生きた証
西と南は王都から距離がある。
しかしこれ以上ない有益な情報だ。ヴィクトルは迷わずに印を付けていく。
西は隣国との境にある山の中。南は海上だった。恐らく、人には見えない島があるのだろう。
やはり行くならば薬草教師も言っていたように東の精霊樹か……
……北部も大きい奴が言っていた未開の山の麓あたりにある……
そこで、借りた地図を返していないことを思い出した。小さく舌打ちをして、亜空間BOXから取り出す。そちらも精霊に見せれば、精霊は迷わずに未開の山の麓の位置へピタリと留まった。
「……やはり、そこか……」
……スタンピードの減った理由はドルイドの里が拡大した影響と考えても良いかもしれんな……
ヴィクトルは少し思案して、精霊の示した場所へ『ドルイドの里』と記入した。
アレは存外、頭が切れる。今日の働きの報酬にこの情報をくれてやろう。
その時、ガチャっと音がしてリュシルが洗面室から姿を現した。
ヴィクトルはジークの地図を持って、リュシルの元へ移動する。
「……これを返してもらえるか」
「あ、ジークさんの地図ですね。分かりましたっお預かりします」
「何か言われたら僕からの報酬だと答えればいい」
「? 分かりました」
リュシルは小さく首を傾げつつ、頷いた。
地図を渡し、いつものようにぽんと頭をひと撫でして、ヴィクトルはそのままリュシルを見下ろす。
先程、魔法の練習をしたからか、いつもより魔力の増える量が落ち着いている気がした。
「……ヴィクトルさん?」
無言で見下ろしてくるヴィクトルに小首を傾げる。ヴィクトルはリュシルの髪をひと房掬い撫でて、一つ頷いた。
「魔力量も、水の抽出も問題ない」
「ありがとうございますっ」
リュシルは嬉しそうに微笑む。水の抽出に初めて合格を貰えたのだ。頬を緩ませながら手ぐしで癖毛を軽く整える。
ひと休みをしたら、夕食の時間だ。
棚からティーセットを取り、ソファでゆっくりと紅茶を淹れる。
ヴィクトルは研究スペースへ戻り、亜空間BOXから本や紙を取り出していた。
リュシルは教科書を眺めながら、近接クラスの課題を考えていた。自分ならどうするだろうか、と。
ゴブリン五体が前方からやって来る……針を五本生成して……一体ずつ針を飛ばす……
あとは……足元を水で泥濘にして身動きを封じたら……落ち着いて対処が出来るでしょうか……
他には何か……
氷漬けは……出来る、かな……
リュシルは手の上に水球を作り出し、それを氷に変えようと考えて、はたと止まった。
昨日ヴィクトルに、やりたい事があれば言いなさいと言われたばかりなのだ。
今は……やめておきましょう……
明日からは授業が一日ある。今やらなくても授業で魔法練習もあるだろう。その時でも遅くは無い。
今は考えるだけにしようと軽く深呼吸をして紅茶を一口飲んだ。
氷漬けに出来るとして、一度に五体はおそらく無理だろう。例えば……一番近い敵を凍らせて、針を生成する時間を稼いで……二番目、三番目の敵に針を飛ばして……
リュシルは脳内でシミュレーションをしていく。
——次、は……
二つ目の課題を終えたあたりから、今日の疲労感が襲ってきて段々と瞼が落ちていく。
ソファに座ったまま、テーブルに突っ伏して眠りに落ちてしまった。
————……
昼下がりの研究室。
ノックもなく、出入口の扉が突然開いたかと思えば子供達が雪崩れ込んでくる。
腕に、腰に、背中に、子供達が纏わり付いて仕方なしに手を止めた。
「早く早く!」「今日は研究もお休みだよ!」「ヴィクトルさまもリボン付けてっ」「今年は赤色なの!」
四方八方から子供達の声が響き、手を引かれて外に連れ出される。
溜息と共に顔を上げれば、町はお祭りで賑わっていた。野菜や果実が山のように積み上げられ、豊穣を祝う祭りのようだ。
両手を子供達に引かれて町の広場に出れば、あちらこちらからヴィクトルを呼ぶ声と、差し出される食事や飲み物。あっという間に両手いっぱいに食べ物が積まれていく。溜息をつきながら子供達に分けていき余った食べ物を持って町を見下ろせる丘へ向かった。
楽しそうに賑やかな町の人々を見下ろし、手首に巻かれた赤いリボンが風に靡いた。
とても、温かな記憶……
それなのに……胸には酷く重く苦しい感情が流れ込んできて、寝ているリュシルの閉じられた瞳から涙が流れ落ちていく。
「……っ……」
ヴィクトルはたった今、脳内に流れた記憶を掻き消すように自身の手の甲にペンを突き立てていた。それと同時に映し出されていた記憶が消える。
「ハッ……なるほど……衝撃があれば、強制的に記憶は途切れる、か……」
一人呟くと、ペンを抜きハンカチを取り出して流れる血を押さえた。
脈も無いのに血が流れるとはなんとも不思議なものだが、傷の痛みも流れる血も、生きていた頃の肉体の記憶と言われている。
手と口で器用にハンカチを巻いていると、精霊がまるで心配しているかのように手の近くで右往左往していた。
「……この程度、問題ない」
声を掛ければ動きが止まり、一度円を描くとリュシルの元へと移動していく。
精霊はリュシルの涙に、またこちらでも右往左往し始めた。それに気付いたヴィクトルが歩み寄る。
先程、寝入った時にかけてやった自身のコートに包まるリュシルの顔を覗き込んだ。そして、涙に気付いて眉間に皺を寄せる。
「……流れ込んだか……」
契約者との感情共有とは厄介だな……
未だに胸に残る不快感も伝わっているのだろう。
感傷に浸るなど自分に必要ないと分かっているのに、どうにもならない奥底に眠る後悔の渦が、ふとした瞬間に甦る。共感記憶のせいで過去を見せられるせいか、思い出したくもない人々の笑顔が色濃く残る。
意識を切り替えようと嘆息し、リュシルの肩へ手を伸ばした。
時刻は18時。食堂が開く時間だ。
「君……君、起きなさい」
軽く揺すりながら、声を掛ける。
「……ん……ヴィクトル、さん……?」
数回揺するとリュシルの瞳がぼんやりと開いた。
「そろそろ、夕食の時間だ」
「……はい……」
ゆっくりと起き上がり、肩からヴィクトルのコートがずり落ちる。そこでやっと意識がはっきりとした。
「あっ……すみません、私寝てしまって……!」
「疲れていたのだろう、構わない」
「はい……上着、すみません。ありがとうございます」
ヴィクトルは一つ頷いて上着を受け取り、袖を通すとそのまま袖口でリュシルの涙を拭った。
「……嫌な感情が流れただろう……」
「……いいえ。とても、素敵な景色でした」
ヴィクトルさんが人々に愛されて、人々を愛していた記憶……
重く苦しい感情は当時の記憶ではなかった。記憶の中はとても穏やかで、心地の良い時間に感じた。
しかし、その上から覆い被さるように苦しい気持ちが襲ってきたのだ。
記憶自体は、とても美しいものだった。
その言葉に、涙を拭う手が止まる。僅かに目を見開いて、リュシルを見た。
リュシルは涙に濡れた瞳のまま、優しく微笑んでヴィクトルを見上げている。
「…………」
ヴィクトルは言葉が出なかった。
……この子は僕の過去を知らないのだから、当たり前か……確かに、あの頃は幸せというものを感じていたような気はする。
しかし……だからこそ、そんな記憶を持つ自分が許せない。
取り返しのつかない罪を犯しておいて……幸せな記憶など——
「……私はヴィクトルさんがここに留まる理由は知りません。それでも、見える記憶はヴィクトルさんが生きてきた証だと思っています。……英霊さんには大きな後悔があって輪廻に乗れない魂だということは知っています。だから、ヴィクトルさんにも……きっと、辛い後悔があるのだと思います……」
涙を拭ってくれていたヴィクトルの手を両手で包み、きゅっと握った。
「ですが……私はヴィクトルさんの記憶はとても温かくて、ヴィクトルさんが人々に愛されていて……凄く、嬉しいんです」
……この子は……何を、言って……
「……僕は……愛されて、など……」
——いない、と否定が出来なかった。
記憶の中で、家族も人々も笑顔で自分の名を呼んでいる。彼らを否定することは出来なかった。
自身を否定することは簡単に出来るのに。
自分のせいで、皆の命が散っていった。
それは揺るぎない事実。
しかし、彼らの笑顔もまた……事実だ。
「……僕、は……」
リュシルに包まれていない手が喉元に触れる。
その手に巻かれたハンカチにリュシルが気が付いた。握る手に僅かに力が入る。
ヴィクトルはリュシルから逃れるように、無意識に一歩下がる。しかし、握られた手を振り解くことは出来ない。
「……その手は、どうしたんですか……?」
「……何でもない」
「何でもないわけないじゃないですかっ血が……!」
リュシルは立ち上がって、ヴィクトルが下がった一歩に躊躇なく近付いた。
血の滲むハンカチが巻かれた手にそっと触れて、酷く心配そうな顔をしている。全く力など入っていないはずなのに、何故か抗うことが出来ずに触れられた手を下ろす。
「……何が、あったんですか……」
「……ペンを刺しただけだ」
「なっ……何してるんですか!手当てをするので座ってくださいっ」
「不要だ」
慌てながら、ヴィクトルにソファに座るように促すが首を振られてしまう。
しかし、リュシルはヴィクトルの腕を掴むと、ぐっと引いて無理やり座らせる。
「必要ですっ」
ひ弱なリュシルの力で引いたところで簡単に拒絶出来るものを、ヴィクトルはされるがままに座り、救急セットを取りに行くリュシルを眺めていた。
何故、心配されているのかヴィクトルには分からない。
ただ、過去の映像を見たくなかっただけだった。
一種の実験だったのだ。意識を過去ではなく『今』に向けたらどうなるのか、と。
実験は成功と言っていいだろう。多少の痛みで、共感記憶を断ち切ることが出来たのだ。
だからこの程度の傷で、手当てだの何だのと言われる必要性は感じられなかった。
ペンが刺さっただけだ。
血こそ出るが、この身体はすぐに治るものなのだ。
……なのに……
「……本当に……変わった子だ……」
救急セットから傷薬を出して、血に染まったヴィクトルのハンカチを慎重に外していく。現れた傷に、拭った涙がまた滲んできていた。
ヴィクトルの呟きは聞こえていたはずだがリュシルは何も言わず、傷薬を塗り、ガーゼを当てて包帯を巻いていく。
「……痛く、ないですか……?」
「問題ない」
「なんで……刺したんですか……?」
「……共感記憶が遮断出来るかどうかの実験だ」
ヴィクトルの言葉を聞いて、リュシルは顔を上げた。リュシルの大きな瞳が揺れている。
「……出来れば、他の方法を見つけていただきたいです。……ヴィクトルさんが怪我をする事がない方法を……」
「…………善処する……」
ここでまた泣かれるのも困る為、溜息を吐き出しながら渋々頷いた。それを見てリュシルはほっと安堵した表情を見せて、包帯の上を撫でる。
「……そろそろ、食事に行きなさい」
手当てされたのと逆の手でリュシルの目尻をそっと撫でる。溢れそうな雫を攫い、リュシルの表情を窺うように小首を傾げた。ヴィクトルの仕草に、僅かに頬を赤く染めながら視線を下げて頷くと、リュシルは顔を洗うため洗面室へ逃げるように消えていく。
リュシルの背を見送り、巻かれた包帯を眺めた。
手先が器用だからだろうか、恐らく人の手当てなどしたことがないだろうに、綺麗に巻かれている。
こんな傷に……手当てなど、必要ないというのに……
知らない内に溜息が零れていた。
真っ白な包帯が、自分には似つかわしくないと思うのに、何故かあの子の優しさを無駄には出来なくて……
遠い昔に置いてきたはずの、胸に残る違和感が拭えない。
リュシルが戻って来ると、ヴィクトルは静かに腕輪へと戻っていった。
軽く髪を整えて、カーディガンを羽織ると食堂に向かう。談話室へ続く扉を開けばすぐ近くのソファにレナとジークが居た。
「おっ、来たか」
「良かった!リュシルご飯食べられる?」
「レナさん、ジークさん……待っていてくれたのですか?」
リュシルの姿が見えるとすぐに笑顔を向けてくれる二人。
「一緒に食べたいじゃん?それに今日連れ回しちゃったから、体調崩したりしてないか気になって……」
「先日熱出してたって話聞いたからさ」
「体調は大丈夫です。ありがとうございますっ」
照れたように微笑み、三人で食堂に向かう。
レナはリュシルと腕を組み、ジークはその後ろからまるで二人の騎士のように着いてきた。
それぞれメニューを選んで、会計が終わるとレナが先導して歩き出す。
「レオンとサシャが席取ってくれてるから行こうっ」
「サシャさんも戻ってらしたんですね」
「うん、やっぱり縁談だったらしくて疲れ切ってた」
サシャの顔を思い出したのかレナはクスクスと笑った。
レナの後を着いて行けば、食堂の端の方の席でサシャがヒラヒラと手を振っている。
「サシャさん、おかえりなさい」
「ただいま、リュシルさん」
リュシルとレナが隣同士で座り、向かいにレオンを真ん中にしてサシャとジークが座る。皆で手を合わせて食事を始めた。
「ねねっサシャ、相手は誰だったの?」
早速レナが興味津々で縁談相手を聞いている。
「えー……それ聞く?」
「もちろん聞くでしょっ」
身を乗り出すように頷くレナの隣で、リュシルもちぎったパンを口に運びながら少しワクワクとしていた。
「同じ侯爵家二人と伯爵家一人……で、分かる?」
「いや、分かるわけないでしょうがっ」
「……この週末で、三人も……?」
リュシルは驚いて思わずといったように呟きが漏れてしまった。
「その三人は……一緒に?一人ずつ?」
「一人ずつ。昨日の午後に一人、今日の午前に一人、午後に一人って感じ。それですぐにこっちに戻って来た」
「……道理で疲れきった顔してたわけだ」
レオンがサシャの疲れを労わるかのように、自身の取っていたフルーツを一つサシャのお皿に分けた。
「ありがと。……先に兄さんの縁談を進めれば良いのにさぁ……って、ごめん愚痴ばかり出ちゃってるね」
「サシャは外面が良いからねー」
「……うちは父さんも兄さんも社交性が皆無だからね……レナのその言い方は悪意を感じるけど、否定はしないよ」
サシャの諦めたような声に、リュシル以外の皆はクスクスと笑いを零している。
入学してからのサシャしか知らないリュシルは、きょとんとしてサシャを見ていた。
そんなリュシルに気付いたレオンはニヤリと笑う。
「コイツ、腹黒だからリュシルも気を付けろよ?」
「えっ」
「ちょっとレオ、リュシルさんにそういう事吹き込まないでよ」
「どーせすぐバレるだろ?お前たち一緒のクラスなんだし」
「ハハッ、リュシルは大丈夫だろ。用心棒が居るし」
ジークが笑って言えば、レオンもレナも「確かに」と頷いている。サシャは少し困ったような笑顔を見せていた。
「え……えと……今までのサシャさんは……信じて良いのですか……?」
「「ブフッ……!!」」
リュシルが真面目なトーンで問うているため、双子が盛大に吹き出して笑っている。ジークも声こそ出してはいないが顔を背けて震えていた。
「ほらもう、皆して変な事言うから……信じて欲しいなぁ……リュシルさんと仲良くなりたいのはホントだよ?」
サシャは少し情けない声でリュシルに応える。リュシルはその言葉に微笑んで頷いた。
「ふふっ……ありがとうございますっ」
レナ達もサシャを信頼しているのが見て取れるため、本気で疑っている訳ではなかったリュシルもクスクスと笑い出す。皆でひとしきり笑って、和やかに夕食を過ごした。




