初めての授業
残っていたハーブティーを飲み干して、片付けた。
シャワーを浴びて、ベッドに腰掛けるとタオルで髪を拭いて、横になる。
明日から授業だ。頑張ろう。
瞳を閉じるとレオンの非難を込めた赤い瞳を思い出した。……大丈夫。慣れている。私が気にしなければいいだけ。
……大丈夫……。大丈夫……。
「おやすみなさい」
思っていたよりも疲れていたようで、すんなりと睡魔が訪れた。
すぅすぅと規則正しい寝息が聞こえてきた頃、ベッドの傍らにヴィクトルが姿を現した。リュシルを見下ろし、魔力の流れを見る。
「……少し、増えたか。」
……思考や感情がこちらに伝わることは知らないのだろうな。先程流れ込んできた彼女の感情。孤独感、悲愴感と生への執着の無さが見えた。それなのに魔力の純度が高いとは……血筋なのか純粋すぎるのか。
何とも不可解な少女だ。
リュシルの目元にかかる前髪をサラリと横に流し、眉を寄せる。
「まだ濡れているじゃないか」
パチンと指を鳴らしリュシルの髪に残る水分を掌に集める。髪が乾いたところで掌に集まった水分を霧散させた。
こんな、日常で使うような魔法すら使えない子が僕の主とは……先が思いやられる。
溜息をひとつ零し、腕輪の中へ消えていく。
――翌朝。
窓から差し込む光に意識が浮上する。
「……眩しい……」
むくりと起き上がり、ぼぅっと窓の外を眺めた。
「……夢じゃ、なかった……」
私は召喚士の学園に居るんだ……。身体の軽さも、夢なんかじゃなかった。
コツ……と足音が聞こえ、そちらを向けば水色の長髪に眼鏡をかけたヴィクトルがいる。
「おはようございます、ヴィクトルさん」
「……手を。」
「はい。」
昨日と同じように起床時の脈を測るらしい。素直に手を差し出し、大人しく待つ。
「……良いだろう。……昨日より魔力はまた溜まってきている。暫くは二日に一度くらいの魔力供給が妥当だ。」
「はい。ヴィクトルさんは……それで大丈夫なのですか?」
多過ぎる魔力が毒だということは身をもって知っているリュシルは心配そうにヴィクトルを見上げていた。
「君と同じように考えてもらっては困るね。……僕は魔力の扱いに長けている。無用な心配だ。」
「それなら良かったです」
「わかったなら早く支度をしなさい。今日から授業だろう。」
その言葉を残してヴィクトルの姿が消えた。昨日も思ったが、身支度を整える時などはきちんと配慮してくれているらしい。思いがけない気遣いに気持ちが和んだ。
表情が変わらず冷たいようにも見えるが、思いやりばかりを貰っている気がした。
ベッドから出て身支度を整える。机に教材と共に置かれた予定表を確認し持ち物を揃えて、絡まりやすい癖毛に櫛を通す。
「……いた……」
また絡んでしまっている。朝の髪はいつも大変だった。少しずつ手に取り、毛先から櫛を通しているのにすぐに絡んでしまうのだ。
しかし、今日はいつもよりは絡んでいない。ヘアセットが楽に出来るのは助かるのでリュシルは機嫌良く櫛を通していった。
腕輪の中で様子を見ていたヴィクトルは知らぬ間に口角が上がっている。
今まで濡れた髪のまま寝ていたのなら絡まるのも当然だろうと思いながら瞳を閉じた。
髪をハーフアップに纏め、鞄と鍵を持って立ち上がる。
「行ってきます」
食堂で朝食を摂ったらそのまま教務室へ行く予定だ。ドキドキする胸に手を当て、深呼吸をしてからドアを開けた。
階段を下り談話室には数人のグループが既に談笑していた。小さく会釈して、通り抜ける。食堂は昨晩と変わらず朝から賑やかだった。あまり食欲は無いが、何かしらは食べておかなければとスープとサラダ、フルーツとさっぱりしたものを中心に小盛の物をチョイスした。
なるべく静かな席を探し、腰を落ち着ける。
スープを一口飲んで、ほっと息をついた。寒い訳では無いが温かさが染み渡る。無意識に緊張して強ばっていたようだ。
リュシルがのんびり朝食をとっていると不意に入口付近が色めき立った。何事かと覗き見れば、このオベール国の王太子の姿。和かに挨拶をしながら食堂内を見渡している。
誰か探しているのかしら……?
その時、パチリと眼が合った。その瞬間分かりやすく破顔する王太子に、リュシルは固まってしまった。
婚約者候補だった幼少期。一番顔を合わせていた相手ではあるが、魔力が暴走して以来会っていない。何より、その一件で正式な婚約者にもなっていない。あくまで『候補』として交流をしていた相手。
だが……何故あんなにも輝かしい笑顔でこちらに向かっているのだろう。
花が舞っているように見えるのは何故かしら……
ああ、ほら……その輝かしい笑顔でノックアウトされてるご令嬢がいらっしゃいますよ……!
……待って、待って!
来ないで!
目立ちたくないのに……!
「――リュシル嬢っ」
「……っ……」
サッと立ち上がり、綺麗なカーテシーをとる。
「……ご無沙汰しております、殿下。」
「顔を上げてくれ、そんな礼は必要ないよ。ここでは同じ生徒なのだから。」
「はい。」
「本当に久しぶりだね、リュシル。……身体の方はもう平気なのかい?」
「はい。召喚者のお陰でとても楽になりました。」
「それは良かった。……迷惑かもしれないが、ずっと、逢いたかったんだ。」
「……恐れ多いことでございます。」
「ふふっ、謙遜しないでおくれ。僕は君と話をするのが好きなんだ。それに……僕の婚約者の席はまだ空いているからね。」
「……え?」
「君の顔を見れて良かった。またね。」
王太子は手を振り去っていった。
周りの視線が痛いリュシルは王太子の背に頭を下げて、先程座っていた席に再び腰を下ろす。
小さな声だったが、婚約者の席は空いている、そう言っていた。
私には魔力過多と言う瑕疵があるから候補からも除外されているはずなのに……
溜息が漏れてしまう。
サラダを少しとフルーツを一口食べて、リュシルの食欲はもう無くなってしまった。
フォークを置いて二度目の溜息が漏れると、脳内に声が響いてきた。
『スープだけでも全部飲め。』
『……はい……』
三度目の溜息をぐっと飲み込み、スプーンを手に取る。数回、スープと口へスプーンを往復させて手が止まる。
『すみません、限界です……』
『……わかった。』
溜息と共に返ってきた返事にホッとして、席を立った。返却口にトレーを置いて、食堂を出る。
寮の受付に朝の挨拶をして渡り廊下が敷かれた校舎への道を歩いた。朝の清々しい空気が心地良い。
この学園は王都の外れにあり、野外訓練場や隣接している森での実践なんかもあるため広大だ。魔法を扱う為に広い土地ではあるが、基本的に相続権利のない中~高位貴族の長子以外の子息令嬢が通うため生徒数はそこまで多くはない。低位貴族はあまり魔力を有していない為、王都のアカデミーで前期中等教育まで受けて領地に戻る者も多いのだ。王族は前期中等教育後はそのまま後期もアカデミーで学ぶか、他の学園に行くか選べる。
王太子はどうやら後者だったようだ。
昨日はあまり見れなかった景色を眺めながら歩く。
今でも信じられない。こんな風に普通に歩いて学園で過ごしているなんて。
校舎に到着するとすぐに教務室へ向かった。まだ内部の道が分かっていないので、案内図を片手に歩く。
三階建ての校舎の一階に医務室、購買部、事務局と学長室、そして教務室。
二階は教室が並び、渡り廊下で召喚の間ともう一つの渡り廊下が図書館へ続いている。それぞれ別棟だ。
三階は一角が教室で、大半は屋上庭園になっているらしい。
外には広い訓練場と温室や薬草園もある。そして森。森と隣接してはいるが学園の周りは常に結界が張られており、魔物が侵入することはないようだ。
案内図通りに進み、教務室の前に辿り着いた。ノックをするとちょうどドアの近くに居たらしい先生がドアを開けてくれた。
「おはようございます。一年のリュシル・フォンテーヌです。」
「あぁ、おはようございます。担当を呼びますので少々お待ちを。」
「はい。」
無精髭と長い前髪で隠れた目元、起きてそのままのような髪型の先生が気怠げに別の先生を呼びに行った。
入れ替わりにやってきたのは先程の先生とは正反対の女性の先生だった。シンプルなシャツとパンツにロングブーツ。そして黒く長い髪を高い位置で1つに纏めている。
「おはよう。あなたがヴィクトル様と契約したリュシルさんね。私はジャンヌ。あなたのクラスの担任になるわ。」
「宜しくお願い致します。」
「えぇ、宜しく。あなたは今日明日は午前の講義だけね。週明けから一日の授業になるわ。」
「そうなのですね。」
「一応、方針として魔力過多の子に無理はさせられないの。でも図書館は利用可能だから、程々になら使ってくれて構わないわ。」
「わかりました。ご配慮ありがとうございます。」
「それじゃぁ、教室に案内するわね。着いてきてちょうだい。」
「はい。」
ハキハキとして気持ちのいい先生だ。リュシルは内心ホッとしてジャンヌの後を追った。
「あなたの戦闘タイプは中距離クラスになるわ。昨日、戦闘タイプに分かれたんだけど、今日からそのクラスでの授業になるの。今年はあなた含めて男女三人ずつの六人。近接戦闘タイプも男女合わせて六人。長距離は四人しかいないから中距離クラスと合同で、中~長距離クラスになってるわ。だからクラス人数は全部で十人ね。」
「そうなのですね。」
「年々、アカデミーを希望する子が増えていて人数が減っているのよね。まぁ、魔力がある程度ないとなれない職だから仕方ないところもあるんだけど。私達みたいな魔力過多がもっと早くから入学出来たらいいんだけどね。」
「……え?」
リュシルは思わず足を止める。
「うふふ。私も、過多症なのよ。女性同士だし何かあったらいつでも相談してちょうだい。」
ウィンクをしながら微笑まれちょっとドキドキした。
同じ過多症の人が、元気に笑顔で過ごしている。教師として、冒険者として、活動しているんだ。
「先生は……今はお身体は平気なのですか?」
「えぇ。私も召喚者が上手く使ってくれていてね。今は健常者と同じ生活が送れているわ。だから、あなたも大丈夫よ。」
「……はい……っ!」
胸の奥がぐっと熱かった。
自分も先生のように、なれるかは分からない。それでも、少し未来に希望が見えた気がした。
「さぁ、ここが教室。紹介するから一緒に入るわよ。」
「はい。」
ガチャッと扉を開けて、教室に入っていくジャンヌに続いてリュシルも足を踏み入れる。ドアを閉めて教卓の隣に進んだ。
「皆さんおはよう。今日から、体調不良で入学が遅れていたリュシルさんもこのクラスで学びます。みんなで仲良く切磋琢磨していきなさい。」
「リュシルです。宜しくお願い致します。」
「席は自由に座ってくれて構わないわ。私の授業は座学でも召喚者の顕現も自由よ。」
「分かりました。」
礼をして、取り敢えず1番近くの席に腰を落ち着けた。サッと見渡した限りレナとレオンの姿は無い。二人は近接クラスのようだ。
ジャンヌはリュシルが座るのを確認して、早速授業を始める。
「よし、始めるわよー。これまでは魔力の供給と、思考感情の共有について説明したわね。リュシルさんは教科書を読んで分からないところがあったらいつでも聞いてちょうだい。では、今日は魔法の扱いについて。」
良く通る声で、先生の説明が始まった。
魔力はエネルギー。そのエネルギーを変質させて魔法という形を作る。だからイメージが大切。イメージが出来ないものは形成出来ないので、エネルギーが安定せずに崩れてしまう。イメージを定着させる為に知識が必要。知識が足りないとイメージ通りにエネルギーを形成出来ない。
「例えば……私は戦闘の際に弓を良く使用するの。だから、すぐに魔法を形作れる。」
そう言って、一瞬のうちに左手に弓、右手に矢が現れた。ジャンヌは火属性らしく弓も矢も炎で作られている。
「でも、私は銃は作れないの。……形は見た事があるから出来るんだけど、引き金を引いても何も出ない。何故なら、内部構造を知らないから。」
今度は小さなピストルが出来上がった。しかし、先生の言うように引き金を引いても何も出ては来なかった。
「もちろん、イメージで飛ばすことも可能よ。けれど威力は段違いに弱くなる。さぁ、今日は中距離の子達は主とする武器を。長距離の子達は付与術を練習するわよ。」
外に出るわよー。とジャンヌが生徒達に移動を促す。皆すぐに教材を片し、ジャンヌの後に続いて教室を出ていった。リュシルもそれに倣って移動した。
訓練場に着くと召喚獣を出すように言われ、周りが腕輪に魔力を流したりしている中で、リュシルは腕輪に呼び掛けた。
「ヴィクトルさん、お願いします。」
「……。」
魔力は昨日たっぷり渡してあるので、顕現させる為の魔力はいらない。
ヴィクトルは酷く面倒臭そうな表情で、無言のままリュシルの隣に並ぶ。不機嫌なオーラがダダ漏れである。
クラスメイトはリュシルから(正しくはヴィクトルから)必要以上に距離を置いて、各々召喚獣を呼び出していて、ジャンヌはその様子を見て笑っていた。
「みんな顕現したわねー?じゃぁ、パートナーと相談して武器生成と付与術練習開始ー」
「武器……ヴィクトルさんはどうやって戦うんですか?」
「……コレだな」
そう言って、水球が辺りに現れた。その中の1つを掌の上で変形させる。
短剣の形になったり、槍の形になったり、トゲトゲの玉になったり、針のようになったり……正に変幻自在。
「凄いです……」
水の筈だが、その球はとても硬そうに見える。
氷……?
「……触るな。これは水銀を含んでいる。」
「すいぎん?」
「液体金属。……簡単に言えば、毒だ。」
「 ! 」
触ろうと伸ばしていた手を慌てて引いて胸の前でぎゅっと自分の手を抱きしめた。
「わ……私にも、出来るでしょうか?」
「言っていただろう。イメージだと。」
「……イメージ……」
「……まぁ、君の場合は魔力を可視化させるところからだろうな」
不安げに小首を傾げてヴィクトルを見上げる。
「まずは、指先に水の玉を創り出してみろ。」
ヴィクトルは背の低いリュシルに合わせて彼女の目の前で指先に水球を作る。純粋な水の玉。
パッと霧散したかと思うとヴィクトルはその手を開いてリュシルに差し出す。おずおずと手を重ねて反対の手の指先に意識を集中させる。
水の玉……
水の球……
丸い、雫……
ヴィクトルの手から流れ込む魔力が、穏やかな川のように感じられる。私の魔力を包んで、道を作ってくれている……その道に沿って魔力を少しずつ、移動していく。身体の中の大量の魔力が一度に動かないように。
少しずつ、少しずつ……
指先に、辿り着いた――。
恐る恐る目を開けば、小さな水の球。
「……でき、た……?」
「……及第点と言った所か。」
「出来ました!私にも出来ましたヴィクトルさんっ!」
いつもの穏やかな笑顔ではなく、子供のようなあどけない笑顔。ヴィクトルは一瞬驚きに目を見開いて溜息をひとつ。
「これでは攻撃など出来ぬだろう。これはただの水だ。攻撃に使いたいなら硬度を上げて……せめて氷くらいにならねば使い物にならん。」
「あ……は、はい。」
はしゃいでしまった恥ずかしさに頬を染めながら、本来の目的を忘れていたことに気付いた。
でも、指先にはまだ小さな水球が揺れている。
たったそれだけのことなのに、胸の奥が温かかった。
――私にも、魔法が使える。
初めてそう思えた瞬間だった。




