一人じゃない
「召喚獣も参加可能だから賑やかだよ。食事を楽しむのも良いし、ダンスを楽しむのも良い。ヴィクトル君も踊れるだろう?」
「は?なぜ僕が?」
「リュシル君が他の子と踊っても良いのかい?」
「それはこの子が決めることだろう……」
ヴィクトルは溜息と共に呟いて「そんなことより……」と、姿勢を僅かに正してフィアクラを見た。
「天秤の琥珀について知りたい」
「あぁ……うん、ローラン君からも聞いたよ、探してるって。……私が持っているものをあげることも出来るけど……」
そこでフィアクラは考えるように顎に手を当ててリュシルを見た。魔力を見ているのか、僅かに瞳が開かれる。リュシルは何の話をしているのか分からず、小首を傾げていた。
「あの……その、天秤の琥珀とは……なんでしょうか?」
「……魔力の調整をしてくれると言われる鉱石だ。魔道具を作るのに使いたいと思ったんだが……」
「……魔力の、調整……」
「リュシル君のような魔力過多の子に最適の石なんだけどね……」
フィアクラは一度そこで言葉を切って、二人を交互に見た。
「……そうだねぇ……ヴィクトル君がいる限りは問題無さそうだが……。二人は、天秤の琥珀がどうやって出来るかは知ってるかな?」
「……精霊樹の樹液ではないのか?」
「残念ながら、それだけではないんだよ。……樹液と精霊の涙が合わさって出来るんだ」
「……涙?」
フィアクラはゆっくりとした動きでソファの背凭れに背を預け、足を組み直した。
ヴィクトルもリュシルも話の続きを静かに待っている。部屋にはエトワールのゴロゴロと鳴る喉の音だけが響いていた。
「精霊は泣いたりしない。涙なんて零れない。だけどね、生涯に一度だけ雫が零れるんだ」
その言葉に、ヴィクトルはエトワールを撫でていた手を止めてその手を固く握りしめた。眉間に皺が寄る。
リュシルは小首を傾げてフィアクラを見つめていた。フィアクラはリュシルの視線に優しく微笑むと、背凭れから背を離す。
「……精霊が消える時に、雫が零れる。……その雫と樹液が固まって、天秤の琥珀が出来るんだ」
「……消え、る……とき……」
……それは……つまり……
リュシルは震える自分の手を胸元で握りしめる。
何百年も生きる精霊が、消える瞬間にのみ流す雫。天秤の琥珀が市場に出回らない訳が、そんな理由だったとはヴィクトルも思わなかった。
「精霊は生まれた精霊樹に還る。だから毎年、何個かは採れるものだ。でも、その殆どが形見として、その精霊と共にいた者が持っているね……市場に出てしまったものは盗品か、所持者が亡くなったか、という所かな」
「……そんな……そんな大事なもの……それは持つべき人が持っているべきです……」
ヴィクトルの方を向き、ゆるゆると首を振る。それを見てヴィクトルの眉間の皺が深くなった。
「……だが……」
……僕が、消えた後は……
「……まだ、決断するのは早いよ。……自由気ままな子達も居るからね、全てが形見とされるわけではない。基本的に里長が管理しているから、ドルイドの里には行ってみたらいい」
フィアクラは穏やかに微笑んで頷いて見せた。
ヴィクトルはリュシルに視線を送る。リュシルは膝の上で握りしめた手を見つめながら考えていた。
「……持つべき人がいなくて、里長様が許してくださる、なら……」
呟くように言って、ヴィクトルを窺い見る。
ヴィクトルはどこか安堵したように頷いて、ぽんと一度リュシルの頭を撫でた。
「では、その為に体力作りだ」
「はい」
リュシルもほっとしながら返事をして、ヴィクトルの膝に上半身を預けたままウトウトしているエトワールを撫でる。
「……他に聞きたいことはあるかい?」
「いや……今の所は問題ない」
「そうか。……またいつでも声を掛けてくれて構わないよ。直接ここに来てくれて大丈夫だから、ヴィクトル君に意地悪されたらおいで」
「意地悪とはなんだ……」
「ふふ……はい、ありがとうございます」
フィアクラの揶揄うような言葉にヴィクトルは呆れ、リュシルは可笑しそうに笑顔を零した。
そしてどこからともなく、ふわりと風が舞い、エトワールが浮かび上がってフィアクラの膝の上に移動していく。
膝の上に着地するとエトワールはコロリと丸くなった。
「君たちが戻るまで預かるよ。気を付けてお帰り」
「はい。先生、ありがとうございました」
立ち上がって深々と頭を下げるリュシルにフィアクラは少し驚いた表情をして、すぐに優しい顔になった。
「どういたしまして」
リュシルとヴィクトルは学長室を後にした。
二人とも話すことなく校舎を抜ける。外に足を踏み出した瞬間に「わふっ」と聞き覚えのある声が、耳に入った。
足元を見ていたリュシルが顔を上げると、寮へ続く道にバンディが居た。
「……バンディさん?」
「わぅっ」
バンディはリュシルの前まで来るとお座りをして大きく尻尾を振っている。
「——待てって!バンディ!」
校舎脇からジークが走り込んで来た。
人が居ると思わなかった様子のジークは、バンディの横に居る人影にハッとして走っていた足を止める。
「——っ……あれ?リュシル?」
「ジークさん、こんにちは」
「まだ校内にいたのか。今帰りか?」
「はい。帰ろうとしたらバンディさんが現われてびっくりしました」
「ははっ、悪いな。急に走り出すもんだから……」
バンディの首元を撫でながら困ったように笑っていた。
「……貴様が居るなら平気だな。僕は戻ろう」
そう言ってヴィクトルはリュシルの頭をひと撫でして腕輪へ戻って行った。
「……それはどういう……?」
「はははっ、あぁ、任された」
ヴィクトルの姿はもう無いが、リュシルは首を傾げてジークは笑って頷く。ジークはバンディも腕輪に戻してリュシルに寮に行こうと促した。小首を傾げてリュシルを待つジークに、やっと意味を理解したリュシルは申し訳なさそうに眉を下げて歩き出す。
「すみません……」
「気にするな。いつでも声を掛けてくれって言っただろ?ヴィクトルも、お前が一人にならないように出たままでいたんだろう」
「……そう、なんでしょうか……?」
「女の子の一人歩きは危ないって言っただろう?レナも基本的にはレオンが付いてるし、バンディを貸したりもするし。他の女生徒も一人では居ないようにしてるぞ?ヴィクトルは……分かってるんじゃないかな」
「……気を付けるようにします」
「あぁ。……じゃあ、今日の夕飯もリュシルが来るのを待っていて良いか?」
ジークは悪戯に笑いながらリュシルの顔を覗き込むように小首を傾げた。
リュシルは一瞬きょとんとして、くすっと笑みを零す。
「ふふっ……分かりました。時間になったら談話室に行きますね」
「ははっ、ああ、待ってる」
話しながら寮の受付を通って、食堂前を通り過ぎ、談話室横のカードキーが必要な女子寮の階段前まで。
ジークは他愛ない話題を振りながら、リュシルの隣を歩いた。時々、視線を周りに向けていたが、朝のようなリュシルを軽視するような者はいないようだった。
「ジークさん、ありがとうございました」
「どういたしまして。またあとでな」
「はい」
互いに手を振って、リュシルは階段を登っていく。
ジークはそれを見送ると自分も自室に向かった。
「……ふぅ……ただいま、戻りました」
少し息を切らせながら自室に入り、後ろ手に扉を閉めてそのまま軽く寄りかかる。
呼吸を整えているとヴィクトルが隣に姿を現した。
「……どうした?」
「あ……いえ……何だか……まだ、信じられなくて……」
幼い頃の自分が、精霊を助けていたというだけでも驚きなのに……まさかその精霊と契約をするなんて……
本当に……私で良かったのでしょうか……
気持ちが沈みこみそうになっていると、大きな手が頭に乗った。温かさはないはずなのに、その手が乗るとじんわりと胸が温かくなる。
「……アレが言っていただろう?幸せだと。本人が喜んでいるのだから、君が悩む必要はない」
リュシルの柔らかい髪を撫でながら、諭すようにヴィクトルは言葉を続ける。
「それに……僕も居る。……学園長だって、力を貸してくれる。赤い髪の娘も喜んでアレの面倒を見てくれるだろう。……今の君は、一人じゃない」
「……っ……」
……なんで……急に、そんなこと……
ツンと鼻の奥が痛くて、咄嗟に声が出なかった。
奥歯を噛み締めて、ぼやける視界を瞼をぎゅっと閉じて隠す。
髪を撫でる手が優しくて、堪らずにリュシルは両手で顔を覆った。
「……っ……ど、して……そんな、こと……」
「君が言ったのだろう?僕がいる事に安心した、と。それなのに、君はまだ一人のつもりでいる。……君が一人じゃないと理解出来ないなら、出来るまで伝えるだけだ」
「……っ、……」
リュシルは声を押し殺して、肩を震わせた。
「……君は、存外周りに大事にされている事を理解した方がいい。赤い娘がなぜその髪飾りをくれたと思う?犬の奴がなぜ隣を歩いてくれると思う?あの精霊が、なぜ君を選んだのかなど、本人に直接問えばいい。言葉が分かるようになったのだから……」
言いながら、撫でていたリュシルの頭を優しく引き寄せる。リュシルは抵抗する間もなく、両手で顔を覆ったままヴィクトルの胸に頭を預けた。
ヴィクトルはそのまま、リュシルが落ち着くようにと髪を撫でる。抱きしめたり慰めの言葉を掛けるわけではないけれど、ヴィクトルなりの寄り添い方だった。
……声を出せば幾分か楽になるだろうに……
そんな事すら許されなかったのか……
「……君は、いつまで一人でいるつもりだ?」
「……だっ、て……わ、たしっ……」
「僕がついているのにまた暴走するとでも?」
ふるふると首を振る。
——違う。
ヴィクトルさんを信用してないわけじゃない。
だけど……怖い。
私が手を伸ばしたら……ヌリスのように皆も居なくなってしまうんじゃないかって、不安になる……
居なく、ならないで……
一人に、しないで……
顔を覆っていた手が、ヴィクトルの服を摘んだ。小さく、ほんの少しだけ。
リュシルの見せた小さな意思表示に、ヴィクトルはどこか安堵した。
「……出来るじゃないか。今君の周りにいる者は、その手を払いはしないだろう。……君はもう少し我儘になって良い」
「……っ、ふ……う、…………っく……」
優しい声色と撫でる手に、我慢しきれない声が漏れるとヴィクトルの腹部がひくりと震えた。
「……君は、泣くのが下手だな……」
「ひっ、く……わ、……笑わ、ないで……くださっ……」
涙声で抗議した。
ただでさえこんな泣いてばかりで恥ずかしいというのに、泣き方の上手い下手など知らないのだ。普段笑わないヴィクトルが笑ってくれるのは嬉しいと思うけれど、今ではない。
掴んだ服を離し目元を擦る。するとすぐにその手を押さえられた。
「……擦るんじゃない」
そう言って、目元にハンカチを押し当てられる。
「冷やした方が良いか……」
独り言のように呟いてハンカチが冷たくなった。
「冷やしていなさい。僕はアレを呼ぶ」
「……アレって……?」
リュシルはハンカチを受け取り、片目に当てながらヴィクトルを視線で追う。ヴィクトルは窓に向かい、開いた。
朱と藍が混じる空。窓からふわりと秋風が入り込んで来る。
次に強い風が吹き込んで、リュシルが目を閉じた。
「……ぁにゃあっ!」
可愛らしい声に瞳を開けば、窓際でヴィクトルに抱えられたエトワールが居る。そして窓辺には先程まで無かったはずの観葉植物が置かれていた。
『……三人で仲良くね』
風に乗ってフィアクラの声が響き、それ以降、ピタリと風が止んだ。ヴィクトルは窓を閉めて、ポイッと投げるようにエトワールを放す。エトワールはしなやかに前足で着地して、後ろ足で器用に立ち上がった。
「ルシー!ルシー、どうしたの?泣いてるの?痛い?」
リュシルに駆け寄り、小首を傾げながら目元にハンカチを当てるリュシルを心配そうに見上げてくる。
「大丈夫ですよ。……おかえりなさい、エトワール」
ハンカチを下ろし、エトワールの頭を撫でた。
「んふー」と嬉しそうに笑ってエトワールはリュシルに抱き着く。
「ただいまぁ!」
ゴロゴロとエトワールの喉が鳴り、リュシルに頬擦りをした。
エトワールの身長はリュシルの腰くらいだった。
リュシルは小さな頭を撫でてやる。愛らしいエトワールの姿に頬が緩んだ。
「……猫、生活のルールを決めよう」
「にゃ?……るーる?」
「そう。決まり事だ。貴様が精霊の時と同じく、人前に姿を現さない。部屋の中で騒がない、暴れない。生活時間を合わせる。そして、きちんと主人の指示を守る。……出来るか?」
一つ一つ指を立てていきながら、エトワールに告げる。
「にゃにゃっ……んと……ひとまえに出ない……さわがない……あばれない……じかん、合わせる……主人のしじ……」
エトワールは慌てて前足の指を動かしながら繰り返した。何回か繰り返し呟いて、うんうんと頷いたかと思えば、両前足を高く上げた。
「エル、おぼえたのー!!」
大きな声で主張するエトワールの頭を、ヴィクトルが片手で掴み押し下げる。
「騒がない、とは大きな声を出さないことだ」
「うぅ……わかった、にゃ……」
「……よし」
耳と尻尾をぺしょっと下げて声の大きさも下げたエトワール。ヴィクトルは頭に乗せていた手でそのまま撫でてやった。
「……君は?何か約束しておきたいことはあるか?」
「え……えっと……思い付かないので、大丈夫です」
「分かった。ならば、以上だ。……君は夜の支度をしなさい」
「あ、はいっ」
食堂が開くまであと僅かだった。シャワーを浴びている時間はなさそうだ。まだ制服のままだったリュシルはクローゼットから服を取り出して、洗面室に向かった。
「猫、精霊の力はどれほど使える?」
「むー。『猫』じゃないの!エトワールはエトワールなの!エルって呼ぶの!」
「……呼び方など個体の認識が出来れば十分だろう」
「ヴィー、いじわるっ」
「僕もそんな名前ではないのでね。貴様がちゃんと呼べるようになったらこちらも考えよう」
「うぅ……ヴィー……ヴィきゅ、……うにゃ……」
前足を口元に当てて何とか名前を呼ぼうと練習している。ヴィクトルは嘆息して、もう一度問う。
「……貴様の能力は?」
「う……わかんにゃい……」
「……は?」
前足を頬に当てて、うーんとエトワールは考えた。自分は何が出来るのだろうかと。
「んとぉ……精霊の時は、光る、消える、できた」
「……そうだな」
「今……エル、消えない」
自分の肉球を見つめて、身体が消えないことを試していた。
ヴィクトルの眉間に深い皺が刻まれていく。
「んー……光らない」
グッと前足を握りしめ、力を入れたエトワールは握った手を開いて光らないことも確認する。
ヴィクトルが自分の額に片手を当てている。
「……妖精のイタズラは?」
「エル、元からできない」
「は?」
「んとね。……エル捕まってたの。ビンの中。なかまと遊んでたの。ビンからだれが早く出られるか!……でも……エル、出れなかったの……消えても、通れない。フタも開けられない。だから一人だったの。でも、ルシー、フタ、開けてくれたのっ!」
その場でぴょんとジャンプをして、喜びを表した。
「ルシーが助けてくれた。だから、エル、ルシーと居たいの!」
ピョンピョンとその場で跳ねながら、リュシルとの出会いを説明する。
経緯は分かった。しかし、ヴィクトルが知りたいのはそこではない。
「……賢い個体、か……」
一人呟いて、ヴィクトルは盛大な溜息を吐き出した。
彼が賢いと言ったのだから、何かしらの能力を持っているだろうとは思うが……
……まさか、能力の使い方も育ての一環だとでも言うのか……?
長い髪をかき上げて、宙を見つめる。
精霊の能力なんて知り得ない。それを「子育て」と称して丸投げされた気がする……
いや、気がするじゃない。恐らくそうなのだろう。
……だから指導者がどうのと話していたのか……
相変わらず分かりにくい上に面倒ばかり投げて来る……
「……チッ……」
ヴィクトルは舌打ちを零して、洗面室から出てきたリュシルの腕輪へと戻って行った。




