呼吸
「でさ、結局縁談相手は誰なの?」
「……相手の事言うのはちょっと気が引けるんだけど……」
「どうせ誰が来ても断るつもりでしょ?」
「それは……そうだけど……」
レナがデザートのフルーツを食べながら、まだサシャの縁談相手について聞いている。
「お断りするんですか?」
「んー……僕は研究職に就きたいと思ってるから……独り身の方が良いかなってね」
「——その話、詳しく聞かせてくださるかしら?」
サシャの言葉に、後ろから落ち着いた、それでいて妙に圧のある声が飛んできた。
サシャはハッと口を押さえてそろりと振り向く。
「……イネス……戻ってたんだ……」
「今の話、どういう事かしら?」
「あー……向こうで、話そっか……」
チラッと一瞬だけリュシルを見て、サシャは席を立った。食べ終えていた食事のトレーを持って、イネスと呼ばれた黒髪ストレートのクラスメイトと去って行く。
「なるほど……侯爵家の一人はイネスなのね」
レナが一人、納得顔でうんうんと頷いている。
リュシルはクラスで見かけたことがあるという程度の認識しかないため、レナの言葉に首を傾げて見せた。
「あの子が縁談相手の一人だろうね。イネス・ルクレール侯爵令嬢」
「ルクレール……というと、国家錬金術師の……?」
「そそ。流石リュシル!」
「あぁ……サシャを婿に欲しいってわけか」
レオンも納得したように頷く。
小首を傾げたままのリュシルに、ジークが噛み砕いて説明をしてくれた。
「イネス嬢の家は子供が女性しか居ないんだ。だから婿を取って家督を守りたいんだろう。サシャは次男だし、同じ侯爵家だから白羽の矢が立ったんだろうな」
「なるほど……」
「てことは、もう一人はプルーストか、マルティノーかな。一、二歳下に女の子いたはず」
レナは顎に手を当てて「どっちかなー」と考え始めた。
リュシルは今名前が上がったルクレール、プルースト、マルティノーがフォンテーヌと別の派閥のため、今まで関わったことがなかった。幼少期のお茶会も、家の派閥で集まる子供は変わるのだ。
皆の話を聞き、他家の事情も色々あるのだなと何処か他人事に思いながらフルーツを口に運ぶ。
「サシャが断るとなるとレオンのとこにも話が来そうだよな」
「俺はないんじゃないかな……イネスと性格合わないし」
「……サシャさん、断るでしょうか?研究職に就きたいならルクレール家は最適の場なのでは……」
国家錬金術師の家系ならば、研究内容にはよると思うが、必要な物は一通り揃っているのではないかとリュシルは思った。
「……確かに」
ジークがリュシルの言葉に頷く。しかし、侯爵家を継ぐとなると色々と責務もあり研究だけをして過ごすことは出来ないだろう。
「何かさー、学生のうちから婚約だの何だのって面倒だね」
レナが食べ終わり、両手で頬杖をつきながら溜息混じりに言うと、皆で深く頷いた。
そんな話をしながらリュシルが食べ終える頃、二年生がちらほらと食堂に姿を現し始める。
リュシル達は席を立ち、談話室に移動することにした。
——————
「あ。……ジークさん、これヴィクトルさんから預かってきました」
談話室のソファに腰を落ち着けて、リュシルはヴィクトルから受け取った地図をジークに渡す。
「あぁ。渡してたの忘れてた。ありがとう」
隣で小首を傾げるレオンに、ジークは受け取った地図を開いて見せる。
「北部の地図をヴィクトルに貸してたんだ。……ん?」
レオンに見せるために開いた地図に、ジークは自分の字では無い書き込みを見つけた。
「……リュシル、これ……」
「えと、ヴィクトルさんからの報酬だそうです」
「……ドルイド……」
レオンが呟く。アグノールの言っていたドルイドの瞳の事を思い出し、リュシルに窺うような視線を向けた。
「……そうか……ドルイドの里……スタンピードの影響はこれか……」
ジークも地図を眺めながら呟くと、すぐに立ち上がる。
「すまない。この情報、家に連絡したいから俺は先に戻る。また明日な!」
「おーまたな」
「またねー」
「おやすみなさい」
「リュシル、ヴィクトルにありがとうって伝えてくれ!じゃあなっ」
口々に別れを告げ、ジークは慌ただしく部屋へ戻って行った。
ジークを見送り、レナがソファの背凭れに沈む。
「ジークも実家に戻ったら縁談で忙しそうだよね」
「まぁ……あいつもモテるからなぁ」
「あの軟派なセリフが元凶だと思うけど」
レナの言葉にリュシルはクスクスと笑ってしまった。どうやらレナは北部の習慣を知らないようだ。
「女性を褒めるのは北部の習慣なんですよ」
「へ?」
「北部は王都より、女性を尊重する地域なんです。なので、女性に出逢ったら褒めることが習慣としてあるんですよ」
「そうなの!?」
リュシルは笑って頷く。
知らなかったのなら、女性に会う度に褒め言葉を並べるジークは軟派な男性に見えていたことだろう。もしかしたら近接クラスでは軟派男と言われていたのかもしれないと思うと、何とも不憫なものだ。
「レオン知ってた?」
「いや、俺も初耳……そんな習慣あったのか……」
「アカデミー時代からずっと軟派男だと思ってた……」
「ふふふっ……」
リュシルが鈴が鳴るような笑い声で笑っていると、ふと影が差した。
向かいのレオンが姿勢を正して頭を下げる。
リュシルがそろっと振り向けば、後ろに殿下の姿があった。
「で……殿下!……ご機嫌よう」
「すまない、楽しそうな声が聞こえてつい。邪魔をしてしまっただろうか?」
「いいえ〜雑談していただけなので大丈夫ですよ」
レナが笑顔で答える。リュシルは咄嗟に、昔から変わらない淑女の笑顔を貼り付けた。
殿下はリュシルの隣を通り、向かいのレオンの隣に腰を下ろす。
「僕も混ざって良いかな?なんだか子供の頃を思い出すね」
「そうですね。あの頃はリュシルも殿下も何だか雲の上の存在みたいに見えてました」
「ははっ、そんな風に見えていたの?」
レナと会話しているのに、殿下は柔らかい微笑みでリュシルだけを見つめている。
レオンは一瞬だけ隣に座る殿下に目を向けて、すぐに逆方向に視線を移していた。
『やぁ主よ。隣に座る男は何者だい?何だかとても恋する乙女のような、馨しい香りがするんだねっ!とても情熱的な、燻る思いを抱える香りだねっ』
『あー……ルイ・オベール王太子殿下。この国の王子様だよ……てか、何だよ香りって……腕輪の中で香りも何もないだろ?』
『分かってないねぇ主は……彼の雰囲気に香りを感じるのだよっ!あれだねっ琥珀の君の主に熱い視線を送っているのを見るに、彼女を好いているんだねっあんなに分かりやすい態度を取るなんて王子サマもまだまだお子様なのだね!王族なんてものは好意を出してはいけない生き物だろうに、あれでは彼女も大変だね!妬み僻みのいい的だ!いつの時代も愛憎劇というのは愉快なものだねっ』
『楽しむな。……殿下のアレってやっぱりそう言うやつなの?』
レオンは脳内でアグノールと会話をしながらソファの肘掛けに凭れ、頬杖をついて殿下とリュシルを交互に見る。
『主……鈍いにも程があるのだよ……王子サマのあんなあからさまな表情で気が付かないなんて、主の目は節穴なのかい?あれはどう見ても恋する目なんだねっ!しかし……彼女の方は先程までは楽しそうに笑っていたというのに、今はまるで人形のようだねっ?』
……あぁ……昔も、ずっとこんな顔だったな……
リュシルの貼り付けた笑みをレオンは眺める。
今日一日、一緒に過ごした中でこの表情は一度も見なかった。楽しそうに笑ったり、ヴィクトルに恥ずかしがったりは見たが、この顔は昨日の朝以来か。
そういえば自分はこの取り繕った表情が嫌いだったのだとレオンは思い出した。
今なら、そういう教育をされていたのだろうと分かるが、当時は表情の変わらないリュシルが不気味に見えて苦手だったのだ。
「——あれ?ルイ様?」
「やぁ、サシャ。君も居たんだね。お邪魔してるよ」
「これは……懐かしい顔触れだね」
「サシャおかえり。イネスは大丈夫?」
「うーん……一応?」
困った様な笑顔でレオン側の背凭れに寄り掛かる。
ルイは小首を傾げてサシャを見やった。
「……何かあったの?」
「いえ、クラスメイトの家から縁談の申し込みがあったもので」
「あぁ……なるほどね」
「はいはい、お疲れのサシャ君はこちらにどうぞ」
レオンは揶揄う口調で言いながら席を立つとサシャを座らせる。レオンは肘掛けに座ってサシャの頭に肘を置いた。
「ちょっと、僕を肘置きにしないでよ」
「ははっ」
サシャがムッとしてレオンを見上げれば、レオンは笑ってサシャの頭を乱暴に撫でる。どうやらレオンなりの慰めのようだ。
「君たちは昔から仲良しだね」
ルイが二人のやり取りを見ている間に、レナはリュシルの手をきゅっと握り顔を覗き込んで笑顔を見せた。
リュシルがどうしたのかと小首を傾げれば、パチッとウィンクを返される。
「殿下っ私達、ちょっと疲れているのでそろそろ失礼しますねっ」
「あ……そうか……残念だけど、ゆっくり休んで。またね」
「……失礼します」
レナがリュシルの手を引いて、ヒラヒラとレオン達に手を振りながら談話室を後にする。
リュシルは軽く頭を下げて、レナに連れられて行く。
少し不安げなリュシルの手を引いて、レナは階段を上がる。三階まで着くと、笑顔で振り向いた。
「脱出成功!……なんてねっ」
悪戯に笑うレナにリュシルは一瞬呆気にとられて、しかしほっと安堵の息を吐いた。
「ありがとうございました、レナさん。レオンさんとサシャさんは大丈夫でしょうか?」
「男同士なら平気だよ〜気にしなくて大丈夫。リュシル明日から一日の授業でしょ?今日いっぱい動き回っちゃったし、早めに休んだ方がいいよ」
「はい。ありがとうございます」
リュシルの部屋の前で別れて、自室に入る。
「……はぁ……」
扉を閉めて、そのまま寄り掛かると溜息が漏れてしまった。
ふわりと空気が揺れたと思えば隣にヴィクトルが姿を現した。
「……そんなに気負わずとも、君が婚約者になることはないだろう?」
「そう、なんですが……何か……昔から、きちんとしなさいと言われ続けていたせいか緊張してしまって……」
まるで呪いかのように、リュシルの胸に重くのしかかる。
——きちんとしなさい。
——未来の王妃になるんだから。
——殿下の支えにならなければ。
——立派な淑女になりなさい。
——他のレディのお手本に……。
殿下を前にすると、そんな言葉達が頭の中をぐるぐると回って、呼吸が上手く出来なくなるのだ。
ヴィクトルを見上げ、金琥珀の瞳に何故か、とても安心感を覚えた。ふとリュシルの表情が和らいだことに気付いたヴィクトルは、大きな手をぽんとリュシルの頭に乗せる。
すると、少し恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに頬を緩めた。
不思議……ヴィクトルさんが隣に居ると、呼吸が楽になる気がする……
数回ぽんぽんと撫でて、手を下ろす。
「……落ち着いたのなら寝なさい」
「はい。……あ、ジークさんがありがとう、と」
「あぁ。聞こえていた。……ドルイドと上手く付き合っていけば北部は今より楽になるだろう」
「そうなんですね……そうなっていくと良いですね」
そうなる事を祈るように、リュシルは見た事のない北部に想いを馳せた。
「領主の腕次第だろうな」
言いながらヴィクトルは研究スペースに移動する。
リュシルはその背中を微笑んで見つめ、自分も机に向かった。
今日の日記を付けたら寝ようと、日記帳を開いた。
どこにいたのか、リュシルがペンを持つと精霊がペン先に乗っている。
リュシルがペンを動かす度に揺れるのが楽しいのか、柔らかい光の中に時折羽根のようなものが揺らめくのが見えた。
「……楽しいのですか?」
リュシルは初めて精霊に話し掛けた。イタズラをしないと言って、名前を欲しがったこの子なら大丈夫だろうと思ったのだ。
ヴィクトルはリュシルの声に振り向き、精霊の姿が見えると嘆息して読んでいた本に視線を戻す。
精霊はリュシルに話し掛けられて嬉しいのか、クルクルと飛び上がりリュシルの前を行ったり来たりと、はしゃいでいるようだった。 そんな精霊の姿に優しく微笑み、リュシルは日記を書いていく。
今日はレナさん、レオンさん、ジークさんとお勉強をして、ランチを食べて、魔法練習をして……
とても、充実した一日でした。
ヴィクトルさんの記憶も……とても温かかった。
何だか……私の経験した事と近い記憶が見える気がするけど……ヴィクトルさんの記憶が私の行動で呼び起こされているのでしょうか……?
共感記憶とは不思議……
私の記憶もいつかヴィクトルさんに見えることがあるのでしょうか……
召喚獣の記憶だけが見えるものなのでしょうか……
分からない事ばかりだけど、次はどんな記憶を見せてもらえるのかと密かにワクワクしていた。
そして、名前を欲しいと言い、そばに居たいと言ってくれた精霊さん……
何故、私のそばに居たいのでしょうか……私には何もないというのに……
学園長先生にお目通りが叶えば、分かるのでしょうか……
これからどうなっていくのかは分からないけれど、私は私の出来ることを精一杯やっていこう。
書き終えると日記帳を閉じて、ベッドに潜り込んだ。
「ヴィクトルさん、おやすみなさい」
リュシルの声に振り向き、ベッドサイドまでやって来る。どうしたのだろうと横になったまま見上げれば、ヴィクトルの目元が僅かに柔らかくなった。
「このままでは眩しいだろう。……いい夢を」
言いながら天蓋を下ろして、足音が遠ざかる。
リュシルはお礼を言うのも忘れて、目を見開いたまま固まってしまった。
声色がとても優しく感じたのは気のせいでしょうか……
何故か胸がドキドキして、ヴィクトルの柔らかい瞳と声が頭から離れなかった。
コロリと横向きに寝返って、きゅっと身体を縮こまらせる。ドキドキする胸を押さえながら、瞳を閉じた。
今の気持ちが、ヴィクトルに伝わりませんようにと願いながら、リュシルは眠りについた。




