食堂
「ん……」
長い睫毛がふるりと震えて目覚める。
ブルーグレーの瞳が見慣れぬ天井を見つめた。
あぁ……そっか。ここは学園寮でしたね。
今日は学園に着いて、書類の提出をしたらすぐに召喚の間に案内されて……ヴィクトルさんと、契約をした。
召喚の際に左腕に嵌めた魔石の付いた腕輪。横になったまま、腕を持ち上げてそれを眺めた。
この中に……ヴィクトルさんが居る……
「……何をしている?」
「え?」
「……寝惚けているのか?」
近付く足音と視界に映る水色の髪。
そこにはヴィクトルが顕現していた。
「おはようございます、ヴィクトルさん」
微笑んで起床の挨拶をするが、朝ではない。
「残念ながら、今晩はだ。」
ヴィクトルはリュシルの左腕を掴むとそのまま脈を測り始める。リュシルは一瞬ビクリと震えたが、大人しくされるがままにヴィクトルを見た。
目が覚めた時に誰かが居る。そんな事がリュシルには新鮮だった。
子供の頃に魔力が暴走してから、周囲はリュシルを怖がるようになった。使用人ですら必要最低限しか部屋を訪れない。
人を避け、息を潜めるように生きてきたリュシルにとって、こんなにも自然に触れられることは初めてだった。
「……脈は大丈夫そうだな。身体に不調はあるか?」
「大丈夫です。」
「宜しい。……では、食事だ。ユリウスにも言われていただろう。」
「……頑張ります。」
食事に頑張る、とは……?
「はぁ……僕は腕輪に戻る。何かあれば呼べ。」
「はい。ありがとうございます。」
ベッドから出るとクローゼットからラフなワンピースとカーディガンを取り出して着替える。
テーブルに置かれている規約の書かれた羊皮紙を確認して、受付で貰ったカード型の鍵を持って部屋を出た。
どうやらこの鍵は学園内の身分証にもなっているらしい。自室の出入りだけでなく、食堂ではこれでひと月毎の食費を計上するとのこと。今月食べた分を、来月纏めて支払うシステムのようだ。オマケに教室の入退出記録も出来るらしい。
……無くさないようにしないと。鍵用のポーチとか作ろうかしら。
そんなことを考えながら食堂へ向かった。ヴィクトルに魔力を渡したおかげで足取りは軽やかだ。階段を下り、談話室を通ると数名の生徒が談笑していた。
軽く会釈をして通り過ぎようとしたが、そうはいかなかった。
「なぁ、お前!初めて見る顔だな?」
「初めまして。リュシルと申します。本日、遅れて入学しました。」
「……リュシル……って、……フォンテーヌ嬢か……?」
「……は、い……」
「……俺はレオン。レオン・カステル。……久しぶり、か……」
低い声には、警戒と戸惑いが滲んでいた。
「……深窓のご令嬢サマがこんな所にいるとはなぁ。てっきり離れから出られないもんだと思ってた」
……公爵家の家門。つまり、私の魔力暴走について知っている……。あの時にもしかしたら、彼の家門にも怪我人を出してしまったのかもしれない。
この非難される目にももう、慣れてしまった……
「……その節はご迷惑をお掛けしました。」
丁寧な、綺麗な所作で頭を下げる。
「――なにやってるのよレオン!」
先程降りてきた階段の方から大きな声が響いた。
「げっ」
「女の子に頭下げさせて、何してるのよ!ごめんね、あなた大丈夫?」
「レナ、そいつは……!」
「本日入学しました、リュシル……フォンテーヌです。」
「……フォンテーヌ!……やだ、ごめんなさい!レオンが何か言ったんでしょう?あなたの所為じゃないのはちゃんと分かってるから、頭なんて下げなくていいよ!」
「ですが……」
「このバカは本当に良いのよ!……こんな所で嫌な思いさせてごめんなさい。身体の方は大丈夫なの?」
「レナさん……ありがとうございます。魔力供給のお陰で身体の調子はとても良くなりました。」
リュシルは何事も無かったように微笑んだ。
何事かと遠巻きに見ていた談話室の生徒も、和解したと判断したようでまたそれぞれの会話に花を咲かせている。
「リュシルって呼んでもいいかしら?」
「はい。これから宜しくお願い致します。」
「えぇ!リュシルは食堂行くの?私も行くところだったから良かったら一緒に行かない?」
「是非。勝手が分からないので教えていただけると助かります。」
「うんっ任せて!」
レナはレオンにべぇっと舌を見せてフンッと怒った仕草をしてからリュシルの隣を歩く。
レナとレオンはカステル家の双子だ。第二夫人の子供だったはずだから、家門の継承権は持たない。基本的に家門を継げるのは第一夫人の男の長子のため、召喚士のような職業学校には長子以外の子息令嬢が集まる。
そう考えると……私の事を知ってる人も少なからず居るのね……私が魔力暴走を起こしたのは同年代の子供が集まるお茶会の時だったから……
「リュシル、カードは持ってきてる?」
「はい。あります。」
「良かった。ここはカードキーがないと食べれないから忘れないようにね。私なんて一回忘れて管理人さんと一緒に慌てて部屋に戻ったことあるの。三階まで往復するのが大変でさぁ」
「ふふっ、私も気を付けます。」
レナはお喋りが好きなようだ。表情もくるくる変わって可愛らしい。明るくて太陽みたいな子だ。
「リュシルももう召喚の儀は終わったの?」
「はい。今日の午前に。」
「召喚獣はどんなだった?私もレオンもエルフだったんだけど、中々気難しくて。」
「私は英霊でした。学者さんの。」
「そうなんだ!うーん……英霊は見てないから今年はリュシルだけだと思うよ。」
「そうなんですね。授業の方はどんな感じですか?」
「ガイダンスとオリエンテーションやって、今はまだ契約者と魔力供給の仕方とか仲良くなろうって感じの時間が多いかな。今日は初めて戦闘タイプに分かれて集まったくらい。まだ、魔力がどういうものかとかそう言う家庭教師に教えてもらうことを復習してる感じ。だから全然大丈夫だと思うよ!」
「それを聞いて安心しました。明日からの授業が楽しみです。」
「私もリュシルと授業受けられるの楽しみっ」
二人で笑い合い、食堂に入る。
食堂は一年から三年の生徒全員が利用するため、賑わいを見せている。学年毎に入室可能時間は多少分けられているが、基本的には18時から21時までという感じのようだった。
出入口から真っ直ぐ進み、正面にパン、スープ、サラダ、メイン、デザート、ドリンクと大まかにエリアが分けられていてそこから好きなものをチョイスする様だった。
トレーに乗せ、会計係のところへ持って行き、カードにデータを入れてもらったら好きな席で食事が出来るという仕組みらしい。
リュシルはパン半分とスープ、フルーツを乗せて会計係へ向かった。
『……少なすぎるだろう』
「 ! 」
脳に直接響くヴィクトルの声。姿は無いので声だけ伝えてきているらしい。
『……少食なんです……』
瞳を閉じて伝わるように念じる。するとちゃんと届いたらしく溜息が聞こえてきた。
「……ん?会話中?」
「あ!すみません。レナさんと一緒に居る時に……」
「いいよいいよ〜私もたまに話しかけられるんだけど、念話苦手で声に出しちゃうから独り言言ってるみたいになっちゃうんだよね。リュシルは凄いね。今日契約したてで念話も出来るなんて!」
「いえ、たまたま成功しただけですよ。」
空いてる席に向かい合って座った。
他愛ない会話をしながら誰かと食事をするなんて初めての経験だった。
和やかに食事を開始して、少し経った頃。
――ガタッ
レナの隣にトレーが置かれる。見上げればレオンが居た。眉間に皺を寄せリュシルを見下ろしている。
「ちょっとレオン、まだ何かする気?」
「違う。……俺もここで食うだけだ。」
「はぁ?他の人と食べればいいでしょうよ」
「……こいつがまた暴走しないように見張るんだよ。」
「ふっざけんな!なに失礼この上ないこと言ってんのよ!」
「お前がっ……コイツのせいで、お前が怪我する所なんて見たくないからだ。」
「だからっ――」
「――レナさん。大丈夫です。私は構いません。」
「でもっ」
「それでレオンさんが安心できるなら、構いません。」
先程までと変わらず、笑顔でリュシルは頷く。楽しく話をしている時も、レオンに憎まれ口を叩かれている今も、リュシルは変わらず笑顔だった。
「温かいうちに食べましょう」
レナにそう声をかけ、リュシルは静かにスープを口へ運ぶ。数口飲み、半分のパンをさらに小さくちぎって食べ進める。
リュシルの周囲だけ、時間の流れがゆっくりになったようだった。
暫く、三人は無言で食べ進めていたが、リュシルは元々半分のパンの更に半分だけ食べて、手が止まってしまう。
「……私は先に戻りますね。レナさん今日はありがとうございました。また、明日。」
「あっ……うん、また明日っ!」
「レオンさんも、失礼します。」
「……フン」
レナは何かを言いたそうに口を開いたが、何も言わずに別れの挨拶を口にした。レオンは一瞥しただけで何も言わずに食事を続けている。
トレーを返却口へ置いて、食堂を出る。
……いつもより、食べれました……
談話室の手前でほぅっと息を吐いて、食事がとれてよかったと内心喜んでいると、また脳内に声が響いてきた。
『……君は今までどんな生活をしていたんだ?』
その問いに、どう説明したらいいものかとリュシルは返事を躊躇った。
『……お部屋でお話しましょう。』
困ったような表情を浮かべて念話を返して談話室を通る。
今度は誰にも話しかけられずに通ることが出来た。
初めてここの階段を上った時はあんなに辛かったのに、今はスイスイと上れる。ずっと魔力が身体を蝕んでいたのだと、ハッキリとわかった。
だが……体力の無さはどうにもならない。こればっかりはこれから付けていくしかない。
「はぁ……はぁ……一人で、上がれました……」
壁に手を付き、何度か深呼吸をした。少し息が整うと、リュシルは乱れた呼吸を隠すように静かに背筋を伸ばした。
先程まで壁に縋っていたとは思えないほど、その所作は洗練されていた。
このオベール王国の四大公爵家の一つ・フォンテーヌ公爵家の令嬢リュシルは生まれながらに王太子の婚約者候補の筆頭だった。
そのため、幼い頃から遊ぶ暇もないほどマナーレッスンに追われ、周りの子供達がマナーレッスンを学ぶ頃には立ち居振る舞いを身に付けていた。
部屋に入ると、すぐにヴィクトルが姿を現した。
「先程の奴はなんだ?」
「……公爵家門の子息令嬢です。子供の頃の顔合わせ程度の面識ですが……私が魔力暴走を起こしたお茶会にお二人もいらっしゃいました。なので、彼らの家門の中に怪我をさせてしまった方がいるのかも知れません。その一件以来、私はずっと部屋に籠って居たので……詳しい事はちょっと分からないのですが。」
普段と変わらず、微笑んだまま質問に答える。ドア脇にある棚からティーセットを取り、テーブルへ置く。魔石ポットと茶葉を取ろうと振り返ると、ヴィクトルが既に持っていた。
「ふふっ、ありがとうございます。」
「……君は貧血が見られるから食後の紅茶は駄目だ。飲むならハーブティーにしろ。」
「そうなんですね。分かりました。」
……ハーブティーはあったかしら?
ふと浮かんだ疑問は目の前で解決する。ヴィクトルは何処からかハーブティーを取り出し、静かにテーブルに置くとお湯を沸かし始めた。
「まぁ……ヴィクトルさんがお持ちだったんですね。……それは一体何処から出てきたのですか?」
「……君は空間魔法も知らないのか?無属性魔法だぞ?」
心底信じられないという顔をしてから、はぁぁぁと深い溜息を着いた。
……徹底して魔力を抑える指導しかされていないのか。通りで歪みが生じる訳だ。
「……君はこれから魔法の基礎を徹底的に学ばないといけないようだ。」
「……ご教授いただけるのですか?」
「仕方がないからな。術者が使い物にならなければ僕の評価にも直結する。」
「ありがとうございます。宜しくお願いします。」
ふわりと微笑む。一見すると可愛らしい微笑みだろう。だが、リュシルは常にこの笑顔だ。穏やかでおっとりとした、いかにも淑女の立ち居振る舞いと言った所だ。
「……チッ。」
舌打ちと共に逸らされる視線。リュシルは気にせずハーブティーを淹れ始める。お湯を注ぐとすぐにふわりと甘酸っぱい香りが広がった。
「……良い香り……」
うっとりと瞳を閉じて香りを楽しむ。赤い色も鮮やかで綺麗だ。
「食事が取れないのは何故だ」
「……そう、ですね……何故でしょう。お腹がすいたと感じたこともないですし、食べてもすぐにお腹がいっぱいになってしまって……食事は作業のようにしか思ったことがないですね……」
口に入れて、咀嚼して飲み込む。いつも、美味しいという感覚はあまり分からなかった。
「……魔力過多の影響は食欲にも影響を与えるのか……もしくは抑え込む影響か……。だが、これからは少し無理をしてでも食べないと、魔物と戦うこともままならんぞ。今後は少しでも増やして身体の成長も必要だ。食べなさ過ぎて身体の成長が遅いのだろう。昼間も骨を抱えているようだった。」
最後の言葉に、かぁっと顔が熱くなる。
昼間は身体が辛くて表情を取り繕うだけで精一杯だった為に考える余裕もなかったが、自分は抱き抱えられて部屋まで辿り着いたんだったと今更ながら羞恥に震えてしまった。
赤い顔を隠すように横を向いてカップに注いだハーブティーに口を付ける。
ヴィクトルはそれを気に留めることもなく、亜空間から取り出した紙にまた書き込んでいた。
「……君は恐らく、正しく魔力について教えられていない。明日は授業後に図書館で魔力について調べなさい。自分の現状を客観的に見た方がいいだろう。」
「はい、分かりました。」
「……飲み終えたらさっさと寝なさい。」
それだけ言って腕輪へと消えて行く。
リュシルにとっては自分の体を心配してくれる優しい人と言う印象のヴィクトルだが、先生が「難しい」と言っていたのは何故なのだろうと一人で首を傾げた。
あの家で私の体調を慮ってくれたのは乳母だけだった。でも、それももう十年も前の事。この十年はひたすら孤独しか無かった……。魔力暴走を起こしてからは更に避けられ孤立していた。
会話という会話をしたのは主治医だけだったわね。
お父様ともお手紙でしか交流はなかった。
……あ。お手紙を書かなければ。無事に入学した事と召還契約が出来たこともご連絡して……
読んで、くれるのだろうか……
こんな……『呪い子』の手紙を、父は読むのだろうか……
カップに残るお茶を見つめる。鮮やかな赤い色のハーブティー。甘酸っぱくてサッパリとしたお茶。そこに映る自分の顔は酷く醜く感じた。涙は出ない。微笑みを絶やさない。歪な、笑顔。
はらりと後ろに流していた髪が垂れてくる。
ベージュ色の緩い癖毛。肖像画で見た母と同じ髪。肖像画でしか見た事のない、私を産んで、亡くなった母――。
父は、政略結婚だった母を心から愛していたらしい。
第二夫人を迎えることなく、三人の子を授かった。
優秀な兄二人。
そして――魔力過多で、死に損ないの妹。
五個上の長兄は私に無関心。三個上の次兄は母を奪った私を嫌っている。お茶会の日に、私がお母様を殺したのだと言われて、暴走してしまった……。
一番近くで魔力に当たってしまった次兄は松葉杖が必要な足になって、他家の付き人達にも怪我を負わせてしまった……。
母を殺し、次兄や他家に怪我を負わせた呪い子……。
それからは誰も傷つけないように離れの屋敷で必死に魔力を抑えて……息を潜めて過ごしていた。
お父様に一度も会ったことは無い。だからお父様がどんな人かは知らない。それでも、この学園に入ることを許してくれた。
もしかしたら、体よく追い出されたのかもしれないけれど……
それでも、私はここに来れて良かった。




