エトワール
午後の授業が終わったあとの校舎は静かだった。人の気配も疎らな廊下をリュシルとヴィクトルは歩いて行く。
学長室の前に着くと、リュシルは躊躇いがちにノックをした。
「どうぞ」
中から穏やかな声が聞こえて、そっと扉を押し開ける。
「し、失礼します。……リュシル・フォンテーヌです」
「はい。ようこそ、リュシル君。……さぁ、そこのソファに座って」
リュシルは一礼して言われた通りにソファへ腰を下ろす。ヴィクトルはその後ろに立っていた。
「……ヴィクトル君も、座って」
学園長フィアクラに言われ、少し逡巡してからヴィクトルもリュシルの隣へ腰を下ろした。それを見て一つ頷いたフィアクラは、向かい側のソファで微笑んで指を鳴らした。
パチンッと聞こえた音と共に、真ん中のテーブルにパッと精霊が現れる。
「……この子が我儘を言ったみたいだね?ずっとリュシル君にくっ付いて……うん?……うん……あぁ、この子が?そう……」
姿を現した精霊は、何かをフィアクラに訴えているらしい。フィアクラは小首を傾げながら、相槌を打っている。
「ふむ……リュシル君、どうやら君はこの子を助けたことがあるらしい。覚えているかな?」
「え?……いえ……そんな記憶は……」
……私が助けた?
一体いつそんなことをしたのだろう……?
頬に手を添えて首を傾げる。精霊の存在など温室で初めて知ったのだ。助けた記憶なんてどこにもない。
「この子が言うには……どこかのお屋敷で閉じ込められていたところをリュシル君が出してくれたらしいんだけど……うーん……十年くらい前、かな?君がまだ幼い頃のようだ」
「子供の頃、ですか……すみません、あまりその頃の記憶がハッキリしていなくて……」
申し訳なさそうに眉を下げるリュシル。その頃は精神的苦痛が多かったせいか、記憶が抜け落ちているところが多かった。
今朝方見えた記憶を思い出し、ヴィクトルも眉間に皺を寄せる。
……子供の頃の精神的な苦痛は防衛本能から記憶に蓋をされることが多い。
……この子もそうなのだろう……しかし、その頃に精霊に会っていたのか……
「あぁ、構わないよ。そんなに申し訳そうな顔をしないで……記憶なんて曖昧なものだ、気にしなくていい。ただこの子の主張を伝えたくてね」
「……はい」
フィアクラの言葉に頷き、精霊の主張を聞く意志を伝えた。フィアクラはずっと微笑んでいるが、リュシルが頷くのを見てその笑みを深めた。
「良い子だね。……この子は、昔助けてくれた君にお礼がしたいと言っているんだ。しかし、この姿のままでは何も出来ない。だから君に名を貰って、君と契約をしたいと言っているんだよ」
「……契約、ですか?」
「あぁ。精霊は名付けで契約が成立する。名付けとは魂の一部を預けるようなものだ。召喚獣に魔力を渡すのと同じように考えてくれて構わないよ。精霊は魔力を持たないから、代わりに名前を与えるというわけだ。そうしたらこの子は君の傍で君と生きる事になる」
それまで黙って聞いていたヴィクトルが僅かに身体を動かす。
「……契約のデメリットは?」
「そうだねぇ……デメリットと言えるか分からないけど、契約後は子育てみたいなものだね。名付けた精霊は少々、執着が強くてね……上手く育てないと我儘放題になって他人との交流が出来なくなる者もいるかな」
微笑んだ顔のまま、なんでもない事のようにフィアクラは告げた。
ヴィクトルは腕を組んで考えてしまう。
……子育て……?
……まだ子供のこの子が、子育て……?
「……幸いこの子は賢い個体だから我儘放題にはならないとは思うよ。今までも、ヴィクトル君の言葉を守っていたのだろう?」
……確かに、人前に姿を見せるなと言ってからそれは守っていた。
しかし……
「ははっ、そうか。……迷惑をかけるようなことはしないらしい」
フィアクラは精霊の言葉を聞いて笑いながらヴィクトルとリュシルを交互に見る。
「……リュシル君は、どうしたいかな?」
「えっと……」
フィアクラの問いに一度視線を落とし、隣のヴィクトルをおずおずと見上げた。
ヴィクトルはその視線に嘆息し、ゆっくり瞳を閉じる。
「……君の好きにしなさい」
「……はい……」
リュシルは悩んでいた。
リュシルには助けた記憶が無いのだ。本当に自分なのだろうかと疑問が浮かび上がる。自分ではなく、誰か他の人と間違えているのではないだろうかと。
「あの……助けたというのは本当に、私、だったのでしょうか……?」
「うん?」
「子供の頃なんですよね?……誰か、別の人と間違えてるなんてことは……」
「……あぁ、そうか。リュシル君、精霊はね、人を見た目で判断してはいないのだよ。この子らは人の魂を見ている。だから間違えることはありえないんだ。同じ魂を持つ者はいないからね」
「そう、なんですか……魂を……」
「そう。私たちドルイドは魔力を。エルフや精霊は魂を見る。他の亜人もそれぞれ特徴を持っているよ」
フィアクラがさらりと言った言葉の中に、気になる言葉を見つけた。
数回瞬きをして、ヴィクトルを見上げる。
……今、ドルイドは魔力を見るって……
「……ヴィクトルさん、は……?」
「ふふふっ……教えていないのかい?」
「……母方の血筋とは言った」
笑いだしたフィアクラと、横を向いてリュシルとフィアクラの視線から逃げるヴィクトル。
どういう事なのだろうとリュシルは二人を交互に見ていた。
「……ふふっ……ごめんね、分からないよね」
クスクスと笑いが収まらない様子でフィアクラがリュシルの方を向く。小首を傾げるリュシルに、フィアクラは閉じていた瞳を片方だけスっと開いて見せた。
「これが、ドルイドの瞳。……琥珀を持つ瞳だ。私は白金琥珀だけどね。……ヴィクトル君は、簡単に言えば私の親戚に当たるね」
「……え……えっ!?」
リュシルは驚いて両手を口に当てて止まってしまった。
暫し固まってから、油の切れた車輪のように酷く硬い動きでヴィクトルへ顔を向ける。
「……簡単に言い過ぎだ。親戚と言っても遠い。僕には先祖返りの形でこの瞳が現れただけだ」
ヴィクトルはフィアクラの簡単すぎる説明に、嘆息しながら仕方なしに補足した。
「僕は父も母も人だ。母の家系に何代か昔にドルイドの血が入ったらしい」
「……そうなんですね……」
ヴィクトルの説明にコクリと頷き、脳内の情報量にリュシルは膝の上に置いた手を見つめながら瞬きを繰り返す。
視線の先に、精霊がフワリと現れてゆらゆらと揺らめいた。
「急かさないであげなさい」
フィアクラは精霊を窘めるが、リュシルは両手で掬い上げる。
「……私が……助けたんですか……?」
リュシルの問い掛けにクルクルと円を描く精霊。
「……私は……貴方を一度助けただけなのに……名前を付けたら、貴方を縛り付けることになりませんか……?」
精霊さんは自由でいた方が幸せなのでは……
リュシルの考えを否定するように精霊は左右に行ったり来たりして、何かを訴えている。
「精霊が自分の主を見つけられるのはとても希少な事なんだ」
フィアクラの言葉にリュシルは顔を上げた。
「精霊達は何百年と生きる。その中で、この人と生きていきたいと思える人に出会える事は、本当に奇跡のようなものなのだよ」
「……もし、私が死んだ時は……契約した精霊は、どうなるのですか?」
「…………」
フィアクラは微笑んでいた。
リュシルも何となく理解した上で聞いた。
魂の一部を分ける……それはつまり、契約者が死ねば、精霊もまた死ぬということだ。
契約しなければ……長く、生きられるのに……
「……長く生きることが幸せと言うわけではない。彼らは、人と同じ価値観で生きていない」
俯いてしまったリュシルにヴィクトルが声を掛ける。契約を勧めたいわけではない。しかし、無駄に考えすぎるリュシルに「自分がどうしたいのか」だけで考えていいのだと教えてあげたかった。
「……私よりもヴィクトル君の方が指導者に向いているよね」
「……それは……そもそもの価値観が違うからだろう」
「そうかい?だいぶ人の考え方は理解してきたつもりなんだけれどねぇ」
「貴方が言う『人』は殆ど王家側の人間だろう……生徒と関わらないと指導など出来ん」
「手厳しいねぇ……」
「……僕は別に指導者になりたいわけじゃない。主の評価が僕の評価にもなるから魔力の扱いを教えているだけだ」
「ふふっ……その割には周りの子にも教えているんだろう?相変わらず子供が好きなんだね」
「……チッ……」
ヴィクトルの行動を知っている上でフィアクラが話していた事に気付いて、舌打ちと共に腕を組んでそっぽを向いた。フィアクラは楽しそうにクスクスと笑っている。
溜息をつくと、ヴィクトルはリュシルへ視線を移した。
「……君は、どうしたい?」
「私、は…………っ、本当に、私と一緒に居たいと思ってくださっているのですか……?」
両手の上に居る精霊に問い掛ける。
精霊は光が増して、クルクル、クルクルと何度も円を描いた。
「……ありがとう、ございます……」
今まで、こんなに、誰かに必要とされたことなんて……
顔を上げたリュシルは、フィアクラを見つめた。
「……契約は……どうやったら、良いのでしょうか?」
「決断してくれてありがとう。リュシル君が考えた名前で呼んであげるだけでいい。その子が受け入れたら契約成立だ」
「名前……」
ヴィクトルはリュシルの決断に何も言わず、黙って見ていた。その瞳は優しい色をしている。
「……エトワール……」
少し考えた後に、リュシルは小首を傾げて精霊に呼び掛けた。
すると、精霊の光が輝きを増し、どんどんと膨れ上がっていく。
「え……えっ……な、に……?」
眩しさに目を開けていられなくなったリュシルはぎゅっと目を閉じた。ヴィクトルも顔を顰めながら片手で目元を覆う。
眩い光が室内を満たし、三人の中心で収束していった。
眩しい程の光が消え、リュシルがそっと瞳を開くと、そこには一匹の猫がいた。
「……エト、ワール……?」
ぴるるっと耳が揺れて、猫の瞳が開く。
「…………」
パチパチと瞬きをして猫はキョトンと小首を傾げる。そして自分の体を見下ろし、前足を開いたり閉じたりと感覚を確認している様子だった。
二本の尻尾がユラユラと交互に揺れる。
「……あたし、うごいてるー!!」
両前足で頬を押さえて瞳を輝かせたと思ったら、叫ぶように声を上げた。
「どうやらケットシーになったようだね」
大きな声に驚いているリュシルとヴィクトルをよそに、エトワールの後ろでフィアクラが落ち着いた声で言った。
「ケット、シー……?」
フィアクラにリュシルが小首を傾げて聞き返す。
「そう。契約によって、精霊から個となる妖精へ変体したんだ。……おめでとう、エトワール。いい名前を貰ったね」
「フィアクラさま!あたし、名前!エトワール!」
テーブルの上でピョンピョンと飛び跳ねながらフィアクラに喜びを伝えるエトワール。
ヴィクトルは無言で立ち上がり、エトワールの首根っこを掴んだ。
「ふにゃっ!?」
「……これで、賢い個体、だと?」
「ヴィ、ヴィクトルさんっ」
「テーブルの上を跳ねるな。無駄に大きな声を出すな」
「……うにゃ……」
ヴィクトルに叱られ、耳も尻尾もペタリと下げて返事ともつかない声を上げた。
首根っこを掴んだままテーブルから下ろし、リュシルの足元に立たせる。
「……ルシー、おこってる?」
猫の口では「リュシル」が上手く言えないようだ。
前足をリュシルの膝に置き、大きな瞳で見上げる。
「はわ……お、怒って、ないです……!」
……可愛いですぅっ!
リュシルはケットシーと化したエトワールの可愛さに、元から下がり気味の目尻が更に垂れている。
フィアクラは楽しそうに笑っていた。
「そう。この子は賢い個体だ。最初からこんなに喋れる子はあまり居ないよ。まぁ……ヴィクトル君がいるから安心だね」
「…………はぁ……」
ヴィクトルの口から大きな溜息が漏れた。
リュシルはエトワールを撫で回している。バンディとはまた違う柔らかい毛、柔らかい肉球、と至福の表情だ。
「コレは……授業中などは一人で待てるのか……?」
「それは大丈夫だろう。私も気にかけておくし……契約した以上、主人の言うことは聞くものだから」
「そうか……ならば良い」
「そうだ。……エトワール、私と一つの約束だ」
「んなぁ?」
「……楽しみなさい。君の生を思い切り謳歌しなさい」
「んにゃ!エル、楽しむ!エル、しあわせっ」
エトワールは前足を上げて、元気に返事をした。
フィアクラの言葉とエトワールの姿に、リュシルの瞳に涙が滲む。
……生を謳歌、する……
私が死ねば、この子も消えてしまう……
魔力が絶たれれば、ヴィクトルさんも……
この子も、ヴィクトルさんも……
……失いたくない……
ぽん、と頭に大きな手が乗った。ゆるゆると小さく左右に揺れる。
リュシルはヴィクトルの方を向くと、微笑んだ。その拍子に瞳に溜まった雫がこぼれ落ちたが、その微笑みはとても幸せそうに見えた。
ヴィクトルも柔らかい表情をしている。
そんな二人を、フィアクラは優しく見ていた。
……ヴィクトル君も、やっと笑えるようになったんだね……
遠い昔……世界に絶望して自ら命を断ち、英霊となってからも他者を受け入れられなかった子が……
成長したものだ……
「あー!エルも、エルもー!ヴィー、エルも撫でて!」
「……は……?」
「テーブル、乗ってない!撫でて!」
エトワールは上半身をヴィクトルの膝の上に乗せて、撫でられるのを待っている。
ヴィクトルは先程までの柔らかい表情が消え、暫く無表情で見下ろしてから、溜息と共に仕方なさそうにエトワールの頭を撫でた。
「えへへー」
エトワールは嬉しそうに笑って、ゴロゴロと喉を鳴らしている。リュシルは両手を口元に添えて頬を赤くしながら「か……かわ……」と呟いて震えていた。
面倒臭そうな顔をしながらも、ヴィクトルの撫でる手は優しい。
「……寮に戻る時はコレはどうしたらいい?猫に擬態したところで他の生徒に見つかれば騒ぎになるだろう?」
エトワールを撫でながらヴィクトルがフィアクラを見る。
リュシルもフィアクラもハッとした表情を見せた。
「……考えていなかったのか?」
「うーん……そうだねぇ……私が送ろうか。君達が寮に戻ったら部屋の窓を開けて」
「わかった」
「あ、あの……一緒に過ごす時に、何か気を付けることはありますか?」
「特には無いかな。今のように、教えたことが出来たらちゃんと褒めてあげて、愛情を注いであげればいい。食事はいらないし……あぁ、植物はあった方がいいかな。この子を送るのと一緒に株分けしたものを届けるよ」
「はい。ありがとうございます」
「この子を宜しくね」
「はいっ頑張りますっ」
リュシルの返事にフィアクラは頷きを返した。
「あ。そういえば、リュシル君は来週のパーティ用のドレスはあるかな?もし無いようなら寮の受付に言ってくれたらカタログもあるから既製品になるけど注文出来るよ」
「……パーティ……ですか?」
「おや……知らなかったかい?来週末はバカンス前の葡萄踏みと学園パーティがあるんだよ」
「そうなのですね…… 」
……ドレスがクローゼットに入っていたのはこの為なのかな……?
「ドレスはあるので大丈夫だと思います」
「それは良かった。昼間は一年生が葡萄踏みをして、夕方から全生徒でパーティだから楽しみにしていて」
「はい」
微笑んで頷きつつも、そのようなイベントがあったことに驚いていた。
……バカンス前の、パーティ……




