ物である。空間の大きさは魔力の多さにもよる。又、空間属性を持つ者は容量の上限が検証不可能との記録が残っている。
なお、BOX内も現実の時間と同様に時間が経過する為、保存には注意が必要である。
詠唱
「開け、虚空の扉。果てなき器を我に与えん」』
「あ。ありました。この詠唱をしたら使えるようになるんですか?」
「あぁ。イメージで出来る者もいるが、詠唱をした方が危険もなく確実だからな。キミもやってみたら良い。」
コクリと頷いて、深呼吸をする。
ドキドキする胸に両手を当てて、瞳を閉じた。
「『開け、虚空の扉。果てなき器を我に与えん』」
恐る恐る眼を開く。
目の前にポッカリと暗い穴が見えた。
「…………穴?」
「……あな……?」
リュシルの言葉にどういう事なのかと繰り返した。
「えと……ここに……穴が、あります。」
自分の前を指さして、どうにか伝えようとしてもどうしても「穴」にしか見えない。
「……ふむ。恐らくそれがBOXの入口だな。何か入れてみたらいい。」
「……出てこなくなることは無い、ですよね?」
「取りたいものを思えば手の届くところに勝手に来る。」
真っ暗で底の見えない穴は少し怖いが、これがBOXならば使えるようになりたい。リュシルは鞄の中から手鏡を取り出し、目の前の暗い穴に入れた。
「……入りました。これで、取る……」
暗い穴に手を入れ、手鏡を思い浮かべる。すると、掌に硬い感触。ドキドキしながら掴んで手を穴から出せば、手鏡が握られている。
「……で……出来ました!」
「良かったな」
「はいっ!これが……私の亜空間BOX……」
「意識しなければ入口は消える。使いたい時にBOXを思い浮かべればまた出てくる。BOX内の広さは……キミの場合、家一軒くらい入るんじゃないか?」
恐らくもっと入るとは思うが……
ヴィクトルは何となく、言うのを辞めた。本音を言えばどれだけ入るのか検証したいところではあるが、リュシルの魔力量を考えると空間属性を持ってる者と変わらないような気がした。つまり、ほぼ無限。
そもそも、BOXの入口が「穴」と言うのは初耳だった。大体の者が、箱のような枠が見えるのだ。枠内のどこでも手を入れれば中身が取り出せるし、その枠の大きさで容量は把握出来る。しかし、見えるものが「穴」しかないということは……
枠が見えない時点で、上限など無いに等しいだろう。
「……一軒分……そんなに……?」
「魔力量に寄って大きさも変わるからな。僕の場合は貴族の使うベッド位の大きさだ。」
「そうなんですね……私も同じ位で良かったのに……」
苦笑を滲ませながらも、魔法を使えて嬉しいのか鞄の中身を亜空間BOXに入れていく。
「これは……常に魔力を消費してることになるのですか?」
「そうだな。微々たるものだが、な。」
「そうなんですね……生活魔法、もっと覚えたいです」
よしっと気合を入れて本のページを捲る。
『――初歩魔法――
・洗浄魔法
汚れたものを綺麗にする。熟練度により、無詠唱や対象範囲の拡大が見られる。又、属性魔法と併用することにより一段上の効果をもたらすことも可能。
詠唱
「あるべき姿を取り戻し、非なるものを削ぎ落とせ」』
「洗浄魔法……昨日、ヴィクトルさんがカップを綺麗にしていた魔法ですね」
「あぁ。それは必須だな。掃除、洗濯、洗浄、身を清めることも可能だ。」
「凄く便利な魔法ですね……!」
「キミは水が使えるから他にも応用が利くぞ」
「そうなんですか?」
「水で洗った後にその水分を抽出すれば簡単に乾燥させられる。温水を作れるようになれば風呂代わりもできる。風属性は風を使って乾燥させたり、火属性は保温効果を付けられたり。聖魔法では殺菌なども出来ると聞く。」
「属性によって色々な効果もあるんですね」
コクリと頷いてヴィクトルはハンカチに手をかざす。リュシルの涙を吸い込んだハンカチから水分が抜き取られ、霧散する。
「これが水を抽出した状態。これに無属性の洗浄魔法を掛ければ使用前と同じになる。もしくは、水と共に洗浄魔法にかけ、後から水分を抜き取る。」
やってみなさい、とハンカチを差し出す。
リュシルは両手でハンカチを受け取り、詠唱をした。フワリとハンカチが揺れ、シワの無い綺麗な状態に変わる。
「わぁ……出来ました!シワが綺麗になりました!」
小さな成功体験が少しずつリュシルに自信を与えてくれる。その様子を眺めるヴィクトルは普段と変わらぬ無表情。しかし、纏う雰囲気は昨日より柔らかくなっていた。
「初歩はそれだけだ。次は魔力過多症について読んでおけ」
「はいっ」
本を変え、読んでいく。
『魔力過多症とは、身体の許容量を凌駕して魔力が作られ続けてしまう症状である。
主に発熱や倦怠感を伴う。
身体の成長によって許容量も増えるため、成長と共に落ち着く事もあるが、中には多すぎる魔力で死に至ることもある。』
「…………」
……何度か耳にした。このままでは死んでしまうって言っていた主治医の声。
でも……大体、そう言われた翌日に魔力が少し落ち着いていた。あれはどうしてだったんだろう?
『多くの者が召喚士として冒険者になるか、技術職として魔力を消費して健常者と同じ生活を送っている。魔力過多症の者は少しでも多くの魔力を消費する事が現在の解決策となっている。』
「……やはり、魔力を消費するのが良いんですね。」
「そうだな。」
「では……いっぱい使ってください、ヴィクトルさん」
……ここで泣くなら契約解除をしようかと思ったが、そんなに弱くは無いらしいな……
「……仕方ないな。こっちの魔石にも付与してもらおうか。」
そう言って、魔法陣の書かれた布と魔石を数個ゴロゴロと机に並べた。
「 ! ……はいっ」
リュシルが魔石に魔力を注入し、ヴィクトルは本を片付ける。リュシルは少しだけ、魔力を流したり止めたりと言うのが分かってきた気がした。
ヴィクトルが出した全部の魔石に魔力を注入し終えると、また少し身体が軽い感じがした。
しかし、ふとリュシルは自分の胸元を抑えて首を傾げる。
「……どうかしたか?」
「あ、いえ……何か、魔力が……動いてる?」
ヴィクトルはリュシルの魔力を注視する。
「……あぁ。やっと正しく動き始めただけだ。問題ない。」
「それはどういう……?」
「本来、魔力は身体を血液のように巡っている。だから息をするように扱えるものなんだ。しかし、君は抑え込むことを教えられてしまって循環が出来ていなかった。……それが、魔力を流し始めたことによって詰まりが解消したようなものだ。それが正常なのだよ。」
「……この感覚が、正常……」
「その流れに乗せて、今日の授業と同じことをしてみなさい」
「はい……」
指先に水の球……
「あっ……すぐ出せます!」
リュシルの指先に小さな水の球が出来る。先程までは指先に持っていくまでの時間が必要だったが、身体を巡る魔力を指先に集めるだけなので、イメージをしたらすぐに出来た。
「それをまた身体に戻すか、空中に霧散させたら自在に扱える。」
体内の流れに戻すイメージをしたらすぐに球は消えていった。
「戻せました……!」
「フン……僕が教えてやっているんだから出来て当然だ。」
ヴィクトルは魔石の魔力を確認しながら片付け、リュシル教科書を広げ始めた。
……王太子に気に入られた公爵令嬢となれば排除しようと動く輩はいくらでも居るだろう。幼少期から命を狙われていたようなものだったのか……
いつの時代も、面倒臭いことだらけだな……
僅かに哀れみの色を乗せた瞳で、教科書に視線を落とす少女を見る。今朝の王太子の様子は人の感情の機微に疎いヴィクトルでも分かる程だった。
アレが子供の頃からなら、嫉妬で動く者もいるだろう。幼心にも嫉妬心は存在する。理性が未熟な分、それは大きくなるだろう。甘やかすだけの親ならば子供の我儘を諌めずに聞いてしまうこともある。そうして送り込まれた家庭教師だったとしたら……
――いや、僕が考えることではないな……推測でしかない事象なぞ不合理なだけだ。
「……あの、ヴィクトルさん」
「なんだ?」
「その……思考や感情が、契約したもの同士で通じるってあるんですが……その……私の思考も、伝わっていたのでしょうか……?」
「あぁ……全てでは無いが、強い思考や感情はこちらにも届く。」
「そうなんですね……何だか恥ずかしいですね」
「……は?」
恥ずかしい?何がだ?今恥ずかしがる場面がどこにあった?
「こう……モヤモヤした感情って無意識に強く考えてしまうので。それがヴィクトルさんにも伝わってしまうのって、何だか申し訳ないですし……そんな事で悩んでいるのかって思われたら恥ずかしいじゃないですか」
眉を下げて微笑む。
術者の感情に対して、どうこう思った事など然程ないヴィクトルは理解し難い解釈だった。
「……くだらん。僕は君の感情に興味はない。」
ヴィクトルは腕を組んで視線を外す。
「……それなら、気にしなくて大丈夫そうですね」
ふふふっと何故か微笑んで、リュシルはまた教科書に視線を戻した。
ヴィクトルは興味はないと言っていたが、先程泣いていた時に心配する気配は確かに感じた。あの感覚がこの共有される思考感情と言うものならば、彼はきっと少しばかり私に心を砕いてくれていたのだと、リュシルは何だか胸が温かくなったのだった。
その後も教科書を読み、分からないところはヴィクトルに解説してもらい、ジャンヌに言われた部分まで読み終えた。
「魔法の練習はここでは危険ですよね」
リュシルは水属性だ。ここは図書館なので水気はあまり好ましくない。
「君はまだ自室で十分だろう。」
「分かりました。ではお部屋に戻りましょう。」
教科書を亜空間BOXにしまい、軽くなった鞄を持って席を立った。サシャから借りたハンカチも忘れずにBOXへしまう。ヴィクトルは少し嫌な顔をしていたが、借りたものはキチンと返さなければ。
並んで廊下を歩き、階段ではまたエスコートされ、校舎を出た。寮までの渡り廊下は午後の日差しで朝とはまた違う輝きをしていた。
他の生徒はまだ授業中なので寮は静かだ。食堂も談話室も閑散としている。
楽になった身体で階段を上がっていく。体力は相変わらずなので息は切れているが、ヴィクトルがこちらでもエスコートしてくれている。支えられている分、少し楽だった。ヴィクトルは細く見えるが、片腕でリュシルを支えられる筋肉を持っているらしい。
「……支度が出来たら呼べ」
部屋に着くなり、そう言って腕輪に消えていく。
リュシルは軽くシャワーを浴びて制服から楽なワンピースに着替えると腕輪に声を掛けた。




