眼差し
ソファに座って本を読んでいるリュシルの視界にヴィクトルの靴が映る。
どうしたのかと顔を上げれば、ヴィクトルは図書館の入口を見ていた。
ヴィクトルはリュシルの方を向くと人差し指を口元に当てて「喋るな」と伝え、リュシルも静かに頷く。扉の開閉音がして、コツコツと館内に一つの靴音が響いた。
暫くそのままじっとしていると、目当ての本を見つけたのか、靴音が遠ざかって再び扉の開閉音が響く。
「……行ったな」
「どなたか分かったのですか?」
「……君が苦手な金髪だ」
金髪と言われて思い浮かぶのは一人しかいないリュシルはビクリと震えた。
「……ありがとう、ございます……」
「……アレに関わると君のメンタルが不安定になるからな。それに、僕も王族は好かない」
「ふふっ……王女様に懐かれていたのにですか?」
「……あれは婚約者だから仕方なくだ」
「こん、やく……?」
溜息混じりに落とされた言葉に、リュシルは目を見開いた。そんなリュシルにヴィクトルは小首を傾げる。
「僕の知識を他国へ出さない為の形だけの契約だ。いつの時代もよくあるものだろう」
「……ぁ……」
……ヴィクトルさんの所作やエスコート等は王族の婚約者だからだったのですね……!
……と、言うことは……
……王女様の言ったという「抱きしめて」というのは……そう、言う……
言葉の意味を理解してしまったリュシルは、かぁっと熱くなる顔を手にしていた本で隠した。
突然、本で顔を隠すリュシルを疑問に思ったヴィクトルは持ち上げられた本を指で下げる。すると、何故か赤面したリュシルが居た。
「……なんだ?」
「な、なんでも、ありません……!」
ヴィクトルはリュシルが赤面している意味が分からず不思議そうな顔をした。リュシルは頬を押さえて深呼吸をしている。
「……まぁ良い。そろそろ訓練場に向かおう」
「あ、分かりましたっ」
本を片付け、出入口へ向かった。ヴィクトルは顕現したままリュシルの後ろを歩く。
渡り廊下を通り、すぐ近くの階段を降りると薬草園側に出る出口から外へ出た。先程まで日の当たらない場所に居たために、日差しの明るさにリュシルは一瞬、ぎゅっと目を閉じる。
「——ぅをんっ!」
聞き覚えのある鳴き声に目を開ければ、こちらに向かって走ってくるバンディが居た。
「……また突っ込んでくるか……」
後ろからはヴィクトルの呆れた声が聞こえてきたが、リュシルはバンディに手を振る。
バンディは勢いを抑えながら、リュシルとヴィクトルの周りを二周ほど回り、再びリュシルの前に来ると伏せの姿勢をとった。
「ハッハッハッ……わふっ!」
鼻先をリュシルの手に触れてから自分の背中に向けて「ふすっ」と鼻を鳴らした。
バンディの言わんとしている事を理解したヴィクトルは、何も言わずにリュシルを持ち上げてその背に乗せる。
「——ひゃあっ!?」
「ほら、掴まりなさい」
「〜〜~ヴィクトルさんっ!」
リュシルの怒ったような態度にどこか楽しそうに目元を緩めて、ヴィクトルは立ち上がったバンディの首元を撫でた。そして落ちないようにとリュシルの腰元に手を添えて歩く。
リュシルは何を言っても聞いてもらえないだろうと、大人しくバンディの毛を掴みその背に揺られていた。
野外訓練場からレナとジークがその様子を笑いながら見ている。
「あははっリュシルまた持ち上げられてるー」
「ヴィクトル、本当にリュシルに優しいよな」
「うんうんッヴィクトルさんならリュシルの事ちゃんと守ってくれそう!」
「……レナはヴィクトルが危険だと思うか……?」
「へ?危険?んー……多分、敵と見なしたものには容赦しなさそうだとは思うけど……リュシルにはそういう人が必要だと思うなぁ」
「……そういう人?」
「うん。……何よりも、リュシルを優先してくれる人」
「……そう、なのか?」
レナの言葉にジークは僅かに首を傾げた。
「……多分、ジークは信じられないと思うけど……リュシルはずっと離れで、ほとんど軟禁状態で過ごしてたんだって。……私も詳しくは知らないけど、使用人達がたまに教えてくれたの。フォンテーヌ家の使用人から聞いた話。……リュシルは家族と過ごしたことがないんだって……親との会話が手紙だなんて、信じられる?」
「……作り話、じゃない、のか……?」
「……私もそう思いたい」
レナは寂しそうな顔で笑った。
人伝てに聞いた話だ。誇張されている可能性はある。それでも、もし、この話が本当ならば……リュシルは一体どれだけの悲しみを抱えて過ごしていたのだろうか……。
アカデミー時代、入学していないリュシルが気になって使用人から聞いた話だった。
お茶会ではあまり話せなかった小さくて可愛いリュシルと、アカデミーに入ったら絶対友達になるんだと意気込んでいたレナは、思いがけずリュシルの悲しすぎる生活を知ってしまった。
それ以来、ずっと気になっていた。
リュシルに会いに行こうとしても「療養中のため」と断られ、何度かリュシル宛に送った手紙も、リュシル本人には届いていなかったようだ。
「……リュシルを守って、大切にしてくれる人……ヴィクトルさんが、リュシルの召喚獣で良かったって、私は思うよ」
レナにとっては危険だとかそんな事関係なく、リュシルが、大事にされているかどうかの問題だった。しかし、見ている限りではリュシルもヴィクトルを信頼しているし、ヴィクトルもリュシルを大事にしているように見える。きっと過保護なくらいがリュシルには丁度良いのではないかと思うのだ。
子供時代の寂しさは覆らずとも、それを塗り替える程の幸福を感じられたら……と、レナは願うのだった。
「わふっ!」
「バンディ〜おかえりっリュシルを連れてきて偉いね〜!」
リュシル達がレナとジークの元まで来ると、レナはバンディの首元に抱き着き、わしゃわしゃと撫でる。
「もうっレナさんまで……」
「ふふふっ、リュシルは遠慮しすぎなんだよ〜甘えられるところは甘えなきゃ!」
バンディが伏せれば、ヴィクトルは当たり前のように手を貸してリュシルの降りる手伝いをする。レナはそれを優しい瞳で見ていた。
「バンディ、もう一周走ったら戻るぞ」
「うをんっ!」
ジークが声を掛けるとバンディは元気に走り出す。白銀の毛が陽の光に反射して輝いていた。
「リュシルは課題出来た?」
「はい、終わりましたっ」
「だよねーリュシルとヴィクトルさんなら課題なんて一瞬なんだろうなぁ」
そんな風に話していると校舎の方からチラホラと中距離や長距離のクラスメイト達が姿を見せ始めた。
「あ。私達もそろそろ戻らないとだね」
「そうだなぁ……向こうでバンディ回収するか」
「だね。じゃあ、リュシルまたねっ!ヴィクトルさんも!」
「魔法練習、頑張れ」
レナとジークは手を振ってリュシルと別れ、校舎に向かった。
入れ替わるようにクラスの人達がリュシルから少し離れた所で集まり始めている。校舎の方から、ジャンヌと共にサシャ、イネスが歩いて来るのが見えた。
「皆揃ってるわね。それじゃ、午後の授業を始めるわ。今から一時間、各自で魔法練習。その後はちょっとした的当てゲームをやるから魔力使い切らないようにしてちょうだい。半分くらい残っていれば良いわ」
ジャンヌの開始の合図を聞いて、それぞれ召喚獣を呼び出し魔法練習を始めた。
リュシルも早速、水の糸を試してみようとまずは水球を作り出す。針を作り、そこから糸のように水球を細く伸ばしていく。
「細く……糸のように……」
「針が大きいのだから実際の糸のようにならなくて構わない。君の腕くらいのサイズで十分だ」
「……そうなのですね……」
確かに針は大きいのだ。リュシルは抑え込もうとしていた水球のサイズを緩める。
すると、今度は制御が甘くなってしまった。
——バシャッ
「……あ……」
リュシルは頭から、弾けた水球の水を被ってしまった。ポタポタと髪から水が滴る。
パチンっとヴィクトルが指を鳴らすと、リュシルを濡らす水が消えていった。
「すみませんっ……ありがとうございます……」
「気を抜きすぎるな。針も糸も、君の意識次第でサイズを変えられるようにするんだ。通常は自分が扱い易いサイズにして、敵によって変動させると良い」
「なるほど……」
本物の針と糸のように細くなくても良い……それならば……
いつもの針とそこへ繋がる水。
針は硬く、糸に見立てた水は柔軟に……
「できっ——」
——バシャンッ
リュシルが出来たと思った瞬間、糸に見立てた水が弾けた。
再び水がリュシルを濡らしていく。
「……集中」
パチンッとヴィクトルの指が鳴り、リュシルを濡らす水が霧散した。
「……すみません……」
情けなく眉が下がる。ヴィクトルの指がリュシルの額に張り付いた前髪を払った。
「何を焦っている?」
「え……?」
「落ち着いてやれば君なら出来るはずだ。魔力制御が不安ならば手を出しなさい」
「……はい」
差し出されたヴィクトルの手に、そっと自分の手を重ねた。
ひんやりとしたヴィクトルの大きな手が、小さなリュシルの手を包む。いつもは重ねるだけなのに、柔らかく握られている。
たったそれだけなのに、無意識に肩に入っていた力が抜けていくのが分かった。そこでリュシルは自分の呼吸が、いつの間にか浅くなっていたことに気が付いた。
一度深呼吸をして、もう一度、針と糸を作り出す。
針は硬く、密度を高く……
糸は柔らかく、自在に動けるように……
刺繍をしている時の針と糸の動きを思い出しながら、自身の腕と同じくらいの大きさの針と、そこへ繋がる流星のような水の糸。
糸の部分はゆらゆらと漂うように揺れている。
「……でき、た……?」
「上出来だ」
「わぁっありがとうございますっ!」
リュシルは嬉しそうに笑ってヴィクトルを見上げた。ヴィクトルは僅かに目元を緩めると、ついっと親指で繋がれたリュシルの手の甲を撫でる。
「次は?コレをどう使う?」
「あ、そうです!これで捕縛……えっと……水のままより凍らせた方が良いでしょうか……?」
「そこは敵によるが……可能ならば広範囲で凍らせた方が拘束力は上がるだろう」
「では……凍らせてみます」
図書館でヴィクトルが見せたように、ゆらりと針が上を向き、螺旋を描いた。
螺旋状に停止させ、糸の部分に魔力を流していく。
ぱき……パキパキパキッ……
「……っ……」
翳していた右手がぐぐぐっと握られていくと同時に、糸が凍りついていく。
キンッ——と甲高い音と共に、氷の螺旋が出来上がった。
「……っ、はっ……はぁっ、はぁ……」
リュシルは肩で息をしていた。
握った右手を胸に当ててドクドクと暴れる心臓を押さえる。
「……見事だ。……が、まだ実戦には不向きだな。氷化は君の体力が追いついてからだ」
ヴィクトルの言葉にこくこくと頷いて答え、必死に呼吸を整えていた。すると、繋がれた手から穏やかな魔力を感じる。
リュシルが顔を上げると、眉間に皺を寄せたヴィクトルがこちらを見下ろしながら、その表情とは真逆の心地の良い魔力を流してくれている。
呼吸はまだ少し荒いが、流れ込む魔力が酷く優しくて、リュシルはホッとしたように瞳を閉じて微笑んだ。
「————サシャ、笑顔が崩れてますわ」
「……っ、……気のせいじゃない?」
リュシルとヴィクトルのやり取りを少し離れたところから見ていたサシャと、その隣で魔法練習をしていたイネス。
リュシル達の声は聞こえない。だからこそ、手を取り合って、髪に触れたり、魔力を流すヴィクトルの行動に疑問しか浮かばない。
その所為でサシャの柔らかい表情が消えていたらしい。イネスはサシャがただの優しい少年だとは見ていない。恐らく、レオン以外ではイネスのみがサシャの本性を知っている人物だろう。レナにすら隠している自身の本質的な部分を、イネスには何故か看破されていた。
イネスの指摘に、サシャはパッと作り笑顔を浮かべる。その顔に溜息を付きつつ、視線だけリュシルに移した。
……あの子の、何がそんなに良いのかしら……
家同士が仲が良いのは知ってるけど、あの子はアカデミーにも居なかった。
そんなに交流があったようにも見えない。
……一目惚れ?サシャが?……まさか、ね……
「……あんまり怖い顔してると嫌われちゃうわよ?」
「笑顔すら見せない君に言われたくはないんだけど」
「あら、微笑んで欲しかったのかしら?」
「……はぁ……君と居ると気が楽なのは認めるけど、そうやって僕で遊ぶのはやめてくれないかな」
「だって楽しいんですもの。貴方のその顔、知っているのは私くらいなんでしょう?この上ない愉悦だわ」
楽しそうに目元を緩めるイネスに溜息をついて、サシャは再びリュシルの方へ目を向けた。
「……貴方は……何がそんなに不満なの?」
「……あの英霊が彼女を汚しそうだから」
「あの子が、召喚獣と男女の仲になるとでも?」
「……そういう意味じゃないよ……」
「……?」
静かに零されたサシャの言葉に、イネスは小首を傾げた。男女の仲という意味でないのなら、どういう意味なのだろうか。相変わらず何を考えているか分からない男だとイネスはサシャを見やる。
どこかうっとりとした表情でリュシルを眺めるサシャを見るのは何度目だろう。
その瞳には一体何が映っているのだろうと、イネスもリュシルを見た。
……どうしたら、同じ景色が見られるのかしら……
視線の先でリュシルはヴィクトルと手を重ねて笑顔を見せている。
教室で見るマナー通りの笑みではない笑顔だ。
可愛らしい、と思う。
私と違って、小さくて可愛らしい女の子。
そして……魔力暴走を起こしたという、可哀想な女の子。
イネスにはその程度の印象でしかない。そんな彼女の何が、この男を惹きつけるというのだろう。
その時、ピィーという笛の音が耳に届いた。
音のした方を見ればジャンヌが笛を片手に皆を見渡している。
「みんな練習は出来ているかしら?そろそろ的当てゲームをしましょうか!」
ジャンヌの近くに生徒が集まり、何をやるのかとそれぞれ興味津々の表情を見せている。リュシルも例に漏れず、ワクワクとしていた。
ジャンヌは皆の顔を見渡して満足そうに頷くと、足元にある一つの魔道具を紹介する。
「ここにあるのは訓練用の魔道具。起動させるとランダムに的が出てくるわ。それを十個、破壊したタイムを競おうと思ってるわ」
「……長距離組は何をしたら良いですか?」
「もちろん、ただ見てるだけじゃないわよ〜?中距離組の戦闘スタイルへどう援護やフォローをするかのレポートを書いてもらうから、メモの準備をしなさい」
長距離組の四人はそれぞれ亜空間BOXからノートとペンを取り出し、準備を始めた。
「中距離組は順番に一人ずつやってもらうわね。自分のスタイルで的を打ち抜けばいいわ。ただし、召喚獣との連携は必須。一人ではなく、召喚獣と共闘すること。それだけ守れば何でもOKよ」
イネスはリュシルの所へ行こうとしたサシャを引っ張り、一番最初の挑戦者にした。クラスメイトもサシャがやるのを楽しそうに囃し立てている。
賑やかに集まる輪に入れず、リュシルは一番最後になりそうだ。
「サシャ君からでいいかしら?始めるわよ。三、二、一、スタート!」
ジャンヌが掛け声と共に魔道具のスイッチを入れた。ランダムに的が浮かび上がる。
サシャはカウントダウンされている間に召喚獣のエルフを顕現させ、浮かび上がる的を眺めた。
「……無機物は苦手なんだよな……」
小さく呟くように口の中で零し、嘆息した。
「メロディ、いくよ」
声を掛けると、メロディと呼ばれたエルフが無色の弓矢を構えた。サシャも同じ物を構え、二人で的を撃ち抜いていく。
的はランダムに出現し、一定時間で消えて、再び別の場所へと出現する。狙いを定めているうちに消えることもありそうだ。
「——はい、そこまで!サシャ君のタイムは……四十四秒!良いスピードね。召喚獣との息も合っていたし、何よりすぐに近くの的を狙ったのは良いわね。近くの敵に気付けるのは大事よ」
「ありがとうございます」
サシャがジャンヌに一礼して待機場に戻ると、皆がワッと周りに集まった。
「お疲れ様。流石ね」
「サシャお疲れ!凄いね!あっという間だった!」
「撃ち損じが無いとか凄い……」
「ありがとう。皆も落ち着いて狙えば大丈夫だよ」




