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薬草園まで


 日記を書き終え、寝支度をしてベッドに潜る。疲れているからか、もう瞼が落ちてきていた。


「ヴィクトルさん、おやすみなさい……」


 言い終わるか否かで既にリュシルは寝ていた。

 ベッドサイドに姿を現したヴィクトルはリュシルを見下ろし、魔力量を確認して天蓋を下ろした。


「……良い夢を。」


 寝顔に呟き、作業スペースへと移動する。

 術式は色々考えたが、それだけでは余り良いものが思い浮かばず今度は魔法陣を描き始める。


「吸収……安定……転移……転移先の指定……入らないか……別の魔法陣を……いや……そうか」


 ふとヴィクトルの手が止まった。

 確か……面白い鉱石があった気が……

 亜空間BOXから魔鉱石の図鑑を取り出してパラパラと捲っていく。

 ……天秤……だったはず……


「……………………あった。」


 天秤の琥珀(バランスアンバー)。

 魔力を吸収し、安定させてくれる鉱石だ。

 しかし、発掘例も少ない希少な鉱石。精霊樹の樹液からしか作られないと言われていたか……。

 ……精霊樹が残っている場所は……まだあるのか……?

 これを使用するのは現実的では無いか……

 

 ……一応、薬草教師と学園長に聞いてみるか……


 ヴィクトルは淡い期待を振り払うように、長めに息を吐き出した。

 改めて魔法陣を書き起こす。二重、三重と重ねれば機能するかもしれない。

 魔法陣は術式より扱いが難しい。わずかな歪みで機能せず、一つに込められる効果も二つから三つが限界だ。互いに干渉する効果は別の魔法陣に分けて重ねるしかない。

 高い効果を持つ反面、その複雑さゆえに近年では使い手も少なくなっていた。


 ツーっとヴィクトルの頬を汗が伝う。


「……これでは発動しない、か……」


 魔法陣の描かれた紙が積み上がっていく。窓の外は白み始めていた。

 天を仰いで瞳を閉じる。

 一度深呼吸をして、机に視線を落とした。視線の先にはリュシルの魔力が込められた魔石。星の瞬きのような光が時折姿を見せる。

 指先でそっと撫でて亜空間BOXへ仕舞った。

 溜息を一つ零して、コーヒー豆を取り出すと気持ちを落ち着けるように挽き始める。

 ……何か見落としているのか……

 ……何がいけないのか……

 静かな朝焼けの中、豆を挽く音が響く。

 思考は術式と魔法陣で埋まっているのに、ヴィクトルの手は慣れたようにコーヒーを淹れていく。

 プレスを下げてカップに注ぐ。一口飲んで、再びペンを手に取った。


「……魔法陣で吸い上げて……術式で魔力を転移させれば……」


 どちらか一方だけでやろうとするからいけないのではないかと、思い至った。——しかし、自らの魔力を流しても何も起こらない。


「……ふむ……これでは動かぬか……」


 魔力そのものを強制的に吸い取る禁魔石(アンチマテリアル)を付ければ普通の生活は可能だろう。

 だが……この魔力を失うのは惜しい。出来ることなら魔法を扱える生活にしてやりたい。

 ……いつか、消える自分を忘れ、あの子が己の足で歩けるように……


 そんな願いのような事を思い浮かべて、フッと自嘲気味に笑みを零した。

 自分の喉元に触れ、戒めるように瞳を閉じる。

 傷跡も何も無い。己には脈すらも無い。

 感じるのは、魔力の流れだけ。

 あの子の魔力が身体を巡る。

 この、心地良いと感じてしまう魔力を……失いたくはない——


 瞳を開けば小さな光が目の前で揺れていた。


「……貴様は何がしたいのだ……」

 

 左右へ行ったり来たりしながら、ヴィクトルの前を動かない。


「……なんだ……?」


 精霊は人の言葉をある程度理解はしているが、人には精霊の言葉が聞こえない。ヴィクトルも霊体ではあるが元々は人なのだ。言いたいことがあるのは理解出来るが、聞き取ることは出来ない。

 ……赤い娘のエルフなら意思疎通は出来るだろうか……?


「……僕には貴様の言葉はわからん。言いたいことがあるなら他を当たってくれ。」


 プルっと光が震え、ゆっくりとヴィクトルから離れる。そのままリュシルの眠るベッドへと飛んで行った。

 小さく嘆息してカップに手を伸ばす。カップに口を付けながらリュシルの魔力を見ていた。

 ……また、増えているな……

 昨日は突然増幅した分だけを取ったので、また熱を出す前に魔力を調整しなければと考えながらコーヒーを飲み込んだ。

 そろそろ起床時間か。

 作業机に広がる紙類を纏めて亜空間BOXに入れていく。鉱石の図鑑を眺めながらリュシルの目覚めを待った。


「……う、ん……」


 ヴィクトルのカップからコーヒーがなくなった頃、ベッドから動く気配がした。静かに天蓋が開き、ボンヤリしたリュシルがヴィクトルの背中に微笑んだ。


「……おはようございます、ヴィクトルさん」


「あぁ。」


 ヴィクトルが傍に来て手を差し出せば、リュシルは迷うことなくそこに手を重ねる。脈を測り、魔力を受け取るとヴィクトルは頭をひと撫でして腕輪に入った。

 リュシルは身支度を整える。最後に髪をハーフアップに纏め、レナから貰った髪飾りを付けて食堂へ向かった。


「——おはようございます、フォンテーヌ嬢。」


 談話室に着くと、声を掛けられた。

 リュシルは少し驚きつつ、穏やかに微笑む。


「トマさん、おはようございます。」


「昨日はありがとうございました。」


「いえ、昨日もお礼をいただきました。そんなに気にしないでください。」


「はい……でも、本当にとても勉強になって、今朝もエヴァさん達と話していたんですが……もし良かったら、また機会を頂けると嬉しいです。」


 トマは少し照れたように微笑んでいた。ヴィクトルが求められている事に嬉しくなったリュシルは念話でヴィクトルに問う。


『また、お勉強したいそうです』


『……君が許すなら構わない』


 ヴィクトルからの返事に、リュシルはふふっと声を漏らした。


「……フォンテーヌ嬢?」


「ヴィクトルさんが、また講義をしてくれるそうです。」


「本当ですか!ありがとうございます!では、また次の土曜はどうでしょうか?昨日の二人にも声を掛けておきます。」


「分かりました。では、また次の土曜日に。」

 

 次の約束をして、トマと別れた。

 食堂でのどこか楽しそうなヴィクトルの姿を思い出して頬が緩む。

 私も、もっと頑張ってヴィクトルさんの講義を受けられるようにならなきゃ……!

 今は体力作りをしなければと小さく気合を入れて、食堂に入って行った。


 トレーを手にして料理を選んでいると、隣からトレーに手が伸びて来た。コロンと落とされる小さい包み。伸びてきた腕の方を見ればジークが居る。


「おはよう。今日も綺麗だな。その髪飾りも似合ってる。」


 北部の男らしい女性を褒める言葉にリュシルは微笑んだ。北部文化を知らない人からしたら軟派な人に見られてしまいそうな言葉だが、リュシルは社交辞令として受け取っている。

 

「おはようございます、ジークさん。ありがとうございます。髪飾りは、レナさんからのプレゼントなんです。」


「あぁ、市場の土産か!良いな。俺も今度行ったらなんか贈らせてくれ。」


「……今、贈り物をいただいた気がするのですが……」


 トレーに置かれた小さな包みを見て小首を傾げる。

 ……これは……?


「それはキャラメル。……昨日、バンディが飛びかかったからそのお詫びに。本当は昨日の内に渡そうと思ってたんだがタイミングを逃してしまったから……」


「そんな、気にしなくて大丈夫ですよ?」


「俺が渡したいだけだから、受け取ってくれると嬉しい。」


 リュシルは少し逡巡したが、微笑んでお礼を言った。ジークは安堵したように笑って、お互いに会計を済ませると二人で食事をとる。


「……あの二人、起きてくるかなぁ……」


「昨日はこれくらいの時間に来てましたよね……」


 食堂の入口を見るが、レナとレオンの姿はまだない。朝が苦手だという二人はいつ起きて来るだろうとリュシルは少し心配そうに眉を寄せた。


「まぁ、集まる場所は知ってるからな。……あいつらのランチだけ買っておいてやるか。」


「そうですね。ではレナさんの分は私がお支払いします。」


「じゃぁ、食べ終わったら買って先に向かっておくか。」


「はい。」


 リュシルはジークに近接クラスの人達の様子や、部屋でのバンディの話を聞きながら楽しく食事時間を過ごした。

 話をしながらもジークはリュシルより早く食べ終わり、優しい表情でリュシルを見つめる。

 綺麗な所作で、小さな口へ運ぶ姿が可愛らしかった。

 最後のフルーツを口に含み視線を上げればジークが微笑んでいて、リュシルは口元に手を軽く添えて小首を傾げる。その仕草に、ジークは何でもないと言うように首を振ると席を立った。自分とリュシルのトレーを持つと返却口に持っていく。咀嚼の終わらないリュシルは動けず、見送るしかなかった。


「ジークさん、すみません。ありがとうございました。」


 ジークがトレーを置いて戻って来る頃にリュシルはやっと飲み込み、ジークに頭を下げる。


「あれくらいついでだし気にするな。それより、食堂閉まる前に二人のランチ買っておこう。」


「はいっ」


 時刻はもうすぐ9時。食堂の閉まる時間になる。自分たちの分は既に購入済みの為、二人は一つずつ追加で購入して食堂を出た。

 談話室を覗いたが、誰の姿もない。

 リュシルとジークは一足先に薬草園へ向かうことにした。


「——ほら、外だぞ。」

 

 寮を出るとジークはバンディを呼び出した。わふっと小さな鳴き声と共に現れたバンディは、ブルブルと体を震わせるとジークに頭を擦り付ける。次にリュシルの方へやって来て鼻先を手に擦り付けた。


「ふふっ、おはようございます、バンディさん」


「わふっ」


 昨日より大人しい。ジークとローランに言われた事を守っているようだ。二人が歩き出すと、バンディはリュシルの隣を守るように着いて行った。


「そういえば……ヴァルグレン辺境伯家は騎士家系でしたよね?ジークさんも剣を扱うのですか?」


「あぁ。小さい頃から騎士団で扱かれてたよ。魔獣討伐も何回か参加した。」


「そうなんですか!凄い……北方は最近も魔獣が多いんですか?」


 婚約者候補として勉強していた時期からもう六~七年程経っているため、最近の情勢が分からないリュシルはジークに問う。


「そうだなぁ……あまり変化は無さそうな気はするが……スタンピードは減った気がするな。」


「増えたのではなく、減った……?」


「あぁ。被害が減るのは助かるんだが、原因がまだ分からないから親父達がちょっとピリピリしててさ……休暇に帰るのが憂鬱なんだよ。」


「——興味深い話をしているな」


 突然後ろからヴィクトルの声がした。リュシルは微笑んで、ジークは驚いたようで振り向いている。


「……びっくりしたぁ……そうか、自由に出入りできるんだっけ」


「北方のどの辺りだ?……近年の地図はあるか?」


「あぁ。地図は持ってる。……これと、こっちが北部の地図だ。」


 亜空間BOXからジークが王国近隣まで記載された地図と、北方のみの拡大地図を取り出してヴィクトルに渡した。ヴィクトルは受け取るとすぐに開いて、地図に書き込まれた字に気付く。


「あ、その書き込みは魔物の住処に、討伐した種族と、瘴気の発生箇所とか……見にくくて悪い。」


「いや、有益な情報だ。……こちらの山岳地帯は?」


「そっちは未開だな。ずっと雪に覆われてて入れないんだ。」


「なるほど……」


 地図を見ながらリュシルの速度に合わせて後ろからヴィクトルが歩く。もう少しで薬草園へ曲がる道に差し掛かるところで、ヴィクトルが顔を上げた。


「——待ちなさい。」


「ん?」


 どうしたのかとジークが振り返る。

 ヴィクトルはリュシルの肩を支え、そのまま自分に寄りかからせる。リュシルはふらりと寄りかかった。息が上がっている。ジークと話しながら歩いていた為に、体力の消耗が昨日より早かった。


「……きちんと言いなさい。」


「……すみま、せ……はぁ、はぁ……」


 背中をヴィクトルに預け、安心した為か乱すのを我慢していた呼吸が乱れ始めた。

 ジークは何が起きているのか分からずに二人を見守るしかできない。


「……この犬は乗っても平気か?」


「え……あ、あぁ。俺が乗っても平気だから大丈夫だ」


「ならば、この子を運べ」


 ヴィクトルがバンディに告げるとバンディは素早く伏せの体勢をとり了承を示す。ヴィクトルはリュシルを横抱きにして持ち上げるとバンディの背に乗せた。

 リュシルは戸惑いながら、バンディの毛を恐る恐る掴んだ。落ちないようにとヴィクトルの手はリュシルの腰を支えている。


「わっふ」


「バンディがもっとしっかり掴まれって。」


「……は、い……」


 リュシルが握り直すのを確認してバンディは起き上がった。


「……だ、大丈夫、なのか……?」


「すみません……少し休めば、大丈夫、です……」


「ただの体力不足だ。」


「は……?」


 ジークから間の抜けた声が漏れる。今自分達が歩いて来た道を振り返り、リュシルとヴィクトルを見る。

 

「……いや……待て待て。体力不足って……」


 ——食堂から、たったここまでの距離で……?


 ジークが言葉を失った。

 嘘だろう……?

 この道は一人ならば五分程度の距離だ。それを、倍くらいの時間をかけて歩いて……

 

「……気付いてやれなくて、ごめん」


 バンディの背に乗り、同じくらいの目線になったリュシルの顔を見つめる。青白い顔をしていた。こうなるまで気付かなかった自分が情けなくて、ジークの眉が下がる。

 リュシルは緩く首を振った。


「私も……言わなかったので……すみません……」


「……行くぞ」


 互いに気落ちする子供たちに嘆息して、ヴィクトルが声を掛ける。その声にバンディがゆっくりと歩き出した。薬草園はすぐそこだ。


「わっ……、……ふふっ……」


 リュシルから笑い声が漏れる。

 ヴィクトルとジークはどうしたのかとリュシルを見た。


「ふふっ……楽しいです……」


 動物の背中に乗る経験なんて今までなかったリュシルは、歩くのとは違う独特のリズムが楽しかった。

 目線も高く、風を切って進む感覚は初めてだ。

 楽しそうに景色を眺めるリュシルに、ヴィクトルは小さく嘆息して僅かに目を細めた。


 ……なんだ……その眼——

 

 バンディとリュシルを挟んだ位置を歩いていたジークは、ヴィクトルの僅かな表情の違いに気付いてしまった。

 昨日の戦術について話している時は少し楽しそうな声になっていたが、表情に変化はなかった。

 なのに……こいつ、リュシルに関する時だけ表情が変わるのか……?

 契約者だからってのは、分かるけど……


 改めてヴィクトルを盗み見たらもういつもの無表情だ。

 あれ……見間違い、か……?

 視線を逸らして、一人首を傾げてしまう。


『主っ主っ!』


『なんだ?』


『リュシル、凄く、軽い!乗ってないみたい!』


『……そう、か……』


 ジークはバンディからの念話に僅かに耳を赤くした。握手した時の細さを思い出して、それはそうだろうと思いながらも、何とも言えない気持ちになってしまった。


 

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