精霊
「……はい」
レオンがおずおずと片手を上げる。
「なんだ?」
「どうして、話したり触ったり名乗ったりしたらいけないんだ?」
「……貴様のエルフと一緒だからだ」
少し考えて答えたヴィクトルの言葉に、レオンはキョトンと目を瞬かせた。
「……アグノール?」
どういうことだ……?と、レオンも皆もヴィクトルの言葉の続きを待つ。
「……制御できる存在じゃない」
「……なるほど……」
妙に納得してしまうレオンと、微妙な表情を浮かべるレナとジーク。しかし、最後は皆で顔を見合わせ、頷き合ってヴィクトルを見た。
「約束します」
レナが真面目な顔で言い、レオンとジークも深く頷いた。
ヴィクトルは溜息を一つつくと、缶の蓋を開ける。
「……出て来い」
暫し待つと、ふよふよと半分になったクッキーが浮かび上がってきた。
精霊は皆の視線が自分に向いていることに気付くと、慌てたようにリュシルの後ろへ飛んでいこうとする。しかし、途中でヴィクトルの手にひょいと捕まってしまった。
「……ここなら姿を出していい」
ヴィクトルが告げると、精霊はクルクルと円を描きながら光り出す。その幻想的な光景に、レナから小さな感嘆の声が漏れた。
「……エルフは、精霊の言葉は分かるのか?」
ヴィクトルがララノアに問うと、ララノアはこくりと頷いた。
「……コイツは何と言っている?」
「…………『名が欲しい』……」
眉間に皺を寄せつつも、ララノアが精霊の言葉を訳してくれる。
「……『この娘と共に居たい』……『石の場所も案内出来る』……『名が欲しい』」
「……石?」
リュシルが小首を傾げる。その隣でヴィクトルは、早朝に見せた精霊の不可解な行動の意味を察し、小さく息を吐いた。
……あれは、場所を知っていることを伝えていたのか……
「……見返りは?」
「……『いらない』……『共にあることを望む』と言っています」
皆、息を呑んで成り行きを見守っている。
精霊が自ら名を求め、人と共にあることを望む瞬間に立ち会えるなど、誰が想像しただろうか。
「……ハァ……それは、ここでは決められない。学園長の判断が必要だ」
「……了承を示しています」
「そうか。……通訳、感謝する」
「いえ」
ヴィクトルがララノアに短く礼を言い、そのままキオスクの外からこちらを見ていたローランに視線を移した。
「……この件、学園長に時間をいただきたい」
「……はい。ご連絡しておきます……」
ローランは精霊から視線を逸らせないでいた。初めて目にしたのだ。
——この、血に濡れた自分では一生目にすることはないと思っていた精霊という存在を。
「……今、すごい瞬間に立ち会った気がするんだが……」
ジークが光を放つ精霊を見つめたまま、ポツリと呟いた。レオンとレナも、大きく深く頷いている。
リュシルはどうしたらいいのか分からず、困惑と不安から眉を下げてヴィクトルを見上げた。
その視線に気づいたヴィクトルは、リュシルの頭に手を置く。そして、いつものように優しくぽんぽんと数回撫でた。
「……心配しなくていい」
「……はい……」
まだ不安そうに体を小さくしているリュシルの手を、レナがギュッと両手で包み込む。
「リュシル、不安なことがあったら言っていいんだよ! 怖いとか、心配だとか、全部声に出していいんだからね!」
「……レナさん……」
力強いレナの言葉に、リュシルは少し困ったように微笑んだ。
気まぐれと言われる精霊に、なぜ自分が好かれているのか分からない。共に居たいと願われる理由すら理解できず、ただただ不思議でたまらないのだ。
「俺たちも力になるからさ。何かあったら遠慮なく言ってくれ」
ジークも後押しするように頼もしく声をかける。
隣のレオンも少しだけ気まずそうに、しかししっかりとリュシルを見て力強く頷いた。
「皆さん……」
「——私もジャンヌも、いつでも相談窓口を開けて待っていますよ」
キオスクの外から、ローランもいつもの穏やかな笑顔で声をかけてくれた。
「……はい……皆さん、ありがとうございます……!」
胸の奥にじんわりと広がる温かさに触れて、リュシルは心からの笑みを咲かせた。
精霊は一枚のクッキーを食べきり、もう一枚お皿から取るとリュシルの髪飾りの上にちょこんと乗る。
「……カスが落ちるだろう。そこで食べるな」
ヴィクトルが精霊に声をかけると、光がくるりと回ってテーブルに降りた。皆がその様子を微笑ましそうに眺めている。
「俺たちも昼飯にするか?」
ジークが言うとレオンとレナの表情が曇った。
「……ランチ、買ってないよぉ……」
「買ってありますよ。……はい、レナさん」
「こっちはレオンな」
「「!!」」
リュシルとジークが亜空間BOXからランチを取り、それぞれに渡すと途端に顔が輝いていく。
「ありがと〜っ!」
「どういたしまして」
「わりぃ」
「気にすんな」
「ねねっ、折角だし外で食べようよ!」
レナが立ち上がって声を上げた。皆も賛成のようで頷いて立ち上がる。リュシルも後に続いて立ち上がると皆でローランにお礼を言って薬草園を出た。
「どこにする?」
皆の後ろでバンディを呼び出しながらジークが言うと、先頭にいたレナも「どこが良いかなぁ?」と振り返る。
「……温室前の原っぱはどうかと精霊が言っています」
ララノアの傍で浮いていた精霊は、皆の周りをくるりくるりと回って伺いを立てているようだ。
レナは笑顔で頷いた。
「あの原っぱ綺麗だもんね!行こう行こう!」
跳ねるように歩き出すレナとそれに着いて行くレオンとララノア。ジークとバンディはリュシルの隣でペースを合わせて歩き、ヴィクトルは後ろから着いて行く。
行き先が決まったからか、精霊はリュシルの元へ戻って来ると頭の上に乗った。
「……リュシルは今までも精霊と一緒にいたことあるのか?」
「いいえ……昨日、温室で初めて目にしました。なので、どうしてこんなに懐かれるのか……」
リュシルは理由が分からず、頬に手を添えて小首を傾げる。
私は何かしたのだろうか?
昨日クッキーを持って行ったのはヴィクトルさんで、私は眺めていただけなのに……
「……ん?」
ジークがバンディの方を向いて小首を傾げている。念話をしているようだ。
「バンディが言うには、純粋な人ほど精霊に好かれるらしいぞ?」
「……そう、なんですか?」
「リュシルが好かれるのも納得だな」
ジークに笑顔で言われて、リュシルは目を伏せた。
……私は……純粋なんかじゃ……
「……私では、精霊さんをガッカリさせてしまうかもしれません……」
「……リュシル?」
呟くような小さな声に、聞き取れなかったジークは首を傾げた。しかし、リュシルは笑顔を浮かべてジークを見上げる。
「……何でもありません。レナさん達、歩くの早いですねっ」
急ぎましょう、と少しペースを上げてレナ達を追いかけた。どうしたのかとジークはヴィクトルを窺うが、ヴィクトルも緩く首を振ると嘆息してリュシルに着いて行く。
ジークはリュシルが魔力暴走を起こした事と、魔法を使えない落ちこぼれだという噂を聞いてはいたが、それ以外の話は知らなかった。北部では女性を大切に扱う事が当たり前だったために、離れで軟禁されているなんて噂も耳にした事はあったが、いくら何でもそんなことをする訳ないだろうと信じていなかったのだ。
しかし、リュシルの異常な程に欠如した体力と小さく痩せ細った身体が、ジークの胸に影を落としていく。
……リュシルは今まで、どんな暮らしを……?
『……主、行こう?』
『……あぁ』
バンディが鼻先でジークの腕を押し、ジークも止めていた足を再び進めた。
『リュシル、乗せたい、だめ?』
『……聞いてみるか』
ジークの返事を聞いてバンディがタンッと跳ねたかと思うとひと足でリュシルの隣に着いた。そのまま、ふすふすと鼻を鳴らしてリュシルの手に鼻頭を擦り付ける。
「バンディさん?どうしたんですか?」
「リュシルの事、乗せたいって言ってるんだ」
「犬にしては気が利くじゃないか」
ヴィクトルに褒められて嬉しかったのか、尻尾をブンブンと音が鳴るほどに振りながらヴィクトルに擦り寄り、リュシルの前に行くと伏せの体勢をとった。
「でも……先程も乗せていただきましたし……」
遠慮しようとするリュシルをヴィクトルは何も言わずに抱えてバンディに乗せる。
「ひゃわっ……ヴィクトルさんっ」
「ほら、ちゃんと掴め」
「っ〜〜〜……もうっ」
真っ赤な顔でリュシルなりの精一杯の悪態をつき、バンディを撫でてからその毛を握った。
「バンディさん、すみません……」
「コイツから言い出したんだ。気にしないでくれ」
先程のリュシルの怒ったような仕草に笑みを零しながら、ジークが隣に並んだ。ヴィクトルは相変わらず無表情でリュシルを支えている。
バンディはゆっくり体を起こし、小さくひと鳴きして歩き出した。
先程と同じようにバンディの背に揺られていると、あっという間にレナ達に追い付いてしまった。
「あれっバンディ〜リュシル乗せてるの?ごめんね、歩くの速かった?」
「いえ、そういう訳では無いのですが……」
「バンディがリュシルを乗せたがってたから乗ってもらったんだ」
ジークはバンディの我儘に付き合って貰ったと言うようにレナに告げて、バンディの頭を撫でる。
「わふっ」
バンディもまた、同意するように鳴いた。
リュシルはジークの言葉に眉を下げて、ヴィクトルはフッと鼻を鳴らしている。
『……案外賢いやつじゃないか』
『どういう事ですか?』
『君の弱点を言いふらさずに、尊重してくれている』
『あ……』
ヴィクトルに言われ、リュシルはやっと気付いた。あのまま歩いていたら、原っぱに着く頃には体力が持たずにいたであろうことに。
ジークはそれを察して、バンディの我儘に付き合って貰ったと言う形を取ってくれたのだ。
実際にバンディが乗せたがっていたのは間違いではないのだが、二人の念話を知らないリュシルは申し訳なくなってきてしまい、バンディの背を撫でた。
レオンはヴィクトルの手がリュシルの腰元を支えていることに気付き、スっと視線を逸らした。僅かに耳が赤く染まっている。
『おや……主よ!たった今、何やら邪な感情を感じたのだけれどねっ一体何がどうしたと言うんだい?何かそんな刺激的な事が起きているというのかい?あぁ、ほらほら早く私を外に出しておくれよ!主の目撃した官能的な瞬間を私も一緒に体験したいのだよっズルいじゃないか私だけ除け者にするなんて。さぁ、主、外ではどんな刺激的な事が——』
『——うるさい』
レオンは両手で顔を覆って深い溜息をついた。
レナもジークも、レオンの姿を少し哀れんだ瞳で見つめ、何事も無かったように歩き出す。どうやら近接クラスではよく見られる光景のようだ。
リュシルは心配そうな瞳でレオンを見ていたが、バンディも一緒に歩き出したために慌てて姿勢を正した。
わいわいと話しながら温室へ続く並木道に差し掛かると、昨日とは道が違って見える。帰りのように一直線ではない。しかし、かと言って向かった時ほど曲がりくねっているようにも見えない。
皆、普通に足を踏み入れている。
リュシルはすぐ隣にいるヴィクトルを見て、小首を傾げた。
『……この道が、本来の形なのだろう』
『なるほど……』
風に乗って、葉の擦れる音と共にクスクスと小さな声が聞こえてくる。
「なに……? 笑い声?」
レナがキョロキョロしながら声の主を探すが、姿は見えない。レオンやジークも辺りに響く小さな笑い声に視線を彷徨わせる。
「精霊達です。姿を消してますが、皆さんの周りにいます。……気にせずに進んでください」
ララノアが冷静に告げた。
皆は安堵の息を吐いて、しかし先程ヴィクトルに言われたことを思い出し、少し緊張気味に足を進める。
「……そう言えば……名乗るなってさっき言ってたけど、互いの名を呼ぶのは大丈夫なのか?」
「……あまり宜しくはないが、自己紹介をするよりは安全だ」
チラッとヴィクトルの視線がリュシルに向き、目が合ってしまったリュシルはそっと視線を外した。
ヴィクトルの前に立っていたレオンとレナはその視線の動きで「自己紹介したのか……」と苦笑を漏らした。未遂ではあったが、しようとしていたのは事実のため、リュシルは何も言えずに俯いてしまう。リュシルの隣にいたジークはリュシルが俯いたことで、双子同様に察してしまった。
「なるべく名前を出さないようにすればいいんだな」
「あぁ。……精霊については僕よりエルフの方が詳しいんじゃないのか?」
ヴィクトルはララノアに問う。
ララノアは表情一つ崩さずに小首を傾げた。
「……聞かれてもいませんし、教える必要が?」
「……貴様の主が精霊のイタズラに遭っても構わないなら教える必要はないが……」
「見えない者への心配は不要ですし、イタズラに負ける程度の主なら必要ありません」
「なるほど」
ララノアの言葉に子供達が絶句している中、ヴィクトルが納得して会話が終わる。
「え……ちょ、ちょっと待って!」
レナが慌ててララノアを見上げて言葉を探していた。
「……精霊の、イタズラって何……?」
「そうですね……物が消えたり、髪が切られたり、知らない場所に転移させられたりと様々です。」
「はぁ?なんで教えてくれないの!?私、どっかに飛ばされちゃう可能性あったってこと!?」
「……基本的に精霊は姿を見せないので、説明は不要かと」
「……あ……そっか……確かに、精霊がいるなんて知らなかった……」
ハッとして、大きくなっていた声が落ち着いていく。先程の薬草園での出来事がなければ、精霊の存在すら知らなかったのだ。ララノアが教えないのも悪意では無いのだと気付いて、レナの眉が下がっていく。
「ごめん、ララノア……あんたが悪いんじゃないのに」
「いえ。認識しなければ居ないのと変わりません。視認できない限り、気にする必要はないのです」
冷たく聞こえるが、要は姿の見えない精霊の存在を気にするなと言っているのだと分かり、レナは笑顔を見せた。
皆の前には精霊は姿を見せず、エルフだけが精霊を認識している状態ならば確かに注意も何もない。
リュシルの場合は姿を現した精霊に囲まれていたから、教えざるを得なかったのだ。
「あー、と……つまり、見えないなら気にしなくていいって事?」
「はい。ここに限らず、街中でも精霊はいるので余程の事がない限り心配は無用かと」
「そっか。なら良かった」
ジークが確認して安堵の息を吐く。
その隣で、リュシルが胸元に手を置いて震えていた。
「……私、危なかったんですね……」
ララノアの告げたイタズラの内容に空恐ろしさを覚えてリュシルは顔を青くしている。
もしも知らない何処かに転移させられたとしたら……考えるだけで恐ろしい。
ヴィクトルの言っていた手に負えないイタズラというのが、イタズラの範疇を超えているのではないかとも思うが、そもそもイタズラの概念自体が違うのだ。
ヴィクトルは嘆息してリュシルの腰元に添えていた手でぽんぽんとその背を撫でる。
「そう思うのなら、人外にあまり話し掛けるな」
「う……はい……」
ヴィクトルの言葉にしょんぼりとしてしまう。
無意識の行動ではあるが、今後はもう少し注意をしようと思うリュシルだった。




