勉強会
バンディの背に揺られているうちに、あっという間に薬草園に着いた。男性の脚ならばそんなに時間のかかる距離ではないのだ。
「降りられるか?」
「はい、大丈夫です」
まだ少し呼吸は浅いが、リュシルは頷いた。バンディはリュシルが降りやすいようにそっと伏せて、尻尾を振っている。ヴィクトルが支え、降りるのを手伝った。
「ありがとうございます……バンディさんも、乗せてくださってありがとうございました」
「わふっ」
バンディはお座りの姿勢になって、気にするなと言うように返事をした。リュシルは微笑んでその背中を撫でる。
「バンディが『いつでも乗って良い』って言ってる」
「わぅんっ」
ジークがバンディの言葉を伝えると、バンディはどこか誇らしそうに顔を上げていた。
「ふふっ、ありがとうございます」
「俺はちょっとバンディを走らせてくるから、リュシルは中で休んでてくれ」
「分かりました」
「わふっ!」
ジークの言葉に、バンディは嬉しそうに走り出した。それを見送って、リュシルとヴィクトルは薬草園に入る。
「……おはようございます、ローラン先生」
「はい、おはようございます」
キオスクに向かうと、近くの机で作業をするローランを見つける。ローランはリュシルの後ろに立つヴィクトルを一瞥してから、挨拶を返した。
「先生、今日はここでお勉強をしても大丈夫ですか?」
「勉強? もちろん、構いませんよ。……お二人で?」
「いえ、昨日のジークさんと、カステル家のレナさんとレオンさんも来る予定です」
「ほう。……どうぞ、使ってください」
「ありがとうございますっ」
リュシルと話しているのに、ローランの目はヴィクトルを見ていた。長い前髪でリュシルからは見えないため、気付かれることはない。ヴィクトルがリュシルに座るよう促しているのを眺めた。
……昨日のワンコくんと、双子か。他家とは距離を置いているかと思ったが、そうでもないみたいだな。ヴィクトル様がどんな顔をするのか楽しみだ……
ローランの口元が弧を描く。視線が自分に向いていることに気付いたヴィクトルは、小さく舌打ちをした。しかし嘆息すると、手にしている地図をローランに見せた。
「……聞きたいことがある」
「おや、私に?」
「……貴様は精霊樹の存在を知っているか?」
ヴィクトルの言葉にローランが一瞬止まった。しかしすぐに息を吐くと、教師らしい態度をやめて頭をポリポリとかく。
「あー……存在は、知ってる。……だがなぁ……」
「なんだ?」
「……俺は精霊に嫌われてるから見えないのよ」
声量を落とし、ヴィクトルだけに聞こえるようにローランが言った。ヴィクトルは一瞬考え込み、「あぁ、そうか」と呟いた。
——精霊は人の血を嫌うのだったな……。
つまり、人を殺めた経験のある者には精霊は姿を見せないし、領域への侵入を拒むのだ。
「……使えん奴だ」
「すみませんねぇ。……まぁでも、存在はしてますよ。それは断言出来ます。ドルイドの里はあるので」
「場所は分かるか?」
「おおよそ、ですけどね」
ヴィクトルの持っている地図を見て、ローランは自分の亜空間BOXから新しく地図を取り出した。そこにペンで印を付けていく。
「……北側のこっちと、東のこの辺。西と南もあるはずだが、そっちは場所が分からない。……一番近いのが東ですかね」
「……そうか」
ローランは印を付け終えた地図をヴィクトルに差し出した。ヴィクトルはそれを受け取り、何かを考えるように眺めている。
「その地図は差し上げます。そのうち彼女も使うでしょう?」
「……感謝する」
「いえいえ、昨日の魔石の分はまだまだ返せそうにありませんし」
肩を竦めて少しおどけた様子でローランが答えると、ヴィクトルはフッと息を漏らした。
「貴様が価値のわかる奴で良かった」
「あんな好魔石、そうそうお目にかかれませんから」
「ならばついでだ。——天秤の琥珀は知っているか?」
ヴィクトルが鉱石図鑑を出して記載された頁を開いて見せる。ローランは鉱石の挿絵と説明を見て、緩く首を振った。
「残念ながら……」
「そうか。……ならばやはり学園長に聞くか……」
ヴィクトルは最後は独り言のように呟き、リュシルの元へ歩いていく。
ローランは天秤の琥珀の説明を頭の中で反芻し、公爵家へ伝えるべきかどうか考えた。
あの人なら、恐らくありとあらゆる手段を使ってでも手に入れようとするだろう。
さて……どうしたものか。いっその事ヴィクトル様に聞いてみるか……?
ローランとフォンテーヌ公爵は十七~八年ほどの付き合いになる。専属契約は結んではいないが、同等の扱いだろう。公爵は対外的にはリュシルに対して無関心を貫いてはいるが、見守り依頼を受けてローランはこの学園に来ているのだ。
内心は愛してるんだろうな……奥方様にそっくりだもんなぁ……
ローランはポケットの煙草を取り出したが、リュシルの姿が視界に入り、そのまま机に置く。代わりにカップを手に取ると、軽く嘆息して冷めたコーヒーを飲み干した。
リュシルは近接クラスの課題になっていた教科書の頁を開いて読んでいる。その隣でヴィクトルも何やら本を読んでいた。
そんな二人の姿を横目で見て、ローランは薬草の状態を確認するために移動していく。入口から時計回りに園内の薬草たちの状態確認を行う日課だ。
ローランが半分ほど進み、リュシルとヴィクトルが教科書を広げて話していると、入口付近が騒がしくなった。
「——失礼しますっ!」
扉が開くと同時に大きな声が響いた。レナの声だ。
その後ろからレオンとジークも続いて入ってきた。
「リュシル〜ごめんなさいっ、寝坊しちゃって……」
「大丈夫ですよ。ふふっ、おはようございます。レナさん、レオンさん」
「おはよう!」
「……はよ」
キオスクの中央には円形のテーブルがあり、その周囲をベンチが囲んでいる。リュシルの隣にレナが座り、レオン、ジークと並んだ。ヴィクトルを囲むように子供達が座っている。
レナとレオンが教科書とノートを取り出してペンを持つと、二人して同じように首を傾げてしまった。
「……どう、書いたらいいの?」
レナの言葉に、ヴィクトルから重い溜息が漏れる。
「……教科書は読んだか?」
「一応……」
「なら……一つ目。ゴブリンが五体、目の前に出てきたとして、まず何をする?」
ヴィクトルが水球を小さな人型にして作り、レナの前に並ばせた。
「えっと……ララノアを呼び出して……」
言いながら魔力を腕輪に流し、ララノアを召喚する。
「……焼き払う……?」
「はい。可能です」
レナの言葉をララノアが肯定した。
「ならばそれが第一案として、自分の行動をノートに記載」
ヴィクトルはノートを指さし、書くように促す。そして、五体の水球を今度はレオンへ向けた。
「……俺は……子供の姿のアグノールを呼び出して、捕縛と自分の剣で切る、かな」
「何体捕縛して、貴様は一度に何体相手に出来る?」
「あー……そうか……三体捕縛して、二体相手なら出来ると思う」
「ならば、貴様の第一案はそれだ。……そこから、捕縛を逃れたものが出た場合と、三体の捕縛が出来ない場合、それと貴様が二体を相手に出来ない場合。そこに、エルフの成体の場合での案を出せばいい」
自分ならどう戦うか、という課題の考え方を提示して、ヴィクトルは小さな人型の水球を霧散させた。
「……私の他の案は……うーん……?」
「レオンと同じように捕縛も出来ますよ。……レナの操作次第ですが」
ララノアが提案するが、最後の言葉にレナが眉を寄せる。
「……魔力操作ほんと苦手なんだよ〜!」
「練習です」
「分かってるけどさぁ……」
ララノアの言葉に、レナは情けない唸り声をあげながら額をテーブルにつけた。
「こう……ボーンって燃やしちゃえば早いじゃん……」
「……レナは見かけによらず脳筋だよな」
ジークが苦笑混じりに呟くと、レオンがノートに書きながらフッと笑みを零した。四人を微笑みながら見守るリュシルも、魔力操作はまだ始めたばかりだ。二人が書き込んでいる間に水球を出して、ヴィクトルのように人型を作ってみる。
「お。リュシルも人形作れるのか」
「……形だけなら、なんとか」
「んじゃ俺も」
ジークが土の塊を出し、形を変えていく。モコモコと動いて小さな犬の形になった。土の犬は生きているようにジークの手から離れ、空中を跳ねるように動いてリュシルの作った人型水球に近付いた。
「ジークさん凄い……!」
両手で人型の水球を支えるようにしていたリュシルは、自在に動く土の犬に素直に感動している。
「……なにそれ! 私もやりたい!」
レナが瞳をキラキラとさせてガバッと頭を上げた。ウキウキとしながら両手に火の球を作る。
「——ちょ、……待ってくださいねぇ」
音もなくレナの背後からローランの手が伸びてきて、火が消える。ララノアは隣に来たことに気付かなかったらしく、目を見開いてローランを見ていた。
「……ここ、薬草園なんで。土と水はまだ良いですが、火は危ないので外でお願いします」
「……あ……ごめんなさい」
「いえいえ、次から気を付けてください」
「はぁい」
少し肩を落としてしまったレナ。ジークとリュシルもなんだか申し訳ない気持ちになって魔法を消した。
「レナさん、課題が終わったら外で一緒に練習しましょう?」
「……うんっ!」
パッと笑顔になると、レナは再びペンを持って課題に取り組む。
「捕縛……ララノアに捕縛してもらって、私が燃やせばいいんだよね!」
言っていることは捕縛があるかないかだけで一緒ではあるが、それがレナの戦い方ならばそれで良いだろうとヴィクトルは頷いた。
このような問いがまだあと数問あるのだ。一つ目で躓かれても困る——というのがヴィクトルの本音だった。
「……あの、例えばなんですけど……」
うーん、と唸り声をあげるレナにリュシルが声を掛ける。レナは小首を傾げてリュシルに視線を移した。
「……えと……捕縛でもいいんですけど……操作が難しいようなら、ゴブリンの足元に火を放って足止めをして、剣や弓で討伐……とかはどう、ですか?」
「え……なにそれ! リュシル天才! それなら出来るかも!」
「おー、燃やすより討伐証明も取れるから、出来るならその方がいいな」
リュシルの出した案にジークが同意する。
討伐証明とは、主に討伐した魔物の一部を切り取ってギルドに持ち帰ることだ。レナの案のように燃やしてしまうと証明が出来ないので、討伐依頼が未達成のままになってしまう。
「私のクラスの先生が、炎の弓矢をよく使うと仰っていたので……レナさんも出来るんじゃないかと思って……」
「炎の弓矢かぁ! カッコイイね……後でやってみる!」
レナがリュシルの言った案をノートに書き込んでいく。リュシルは役に立てたことが嬉しくて、安堵したように微笑んでいた。
次の問いに移っても、再びヴィクトルが水球で敵を見立て、レオンとレナに考えさせる。徐々に問いの難易度も上がっていく。最後の問いでは、目の前に出現するだけでなく敵に挟み撃ちにされる展開だった。
「はぁ? 敵に囲まれたらどうするって……目の前の敵を燃やして道作るとか?」
「囲まれたら大人のアグノールだなぁ……出した瞬間にこの状況についてグチグチ言われそ……」
レナが戦術を考えている横で、レオンが成体のアグノールからの小言を想像したらしく身震いしていた。
『やぁ主。そんなに私の話が聞きたいというのなら、いくらでも語ってあげるんだねっ。ところで、どうして私を外に出してはくれないのだい? あのワンコくんは仕方ないとして、昨日の琥珀の君も妹君のエルフも顕現しているんだね。私の事も顕現させて一緒に戦術を練る方がとても効率的だと思うのだけれどねっ。主はまだ私がどんな魔法を使えるのか全部覚えてはいないだろう? 簡単な燃焼や捕縛のみだけでなく、色々な技を使えることをもっと知っていて欲しいのだよ。戦術論を語り合いながら、私の使える素敵な魔法の数々も一緒に覚えていけばいいと思うのだが——』
『……絶対出さない』
念話で長々と喋り続けるアグノールを無視して、レオンはノートに書き込んで行った。
この問いが終われば課題も終わりなのだ。昨日もレナに市場中を連れ回されて疲れていたレオンは、さっさと終わらせてゆっくりしたかった。
「「……終わったー……」」
さすが双子と言いたくなる程、同じタイミングで二人してテーブルに突っ伏した。
ジークは二人の頭をわしゃわしゃと撫で、リュシルは「お疲れ様です」と声を掛けた。根気強く二人に付き合っていたヴィクトルは、小さく嘆息して足を組み直す。
そこへ、ローランが差し入れを持ってきた。
「皆さんお疲れ様です。……どうぞ」
「わっ! クッキーだ! 先生ありがとう〜」
「ローラン先生、ありがとうございます」
「……あざっす」
「ありがとうございます」
口々にお礼を言い、手を伸ばす。ララノアは警戒するようにローランの足元を見ていた。どうやら足音がないことに気付いたらしい。レナの近くにピッタリくっつくように立ち、眉間に皺が寄る。
それぞれクッキーに舌鼓を打っていると、ふと、一枚のクッキーが宙を舞った。
「……」
ヴィクトルが宙に浮くクッキーを酷く険しい顔で睨んでいる。ローランは何度も瞬きをして、乾いた笑いを漏らした。
皆はクッキーに夢中で気付かない。
リュシルはヴィクトルの視線を辿って、漏れそうになる声を飲み込んだ。
『……ヴィクトルさん、もしかして……精霊さん、着いてきてたんですか?』
『どうやら、そうらしい……このまま温室に戻ってくれればいいんだが……』
ヴィクトルの声は続かなかった。
何故なら、隣に座るジークが浮いているクッキーに気付いてしまったのだ。
ポカンと口を開けて、空中のクッキーを眺めている。
クッキーはほんの少しずつ削れていく。しかし欠片は落ちてこない。
「……え?」
ハッとして、リュシルはジークに首を振る。
ヴィクトルは亜空間BOXから缶を取り出した。パチンと指を鳴らして、クッキーと恐らく精霊がいるであろう位置を缶とその蓋で挟んだ。ララノアを見れば小さく頷く。どうやら缶の中に入れられたらしい。
ふぅ、とヴィクトルとリュシルが息をついたのを見て、ジークは今のはなんだったのかと小首を傾げた。
朝食を食べ損ねた二人はクッキーしか目に入らない様子だ。
その様子を横目に、ジークが小声でヴィクトルとリュシルに話しかける。
「……今の、何なんだ……?」
「えっと……精霊さん、ですかね……」
「……は? 精霊? ……が、今その缶の中?」
理解が追いつかないのか、ジークの形のいい眉が寄る。
「……温室で、精霊に会わなかったか?」
ヴィクトルの問いにジークは首を振る。
どうやら大勢の前には精霊は姿を見せなかったようだ。ヴィクトルとリュシルはお互いに目を見合わせて、どうするか考えている。
『……ヴィクトルさん、ここにいる方達なら、伝えても平気なのでは……?』
『…………わかった』
険しい表情ながら、溜息と共に了承して、精霊を閉じ込めた缶を自身の前に置いた。
「……ん? ヴィクトルさんもクッキー持ってるの?」
レナがキョトンと缶を見た。ヴィクトルは緩く首を振り、皆を見渡した。
「……この中に、精霊が居る」
「「……え?」」
「話しかける、触る、名乗るを、しないと約束出来るなら出す」
ヴィクトルの重い声に、皆神妙に頷いた。




